青色通知14.2&14.3

  ~青色通知14.2(ハルの場合)~

 ―――御堂空手道場。

 他の流派の追随を許さない完成されたここの空手道は、業界で注目を浴びている。
 ……が、現師範である"御堂 源三"は頑なにマスメディアへの露出を拒否し続けている為、その存在は一般に広く知られてはいない。
 いわゆる"知る人ぞ知る道場"ってゆうのらしい。

 ……うーん、先生から聞きかじった――聞き流していたと言った方が正しいかもしれない――知識だからドコまで本当なんだか知らないんだけどね、全く以て。

 ―――堅苦しくて、汗臭そうで、息苦しい、私個人としては一生縁の無さそうな場所。
 でも、今日ばかりはそうも言ってられないんだよねぇ、これがまた。


 もぉ、まだまだうら若い私と、クリアファイルの中にごっそりと詰め込まれた書類を放っといて……なーにしてるんだか。
 ……。
 私が言えた義理じゃないか。
 ホントのこと告げるまで3年も待たせた私が……そのせいで間接的にあの子に犠牲を強いた私が他人を責めるなんてお笑い草もいいところだね。あはははっ。

 誰も居ない車内で、溜め息ひとつ。

 ……おっかしいなぁ。
 事情を説明したらイのイチバンに電話かメールで連絡するって言ってたのに……イのイチバンどころか、一時間くらい後部座席に座りっぱなしだ。

 よし、今上手いこと言った私。

 いくら高いシートとは言っても、流石にお尻が痛くなってきたし……。車でエコノミー症候群とかになっちゃったら下りるのかなぁ……保険。

 ………。

 って心配するとこはそこじゃないんだ。うん、分かってるよ、ちゃんと。

 言い訳がましく頭の中で弁明しててもやっぱり携帯は鳴りそうにない。
 ……どうしたんだろ?

 "時間厳守は信頼の第一歩だ"って口を酸っぱくして言ってた人なのに。

 溜め息ふたつ。

 ―――……しょーがない、何かあったのかもしれないし、エコノミー症候群にはなりたくないし、仕方ないよね、うん。

 律儀に装着していたシートベルトを外して、公用車から降りようとした所で……書類を忘れてたコトに気付く。あはは、ラストなのに締まらないなぁ……私。





 外に出た途端に湿った温い風が全身を吹き抜けた。
 暖冬冷夏の異常気象は年々酷くなってるってTVでよく取り沙汰されてるけど、どこか他人事ちっくに聞き流してたコトを今更肌で実感する。


 ……あ、そうだ。
 一応駐禁取られても恨まないで下さい、と念を送っとこう。
 んーっ、はんどぱわー。……よし。
 念が届いたかどうかまではわかんないけど。こーいうのってホラ、気持ちが大事でしょ、気持ちが。
 うん。よしゃ、行こっか。

 ―――ちりんちりーん。

 ……なにこの呼び鈴。
 今、凄い古風な音がしたよ? 見た目完全にデジタルなのに―――

『はい、どちら様でしょう?』

 ――っと、そんなことにツッコミを入れてる場合じゃない。
 落ち着いた女性の声が門の向こう側から聞こえてきた。随分と若い声だけど……あの子とは、ん……ちょっと違う気もする。

「―――ごめんください。私、そちらにお邪魔しているせんせ……神城 宗の……えっと―――」

 ……なんて言えば良いんだろう。上司……ではないし、同僚……うーん、なんか違う。男と女のカンケー……ない。有り得ない。

『あ、はい。宗くんから伺っています、今開けますねー』

 良かった。事情は話してるみたい。
 それにしても……宗くん? 随分と可愛らしく呼ばれてるんだなぁ、先生って。

『よいっしょ、と』

 門の向こうからの可愛らしい掛け声とは裏腹に、重みと建て付けの悪さが入り混じった音がして、ゆっくりと門が開く。
 ……多分、愛らしい"よいしょ"の掛け声で開くようなそんな軽いものじゃないと思うけど。

「あっ、は、はじめまして、有島 美春さんですね?」

 わ。あからさまに門とのアスベクト比を間違えてるとしか思えないような、白のワンピース姿が眩しい女の子が出て来た。
 初紀ちゃんのお姉さん、かなぁ? 目元とか綺麗な髪質がそっくりだし。
 それにしても、なーんか落ち着きがないなぁ、この子。



「こ、この度は、娘がご迷惑をお掛けしたみたいで……申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ突然押し掛けてしまって申し訳ありません、それに初紀ちゃんは"無実"ですから……って、えっ?」

 冷静な口調と声色は一瞬にして消し飛んだ。
 ……今、このヒトなんて言った?

