青色通知5.0&5.1

 ~青色通知5(陸の場合)~

 翌日。
 初紀は、学校を欠席していた。や、欠席っていうのは正確な言い方じゃねぇけどよ。
 アイツのクラスの奴を問い詰めたら、学校に来てない、連絡も寄越さないっつー話だし……釈然としなかった。
 元々、(主に俺との)喧嘩に明け暮れていたから……先公から見れば、素行が良い生徒とは言えなかっただろうけど。
 でも、理由なくズル休みするようなヤツじゃないって事は先公達よりはわかっているつもりだ。
 だから、釈然としない。
 ―――くそっ、会ったら、昨日読んだ暴露本のこととか話したり、作戦の次の段取りを決めようとか思ってたのに。

 ……ふと、ここで考えが止まる。

「何で俺、……初紀のことばっか考えてんだ」

 理由が口から漏れ出してた。昼休みの屋上で。
 鍵は掛けてるので聞き耳を立てるヤツなんざ誰も居ない。居たらぶっ飛ばすだけだ。
 なのに周囲を気にするってのは、俺は要するにかなりのビビりだったっつーことか。ははははは………
 ………はぁ。
 ………情けね。

 俺は、坂城が好きだった。いや、今でもその気持ちに嘘はねぇ筈だ。
 でも、いつもならこの屋上から遠まきに眺めていた坂城の姿を……今は探す努力すらしてない。
 女々しく真横に視線を落とし、溜め息ばかりつく。

 ……この堕落した俺は一体誰なんだ?!

 …………。
 ………。
 ……。
 …いや。俺、か。

「んだよ、らしくねーなぁ陸!」

 不意に、辿々しくて甲高い声がした。
その声の主の名前を呼ぼうとして振り向いて―――

「初―――」
 ―――"き"の口形で、俺の声は止まった。

 初紀によく似た髪型。けど、初紀じゃない。

「あれ、似てなかった?」

 一瞬本当に間違えそうなほどに背格好は似ていた。
 口調が、そんなに辿々しくなければ。
 それがなけりゃ、遠目から別人だって気付かなかっただろうな……。

 短く纏め上げられたポニーテールと、少しだけ裾上げされたスカートが、常に雲の流れに沿って吹く風に靡いていて、いつスカートが捲れてもおかしくない。
 それが目的で凝視していると思われたくなくて思わず背を向ける。

 ……"そいつ"の名前を呼びながら。

「―――坂城……だったっけか?」

 我ながらすげぇ白々しい。
 多分、赤の他人の中では最も知っている自信があるってのに。
 ……何かストーカーみたいで凹む。

「ありゃ。私のこと知ってた?」

 知ってるも何もねぇだろ。とは口が裂けても言えるわけもなく。

「人相覚えは得意なんだよ」

 とか何とか適当にあしらってコンビニで売ってる安い1Lパックの緑茶をストローで、ずずーっ、と啜る。

「へぇ~……刑事さん向きだねっ、将来はエリート官僚?」

 ぶーーっ!!
 濁点付きの霧散音が屋上に響き渡る。

「うわわっ、虹が出たっ!?」
「けほ、げほっ、たまたま茶ぁ吹き出しただけだっての!」
「もっかいもっかいっ! 虹出してにじっ!」
「できねえよ!! つーか人相覚えってバリバリ現場向けの仕事じゃねーかよ、あぁっ!!?」

 ……あ、やべぇ。
 つい初紀とのノリで喋ってた。普通の女の子じゃビビっちまうじゃねぇか俺のバカッ!
 悪い坂城、怖がらせるつもりは―――。

「とりあえず前田くん! わんもあ!」

 ―――全く怖がってなかった。
 つーか俺は大道芸人か悪役レスラーかっつの!?
 ………って、今何つって――?

