Call of Lyrical 4_04

Call of Lyrical 4


第4話 狩られし者/猟犬たちの夜


SIDE U.S.M.C

二日目 時刻 1700
中東某国 海岸沿いにある街
ポール・ジャクソン 米海兵隊軍曹

戦場における食事とは、兵士にとって貴重なストレス解消の手段である。命のやり取りが行われる状況下においては、コーヒー一杯さえもが心の支えになり得るのだ。
しかし、とジャクソンは目の前に広げたビニールパックの群れを見て思う。ストレス解消の役目も担っているならば、もう少し味を工夫して欲しい。
MREレーション、米軍の戦闘糧食である。任務の合間に食べられるよう、調理の手間を省き、なおかつカロリーが高めになっているのだが、味は悪い。
例えば、メインディッシュであるスライスハム。パックにスライスと書いてあるのだから薄いハムが出てくるかと思いきや、開けてみたら普通に分厚かった。
おまけに、開けた途端に鼻を突くのは強烈なレトルト臭。

「これでストレス解消か、どんなドMだ」

きっとこのMREを開発した連中は相当な味音痴、もしくはあえて不味くすることでストレスの貯まった兵隊をより凶暴化させようと企んでいるに違いない。同僚のグリッグ二等軍曹はそう付け加えて、これまた見た者の食欲を減衰させるドックフードのような塊を――メニューには、ビーフシチューとあった――プラスチックのスプーンで口に掻き込んでいる。一応腹を満たさなければ、任務に支障が出てしまう。
ジャクソンも辛いばかりで美味しくないスライスハムを口に放り込ませながら、ふと思い出す。あれは演習で日本に行った時だったか、合同訓練の相手だったジャパン・アーミーたちが、見たことも無い食べ物を食べていた。日本語を話せる同僚に通訳を頼み、それは何なのかと尋ねると筑前煮と言う回答が帰ってきた。
食べるかい?とジャパン・アーミーが差し出したので、一つ摘んでみたところ、ビックリするくらい美味かった。
きっとこんな資源も何も無い小さな島国が世界第二位の経済大国なのは、食事が美味いからだ。そうに違いない。

「また食いたいな、チクゼンニ……」

ぽつりと呟き、ジャクソンはもう一口スライスハムを食べる。味はやはり、辛いだけ。
東洋の神秘の味に思いを馳せつつ、彼らはとにかく胃袋を満足させようとしていた。


SIDE SAS

二日目 時刻 0302
ロシア西部
ジョン・"ソープ"・マクダヴィッシュ軍曹

ニコライ、それに管理局と名乗る正体不明の組織の一員であるヴェロッサを救出したソープたちSASは、UH-60輸送ヘリでハンブルクの友軍駐屯地に向かっていた。
時刻は午前三時。まともな人間ならば、睡魔に襲われてもおかしくない時間帯。ソープも例によって、脳裏から湧き出てきた睡魔によりうつらうつらと首を揺らしていた。
何度かの居眠り、覚醒を繰り返し、彼は首を振って眠気を覚まそうとする。救出任務は終了したが、基地に戻るまで作戦は終わったとは言えない。ましてや、ヘリのキャビンには得体の知れないヴェロッサがいるのだ。おちおち寝てなどいられない。
しかし――当のヴェロッサはと言えば、機内の壁にもたれかかって眠っていた。一見優男だが、案外肝が据わっているのかもしれない。
悪い奴ではない、とソープは思いたかった。質問に答えない態度は好きになれないが、これでも救出任務の際に遭遇した友人、クロノの仲間。万が一ヴェロッサが自分たちにとって危険な存在ならば、同時にクロノに対しても疑念が湧く。友を疑うような真似は、したくなかった。
だが、素性を明かそうとしない人物を信用できるかと問われれば、彼は違うと答えるだろう。
矛盾した二つの感情によって板挟みに遭いながら、ふとソープは同じキャビン内にいる分隊指揮官、プライスが窓の外に視線をやっていることに気付く。

