青色通知5.2

  ~青色通知5.2(るいの場合)~


 出会ったばかり他人に私は何を話そうとしてるんだろう。同じ境遇だから? この子を助けた時とおんなじ……気まぐれ? 同情を引きたい? ただ、目を丸くするこの子のリアクションが面白いから?
 まぁ、偶には思い出話に花を咲かせるのも悪くないかな。


 ―――"ボク"はね、両親から将来を切望された野球少年だった。父はプロ野球選手、母は元アナウンサーっていう、いかにもな家庭で育ってさ。
 ボクが物心つく頃には父さんはもう引退……というかクビだね。
 知ってる? 坂城 亮。持ち前の俊足と守備の巧さで大学からドラフト2位で入団した地味ぃな選手。
 あははははっ、そうだよね。注目されたのは入団から最初の2、3年だけ。その間にアナウンサーと運良く結婚したからボクが生まれた。御堂さんが知らないのも無理ないよ。
 順風満帆に見えたらしいよ? そこまでは。
 ―――うん? そう、そこまで。
 勝負の世界に生きていたら、淘汰されるヒトなんて山ほど居るからね。その中のヒトの一人だったんだよ、ボクの父さんは。
 情けない話だよねぇ、二軍の試合中、フライの捕球で選手同士がぶつかって左足を骨折。リハビリを含めて完治まで一年掛かったってさ。
 ―――故障した二軍の守備要員なんて、復帰してから球団に居場所なんかありはしなかったよ。……だからかな、ボクが物心ついた時に覚えてる父さんは荒れてた。
 ……でも。ううん、だからかな、両親はボクに夢を託した。
 託したなんていうと聞こえが良すぎるなぁ……うん、自分たちの夢をボクに押し付けたんだ。
 あははは、今からすると笑っちゃうけど、当時はいい子チャンだったボクは、野球クラブに入り、それに懸命に応えたんだ。

 来る日も来る日もバッドを握って、ボールを投げて、今じゃ分かんないけど手も肉刺だらけで凄いゴツゴツしててさ。苦しかったけど、楽しかった。
 昨日出来なかったことが今日出来るようになって、周りは評価してくれて、結果に繋がって。
 なんていうか、こういうのが"幸せ"なんじゃないかって真面目にそんなクサイこと思ってたりしてた。まだ子供のくせにそんな達観までしてた。
 でもさ、そういうのって長く続かないよね、何でか知らないけどさ。

 そんなボクに青色通知が届いたのは12歳の頃だった。キッカケは些細なコトだったよ。
 昔から母さんにそっくりだと言われてた僕の顔は、とうとう女の子と見分けがつかなくなってさ。
 なんでだろう? って調べた結果に行き着いた先が、その異例の若さの青色通知だよ。
 女体化症候群の特異例で、超若年性のものだったんだって。
 しかもこの病状ではポピュラーな突発性のものじゃなくて二次性徴に比例して徐々に徐々に女の子になっていく。
 その発症確率は宝くじ一等が前後賞含め3年連続で当たる確率だってさ。前例は日本ではゼロ。天体的数値と言わざるを得ない確率。笑っちゃうよねぇ。

 "なんでボクなんだ"

 "なんでお前なんだ"

 ボクを含めた皆がやり場のない怒りをボクに向けた。それだけ期待しててくれたのだから、みんなに怒りは湧いてこなかった。
 解決法は只一つ。男性器が女性器に変異を終えるまでに、異性と交わること。期日は女になるまで。
 迷わず青色通知に従えば道は拓ける。答えは簡単なことだった。
 でもさ、それが思春期に入りたての子供にとってどれだけ苦痛だったか分かる?
 女になっても、男のままでも、奇異の目に晒されて、笑われて。何も悪くない筈のボクがっ!!

 ……ボクは逃げるように一人練習を続けた。
 縋るものがそれしかなかったから。
 でも、因果なもので日に日に抜けていく力、落ちていく体力、膨らむ胸。それらを実感する羽目になったよ。
 その無力感に苛まれながら、がむしゃらにバットを振り、ボールを投げて、帰るのは両親が寝静まる頃。

 ……そんな生活を繰り返してたある日、ボクはいつものように練習を終えて帰路に着いた。
 その日は土砂降りの雨が降ってた。
 ホント馬鹿だよね、そんな中で何時間も雨に打たれながらバットを振ってたら、体調だって崩すよ。
 そう、案の定、ボクは家路の途中で気を失ったんだ。