「坂城、……俺の名前、知ってんのか?」

 淡い期待―――
「ううん。さっきまで、知らなかった。興味なかったし」
 ―――は、あっさり根こそぎ打ち砕かれた。

「……あ、そ…。」

 さっきまで虹だ何だってはしゃいでた癖に、キョトンとした顔で、グサリと来るコト言いますね……アンタ。

 ……そんな俺の心境を知ってか知らずか、坂城は思い出すように人差し指を唇にちょこんと当てながら、口を開く。

「えとね、御堂さんがね、"前田くんって不良さんとお話ししてきてもらえないかな"って」
「はつの―――初紀がか?!」

 あいつ、いつの間にか学校に来てやがったのか!?

「へぇ、下の名前は"はつき"ちゃんかぁ。可愛い名前だねっ」

 ……そんなこたぁ今はどうでもいい。

「アイツ、今何処に行るんだ?」
「……さぁ。なんか気分悪そうにしてたから早退したんじゃないのかなぁ?」
 再び人差し指で触れながらの返答。

 ―――初紀……無茶しやがって。
 ……そんでもって。
 ―――俺にも無茶させやがって。


 今、坂城から豆電球の点灯音が聞こえたような気がした。訳知りのニコニコ顔でこちらを見ている。

「ひょっとしてさ……前田くん」

 開口一番の坂城の浮かれた声……マズい、本人に感づかれたか?

「な、なんだよ」

 と、とにかく茶でもって啜って一端落ち着け俺。茶にはポリフェノールとかいうのがあるらしいからなっ。
 ずずーっ、と残り少ない緑茶を一気に啜る。

「"はつき"ちゃんと、デキてるでしょ?」

 ぶーーっ!!
 濁点付きの霧散音、再び。

「わわっ、また前田くんから虹がっ!」
「けほっ、げほっ! どこをどう見たらそんな結論が出るんだよ?!!」
「今度からレインボー前田くんって呼ぼうかなぁ」
「人の話を聞けぇいッ!!」
「聞いてるって、ちゃんとレインボー前田くんって呼ぶからさっ」
「論点そこじゃねーよっ!!」
「そうだねっ、ちょっと名前長いよね。じゃあ【虹 前田】くんって呼ぶからねっ」
「だから論点そこじゃねーっつのっ! つーかなんだよっ、その続けて言ったら、ちょっと小腹が減る時間帯みたいなネーミングは!!?」
「ん~。わかりにくいし、おもしろくなぁい」
「レインボー前田のがよっぽど面白くねーよっ!!! つーか何なんだよ、その無ッ茶苦茶弱そうなレスラーのリングネームみたいなのはっ!!!?」
「あ、そっちのが面白いかもっ!」

 ……ダメだ、会話になる気がしねぇ。でも、何故か苛立ちはなかった。
 はぁ、これも惚れた弱みってことなんかなぁ……。

「ま、冗談はさておき。デキちゃってるわけですねっ、結論としては」

 ……そして、惚れた相手は俺と初紀の関係性について壮大な勘違いをしてるらしい。頭が痛くなってきた。

「……そもそも、何で初紀と俺がそんなカンケーだと思うんだよ?」
「え……だって前田くんと"はつき"ちゃんってさ、最近いっつも一緒に居るじゃない、ここで」

 それは、初紀が"元男"だと知っていて言っているのだろうか? いや、知らないからこそそんな勘違いが出来るのかもしれないな……。

「……違うの?」
「っ」

 ……不安げに坂城が俺の顔を覗き込んできた。反射的に顔を背けることしか出来ない自分のヘタレ具合に嫌気が差す。

「……違う、の……?」

 同じ質問が投げかけられる。
 ……そりゃあ、事実を話して憶測を否定することは簡単なことだ。でも、それは初紀のコトを洗いざらいブチまけることになる。
 ……でもそれって、許されることなのか?
 ダチの隠しておきたい事実を、てめー本位の勝手な理由で、本人の知らないところで暴露して、それがマジで許されることなのか?
 いや、んなコト……たとえ初紀が許しても、俺が俺を許せねぇ。