 ……娘?

 ……娘ぇっ!?

「ええっ!? あ、お、お母様だったんですか……!?」
「……? はい。……あ、申し遅れました。
 私、御堂 初紀の母で"初葉"と申します」

 おーけい。ちょっと落ち着け私。
 ……えっと……確か初紀ちゃんって、るいちゃんと同学年だったよね……?

 ―――私が通知受取人をしてた頃、るいちゃんの一件で彼女のお母さんに会った覚えがある。
 確かに、るいちゃんのお母さんは女子アナウンサーをやってただけあって凄い美人さんだったけど……違う。
 今、目の前に居るヒトはそんな次元の話じゃない。だって、外見だけなら下手したら私よりも年下に見えるんだもん!

「……あ、あのー」
「あっ、し、失礼しましたっ、なんていうか、その、びっくりしちゃって……」

 可愛らしい仕草で私の顔を覗き込んでくる女の子……じゃなくて初紀ちゃんのお母さん。
 ……一児の母がこんな可愛いのってアリなのかなぁ……? 凄い、新ジャンルの女性だよホント。

「そのっ、実は私もびっくりしてます」
「……えっ?」
「こんな美人さんが、宗くんのお仕事のパートナーなんて。スミに置けないですね、宗くんも」
「あっ、いえ……」

 社交辞令ってワケじゃないみたいだけど……素直に誉め言葉を受け入れられないのは多分、初葉さんの外見の―――というか自分の僻み根性の―――せいなんだろうな。
 ………はぁ。

「――あっ、で、ではご案内しますね。こちらにどうぞ」
「あ、はい、お邪魔します」

 思い出したように手招きする初葉さんのあとにくっついて、あの重苦しい門をくぐると―――和風の小さな庭と、その奥に造りの古そうな家と道場らしい建物が見えた。


 ……ここがせんせーの思い出の場所かぁ。"人に歴史あり"って言葉がなんとなく頭を掠める。

 歴史、か。

 色々あったな……こんな、なんにもなかったと思ってた私でも。

 ……あ、そういえば。
 ふと、走馬灯のように駆け巡ったるいちゃんとの記憶の合間から、思い浮かんだまだら茶髪の少年の姿。

「ひーちゃ―――じゃなくって。前田くんは……?」
「えっ、あっ、はいっ!?」

 どうしたんだろう。初葉さん、妙に落ち着きがないな。

「その、宗くんからの要望通りお呼びしました。ただ……」

 歯切れの悪い言葉が返ってくる。

「ただ、なんですか?」
「……あの、今はまだ、そのー……口を利ける状態ではないかもしれません」
「そう、ですか」

 ……んー、流石に昨日の今日だもんね。

 ひーちゃんは、お堅い性格はしてないだろうけど、その分ココロの方は成熟してなさそうだったし。


  ―――でも、だからこそ……ひーちゃんは、るいちゃんの支えになれたんだよね。
  ちっとも着飾ることを知らない無粋で純粋なココロで。

 ………。

 ……ズルいよ、私。
 私が消極的に切り捨てた未来を展望して、後悔してるなんて。
 大好きな人の為に選んだ道をなのに、望んだ道なのに、また後ろを振り返ったりしてさ。繰り上がった"一番の後悔"と、いつまでにらめっこしてるつもりなんだろう。