「何ですか、ありゃ」

同じく、窓の外に視線をやっていた先輩格のギャズの言葉。彼らの視線の先を辿り、ソープはあっと息を呑む。

「ミサイルだ! つかまれ!」

ぱっとプライスが振り返り、UH-60のパイロットに叫ぶ。そうでなくとも、UH-60の警戒システムがミサイルアラートの警告を機内に響かせていた。
夜空を走り抜けて接近してくる、白い閃光。がくっと機体が揺れて、回避機動を取ろうとするが、その瞬間には白い閃光がUH-60の懐に潜り込んでいた。
一瞬閃光が見えなくなったかと思うと、次の瞬間、何かが炸裂したような音が響き、尻を蹴り上げられたような衝撃が巻き起こった。
咄嗟にソープは手を伸ばし、何でもいいから捕まろうとした。藁をも掴む思いで伸ばした手、しかしそれよりも早く、UH-60はグルグルと回転を始めた。
回転中の洗濯機にぶち込まれたかのように回る視界、狂ったように鳴り響く甲高い警報音。衝撃への備えが遅れたソープは椅子から投げ出され、冷たく無機質な床に叩きつけられる。
衝撃を受けた頭がまともに回転するはずも無く、脳裏を過ぎる言葉はただ一つ。
墜落する。
一際大きな衝撃が走った。その瞬間、ソープの意識は思考諸共吹き飛ばされ、暗いカーテンが視界を包み込んでいった――。


ああ、こりゃ死んだな。まったく、あっけないものだ。
そこまで考えて、ふと気付く。死んでいるならば、何故自分は考えることが出来るのだろう。
疑問の答えは、徐々に鮮明さを取り戻していく視界と共にやって来た。
痛む背中。草の焼ける匂いが、鼻腔を突く。未だ火花を上げるUH-60の残骸が、真っ二つに割れていた。墜落した瞬間、衝撃で自分は投げ出されたらしい。
自身が横たわる草原、その向こうから誰かが急ぎ足で近付いてくる。

「どうやら無事のようだな、立つんだ」

立派な髭を蓄えた屈強な兵士。彼が、自分を助け起こす――そこでようやく、ソープは自分が生きていることに気付く。助けてくれたのは、プライスだった。

「大尉……?」
「起きろ、追っ手が来る前に移動するぞ」

促され、多少よろめきながらもソープは立ち上がった。とりあえずは、五体満足のようだ。戦闘にも支障はあるまい。
ぼんっと、草原の奥で爆発音。プライスと共に走っていくと、まだ残っていた燃料に引火でもしたのだろう、UH-60の残骸の傍らでギャズ、ニコライ、ヴェロッサがパイロットの容態を見ていた。

「被害報告」
「パイロットが死亡しました」

ギャズの報告を受けて、プライスはくそ、と吐き捨てた。極秘作戦のため、遺体の回収は出来なかった。やむを得ず、パイロットの認識票のみ回収する。

「……よし、合流地点はそう遠くない。そこに向かうぞ。ニコライ、銃を持て」

撃墜された彼らだったが、万が一ヘリにトラブルがあった場合に備え、合流地点が定められていた。そこに辿り着けば、救助のヘリがやって来るはずだ。
とは言え、敵である超国家主義者たちも黙ってみてはいないだろう。UH-60の墜落地点を中心に、捜索部隊を送り込んでくるはず。救出されたばかりのニコライでさえ、銃を持たねば生き残れまい。

「了解。自分の身は自分で守らないとな」
「あ、俺も」

ニコライはキャンプを脱出する際に拝借したAKS-74Uを、ソープは墜落時にM4A1を紛失したため、パイロットが持っていたMP5を手にした。

「ヴェロッサ」

拾ったMP5に異常がないか確認しながら、ソープはM1911A1拳銃をヴェロッサに差し出す。身を守る武器が必要なことくらい、分かっているはずだ。
ところが、ヴェロッサは首を振ってM1911A1をソープに突き返す。

「いらないよ」
「何……」

怪訝な表情を浮かべるソープに、ヴェロッサは意味深な笑みを浮かべた。

「そういう質量兵器を使用するのは、管理局の人間にとってご法度なのさ」
「――ルールを守るのはいいが、お前まで守る余裕はないぞ?」
「大丈夫。僕は魔法が使えるからね」

ヴェロッサの回答。しかし、ソープの怪訝な表情が解けることは無かった。
――まぁ、何かしら手はあるんだろう。
考えを振り切って、ソープはプライスたちの後を追った。


幸い、と言うべきか。携行する通信機は、個人用の小さいものであるにも関わらず作戦本部に繋がった。
人工衛星様々だな。ソープは星の瞬く夜空を見上げ、本部からの通信に耳を傾ける。