「初紀とは、その……男と女の関係じゃねぇよ。腐れ縁みてーなもんだ」
「ふぅん、じゃあ片想いだねっ」
「………はぁ? 俺がか?」
「ん~6割方、"はつき"ちゃんかな」

 残りの4割は俺だって言いたいのか。ほぼ両想いじゃねぇかそれ。つーか俺にはそんな気はねぇぞ? ……多分。

「どーしても俺と初紀をカップルに仕立て上げてぇのか?」
「客観的事実を率直に述べてるだけのつもりだけどなぁ」
「ありえないね、冗談も大概にしやがれってんだ」

 ……やれやれ、どんな色眼鏡でモノを見ればそんな客観的事実に行き着けるんだが。



「―――そんなんじゃ、逃がした魚の大きさを後悔する羽目になるよ、きっと」


 これまでの脳天気な坂城の声のトーンが急に下がって、俺は目を丸くしながら彼女を見た。
 その顔は、まるで、自分の過去の汚点を振り返りでもするような、苦々しいもので―――それまで俺が遠目から見ていた時には、決して見つけることが出来なかった顔だった。
 ……触れてしまうだけで、粉々になっちまいそうな、そんな坂城の沈んだ顔が凄い印象的で。

「坂城……?」
「―――っ、あ、ごめんごめん! なんかボーッとしちゃってたっ、……で、なんだっけ? あはっ、あははは……」

 また、坂城の表情はいつもの明るいものに戻ってた。
 いや、戻ってたってのとは違う。作り直したっつった方が的確かもしれない。
 まるで、その明るい表情が自分を守る盾だと言わんばかりに。

「坂城……」
「な、なぁに、前田くんっ、そんなカオして……」
「―――何か悩んでんなら、いつでも相談に乗るからな」
「ふぇ……っ?」

 多分、坂城は予想もしてなかったのだろう。鳩が豆鉄砲を喰らったように目を白黒とさせている。

「なんつーか、俺……口下手だから愚痴を聞くくらいしか出来ねぇけどさ。
 でも、一人で悩むよりは、ちったぁマシじゃねぇかって……勝手にそう思っただけだ」
 らしくねぇコト言ってるのは俺でもわかる。けど、悩んでんなら力になってやりたかった。それが惚れた相手だって言うんなら尚更だ。
 ……自己満足にしか過ぎないのかもしんねぇけどな。
 でも、坂城は―――

「……ありがと」

 ―――そんな俺をバカにすることなく、優しく笑いかけてくれた。
 ……それだけで、歯の浮くようなセリフを口にした甲斐があったってもんだ。

「……おう」
「じゃ、これからは友達だねっ、私達」
「お、おう」

 友達か……。何か進展してるような、してねぇような……。

「――――――も、わからなくもないかな」

 不意に吹く突風が坂城の言葉を遮って、後半部分しか聞き取れなかった。

「……なんか言ったか?」
「なんでもなぁい!」

 坂城は、完全にもとの明るい表情を浮かべていた。
 何を言ってたかは気になったが、それ以上に坂城が元気を取り戻してくれたことに安堵する。

「そっか」
「―――前田くん」
「んぁ?」
「前田くんの下の名前ってなに?」
「ん、あぁ。"陸"って書いて"ひとし"だ」
「そっか、じゃあ"まっちゃん"て呼ぶことにしよっかな」
「それ下の名前聞いた意味ねぇだろっ?!」
「いや、フルネームが何となくお笑い芸人っぽいから、ね?」
「頼むから同意を求めるな……」
「わがままだなぁ、じゃあなんて呼べばいい? 友達なのに"前田くん"なんて他人行儀みたいでヤだよ?」
「……んじゃ、お笑い芸人やレスラーを連想させなきゃ何でもいいよ」
「ん~……じゃ"ひーちゃん"」
「……なんで"ちゃん"なんだ?」

 ―――そして何で初紀と同じセンスなんだ?