 誰の所為でもない、私自身の所為なのに。

 ……泣きたくなるのを通り越して自分で自分をひっぱたきたくなるよ、ホント。

「―――あの、有島さん?」

 くるん、と踵を翻して目の前の可愛らしい女性が私に声を掛けてきた。
 ……いけない、物思いに耽ってる場合なんかじゃない。

「……大丈夫ですよ。前田くんなら、きっと、いえ、絶対大丈夫ですっ」
「……そ、そうですね」

 笑顔の予防線を張った私の心中を見透かしたみたいに、初葉さんは少し不安げな顔を滲ませながらまた踵を返してゆっくり歩き出した。



「……」

 ……。

「……」

 ……。

 ……それにしても、ゆっくり過ぎない? 初葉さんの歩調。
 お世辞にも広いとは言えない――とはいっても勝ち組に分類されるような広さではあるけれど――御堂空手道場の庭園を、かれこれ五分は歩いてる気がする。
 ……なんだか、ほら、あれ。
 国会中継で偶に見る牛歩戦術みたい。
 ……ちなみに私が好き好んで見てるワケじゃなくて、お仕事中、執務室にあるTVのチャンネル権を持つお堅い先生のせいで否応なしに見させられてるだけなんだけど。

「……あーのー」
「………。………はい?」

 いやいやいや、そんなキレイな笑顔で間を詰めようとされても困りますって初葉さん。

「……なにか隠していませんか?」
「そっ、そそそんなこととはななないでですすよよよ?」

 何かクラブのDJがスクラッチしたみたいな―――あまりにあからさまな反応が返ってくる。
 "ワザとですか?"って突っ込んだら負けな気さえしてくる。
 しかも、初葉さんの表情が可愛らしい笑顔のまんまだから、ちょっとしたホラー現象に見えなくもない。

 溜め息みっつ。

「……あの、さっきも言いましたけど。この場は、初紀ちゃんや前田くんの責任を追及する為のものじゃありません。
 私達は警察ではありませんし。
 だから、お母様が心配なされるようなことは何一つないんです」
「……っ、本当……ですか?」

 慣れない冷静な口調での説得の甲斐もあってか、初葉さんは漸く私の言葉に耳を傾けてくれた。
 よし、後は畳み掛けるだけだね。

「はい。神代も、そんなことは望んでいませんし」
「……本当にそうでしょうか?」

 ……あれ?
 第三者である私が言うよりも、身近な先生の名前を出した方が安心感があると思ったのに。
 何故か初葉さんの明るくなりかけた表情が、また陰りを見せ始める。
 ……想像以上にお天気屋さんな人なんだな、初葉さんって。

「何か、不安な点でも?」
「……宗くんは、あれで子供っぽい性格をしていますから」

 ……初葉さんの不安げな言葉をとっさに否定出来なかった。


 "神代 宗"という人間を、お仕事の観点から見てきた私でもそう思うから。
 真っ直ぐというか純粋というか。
 ただ、純粋の代名詞と言える"前田 陸"と決定的に違う点が一つある。
 良く言えば、あの人は強固な意志を持っている。悪く言うなら頑固者だ。筋金入りという言葉じゃ足りないくらい。
 "筋ダイヤモンド入り"くらいが妥当かも。本当にガッチガチ。
 私が異性化疾患対策委員会の長に推薦された時も、秘密裏でかなりの強硬手段が取られたとかいう噂もある。事実関係を問い質す勇気がないので本当かどうかはさておいて。

 それに……昨日聞いた話だと、私が今腕に抱いている実験報告書の被験者である前田 陸と、先生が交渉する際に争う声と物音を複数の職員が耳にしたらしい。
 あの人が感情的になるなんて滅多にないコトだけど、キレると何するか分かんないからなぁ……。

 ……でも、これだけは誓って言える。

「―――私は、神代が信頼に足る人物だと確信してます。それは今回も例外なく、です」

 私は真っ直ぐに初葉さんを見据えて、淀みなく言い切った。嘘を言ったつもりはない。
 これでも不安になられたらお手上げだけど―――。

「そう……ですね。私、どうかしてました。―――今度こそ、ちゃんとご案内しますねっ」

 ―――それも杞憂だったみたい。
 ……初葉さんの笑顔を見て心底ホッとした。


 ………でも。

 ホッとしたのも束の間だった。

「いっ………」

 初葉さんの案内で通された居間には四人の人物が居た。確かに、前以て聞いてた人達だった。

 息を乱して倒れている初紀ちゃんと、

「い……っ」

 鼻血を垂れ流して、白目を向いて倒れている三体の―――骸。

「いやぁあああぁぁっ!!!!」

 畳には、夥しいほどの血飛沫。
 ―――私は十中八九、猟奇殺人事件の現場の目撃者になったんだな……そう思った途端に意識が遠退いていった。






  ~青色通知14.3(神代の場合)~


 ―――不覚を取った。としか言いようがない。
 僕が日々の仕事に忙殺されて、訓練を怠っていたことと、"はつ"が腕を上げたことを差し引いたとしても、だ。
 ……こんな不覚は、初葉さんと手合わせした時以来だ。

