青色通知6.2

  ~青色通知6.2(初紀の場合)~


 風を切るように、走る。走る。走る。
 その冷たい風が、体の熱を冷ましてくれるのを期待して。
 でも目頭だけは熱い。
 こんなんじゃ、ダメだ。もっと、もっと早く走らなきゃ。
 考えちゃダメだ。考えたら逃げどころの感情に捕まってしまう気がした。
 風も追い越すくらいに、走れ、走れ、走れ。

 ―――あぁ、もどかしい!

 ストライドが小さくなった身体が。
 少し走っただけで息の上がる―――胸での呼吸が。
 ちょっと揺さぶられるだけ乱れてしまう、この感情が。
 走っても、走っても、ついて回る目頭の熱さが。

「……はぁっ、はっ、……っはぁ…」

 心臓がイタいくらいに高鳴っていて、気持ち悪い。まるで心が物理的に揺さぶられているみたいだ。
 結局、悲鳴を上げる身体に引っ張られるように、私はブティックのウィンドウケースの硝子に手を付いてうなだれるしかなかった。

 ………情けなかった。
 自分で"女"を選んでおきながら、結局……私の目に留まるのは"女"としてのイヤな部分ばっかりで。
 脳裏を掠めるのは、男だった頃の楽しい思い出ばっかりで。
 抱え込んだ数多くの矛盾の捌けどころを見つけることすら出来なくて。

「ひどい顔……」

 その結果がコレだ。
 硝子に映ったボロボロの泣き顔と、ネガティブに真似た短めのポニーテール。
 大きらいな自分を守るための、臆病者の抜け殻が力無く私を睨み付けてくる。

 ―――アンタのせいだよ。

 そう、言われている気がした。
 他の誰でもない私のせいなのに、今度は自分同士で責任のなすり合い?
 ……ホントにバカだ、私。

 ―――ピリリリリッ!

「っ!?」

 無愛想な携帯の着信音が、私の涙をせき止める。
 ……なんだ、メールか。
 ……珍しい父さんからだ。

『不良娘へ。早く帰ってこい。お前の不良の友人が待ちくたびれて寝ている。父より』

 ―――………陸ッ!?



 さっきまでの身体の重さが嘘みたいな疾駆。
 ……気が付けば、目の前には御堂空手道場の看板がそこにあった。

「ただいま……」
「帰ったか、不良娘」

 道場の勝手口から家に入り、戸口で待ち構えた父さんと鉢合わせになる。
 女になってからは、身長差が更に開いたので、父さんの顔を見るにはまず私が顔をあげる必要がある。

「あれっ、父さん……?」

 そこで、仁王立ちする父さんの左頬が赤く腫れていることに気付いた。何処かしらにぶつけたのだろうか。

「あぁ、これか。儂としたことが一発貰ってしまってな。未だ未だ精進が足らんな」

 そう言って豪快に笑う。
 バカな。父さんに限ってそんなことあるものか。私はおろか、有段者との試合でも指一本触れさせないのに。
 一体誰が……?

「―――あの不良だ」
「………えっ?」

 陸が? バカな。あり得ない。私ですら楽々と去なすことが出来る拳なのに、父さんがそれを貰った? 想像すら出来ない。

「陸……と言ったか。あの不良は。
 彼奴は荒削りだが、気持ちは真っ直ぐな奴だ、とお前は前々から云っておったが……どうやら、其れに嘘は無いようだな」

 久々に拳を貰って、さぞかし怒り心頭だと思ったのだが……父さんは、満足そうに笑うだけだった。

「初紀」
「は、……はい」

 父さんに名前を改めて呼ばれる時は決まって怒られる時だったから、反射的に身体がカタくなる。
 ……が、父さんはゴツゴツとした手で私の頭を撫でるだけだった。

「いい男に惚れられたな」
「な……っ!!」

 ―――何を勘違いしてんだこの格闘バカ親父はッ!?
 陸には、きちんとした想い人が居るんだ!
 ……私なんか入り込む隙間なんてどこにもないのに……変な期待をさせないで。


「……だからこそ、今のお前は気に食わん」
「えっ―――?」

 ―――私の気持ちを無視するかのように、乾いた音が玄関に鳴り響く。

 それは、父さんが……私が女になってから初めて―――私の頭を撫でていたその平手で叩いた音だった。

「っ」

 限りなく加減はされてる筈なのに組み手で殴られた以上に痛くて、涙が出そうになる……。

「莫迦者が」

 ……言われなくても分かってるよ、父さん。私、バカだ。
 好きな人の気持ちを、こんなにもいっぱい裏切った。
 ―――もう、陸とも……るいちゃんとも関わらない方がいいのかもしれない。これ以上は―――

「―――逃げるのか」
「……っ」

 父さんは私の心内を見透かすように、重く……あまりにも重く言い放った。
 それに対する返事が、矢継ぎ早に用意出来ないのは図星を指されているから。

 あぁ、そうだよ、逃げてるんだ!
 周りを利用するだけ利用して、自分は向き合わなきゃならないコトから逃げ回ってる! 私を守っていた安っぽい鍍金がヒトから剥がされた今でもっ!
 ……それを認めたくないから、口を真一文字に結んでだんまりを決め込んでるなんて。
 ……ホント、バカだ……私。

「……下らんな」

 そうやって、父さんは小馬鹿にしたように笑うけどさ。何処が下らないって言うんだよ……?
 私の気持ちなんか、これっぽちも知らないくせに偉そうに。

 食いしばった奥歯が軋む音がした。

「……そうかもね、下らないかもね。
 父さんには、わからないよ……きっと、一生」
「何が云いたい?」

 ……もう、限界だ。

「―――父さんは、いつまでもそうやってさ……私のことをさ。
 ……上から目線でバカにしてればいいじゃないかぁぁっ!!!」

 ……私は破れかぶれになって、怒りに任せ握り拳を父さんに突き出していた。無論、そんな自棄っぱちな技が通用するわけもなく。

「―――この莫迦娘がぁッ!!!」

 獣の雄叫びにも似た低い怒声。
 いつの間にか、目の前から熊にも似た巨体は消え失せていた。
 陸には届いた拳が、父さんには通用しない。……陸なら父さんに届かせた拳が、私には届かせられない。

(後―――っ?!)