「可愛いでしょ、小鳥っぽくて」
「それ、確実に半濁点が抜けてるよな……はぁ、まぁいいか。好きに呼んでくれ」
「うんっ。私のコトは"るい"でいいから。坂城って名字は……なんかゲームに出てくる悪の秘密結社の親玉みたいだし」
「確実にジムリーダーも兼任してそうだもんな」
「あはは、じめんタイプだねっ。じゃあ、今日はもう帰るね。色々話せて楽しかった。
 また明日ね、"ひーちゃん"!」
「……あぁ、じゃな。"るい"」

 坂城……"るい"は、明るく何度か手を振って屋上を後にした。
 なんとなく、今日1日で進展したような気がしないでもない。そういう意味では、今日は顔を見せなかった初紀に……感謝するべきなのかもしれねぇな。

 ただ、初紀の奴、体調が悪いとかなら多分ケータイにメールくらいはする筈なんだけどなぁ……。

 ―――結局、その日はメールにも電話にも初紀は反応を見せなかった。当然、初紀自身とも会えずじまいだった。
 何故か、妙な不安感だけが胸に残ってた。






   ~青色通知5.1(初紀の場合)~


 ―――夢、……そう、これは悪い夢だ。目が覚めたら、なんて気色の悪い夢を見たんだろうって、ストンと平らかな胸を見下ろして。
 ……なんつー夢を見たんだろう、って自己嫌悪と寒気を覚えて。
 喧嘩友達に対する邪な想いは消えていて。
 制服にゆるゆると袖を通しながら、"あぁ、またどうせアイツのことだから、まぁた殴り合いか"って思って。
 一方的にあしらうだけだから殴り合いと呼んでいいもんかどうかなぁ、とかなんとか一人で笑って。
 ……日常が始まる。何でもない、でも、どっかが幸せな日常が。

 ………そう信じながら、目を覚ますんだ。





 ………私が、張り込みを続けてからどれくらい経っただろう。
 時間を掛けて頬張ったあんパンも牛乳も全て平らげてしまって、電柱に寄りかかるだけの私は、どう見ても不審者だった。
 通り過ぎる―――もしくは宿泊施設に入っていくカップルはみんな不思議そうにこっちを見て、目が合うとみんな夜の帳に姿を消していく。
 そんなことを繰り返して数時間が経過した時だった。

「あれぇ、こんなとこで女の子一人ぃ?」
「ひょっとして欲求フマンで俺らに声掛けられんの待ってたとかぁ?」

 下卑た笑い声が複数。……どう見ても陸とは違う部類の不良グループ。
 っていうか、コイツらは……昔、成り行きで陸と一緒に潰したことのあるグループだ。
 二度とこの界隈に顔出すなって言ったのに、なんでこんなトコに居るんだ?

「……御堂さんとの約束、破るつもりなの?」

 あくまで御堂 初紀という男を知る一女子高生のフリをしてグループを問い詰める。
 一瞬、奴らは動揺したような素振りは見せたけど、また下卑た笑いをこちらに向けた。

「あン? 御堂? お前、アイツの知り合いかよ?」
「別にアイツにビビっていつまでもヒッキーしてる俺達じゃねぇし」
「つーか最近アイツ姿見せねぇらしいじゃん?」
「なんか女になっちまったとかって噂もあるしなぁ」
「あーあ、だっせぇ奴だよなぁ~今時、女体化症候群の発症なんてよぉ~」

 ―――っ!

「別に苦労しなくたって国が男を保証してくれンし、それなりにいい女ともヤれんのに、フェミニスト気取りで女になってりゃダセェだけだっての!」

 ……私のことなんかどうでも良かった。
 ただ、その"男"としての御堂初紀に向けられている言葉は、間接的に私の親友を酷く侮辱しているように聞こえた。

 ―――お前らに……何がわかる!? 一生懸命に悩んで、苦しんで、それでも自分を貫こうとしてる私の親友を……何の権利があってそこまで侮辱するんだよッ!!!