 ……次に気付いた時、真白い天井が真っ先に目に入った。
 そして、その横の見舞い客用の席には、どこかで見た女の人が眠っていたよ。青いリボンで髪を結った人だった。

 ―――そして、そこでボクは気付いてしまった。

 着せられたピンクの病院着が全てを象徴してた。
 手も脚も。まるでスポーツなんてしたことのないような真白いものキレイなものに変わってた。
 体は丸みを帯びて、力はまるで入らない。
 最後の希望とばかりに内腿を締めても、あるべき感触は綺麗に無くなってて。
 ―――こんな日が来るのは前々から分かってた筈なのに……。

 ……あぁ、ボクはとうとう女の子になってしまったんだって。

 泣くつもりはなかったけど嗚咽だけは止められなかったよ。
 その僅かなしゃくりが、どこかで見た女性の目を覚まさせたみたいだった。
 その開口一番、彼女は困ったような笑顔を浮かべながら言ったよ。

「―――逃がした魚は……やっぱり大きかったかな?」

 ……って。

 ―――人の気持ちも考えないで何を勝手なことを……!!
 そう言おうとした。でも言えなかったよ。

 ……急に泣き出すんだもん。思わずこっちの怒りが引っ込んじゃうくらいにさ。

 ―――"ごめんね、ごめんなさい"って何度も、………何度も。

 それで思い出したんだ。
 彼女は、ボクの通知受取人……になる予定のヒトだったんだよ。
 両親が一応面談だけは受けとけって。

 ……うん? あ、そっか。御堂さんは知らないよね。
 一応ね、通知受取人との間に間違いが起こるのを防ぐために面談が行われるんだよ。
 まぁ、性別選択権を行使するかどうは別としてね。
 ……で、その面談相手が、彼女だったってワケ。

 ―――話、続けるよ?

 ……と、その前に。
 すみませーん!
 カフェオレのホット下さいっ。……御堂さんも何か頼む? 奢るよ?
 ……そっか、わかった。じゃ、それだけでお願いしますっ。

 ……どこまで話したっけ?
 あぁ、そうそう、彼女の話だっけ……。





「……なんで、あなたが泣くんですか」

 怒りや悲しみを通り越して笑えてさえくる。
 彼女なりに同情してくれてるのかもしれないけど、ボクからしたら余計なお世話だ。他人に涙を流されるいわれなんて無いんだから。
 彼女も少しは空気が読めたのだろう。俯いたまま黙っている。

「……助けてくれたことに関しては礼を言いますけど……これ以上ボクに関わらないで下さ―――」

 言い終える前に、柔らかな女の子の感触がボクの口を噤ませた。……何度となく優しく撫でられる後頭部。
 ……長い間、忘れていたような暖かみ。

「……っ、な、なに……して……」

 ……ともすれば、身を委ねて泣きじゃくってしまいそうな暖かみ。それに甘んじてしまうのが、どうしようもなく怖かった。
 ……頭ではわかってたつもりだった。
 ボクは完全に女の子になってしまった。もう、父さんや母さんの背負うことも赦されないカラダになってしまった!
 ……その容赦のない現実を突きつけられても尚、ボクは諦めきれていなかったんだ。

 泣いてしまえば、ボクがそれを受けいれてしまうことと……おんなじだから。
 だから、泣けなかったのに。

「…………」

 彼女は黙ったまま、ずっと、ずぅっとボクの頭を撫で続けた。顔は見えなかったけど、肩が微かに震えてる。
 まるで、ボクの言葉を待つみたいに。

「っ、ズルいよ、……ハルさん―――ッ!」

 彼女の名前を口にした瞬間、抑えつけていた感情が堰を切ったように溢れ出した。
 涙と一緒に、理不尽な現実に対する恨み言も自分への後悔も止まらなくなって……それでも、彼女はボクを抱き締めてくれてた。
 一緒に、子供みたいに泣きじゃくりながら……。

 ……頭を撫でる手のひらが、抱き締めてくれる腕や胸の暖かさが、どうしようもなく心地よかった。
 ……ボクは、漸く受け入れることが出来た、救われた。
 彼女―――ハルさんのおかげで。

 だからボクは……一生を掛けてでも、彼女に恩返しをするんだ。
 それが―――次の目標になった。

 ―――思えば、それはボクが今まで見向きもしなかった、男の子としての最初で最後の恋だったのかもしれない。



 ―――それからは、目まぐるしく日々は過ぎていった。やるべきことは沢山あったし、いつまでも過去に囚われていたら、きっとハルさんも苦しむから。
 今は、前だけを向いていようとココロに決めて。