 強い殺気を感じて振り向こうとした刹那―――鈍い音が耳を刺激し、身体を揺らす。
 ……数間遅れて、背部に鈍い痛みが走った。

「……くっ、ぅ……ぁ……はぁっ、……はっ、ぅぁ……」

 ……身体中が酸素を求めて足掻くように息をしてるのに、苦しくて堪らない……。
 ―――今、何が起きたんだろう。
 それすらも分からないまま私の両膝が地に落ちる。

「は、ぁっ、は、ぅ……はぁ……ッ」
「あの不良も愚かだな。……こんな莫迦娘を大事だとは」
「っ!」

 ……そうか。そんな私でも傍に居てくれてる人が居た。
 屋上で一緒に笑ってくれる人が居た。
 ファミレスで悩みを打ち明けてくれた人が居た。
 喫茶店で私を気遣ってくれた人が居た。
 ……こんなにも、私はアイツに支えられていたのに。
 それが友人としてだとしても構わない。

 そんなアイツが……陸が、好き。
 そんなアイツが……女になるなんて、イヤだ。絶対にイヤだッ!

「……っぅ、……と、父さん」
「……なんだ」

 ―――殴る、と言うにはあまりにも軽い音。

 身をかわすまでもないと言わんばかりに、父さんは―――振り返り様の軽すぎる私の拳を顔面で受け止めていた。

「………陸を、バカにするな……っ!」

 父さんの乾坤一擲の一撃を食らってでも、それだけは言いたかった。
 私はいくら侮辱されたって構わない。だって、それだけのことしたのだから。
 ……でも、陸は違う。

「正面切って物事に向き合ってきたんだ……っ! 私と向き合ってくれたんだっ!! ひと……し…を……」

 ―――そこで、目の前が真っ暗になった。

「……誰に似たのか。頑固者め」

 気のせいか、意識が飛ぶ寸前……父さんがそう呟いたような気がした……。




 ――――何でだろう。
 暖かな何かが私の身体を包み込んでいる気がする。
 目の前は真っ暗で、何も見えない筈なのに、その……私を包み込む"何か"に嫌悪感は感じない。
 ……私を抱き締めたまま離さないその"何か"の手は、自らの暖かさにも気付かないのか、ずっと震えていた。
 カタカタ、カタカタ、って小刻みに。
 ……"何か"、私の名前を呼んでる気がする。何度も何度も震えた声で。

 ―――大丈夫だよ。
 ―――キミは大丈夫だから。恐がらないで、ね?

 "何か"に言い聞かせても震えは止まらない。今にも泣き出しそうな声で私の名前を呼び続けている。
 ……不意に唇が柔らかいものに触れた。

「ん……っぅ……っ!?」

 ―――口腔に侵入してくる生温かい感触と、自分の身悶えする声で目が覚めた。
 ぼやけていた視界が急速にはっきりとしていく……―――って、陸ッ!?

「んっ、ぅぅ……はぁ……ぁぅ、んむ……ぅ……」

 ……あまりにも必死に、愚直に唇を求めてくる陸。まるでそれが震えを和らげる唯一の手段だと言わんばかりに。
 ……何で抵抗できないんだろう。力が、口を介して吸い取られていくよう。
 舌が絡み合う度に耳を犯す水音が、まるで違法なクスリのように体に浸透していき……ただ、唇を合わせ、舌を愚直に絡める。それだけの行為に没頭していく……。
「はつ……き……はつきぃ……」
 どれだけ、その恋人ごっこを繰り返していただろう。呼吸を忘れてしまわないように、一度唇を離すと名残惜しそうに互いの舌先から一本の線が糸を引く。
 目を閉じたまま、今にも泣き出しそうな陸が、私の名前を呼ぶ……。
「陸……?」
 返事は無い……もしかして、寝ぼけてる?
「……陸?」
「は、ぁ……う……っ」
 苦しそう。……陸の身体に触れてみる、すると脊髄反射のようにピクンと何かが蠢いた気がした。
「これ……」
 それは数週間前まで自分の身体にもあったもの。……私で、こんなになるの……?!
 嫌悪感は不思議と無い。というか……私を―――無意識にしろ―――本当に女として見てくれている、感じてくれている。それが、素直に嬉しかった。

 ―――そこで。ふと頭によぎる、るいちゃんの言葉。
 "自分で出来る、最大限の努力"……か。

 ……陸、ごめん。


 私は、はちきれんばかりの陸のそこに、スラックス越しに触れ……再び彼の唇に近づく。
 1センチ近付く度に、心臓が高鳴っていくような気さえする。

「―――初紀っ!!」

 ―――ゴンッ!

「「つぅ~~~~っ!!!」」

 不意に襲い掛かった額の痛みに私達は似たような悲鳴を上げた。


  ~青色通知6~

  完

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最終更新:2009年05月10日 17:22
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