「あー、何? その面?」
「ひょっとして君、御堂に惚れてたとか? 残念だったなぁ。俺らがそこらへんで慰めてやるから元気出せって」
「元気なンのは基本俺らだけどなぁ?」

 下卑た嘲笑。今すぐにでもこの下衆共を殴りかかりたい衝動に駆られた。けど―――。

『女になったテメェなんぞ相手にならねぇんだよ』

 それを、陸の言葉が制した。あれは挑発でも何でもなく……事実だった。
 試してもみた。真っ向からの力勝負じゃ陸相手に敵わなかったことを思い出す。

「んじゃ行こうか?」
「俺、口ね」
「あ、ずりぃぞ!!」
「俺ケツだ!」

 私を連れ込んで輪姦する手筈を笑いながら話すコイツらは、元男の私から見ても十二分に汚らわしかった。
 その、汚らわしい複数の野獣の手が私の身体に触れようとしている。……それだけで我慢出来なかった。

「~~~触るなっ!!」

 身体に伸ばされた手を振り払い、その中の一人の顎に上段蹴りを浴びせる!

「……ってぇーっ!!」

 以前のコイツらなら、一発で失神するほどの威力だった筈なのに、今は顔を歪めるだけ。コイツらが鍛えたのか、或いは……私の蹴りの威力が落ちたのか。
 恐らくは後者だろう。コイツらは群れて強さをアピールするタイプだから、鍛錬なんて面倒なことはしないはずだ。
 ……ショックだった。

「ナメやがって!!」

 不意に、首筋に生暖かくて気持ち悪い手の感触。
 次いで、襲い来る息苦しさと……地の感触を失う足。

「あ………ぅっ……」

 苦し……い……。
 いくら手足をバタつかせても、何の抵抗にもなりはしなかった。
 …ぼやける視界。
 ……次第に遠のく意識。
 ………怖かった。助けて欲しかった。
 だから、何度も名前を叫んでみる。たとえ口に出せなくても……。

(……陸………陸……ッ!)

 視界が歪む、意識が………霞む。



「はーい、お兄さん方、そこまで~」

 ―――不意に耳に飛び込んできたのは……陸の声じゃなかった。というよりは……そもそも男の声じゃない。
 女の人だ。下手をしたら私と同い年くらいの子かもしれない。


「あぁ? アンタも仲間に入れて欲しいのかよ?」
「アンタも可愛いから喜んで混ぜてやんよ?」

 威圧感を漂わせる下卑た笑い。
 ―――……ダメだよ、私でも敵わないんだ、普通の女の子じゃ……危ないよ……!

「残念だね、私、"仕事"以外じゃ結構奥手なんだ。それにお兄さん達、タイプじゃないし。
 ていうか、鏡、ちゃんと見えてる?」
「んだとぉ!!?」
「ナメやがってぇっ!!」
「ぶっ殺してやるぁぁっ!!」
「その前にじっくり楽しませてくれよなぁ!? あぁっ!!?」

 女の子の挑発にグループは予想通り激昂した。このままじゃ、本当に危ない……っ!!

「どうでも良いけどさ。
 私、"通知受取人"なんだよね」

 ……ピタリと、男達の手足が固まり、そのおかげで私は漸く長い苦しみから脱出することが出来た。

「けほっ、けほっ!」

けれど、極度の酸欠のせいか、視界がボヤけたままだ。
 って言うか、女の子は今なんて言ったんだろう……?