「ブラボー6、こちら本部。AC-130と、その他援軍を発進させたが、到着まで時間がかかる。オーバー」
「了解、ブラボー6――以上」

先頭を行くプライスが答えて、通信終わり。あまり頻繁に交信していては、敵に傍受される恐れがあった。バッテリーも温存せねばなるまい。

「AC-130だって? 久しぶりだな」

通信を聞いていたギャズ、愛用のG36Cを構えたまま、懐かしそうに呟く。以前演習で、その火力を見せ付けられたらしい。もっとも、実物を見たことのないソープとしては言葉だけではその強さを実感できないでいた。
むしろ、"その他援軍"ってのが気になるな――航空機かどうかすらもはっきり言わなかった、本部の言葉。それを記憶の片隅に留めて、彼は小川を渡る。
小川の水底は決して深くなかった。せいぜい足首まで漬かる程度。しかし、そのわずかな水がバシャバシャと音を上げさせる。

「気付かれるなよ、無用なトラブルはごめんだ」

囁くような小さな声で、プライスからの注意が飛ぶ。ソープは頷き、後方にいるヴェロッサに注意しろよ、とハンドサイン。もっとも、薄汚れているとはいえ彼は白のスーツだ。
夜間においては、ひどく見つかりやすいことだろう。
――そう、見つかりやすい。まるでそれを警告するかのように、夜空の向こうから耳障りなヘリのローター音が鳴り響く。同時に地面を照らす眩い光。
慌てて、SASと諜報員一行は目前にあった橋の下に身を隠す。おそらくは墜落した自分たちを探しに来たのであろう、超国家主義者たちのヘリをやり過ごす。

「……お前は基本隠れて行動な」
「言われなくても」

ヴェロッサも自分がどれほど目立つか、分かりきっているらしい。諜報員の癖になんでそんなもの着てきたんだ。突っ込みたくなる衝動を抑えて、前進再開。
途中で小川を抜け出し、左手に見えた納屋の方向へ。上手い具合にあった木の幹に身を隠しながら進むと、納屋の向こうから車のライトと思しき光が走るのが見えた。
キッとブレーキのかかる音。車は停車した模様で、直後にロシア語の会話が聞こえてきた。超国家主義者たちの追っ手に違いないだろう。
プライスが先頭に立ち、右手でM4A1のグリップを握ったまま、左手で納屋の扉に手をかけ、ゆっくりと開く。納屋の中に静かに、そして一気に流れ込んだ彼らは、窓一枚挟んだ向こう側に敵兵複数を確認する。
あっ、とソープは声を上げそうになった。敵兵たちは、おそらくこの納屋の持ち主であろう民間人である老人に、何かを尋ねていた。
否、尋ねていると言うよりは、明らかに銃をちらつかせ、脅迫していた。おそらくは、ソープたちの居所を教えろ、とでも言っているのだろう。
老人はしかし、銃を持つ相手に対して果敢にも反抗的な態度を見せていた。そんなものは知らん、さっさと出て行けと。

「あの爺さんがやられる前に、連中を片付けるぞ」
「プライス大尉、それでは……」

こっちが見つかります。言いかけて、ニコライは口を閉じた。無関係の民間人の命が危険にさらされている。プライスには、それが我慢ならなかったのだ。

「長生き出来ませんよ」
「太く短く生きるだけだ」

OK、とプライスの言葉に満足したニコライは親指を立て、AKS-74Uのコッキングレバーを引いた。初弾装填。ギャズ、ソープもこれに続く。
危ないから下がってろ、とソープはヴェロッサに合図した上で、MP5の照準を老人と直接対面する敵兵に合わせた。取り巻き連中は、プライスたちがやってくれる。
わずかに深呼吸し、息を止める――引き金を、引く。MP5の銃口に閃光が走り、独特の軽い連射音が夜を引き裂く。
納屋の窓ガラスを突き破り、放たれた弾丸は敵兵を横から殴りつけ、地面に叩きつけた。周囲の仲間が何事だ、とAK-47やG3を構えるが、奇襲を受けた敵は案外脆いものだ。ソープの視界の片隅に銃撃の閃光が走り、敵兵たちがひっくり返っていく。その最中、ちゃっかり逃げ出すことに成功した老人は、さすがと言うべきか。