 唯一の救いだったのは、"はつ"に打ちのめされたのは僕だけではなく――師匠もだということか。
 僕と同じく両鼻にちり紙を詰め込んだ師匠を見やる。
 ……少しも落ち込んでいる様子がないのは、子の成長を喜んでいるからなのか? 意外に子煩悩だったりするんだろうか? いや、まさかな……。


 僕らを打ち負かした張本人は、いつの間にか――僕らが気絶してる合間か?――ぶかぶかなオレンジ色のパジャマに着替えていた。
 今は、ちょこんと正座したまま落ち着きなく視線を泳がせていた。小さな額に貼られたクマの絵柄の冷えピタが可愛らしい。

「……そもそも何で、宗にいが此処にいるの?」

 浅い息混じりに、多少の敵意を含んだ言葉が飛んでくる。

「何か不都合だったか? 一応、師匠や初葉さんに了承は得ていたつもりだったが」
「……いつの間にか、出稽古に行ってた筈のお父さんまで帰ってきてたしっ!」
「師匠にも御挨拶したかったからな」
「その上、陸まで居たしっ!!」
「彼にも用事があったから、初葉さんに呼んで貰った」
「それに、それに……っ!」
「あられもない姿を見たことは謝る」
「~~~っ!!」

 ―――政界の古狸を相手にしてい僕に問答で勝とうなんて十年早いぞ、はつ。
 他にも何かしらの不満があるらしいが、感情が言葉を凌駕しているらしく、パジャマの袖で隠れた小さく右手をぶんぶんと振り回すだけだった。
 ……なるほど、まだまだ子供な面は残っているみたいだ。

「……へぇ、先生って女の子を虐める趣味があるんですね」

 賺さず、僕の右側からトゲトゲしい言葉が飛んでくる。
 有島 美春さん―――僕が擁立した異性化疾患対策委員の長だ。今のところは。

 ……先程まで、この部屋の惨状を見て気絶していたというのに立ち直りが早いことだ。



 どうやら連絡をとる前に、僕がみっともなく気絶したことを根に持っているらしいが……不可抗力だろう、それは。

「ま、あれこれ過ぎたコトに文句言っても仕方ないんですけどねー」

 ……そう思うなら何故口を挟んだのだろうか?

 ―――そう心で呟いた刹那に、庭側の障子がゆっくりと開く。

 どうやら、漸く気が付いたらしいな。

 僕の所見では、蹴りを顔面にもらった出血による貧血での気絶。
 先日の自損事故での傷が、はつの見事なまでの跳び蹴りで傷が開かなかった事が幸いだった。

「お連れしましたよー」

 初葉さんに連れられてやって来た陸くんの包帯が真新しいものになっていた。
 ついでに、彼の鼻腔にはティッシュが詰められている。……居間の緊迫した空気には不似合いだが、そう言っていられないのはお互い様だ。

「……っ!」

 陸くんは、僕の右隣に座る有島さんに視線を合わせた途端に目を見開いた。
 同時に彼女は視線のやり場を探すように目を背けようとしたが、諦めたように陸くんに向き直る。

「……初めまして、前田 陸くん。異性化疾患対策委員会の長を務めております、有島 美春と申します。
 本日はお忙しい中お越しいただき、ありがとうございます」
「っ」

 陸くんの言葉を待つことなく、彼女は早口な挨拶を交わして頭を下げる。
 彼女が紋切り型の挨拶をする場合、相手に心を開いていないか、何かを押し隠そうとしているかのどちらかなのだが……。

「……よろしくっす」

 陸くんの反応を見る限りは後者の可能性が濃厚か。



 しばしの静寂の間を、庭の常緑樹のさざめきがすり抜ける。

「―――宗。儂等はしばしの間、席を外す」
「お客様が居る前ではしたないのですが……あの件に関して、多少私達も相談したいので。
 それに……私達が居ると話し辛いこともあるでしょう?」