「わっかるかなぁ? 私に手を出したら、そこで見張ってる警官さん達が黙ってないんだよ? 公務執行妨害もついちゃうよぉ?」
 ……やけに浮かれた女の子の声。まるで、この状況を無邪気に楽しむかのような。
「んなハッタリ……通用すっかよ!?」
「……試してみる?」

 何のことだかイマイチ分からないけど、耳から入ってくるグループの男達の声は明らかに動揺の色をはらんでいて。
 比べて、女の子の声はとても冷静で、むしろ余裕すら感じられた。

 ―――そして、複数の遠ざかっていく足音。
 ……どうやら、助かった……みたい。

「……ふぅっ、まったくもぉ。警察も融通効かないっていうか。目の前で女の子がピンチなら助けなさいってのっ」

 私ではない誰かに聞かせるような非難の声。それは、さっき言ってた"通知受取人"というものと関係してるのだろうか?
 直ぐにでも問い質したかった。でも、今は何だか悔しさと安堵の方が勝っていて……。

「……っく、ひっく……ぐすっ」

 私は情けないくらいにしゃくりを上げていた……。元男の威厳も何もあったもんじゃないな……ホントに。

「やわわっ!? 大丈夫だよぉ、おねーさんは二刀流でも逆刃刀でもないよぉ」

 私を助けてくれた女の子は何を勘違いしたのか、お門違いな言動で私を宥める。それが、何だか可笑しくて。

「ぐすっ……ひっ、……くすくす……ひっく」
「……なんか今明らかに泣くとは違う何かが混ざってたよね?」
「ごっ、ごめん……なさい、なんだかっ、可笑しくなっちゃって……ふふっ」
「……救急車呼ぼうかっ、頭が大変になってますって」
「す、すみませんすみませんっ! ………あっ」

 ホントに救急車を呼ばれかねないので、本気で謝ろうと顔を上げた時に、漸く視界が開けてきて。
 私のことを助けてくれた女の子の顔も視認出来るまでになった。
 ……そこで私は思わず声を上げた。

「坂城……さん」

 ……私が真似て結った短めのポニーテールではないけれど、その可愛らしい姿と、目元の黒子。
 その可愛らしい顔が一瞬で曇るのが、まだ霞がかった視界でも認識出来た。


「―――その制服だもんね、やっぱ気付いちゃうよね、うんっ」

 坂城さんは、困ったような苦笑いを浮かべて。
 ……それすらも可愛らしく見えた。なのに、それを素直に羨めないのは何故だろう。

「ごめんなさい、助けてくれたのに」
「うぅん、私が勝手にしたことだし」

 "勝手にしたこと"。
 そう言って困ったように微笑む坂城さん。……この人は自分のしたことを"善意"と認めたくないのか……?
 笑っていたのに、まるで、自分が他人のためにすることは全部偽善だって言いたげな、そんなことすら感じさせる寂しい目をしてた。

「えと、さ。立てる、かな。……このままじゃ、えと……君が恥ずかしいかも」
「え?」
 顔を赤らめて気まずそうな坂城さんの言葉。その意味が分からず、私は首を傾げてしまう。

「その……見えてるし、さ。薄水色の……が」

 不意に下に落とされる坂城さんの視点。そこには、気付かずに三角座りになってた私のスカートの………――――っ!!?
「わわっ、ごめんなさいっ!!」

 慌てて立ち上がる。あぁ、なんつーはしたない……。

「あはは……か、可愛いの着けてるんだねぇ、う、うん、似合ってるよ」

 なんかよく分からないフォローをされた。
 女の子としての反応がよくわからないし、凄い恥ずかしいから……とりあえず俯いて黙るしかなかった。……とほほ。
 自分のセンスで買ったわけじゃないから尚更恥ずかしい……。



「……あのさ。同い年だよね、きっと」
 不意に核心を突く坂城さんの言葉に、心臓が高鳴る。私のコト、気付かれてた……?
「え……?」
「校章の色、赤だし。1年生だよね」
「あっ、う、うん……」
 良かった。少なくとも陸のコトまでは気付かれてな―――。

「ん~と、多分だけど、いっつも屋上で男の子と話してる子だよね」

 ―――くなかった。

「う、ん……」
「ふぅ~~ん?」

 浮ついた返答。あー、どうしよう、きっと坂城さん、なんか勘違いしてるっ!