「エリアクリア」
「よし、このまま進むぞ」

納屋を抜け出し、周囲にいた敵兵が一掃されたことを確認。ギャズの言葉で、プライスは再前進の判断を下す。

「仕事が早いね……」

納屋の奥に隠れていたヴェロッサが、感心したようにソープに声をかけてきた。
ソープはにっと笑い、MP5の銃身を叩いて言った。だからお前も銃を持てと。
それに対してヴェロッサは、やはり首を振る。僕の趣味じゃない、そう付け加えて。


納屋を抜けた彼らは、広い平原に出た。隠れられるようなものは途中ほとんどなく、奥にやや大きめの家屋がある。
どうにも嫌な予感しかしない。しかし歩みを止める訳にもいかず、ソープたちは歩き出す。何も来ないのを、ただ祈るばかりだ。
虫の鳴き声しかしない、静かなロシアの夜。その静けさが、かえって余計な警戒心を抱かせる。
ゆえに、過度に研ぎ澄まされた聴覚は、しっかりと捉えた。幻聴ではない、耳障りなヘリのローター音。

「ヘリだ、伏せろ!」

プライスの声が耳に入るまでもなく、ソープは地面に倒れ込む。どっと自分の傍らに、誰かが身を伏せてきた。ヴェロッサだ。人差し指を口の前に立てて、動かないようにと伝える。
直後、眩い光が彼らの頭上をゆっくり、地面を舐めるようにして通り過ぎていく。ヘリから浴びせられる、サーチライトだ。もっとも、動かなければ見つかることはそうあるまい。
パイロットが赤外線スコープでも装着していたらそうもいかないが、サーチライトを使っているということは完全に肉眼に頼っている証拠だ。
案の定、ヘリは何事もなかったように飛び去っていった。ふぅ、とソープは安堵のため息を吐き、ヴェロッサにもういいぞと合図する。ヴェロッサは頷き、立ち上がった。
瞬間。ぱっと眼に焼きつくような強烈な光が、彼らに降り注いだ。
くそ――呪詛の言葉を吐き捨てるのと同時に、ソープはヴェロッサの身体を突き飛ばし、そのまま自分も地面に突っ込んだ。衝撃は決して小さくなかったが、足元を駆け抜けていく銃弾の雨を浴びるよりマシだ。
ヘリは飛び去ったと見せかけて、また引き返してきたのだ。そうして、安心した自分たちを狙い撃つ魂胆だったのだろう。
同時に、草原の向こうから突然姿を現す、複数のトラック。柵を破って突進してきた彼らは、荷台から武装した兵士たちを下ろしてくる。
嵌められた――全員の脳裏に、同じ単語がよぎる。

「応戦だ、撃て!」

されど、怯むことは許されない。プライスは指示を出しつつ、M4A1の銃口を敵兵たちに構え、フルオート射撃を開始。新兵なら恐怖に負けてあっという間に撃ち尽くすところだがそこはベテランのSASだ。引き金にかけた指を、絶妙なコントロールで数回に分けて引く。短い連射音が走る度、突っ込んでくる敵兵たちは撃ち倒されていく。
しかし――アリの如く後から後から湧いて出てくる敵兵たちは、止まる事を知らなかった。AK-47の銃撃音と閃光。銃弾が身を掠め、少ない残弾数が焦りと恐怖を生み出す。
おまけに、頭上からも銃弾が降り注ぐ。何だと思って視線を上げると、ヘリの扉が開き、身を乗り出した敵兵が据え置き式の機関銃をぶっ放していた。ドアガンと言う奴だ。対空兵器としては貧弱だが、地上で狙われる身としては厄介なことこの上ない。
ソープはMP5をヘリのドアガン操作手に向けて放つが、黙ることを知らないそいつはお返しとばかりに銃弾の雨を叩き込んできた。地面を耕すような勢いで浴びせられた銃撃に、ソープは露骨な舌打ち。所詮短機関銃のMP5では届くはずもない。