 今まで沈黙を守っていた師匠と初葉さんが、示し合わせたかのように同時に立ち上がった。尋常ではない雰囲気に何かを察したのだろう。

「……お心遣い、感謝します」

 その場に居る全員が口々に挨拶を交わし、夫妻は静かに居間を後にする。

 ……さて。

「―――言いたいコトは各々あると思うが……一点ずつ片付けていこうか」

 僕が目で合図して、有島さんがA4のクリアファイルを取り出す。

「これ……」

 ファイルから透けて見える、一際大きなフォントで印字された文字に一番最初に注目したのは"はつ"だった。


 ―――異性化疾患抗体ワクチン検査 結果報告書 前田 陸 様

「そう言えば、君にはまだ話していなかったな―――陸くんは、異性化疾患にならない体質かもしれないいうことを」

 二人とも沈黙したままだった。しかし、リアクションには随分な開きがあるが。
 この報告書には、陸くんに了承を得て行った様々な検査の結果が余すことなく載っている。
 分厚く積み上げられたコピー紙一面に刷られた印字は専門用語を交えて小難しく書かれているが、言いたいことはたった一つだけだ。
 ……それが、彼が望むものか否かはさておいてだが。

「……んな紙っきれ積み上げられたってどうせわかんねぇッスよ。
 結果は、どうだったんスか?」

 まるで他人事のように、陸くんは先を促してくる。
 ……自分が男のままか女になるかという瀬戸際に立たされても、まだそんな顔が出来るというのか。
 肝が据わっているのか、バカなのかのどちらかだな。

「……両方か」
「……なんスか?」
「いや、なんでもない。検査の結果は―――」


 小さく息を飲む音が聞こえる。



「―――抗体の陽性反応が出た。
 君は女性になる可能性はほぼゼロだと言っていい」
「……そう、ですか」

 安堵、と表現するには深すぎる溜め息を吐いてから、陸くんは小さく呟いた。

「えっ……陸……大丈夫なの? 女の子に……ならない、の……?」

 "はつ"が、潤んだ目で僕に詰め寄ってくる。そんなに彼が心配だったのか……?
 ……何となく表情に出そうになる感情を隠しながら、僕は頷く。

「"絶対"と言えないが、ほぼ間違いない」

「……その、悪ぃ……初紀がしようとしてくれたコト、全部ムダにしちまって」
「バカっ!!」

 跋が悪そうに頭を下げようとした陸くんの胸元にはつが飛び込んでいた。
 一瞬だけよろけそうになったが、彼はしっかりと彼女を受け止める。

「ばかっ! ひくっ、そんなの……どうだっていいっ!! えっく……陸が無事なら……私……!」
「……ありがとな」

 ……なんだか、先程より居心地が悪いのは気のせいだろうか。
 隣で、有島委員長がニヤつきながら"見せつけてくれますねー"と僕の反応を窺っているのも気に食わない。
 とりあえずの咳払い。

「……話を進めても良いだろうか?」

 まるで、同じ極の磁石のように瞬時に離れる若い二人。
 ……二人の頬を見て"多分、両方ともN極だろうな"と下らない考えが頭をよぎる。


 ここまでなら、多少の犠牲を払ったハッピーエンドなのだが、残念ながら此処で話題は終わらない。



「―――ここからは、私がお話しさせていただきますね」

 そう委員長が言うと、二人は姿勢を正して彼女に向き直る。
 ……坂城 るいの一件があるからか、はたまた彼女が委員会の長だからか、二人は僕と話をしていた時よりも折り目正しい態度で臨んでいる、……少々複雑な気分だ。



「―――キミ達は………今の異性化疾患の対策について、どう考えていますか?」

 彼女の質問に、一瞬で顔を曇らせる少年少女。
 今、この場に居る人全員が、とあるポニーテールの女の子の存在を思い浮かべたような、そんな気がした。
 ―――雑念を振り払うかのように、委員長は再び饒舌に語り出す。

「異性化疾患発病前に配布される性別選択権に関する通知―――いわゆる"青色通知"、性別選択権を行使するときに必要な通知受取人の供給や、その選定基準―――」

 小難しく言い表してはいるが、この二人がここ数日の間で何度も触れてきた単語だ。
 言いたいことは山ほどあるだろう。
 しかし、それを二人は上手く言葉に出来ないように見受けられた。

