~青色通知1~
人生のターニングポイントってのは大抵、本人の意志に関係無く唐突に訪れる。それは俺も例外じゃないらしい。
……何があったかって?
今週末、俺は16の誕生日を迎える。……後は言わなくても分かるだろーが。
最先端医学を根拠に言うならば、性交渉の経験がない―――ぶっちゃけて言うならヤッたことのない―――俺は、その日が最もムスコとオサラバする可能性があるらしい、とのことだ。
そんなの、今更俺だけが特別じゃないってことくらいわかってる。
わぁってるけどよ……。溜め息ばかりが増えちまっても不可抗力だろ、こればっかは。
「―――まぁた塞ぎ込んでたのかよ。
毎度毎度飽きねーなぁ?」
校舎のてっぺんで、寝転がりながら夕焼け空を眺めてた俺に、背後から乱暴な口調とは不釣り合いな高い声が飛んでくる。
……起き上がって確認するまでもない、『初紀』だ。
「テメーにだけは言われたくねーよ―――クソアマが」
「んだと……?! ヤんのかオイ!?」
迫力もクソもあったもんじゃねぇ、むしろ虚勢にすら聞こえる甲高い声が夕焼け空に響いて消えていく。
「今のテメーなんぞ相手になんねーんだよ。男ナメんじゃねーぞ」
「あぁっ?!」
オレンジ色の視界に、急に飛び込んでくる黒髪をシンプルに結った女の―――あからさまな不機嫌な顔。
スッと通った鼻筋、柔らかそうな唇、いい香りがしそうな長い黒髪、吸い込まれそうな黒い瞳、控えめだが確かに膨らみを感じさせる……胸。
9割方の男子に"美少女"と形容されそうな女の顔が、吐息が掛かりそうな程近くにあって……―――って!
「―――か、顔、近ぇんだよ、いい加減自覚しろバカっ!」
「あっ、……わ、悪ぃ」
そーいう方面に酷く鈍感なコイツは、激昂した俺の姿で漸く察してくれたらしい。初紀は顔を真っ赤にしながら、改めて俺の横に腰掛けた。
……端から見ると、まぁ、その、なんだ、そんじょそこらじゃお目に掛かれない可憐な美少女なんだよな。が……胡座に頬杖をついて俺をジト目で見る姿は、以前のものと全く変わりがない。
だから、何か調子が狂う。
俺の横で、自分は男だと主張するポーズのまま仏頂面になってる美少女が、本当に昔から喧嘩友達だった……あの初紀なのか、って。
頭じゃ分かっててもキモチが付いてこない。
だから……なんつーか、こう……心臓の周りが妙にモヤモヤする。
だってよ、ガキの頃から互いの胸ぐらを掴み合って、いつ拳が顔面を捉えてもおかしくねぇ、そんな間柄のダチがよ、その……
……女になるなんて。世の中どっかブッ飛んでるっつの。
初紀が女になったことは―――正直言うとかなり意外だった。いろんな意味で。
まず、女になるまでの過程。
稀少例とか言うヤツらしい。誕生日とか云々をまるで無視したタイミングでコイツは……女になってた。
それに、コイツは俺なんかとは比べモノにならないほどモテた。屈託のない笑顔を浮かべ、性別とかそんなものを通り越して、どんな相手だろうと分け隔てなく接していた。
てっきり女なんぞ両手じゃ数え切れないほどベッドで泣かせているとか、そんな下世話な想像をしていたのは俺だけじゃなかったハズだ。
それが、今じゃセーラー服姿がハマる美少女って―――
「―――そーだ」
不意に俺の思考を遮る初紀の声。
俺が返事をする間もなく、コイツは二の句を繋ぐ。その目は明後日の方向を向いたまんまで。
「言うの忘れてた。変わったんだ、名前。字はまんまだけど"ハツノリ"じゃなくて。"ハツキ"だ」
指で文字を空間になぞりながら、"初紀"は事実を淡々と話す。
その悟ったような口調が、なんだか余計に腹立たしくて……俺は寝転がったまま隣に座る奴に背を向けた。
……そんな俺の内心を知ってか知らずか―――
「―――ま、どっちでも好きな方で呼んでくれや。今は決めらんねーってんなら苗字でもいいぞ?」
―――とだけ言って"初紀"は取って付けたようにカラカラと笑う。
つーか……何で笑ってられるんだよ? 女になっちまって、これからの一生を女で過ごさなきゃなんねぇのに。
このまま遠くない未来に俺もそうなるってのを見越して言ってんのか? 喧嘩売ってんのかコイツは。
……いや、他意は多分ねーんだろうな。妙な所が敏感で、大抵の所が鈍感なコイツのことだ。今は自分のことで頭が一杯なんだろ、そう思うことにした。
「―――なぁ、どうなんだよ?」
藪から棒に初紀が俺に話題を振るが、主語が欠けていて何が言いたいのかさっぱりだ。
「何が"どう"なんだよ?」
俺は当然のクエスチョンで返しながら、傍らに置いといた紙パックの茶を口に含む。
「青色通知、来てんだろ? 役所から」
霧散。
口から勢い良く吹き出た茶は一瞬だけ空に虹を描き、僅かに口に残った茶は俺の気管支に見事なオウンゴールを決めた。
……くそっ、思いっきり噎せちまったじゃねぇか! わざとやってんのか?!