「ギャズ、俺たちが時間を稼ぐ! そこの家の扉を開けろ!」
「了解――!」

プライスの指示を受けて、最後にG36Cを一連射したギャズが立ち上がり、彼らの後方に構えていた家屋に走る。背中を見せたギャズに向かって敵兵たちは銃口を向けるが、ニコライのAKS-74Uが火を吹き、彼らの注意を引き付ける。
家屋に辿り着いたギャズは、扉に手をかける――開かない。頑丈そうな鉄の扉は、見た目通り重かった。だが、この中に入ることができれば、自分たちにとって強力な盾となるはず。
踏ん張り、思い切り扉の取っ手を引っ張る。ぎぎっとゆっくり、扉は開き始めた。そのまま力を緩めず引き、完全に扉を開く。中は、どうやら地下に繋がっているようだ。

「開いた!」
「中に入れ! GO! GO!」

M4A1の引き金を引き、敵兵たちに向かって適当に銃弾をばら撒いたプライスが叫ぶ。止むことのない銃撃の雨を掻い潜りつつ、まずはニコライが退避。ついでギャズ、プライス。残すはソープとヴェロッサのみ。

「行くぞ、ほら」
「分かってる、そんな強引に引っ張らないでくれ」

スーツが台無しになる。こんな状況であってもぼやくヴェロッサに、ソープは怒鳴った。もうなってるだろと。薄汚れたスーツは、クリーニングに出しても元に戻るかどうか。
扉まであとほんの五メートル。走る彼らの目前を、銃撃が走り抜けていった。敵兵たちは数に物言わせて、側面に回りこんでいたのだ。
ソープはMP5を水平に構えて、薙ぎ払うようにして銃撃。照準も何もない牽制、敵兵は怯まない。

「くそ。ヴェロッサ、先に入ってろ。俺が殿をやる」

扉を背にして、ソープはMP5のマガジンを交換。決死の構えで銃口を敵に突きつける。
ヴェロッサはソープの言葉を聞いて、しかし指示に従わない。むしろ彼を押しのけて、銃弾飛び交う草原にその身を晒す。
何やってる、馬鹿野郎。怒鳴りかけたところで、ヴェロッサがソープに振り返った。ソープが見たのは、不敵な笑みを浮かべるヴェロッサの余裕すました顔。

「たまには僕にも格好つけさせてくれ」

そう言って、ヴェロッサは指を鳴らす。銃声の最中でそれは、掻き消されて当然の小さな音に過ぎなかった。
だが。その小さな音が、ソープにとって信じがたい現実を生み出す引き金となる。
ヴェロッサの周囲に一筋、光が走った。そして姿を表すのは、緑色の半透明の、凶暴そうな唸り声を上げる猟犬の群れ。

「さすがにこれだけの数を出すのは、骨が折れるね……」

猟犬のうち一匹の頭を撫でて、ヴェロッサは言葉とは裏腹に笑う。
戦場における犬とは、思いのほか強力な存在である。彼らは人間など足元にも及ばない嗅覚で敵を見つけ、その鋭い牙、高い運動能力を持って攻撃さえ仕掛けてくる。
そんな彼らが、一度に多数戦場に放たれればどうなるか。
答えは、ヴェロッサのみが知っていた。

「時間稼ぎには、ちょうどいいはずだ。さぁ、ちょっと遊んできてくれ」

ヴェロッサが、手を振り下ろす。猟犬たちは低い唸り声を上げ、一斉に走り出す。
ロシアの夜に、猟犬の遠吠えが鳴り響いた。


草原を駆け抜ける猟犬たち。身体を魔力で構成された彼らはしかし、本物の猟犬に負けず劣らずの俊敏さを持っている。
敵兵たちは銃口を突きつけ、引き金を引く。銃声、閃光、排莢の金属音。
弾き出された銃弾は地面を舐めるように駆け回り、分厚い弾幕を張る。何匹かは銃弾に貫かれ、使命を果たせず消え去っていく。
しかし、それも最初のうちだけ。突破に成功した何匹かの猟犬が、敵兵に飛び掛った。強烈な飛び蹴りを受けた敵兵はたまらず、転倒し、悲鳴を上げた。パニックに陥り、手にした銃を乱暴に振り回すも、猟犬は圧し掛かり、敵兵から離れようとしなかった。
彼らがパニックを起こすのも、無理はなかった。犬は人類ともっとも付き合いの長い動物だが、彼らの持つ牙は恐ろしいまでに鋭い。噛み付かれれば最後、その部分は食い千切られる。
押し倒された仲間を助けようとするうちに、その敵兵もまた突撃してきた猟犬によって転倒させられる。足を噛み付かれ、そのままズルズルと引きずられた者たちは、自分の周りを囲む猟犬たちが待ちきれないように荒い呼吸を繰り返しているのを見て、恐怖のどん底に叩き落された。
すなわち、こいつらは人間を食べる気だ。それも、生きたまま。
悲鳴、悲鳴、悲鳴。
銃声に摩り替わって響く敵兵たちの悲痛な叫びは、一晩中続いた。