「―――正直な話、当事者から見たら国の対応は結構穴だらけだと、私は思うんです」

 彼女が例に挙げた事以外で言えば―――個人情報、通知を受け取った子への心情の配慮、公序良俗、通知受取人に対する強すぎる拘束力、といったところか。
 今、僕の頭に思い浮かんだものを適当に挙げただけてもこれだけの問題点がある。

「じゃあっ! なんで……、どうしてこんな……こんなルール、作ったんですか……っ?」

 理不尽を身を以て知ったであろう異性化疾患の被害者が涙声で訴える。
 此処から先は僕の専門分野だな。

「―――それが国の利益に繋がると、お偉方が考えたからだ。
 "国民の男女比の均衡が崩れれば、日本が抱える問題点の一つである少子高齢化に拍車をかける要因となる。"
―――とな」

 ……国民に対しての説明は、その正当性を強く主張したものだが、年寄りの中には男尊女卑の古臭い精神で主張している輩も少なくないが、そこは省くとしよう。
 ……そんな話をこの子達に聞かせるだけ酷というものだ。



「だからって―――!」
「―――初紀」
「っ……!」

 烈火の如く怒り狂うはつを低い声で諫めたのは、意外にも陸くんだった。

「すいません。続けてください」

 昨日、同じようなことで僕に食って掛かってきたとは思えないほど冷静さと、彼女と等しい……いや、それ以上の怒りが、切れ長の目に宿っているように見受けられた。

「はつ……いや、初紀の言う通りだ。
 いくら国の為とはいえ、女性に犠牲を強いていいものではない」
「んじゃ、なんでこんなコトがまかり通ってんスか?」

 少年の静かで強い語気。

「……異性化疾患の流行から事を発したこの法律と対応は、あくまでも緊急対策の一環だった」
「"だった"?」

 異口同音。

「そうだ。"だった"だ。性交渉が治療法だと分かった後に、他に効率的で効果的な治療法を確立するまでの突貫工事に過ぎない法律だった。
 ……それが数年経った今でも活きている理由なんて一つしかない」
「それって―――」

「―――国が……異性化疾患研究の費用捻出をストップしたからだ」

 ―――常緑樹が、ゆらめく音が騒がしくなる。

「……数年前の出来事だ。
 その数年の間に分かった事に目覚ましい進展がないことに痺れを切らした政府は、"異性化疾患対策委員会"の設立を機と見て、完全に民間企業にその研究を委託という形で費用捻出を打ち切ることを決めた。
 それは、今現在の方法で異性化疾患を抑制していく、という事実上の宣言だった」
「……どうしてだよ、なんでそんな馬鹿げた話になるんだよっ!!?」
「それまでの、通知受取人の成果が予想以上だったからだ。数年間の統計では確かに異性化疾患の発症数は減少傾向にある」

 "だから、方法論は確立されている。"
 ―――という半ば強引な解釈をして費用をカットし、国民からの批判を回避したい政府の短絡的打算が見え見えなのは言うまでもないがな……。



「……二人の言いたいことは分かるよ。でも、それももうすぐ終わる」

 口を噤んでいた有島さんが、優しい口調で囁いた。

「何で……そんなこと言い切れるんですか?」
「キミなら分かるよ」
「………?」

 不意に視線を向けられて、首を傾げる陸くんを後目に有島さんは一拍の間を置いてから、満面の笑みを浮かべて見せた。

「陸くん、お買い上げありがとうございますっ」
「あ……っ!!?」

 ―――そう。
 有島 美春が執筆し、僕が影で監修した暴露本、"群青の蝸牛"。

 話題の疾患を研究していた組織の長からの、告発。

 これこそ、僕が有島さんを異性化疾患対策委員の長に擁立した理由だった。

 無論、彼女を擁立した立場である僕も被害を被ることは覚悟の上だ。
 僕は官僚という立場に興味も無ければ未練もないのだから、それくらいどうということはない。

 "群青の蝸牛"にはマスコミの食いつきそうな話題をピックアップした。
 しかも、その暴露本書いた著者もその組織の長となれば、当然その真実味と説得力は増す。

 ―――それこそ、国民の感情を扇動するほどに。



「ンじゃあ、ハルさんが"群青の蝸牛"を執筆した本当の理由ってのは―――」
「―――違うよ」

 有島さんらしからぬ低い声が、少年の推察を言葉に出す前に否定する。

「本当も嘘もない。私が本を出したことで結構なお金を手に入れたことも、私が"あの子"を突き放したのも、"あの子"から通知受取人の資格を奪ったことも……紛れもなく私の意志だったんだから」