「彼氏?」
「違いますっ!!!」
「ふぅ~~~ん?」

 脊髄反射にも似た即答に、坂城さんは更に顔を綻ばせてる。
 ……前言撤回、絶対坂城さんなんか勘違いしてるっ!!

「だから、違うんですってばっ!!」
「私、何にも言ってないけどっ?」
「~~~~~~!」

 ……ダメだ、何を言っても墓穴を深めることになりそうな気がしてきた……。

「ウブだねぇ、君って」
「……御堂です、君って名前じゃないです」
「ん~。御堂さんは私を知ってるみたいだけど……自己紹介はお茶でもしながら聞こうかなっ」

 そう言って坂城さんは歓楽街の外れにある喫茶店を指しながらニコリと笑いかけてくれた。その喫茶店には見覚えがあった。
 ……さっき陸が連れてってくれた所だった。


431 名前:青色1号 ◆YVw4z7Sf2Y 投稿日: 2009/03/29(日) 02:05:42 [ qG/fs6yA ]
「―――じゃ、御堂さんの片想い?」

 場所が変わっても結局坂城さんのペースは変わらない。
 簡単な自己紹介の後はやっぱり私が質問攻めに遭う羽目になってた。

 ―――聞かなきゃいけないことは山ほどあるのに。

「どっちも違いますっ! 少しはこっちの話も聞いて下さいっ!!」
「御堂さんがホントのコト、話してくれたらね?」
「そんな……私は、ホントのコト―――!」
「―――言ってないよね?」

 私は語気を強めた筈なのに、坂城さんは全く物怖じする気配すらなく言葉を遮る。
 ……まるで警察か何かの誘導尋問みたいな、強制力を感じさせる静かな微笑み。

「好きなんだよね。その男の子のコト」

 無為に従うことなんて今まで一度もなかった。これからもそのつもりでいた。でも、坂城さんの言葉は……そんな薄弱なものでは曲げられないくらい強い何かをもっていて逆らうことが出来ない。
 どうしてだろう。
 ……なんで私は首を縦に振ることしか出来ないんだろう。
 ずっとずっと他の誰にも悟られたくなかった感情を、どうして坂城さんは簡単に引きずり出せてしまうのだろう。
 ―――自覚はしていた。けれど、認めなくなかった想いを目の前に突きつけられて、景色が水滴に歪む。

 でも、今は前を向け。

 ……事実を告げるためだけに。

「……はい。でも、わた……俺は……アイツの傍らには居られません」
「………ぁ」

 敢えて、私は決別した自称で自らを示す。それが、全てだった。

「……アイツの想い人は―――坂城さん、あなたなんですから」



「……御堂さん」

 坂城さんが同情めいた物悲しい声をあげた刹那、私の左目からは涙が一筋だけ流れた。
 頬を伝って、握りしめた手の甲に落ちたそれは、熱を失っていて……ただ、ただ冷たいモノだった。

 もう、大丈夫。私には訊かなきゃいけないことがある。

「……もう十分に答えましたよね。今度は私の番です」

 二の句を探していた坂城さんの目が、諦観の色に染まっていくのが分かる。
 ……でも、それは長くは続かなかった。

「―――多分、御堂さんは"通知受取人"のことを訊きたいんだよね」
 ―――違うっ、そんな小難しい話じゃないっ! 私が訊きたいのは―――そう口を開こうとした、その時だった。
「あははははっ、多分、御堂さんは勘違いしてるなぁ」
「どういうコト……ですか?」
「見てたよね。……多分、一部始終を」
「っ!?」
 ……気付かれてた!? 今目の前にいる坂城さんと、見知らぬ男性がホテルに入っていくところを、そして私が見張っていたことまで―――全部。
「―――だからだよね、あんな連中に絡まれたのって。
 ダメだよー? あんなとこで女の子一人で突っ立ってるなんて。タダでさえ御堂さんは可愛いんだから。
 ……たとえ、キミが御堂くん"だった"としても……そんなの素性知らない奴らからしたらカンケーないんだし」
「………すみません。注意が足りませんでした」
 …………それ以外に、返す言葉もなかった。実際に坂城さんが割って入らなかったら……考えただけで寒気と吐き気が同時に襲ってくる。