 名を変えた。

 "坂城 るい"と。

他の漢字をあてがうことも考えたけれど、それはボクを名付けてくれた両親への裏切りみたいで嫌だったから、平仮名にして。

 ハルさんとはその後も連絡を取り合ってた。彼女と会う度に彼女を知っていくことが純粋に嬉しかった。
 歳は実は5つしか違わないとか、甘いものが苦手だとか、笑うと口元を押さえる癖とか―――数えたらキリがないくらいに。

 彼女の部屋に行って女の子としての特訓もした。

 他人から見たら元男だと絶対気づかれないくらい徹底的に。
 でも、ハルさんが相手だと時々ボロが出る。
 異性としてなのか、同性としてなのか……それは分からないけど、大好きな人だから。安心できる人だから。

 いつか、ハルさんが通知受取人の仕事をしなくても良いように、自分が頑張るんだって、勝手なことを思い描いたりもしてた。
 その事をハルさんに話すと、彼女は困ったような笑みを浮かべながら―――『期待しないで待ってるね』―――とだけ言ってくれた。



 ―――全てが順風満帆とまではいかないけれど、少しずつ日々が充実し始め、彼女と出会ってから季節が一周しようとしてたある日。
 いつものように、ボ……私は女の子としての特訓をしようとハルさんの部屋に向かう。
 確か今日は"仕事"がない筈だし、ケータイにメールはしておいたから、多分ハルさんはアパートに居る筈。
 二週間ぶりにハルさんに逢える。おろしたて制服姿を真っ先に見せたくて、逸る気持ちを抑えきれなくて、ついつい早足になる。

「……あれ?」

 アパートの入り口に辿り着いた私を待ち受けていたのは、思わず口から漏れだしてしまうような妙な違和感だった。
 彼女用である一番右上に設置された郵便受けには、雨風に曝されて色褪せた広告や郵便物が詰まっていた。
 マメな人だったから、そういうのを放っておくのを一番嫌う筈なのに。
 仕様が無いなぁ、と独り言を呟きながら溜まった郵便物を抜き取ってハルさんの部屋に急ぐ。

 呼び鈴を鳴らす。でも返事はなかった。
 二度、三度、四度。結果は同じ。
 ……どうしたんだろう。エイプリルフールにはまだ早いし、他人が傷付くような真似は絶対にしない人だ。
 一応、ドアノブに手を掛けてみる。

 ――――ガチャ

「開いてるし、不用心だなぁ……。
 …………えっ?」

 乾いた音を立てながら、私の手から溜まった郵便物が滑り落ちる。
 目の前の光景が理解できなかった。部屋番号を間違えたと思った。
 だって―――つい二週間前まで、そこにはこじんまりとした家具が所狭しと並んでいて。
 パステルカラーのクッションとか、洋楽のCDばっかりのラックとか、ちっちゃくて可愛らしい化粧台とか……見慣れたものはみんなみんな消えて無くなっていた。



 まるで、初めからハルさんという人なんて居なかったかのような。がらんどうの部屋。



 ……なんだよ、これ。一体何の冗談だよ……!!

「ハルさんっ!?」

 まるで隠れん坊の鬼でもしてる気分だった。

「ハルさんっ!!?」

 何もない風呂場も、便座カバーすらなくなってたトイレも、空っぽの押し入れも、みんな調べた。

「ハルさぁんッ!!!?」

 喉を痛めるくらいに声を張り上げた。返事は……あるはず無かった。

 ……頭ではわかってたつもりだった。
 ここには、ハルさんはもう居ないんだって。泣き出したかった。でも泣けなかった。

 泣いてしまえば、私がそれを受けいれてしまうことと……おんなじだから。
 だから、泣けなかった。
 その哀しみを抱き止めて、分かち合ってくれる優しい人も、居ない。
 だから、泣けなかった。

「っく、……ぅく、ハル……さん……」

 ―――ガタッ

「っ、ハルさんっ!?」

 玄関から物音がして、脊髄反射で振り返る。でも、そこに居たのはハルさんじゃなくて……見覚えのある恰幅のよいお婆さん。
 ……思い出した、このアパートの管理人さんだ。

「あなた、"るい"ちゃん……だったかしら?」

 ゆっくりとした口調の質問に私は首肯で答える。そして続け様に……私は一番聞きたくて、一番聞きたくないことを訊いた。

「あのっ、ハルさんは……ここに住んでた、女の人は……っ!!?」

「――――――」

 ………………え?
 今なんて言ったんだろう。意味が……わからない。
 え?
 なんで、そんな物騒な嘘吐くの? エイプリルフールには、まだ、早い……よ?