「……まぁ、実際に人を殺すことはないけどね」

猟犬たちの主であるヴェロッサは、あっけらかんと言ってのけた。
ソープたちが退避した先の家屋。壁一枚隔てたこの場所にさえ、草原で繰り返される敵兵たちの悲鳴は入ってきていた。
悲痛なその叫びを聞いて青ざめた表情を浮かべるソープやギャズ、ニコライとは対照的に、プライスだけが物珍しいものでも見るような視線で、今もヴェロッサの足にすりつく猟犬――彼のレアスキル、"無限の猟犬"を見つめていた。

「これも魔法の一種か」
「その通り。もっともこれはレアスキルと言って、普通の魔法じゃないんだけど」

猟犬の頭を撫でてやり、ヴェロッサは怯えるソープたちに向け、心配しなくても敵味方の区別くらいはすると言った。
だけども、ギャズやニコライは一応納得した様子だが、ソープだけが猟犬にちらりと眼をやり、顔をぶるぶると振ってMP5のマガジンを交換、クイックリロードする。

「……犬は苦手かい?」

ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべるヴェロッサ。ソープは正直に頷き、その理由を告げた。

「何度も何度も、犬に首を食い千切られて殺される夢を見たんだ――」
「なるほど。よし、ちょっと遊んでみようか」

猟犬を前に突き出そうとしたヴェロッサに、ソープは真面目な表情で勘弁してくれ、と逃げる様子を見せた。
突き出された緑色の半透明な猟犬は、くぅんと寂しそうに一鳴きして主人の下に戻る。

「ヴェロッサ。そいつは偵察に使えるのか」
「もちろん。彼らが得た情報は僕の元に送られる、そういうシステムなんだ」

ふぅむ、とプライスは顎に手をやり、いいものだなと呟いた。これさえあれば、先行偵察も部下の命を危険に晒すことはない。
プライスはヴェロッサに何匹かでこの先に敵がいないか偵察するよう命じ、その結果が来るまでこの家屋で待機しようと言った。弾薬も乏しい今、敵と無闇に交戦するのは得策ではない。
――やがて、ヴェロッサの放った猟犬たちが敵の存在しないルートを見つけ出した。
ただちにヴェロッサは猟犬の送ってきた情報を脳裏に浮かべ、プライスたちが所持していたこの辺りの地図に進路を書き込んだ。

「ちょっと遠回りになるけど、このルートなら敵に見つかることはない。もし敵が現れたら、先行してる僕の猟犬が知らせてくれるよ」
「大手柄だ……よし、廃村を抜けるんだな」

地図を覗き込んだプライスは、装備をまとめてただちに出発を指示した。


ヴェロッサの言った通り、彼の指示したルート上に敵の姿はなかった。草原、廃屋を抜けて元は牧場だったのか、牛の死体の放つ悪臭に鼻をつまみながらも、彼らは順調に進んでいた。
そうして、ついに合流地点の手前である廃村に辿り着いた。ここを抜ければ合流地点まで一直線、AC-130による強力な航空支援も受けられる。
あと一息だな。MP5の銃口は正面に向けたまま、しかしソープはふっと安堵のため息を吐く。
――ん、なんだ?
ふと、何気なく視線を上げた先。夜空に浮かぶ月の光、それを遮る小さな影が一つ見えた。
虫かと思ってソープは手で払いのけようとしたが、影は飛び去ろうとしない。そればかりか、徐々にその姿は大きくなっていく。
そして、耳に入って来るこの静かな夜を掻き回す音は――ヘリの、ローター音?