 毅然と、彼女は言い切った。その言葉にどんな意図があったかは、僕も知らない。
 彼女は、ただ今現在の法律に背いている未成年の少女を裁いた。それが事実として記録に残っているだけだ。
 その事実に対して陸くんもはつも黙ったまま、何も語ろうとはしなかった。

「……あははっ、話が逸れちゃったね。
 ―――つまり、あの本の反応がそれなりに良かったから、国は方向性を転換せざるを得なかったんだ。
 通知受取人以外の治療法を確立するための研究を、継続するってね」

 ―――また、常緑樹が靡く音がした。

「―――そんな時にキミに出会った」
「俺、ですか?」
「うん。好きな人、大事にしてる人を真っ直ぐに見つめて、投げかけて、受け止める陸くんに。
 神代さんがどう考えてるかは分からないけど、キミが異性化疾患の抗体を持っていたコトは奇跡でもなんでもないって私は思ってる。
 ただ、持つべく人が持ってたって」
「た、偶々ですよ、誉めすぎッス……っつぅ!?」

 ……今、はつが容赦なく陸くん太股を抓らなかったか?

「あはははっ、もうその可愛いお尻に敷かれてるのかな? 陸くん?」

 "はつ"の引き締まった下半身と陸くんを交互に見やりながら、彼女は笑う。
 何ともリアクションに困る質問を投げかける人だな、相変わらず。

「―――それでね、陸くん。キミの力を借りたいんだ」
「力って……"抗体"ッスか?」
「ぴんぽーん!」

 ……有島さん、今何故卓球の素振りをした?
 そして何故誰もそこに触れようとしない? 僕の疑問に対する回答はないまま、話は続く。



「陸くんの体内に生存する抗体を研究して、ワクチンを作りたいんだ。
 ……これ以上、この病気のせいで人生を狂わされる人を見たくないから」

 ……流石に、実体験がある人間の言葉には真実味も説得力もあるものだ。

「……いいッスよ。協力します」

 そんな簡単に頷いていいのか? コトは君が考えてるような単純なものではないんだぞ?

「う、ん……気持ちは嬉しいけど、なにせ新種の抗体だから、超長期的な培養実験や改良が必要になるかもしれない。
 少なく見積もっても4、5年は掛かるかもしれないよ?」

 若しくは、それ以上に日数がかかるかもしれない。僕の専攻していた医学とは若干違う部類なので、断言はしかねるが。

「構わないです」

 僕の胸中を代弁してくれた有島さんの揺さぶりにも、陸くんは真っ直ぐと応えて見せた。

「それで俺や、初紀や、るいが味わった苦しみを他の誰かが味あわなくて済むのなら―――」

 ……キミなら、そう言ってくれると思っていたよ。

 ………陸くん?







「―――結局、神代さんの全部思惑通りにコトが運んじゃいましたね」

 赤信号で停車した途端に、後部座席で大きく伸びをしながら、委員長が呟く。

「あなたの協力があってこそだ、感謝している」

「あははっ、物は言いようですね」

 何が可笑しいのか、彼女は年相応の若々しい笑顔でカラカラと笑った。
 ひとしきり笑い終えると、口元だけ笑みを残したまま再び口を開く。

「―――で、結局、委員会としてはどうするんですか? あの子達の処遇は」

「……御堂 初紀はそもそも共犯関係を立件出来ていないし、前田 陸に関しては司法取引、という名目で自損事故には目を瞑ることになった」

「………で、"あの子"は?」

「坂城 るいか。
 彼女は委員会からの厳重注意と両親の元に引き渡すことで決着をつける予定だ」

「……そうですか」

「ただし。予定は未定、だがな」

「………?」

 首を傾げる委員長を後目に、青信号に変わるタイミングで僕はアクセルをゆっくりと踏んだ。

「……それで、キミはどうするんだい?」

「……さぁ。どうしましょうか……ね?」


  ~青色通知14~



  完

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最終更新:2010年01月04日 14:35
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