 ……ワケが分からない。



 ―――ピリリリリリッ!

 不意に私のケータイが鳴り響いた。ポケットから取り出したケータイのサブディスプレイに表示されたのは……"ハルさん"の文字。メールの返信だった。
 あはっ、あははは……そうだよね、今のは管理人さんのタチの悪い冗談なんだよねっ。
 ……ていうか、バカだなぁ私。さっさとケータイに掛ければ良かったのに。

「……あ、ちょっとすいません」

 タチの悪い冗談にこれ以上付き合うつもりは無かったから、早々にケータイを開き、ハルさんのメールを確認する。
 壁紙には、私と一緒にポーズを取るハルさんの笑顔。

"あなたは、娘の携帯に写っている子ですか?"

 …………何、これ?

"あなたには、知らせが滞っていたようなので、勝手ながら娘の携帯から連絡させて頂きました。"

"番号が入っていない為、メールでしかお伝え出来ないのが心苦しいです。"

 ……だからさ、何の冗談? ……ねぇ、何の冗談っ!?



"3月17日、娘は亡くなりました。"




 ………みんなさ。気が早いよ、みんなして、こんないたいけな女の子騙すなんてさ。

"小さな子供を庇っての交通事故でした。その際、たまたま娘が携帯電話を忘れていた為、こうしてあなたに連絡をとることが出来ました。
 もし、あなたが娘のアパートを訪れることがあれば、娘からの手紙をアパートの管理人さんに渡してありますので、受け取ってください。
 生前、娘はあなたのことをとても大切に想っていたようなので、是非とも、お願い致します。"

「………」
「もう、いいかしら?」

 ケータイを閉じた瞬間に、管理人さんが、青いリボンと、真白い封筒を差し出した。封筒の表書きには"to 坂城 るいさま"と可愛らしい字で書かれている。
 間違いなく、ハルさんの字だった。




"るいちゃんへ。

 こうして手紙を書くなんて何年もしてなかったから、なんだか気恥ずかしい気持ちでいっぱいです。
 初めてキミと逢ったのはちょうど1年前でしたね。その時のキミは、今から考えられないくらいに落ち込んでいました。
 泣くことも、笑うこともなく、たった一人で理不尽な現実と戦っていたるいちゃんは、見ていてとても辛かったです。

 まるで、昔、私が付き合っていた男の子みたいでした。
 その男の子は、私を大切にするあまり、るいちゃんと同じく女の子になり……そして自ら命を断ちました。

 ずっと、ずっと言えなかったけれど、それが私が通知受取人というお仕事を選んだ理由でした。
 るいちゃんには理解できないかもしれないけど、私はこの仕事を誇りに思っています。確かに他の人から見たら汚らわしいだけかもしれません。
 でも、るいちゃんはそんな私を差別することなく一生懸命に見てくれました。
 時には喧嘩もしたけど、るいちゃんは私にとって大切な人です。
 こんな私だけど、これからも、ずっとずっと私の大切な人で居てくれたら嬉しいな。
 立ち止まることなく、一緒に歩いていけたら、って……ワガママなこと言っちゃってるなぁ、私。
 でも、もし……るいちゃんが良かったら、そうしてくれると、もれなく私が大喜びします。
 口に出すと何だか恥ずかしいから手紙にしてみたけど、書いてて顔が熱くなってきちゃったから、最後にこれだけは書かせてね。

 卒業、そして入学おめでとう。

             ハルより。


 P.S、るいちゃんの制服姿、早く見てみたいな。きっと似合うんだろうなぁ。"




 ……ハルさん……。

 ……ハルさん……!

 ……ハルさん……!!


「―――――っ!!!」

 私は、いつの間にか一人で泣けるようになっていた。それは、彼女がくれた強さと、弱さだったのかもしれない。
 涙が涸れるまで泣けば楽になるはずなのに、一向に止むことのない涙。
 手紙をくしゃくしゃになるまで抱いたまま、私は独りぼっちで泣き続けた……。



 ――――ハルさん。
 手紙の答えだけどさ、私も一緒に歩くよ。
 ハルさんが歩いていた道を、私も。

 私はその日、髪を切った。ちょうどハルさんと同じくらいに。
 そして、生前、ハルさんがよくしていた髪型にした。彼女の形見である、青いリボンで整えた、短めのポニーテールに。

 ―――そして、更に季節が一巡りした彼女の命日に……私は、通知受取人の資格を取得した。
 記録には残らないにしろ、恐らくは日本で史上最年少の通知受取人が誕生した日だった。




   ~青色通知5~

  完

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最終更新:2009年05月10日 16:59
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