「敵機、敵のヘリだ!」

ニコライが叫んだのとほぼ同時に、眩い光が彼らに向けて突きつけられた。直後、銃声と共に現れたのは鉛の弾丸の雨。歩兵の持つ小火器とは訳の違う、ヘリのドアガン。地面を舐めるように駆け回る銃弾は、周囲にあった廃屋や放置してあった資材を容赦なく穴だらけにしていく。
ギャズがG36Cの銃口をヘリに向け、フルオートでいくらか銃撃を行うが、効果はないに等しかった。銃撃した後に近くにあった倉庫と思しき廃屋に逃げ込んだからよかったものを、そのまま突っ立っていたらミンチにされる。

「逃げろ、こっちだ!」

プライスの指示が飛ぶ。ギャズの逃げ込んだ廃屋は、他のものに比べていくらか頑丈なようだ。ヘリからの銃撃は廃屋の屋根を叩くだけで、貫通するには至っていない。
もたつくヴェロッサの背中を押して、ソープはニコライと共に廃屋内に逃げ込んだ。とりあえず銃撃はこれで凌げるのだが――。

「プライス大尉、スティンガーがあります!」

先に廃屋内に逃げ込んでいたギャズの言葉。はっとなって視線を走らせれば、確かにそこに複数のFIM-92スティンガー地対空ミサイルが無造作に置かれていた。

「……そうか、奴らはこれで俺たちのヘリを撃墜したのか。ギャズ、スティンガーで敵を落とせ! ソープもだ!」

なんで俺も! 言いかけたところで、ソープは言葉を飲み込んだ。ぐずぐずしている暇はない。敵のヘリはすでに、ソープたちを発見したと各部隊に連絡しているはずだ。
MP5を肩に引っ掛けて、スティンガーを肩に担いだソープは廃屋からわずかに身を乗り出す。ヘリは、彼らが廃屋から出て来るのを待ち構えるように悠々と飛んでいた。
なるほど、俺たちは狩られし者か。ヘリのパイロットにしてみれば、ハンティングを楽しむ狩人でもやっているような気分なのだろう。飛び方にそれが、現れている。

「いいかソープ、最初に俺が撃つ。外したら次はお前の番だ」
「一発で当ててくださいよ」

ソープの言葉に意味深な笑みで答え、ギャズは担いでいたスティンガーの矛先をヘリに向ける。スティンガーの弾頭部はヘリのエンジンから発せられる熱源を捉え、甲高い高音を鳴らす。ロックオン完了だ。
発射。躊躇されることなく放たれたギャズのスティンガーは派手に白煙を吹き出し、空中に解き放たれた。そのままヘリに向かって直進し――途端に、ヘリが赤い炎の塊を空中に放り出す。スティンガーは炎の塊に誘惑されるようにして進路を逸らし、爆発。ヘリは事なきを得た。

「くそったれ、フレアをばら撒きやがった! 一筋縄じゃいかないか!」

空になったスティンガーの発射機を放り投げて、ギャズは悪態を吐き捨てる。
フレア、マグネシウムの塊を燃やすことで得られる大量の赤外線の塊は、スティンガーのような赤外線誘導のミサイルにとって天敵だった。

「ソープ、もう一発かませ! 奴の腕を試してやれ!」

ギャズに背中を押され、今度はソープがスティンガーを構えた。弾頭部はすぐにヘリの熱源を捉えるが、今度はヘリの方も警戒しているようだ。定期的にフレアを空中に散布し、いざ撃たれても回避し易いようにしている。
だが、タイミングを見れば――ソープは注意深く、ヘリがフレアを散布する瞬間を見計らう。燃え尽きたフレアが空中に消え、次のフレアが放出するわずかな間。それこそが、ヘリにとって死角となる。
空中に放り投げられた、複数の赤い炎の塊。それが徐々に高度を下げ、最後の一つが燃え尽き、夜空の闇に飲み込まれる。その瞬間、ソープはスティンガーを放った。
発射機先端のカバーを突き破って放たれたスティンガー。ヘリのエンジンから発せられる美味そうな赤外線の匂いが、弾頭部には見えていた。躊躇せず、そのまま一気に加速する。
直撃、起爆。ヘリの胴体部に突き刺さったスティンガーは信管を作動させ、その身を爆散させた。内側からの爆発と衝撃、一瞬膨れ上がったヘリは次の瞬間爆ぜて、空中に散った。
空中分解したヘリの残骸が炎に包まれ、落ちていくのを見ながら、ソープはふっと息を吐く。
狩られし者が、狩る側に。
ヘリの撃墜に成功した彼らは、前進を再開する。合流地点は、もうすぐそこまで迫っていた。







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最終更新:2009年05月07日 20:04