「げほっ、けほっ! ……何で俺に青色通知が来てるってコトになってんだよ?!」
……いや、実際にはちょっとした山開きが出来る位に玄関に放置されてんだけどよ。それを前提に物事を進めようとしてる初紀に腹が立つ。
「俺もしてないことをお前がしてるワケねーだろ?」
「だっ、だから何で決めつけんだよ」
「お見通しなんだよ、お前のことなら何でも」
言いながら俺のデコをつつく初紀。端から見たら完全にバカップルじゃねぇか。別に今の初紀なら悪い気はしな…………いかん、正気よカムバック。
「……はぁ。他人様が聞いたら誤解するようなこと言うんじゃねーよ」
寸でのトコで俺は正気を取り戻せたらしく、普段の素っ気ない素振りで切り返すことが出来た。
「あははっ、だいじょぶだいじょぶ。誰も来ねぇって、こんなとこ」
……論点はそこじゃねぇだろ。このバカはホントに天然だな、救いようがない。口元で手を合わせながら笑う仕草が愛らしくてまた腹が立つ。
―――"青色通知"。
正確かつ厳密に言うならば、
"異性化疾患に於ける性別選択権の行使についてのお知らせ"だったっけか……長ぇ。
その中の小難しい文章を身も蓋もなく要約すると、『男でいたいなら相手を寄越すからとっととヤッちまえ』的な通知だ。
お国様が把握しうる限り、漏れなく思春期真っ只中のチェリーボーイの皆様に誕生日の数ヶ月前からしつこく送られてくるらしい。
どうやって把握してんのか知らないが『それってさ、プライバシーの侵害じゃないの?』って、お昼のおば様たちのアイドルにまで言わせるまでだった………とはウチのお袋の談。
その封書の色と、通知が来た際の自分の顔面の色を総じて"青色通知"っていう通称が広まったらしい。ホントかどうかは知らん。
「―――そんで、実際はどうなんだ?」
先程までおどけていた初紀の口調が途端に引き締まる。
そういった時だけ、妙に男らしくなっててサマになる。それは女になっても同じで、少し悔しい。
―――腹を括って、俺は学ランのポケットをまさぐる。……あった。
「ほらよ」
ご丁寧に【親展】と判の押された、くしゃくしゃの"青色通知"を左に突き出す。受け取るのは、元は俺と同じ性別だったとは思えない繊細な細い指。
その中央に小さく印字された名前は間違いなく俺だ。
前田 陸。
ちなみに言っとくが読み方は"りく"じゃねーぞ。読み方はあの大物芸人の松っちゃんと同じだ。
「あー、やっぱな。心の友よぉー」
初紀は"青色通知"をまじまじと見つめてから俺に抱擁を求めてきた。
てめーは剛田タケシか。つーか抱きつこうとすんなっ。その満面の笑みがすンげぇムカつくぞ、この野郎。
……いや、野郎じゃねぇけどよ。
「別に俺が女になるっつーことが決まったワケじゃねぇだろーが」
元男の抱擁のおねだりを左手一本で拒否しながら俺は言う。
「う……ん。まぁそうだけど……」
何だぁ、その好きな人に彼氏が居たことを知ったような切ない乙女顔は?
いや、実際に見たことねぇけど。
「あん? 言いたいことはハッキリ言えっての、男だろ」
「っ、ちげーよ!」
そこを真っ先に否定すんなよ。顔真っ赤にして。……かわいい……っじゃなくて。
「……んじゃあ"元は"男だろ」
半分は俺自身に言い聞かせるように、もう半分は初紀の話の続きを促すように俺は言う。
「じゃ……じゃあ聞くけどよ」
畏まるなっての、告白でもされるんじゃねぇかってドキドキ……じゃねぇっ、ヒヤヒヤすんだろうが!
「―――通知、受けんのか?」
「――――っ」
核心を突く言葉だった。
俺が一人屋上で途方に暮れる、なんつー似合わねぇことをしてた……一番の理由。
"青色通知の受諾"
―――さっきも言った通り、青色通知はお国様は把握してる限りの『純潔を守る青少年』全員に対し、"性別選択権の行使"を促す通知を送りつけている。
国からすりゃあ少子高齢化に拍車がかかる中、更なる追い討ちであるこの病気の蔓延を阻止したい目論見がある。
"選択権"なんて如何にも自由意志を装ったそいつは完全なる善意で運営されてるワケじゃない。
だから躍起になって通知を何度も何度もポストに突っ込んでいく。血税の無駄遣いもいいとこだ。
で、そのお国様の目論見にまんまと乗っかった女を知らないケダモノは……国の用意した素性の知れない女を貪るって寸法だ。
その、男であるために女を抱くか、自分を貫いて女になるか。
理不尽な二者択一を俺はたった今、この瞬間に!
………迫られているんだってよ。
~青色通知1~
完
最終更新:2009年05月10日 15:32