 それだけ私はキケンなことをしていたんだ……自分の浅はかさに嫌気が差す。

「ま、過ぎたことを必要以上にとやかく言うつもりはないよっ」

 そう前置きをして、彼女は視線をテーブルのコップに落とした。……言うのに決心が要ることなんだろう。私は彼女の言葉を待った。
 遂に、コトの真相が聞ける……!

「……多分ね、御堂さんの思ってる通りだと思うよっ」
「えっ」

 坂城さんは明るく努めるように、笑って言った。でも、その声は消え入りそうなほど、小さくて、低かった。
 それが何を意味するかくらい、わかるつもりだ。恋愛感情の有無は分からないけど、間違いなく、彼女はあの男性と………その、"した"んだ。

「あのヒトの素性は"ここ一ヶ月以内に誕生日が来る15~6歳のヒト"って以外……何にも知らないっ、……知りたくもないしね」

 切り張りしたような坂城さんの可愛い笑顔が向けられる。
 自分が、どういう顔をしたらいいのか分からない、そんな悩むような、困ったような……哀しい顔。
 そして、その笑顔から発せられる言葉は、全てを物語っていた。
 キーワードは全部出揃っていたのだから、発想は―――容易だった。

「―――まさか!?」

 ……続きを口に出すのが怖かった。
 確かにそういうヒトが居るのは保健の授業知識程度として知っている……。
 でも、それはヒトゴトだ。
 どっかの知らない大人の女性が、どっかの知らない役人と、どっかの知らない政治家達とで、勝手に決めてるだけのヒトゴトでしかない!
 ……その筈だったのに。
 それが、足元から崩れていくような感覚が、たまらなく怖かった。


「……そっ。私は、女体化症候群を食い止めるために国から雇われて、女の子に縁の無い男の子の為に派遣される―――子作りごっこの"相手役"の一人」

 事も無げに"事実"を話す同い年の女の子が、こんな近くに居るなんて……信じたくない。

「ウソ……ウソ、ですよね。こんな……」
「ん~……せっかくだから、教えてあげよっか。"御堂くん"」

 坂城さんが、皮肉めいた笑みを浮かべる。
 彼女の"正体"を知ったのに、これ以上何が起こるっていうのだろう。
 ―――そう思った刹那、彼女は肩から襷掛けに下げていた小さなバッグから、封書を取り出していた。

「読んでごらん?」

 つい最近どこかで見たことがある薄青の封書。そこの中央に印字された、文字……そこに妙な違和感。

 ―――え? だって、この通知は……いや、そんな筈ない、え? だって、……なんで……?

 多分、それは"彼女"の名前。でも少し違う。
 例えるなら、……そう、私の名前。
 私は女になった時に名を変えた。同じ文字の"読み方"を変えて"はつのり"から"はつき"になった。
 それと、多分同じコトなんだろう。

『"坂城 塁"様』

 ……まさか。

「キミと同じだよ、"御堂くん"」

 さっきまでの甲高い声が嘘のような落ち着き払った、冷たい声。そして、余裕に満ちた表情。
 それは……まるで、イタズラがバレた子供のような照れた笑い。
 それは……まさしく"男の子"の顔。

「せっかくだからさ、ちょっと昔話に付き合ってよっ」

 それは……また女の子に戻っていた。

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最終更新:2009年05月10日 16:51
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