赤羽根探偵と奇妙な数日-4日目早朝-

「それ食い終わったら支度だ」
「………」
「聞いてンのか?」
「………」
「まぁだキレてンのかよ?」
「………」
「おい」
「………」
「機嫌直せよ、好い加減」
「―――うるさい」
「あん時ゃあ俺も頭に血が上ってたんだよ」
「………頭に血が上ってたら、"あんなこと"言っていいのかよ!!?」
「騒ぐなっつの、苦情来んだろ」
「~~~~っ!」

 一体、何なんだこの人は……!
 昨日、あれだけオレに激昂していたのに、今朝になった途端、急に掌を返したみたいにおとなしくなって!?

 挙げ句の果てに"昨日の一言"だ。

 ……別に、赤羽根サンがオレに対して言う文句なんて、仕方のない部類だと思う。
 オレが、それくらいの迷惑を掛けてるコトくらいは理解しているつもりだ。
 理由はどうであれ、あーだこーだ文句を言いながらも、自分自身でもドコの馬の骨ともわからないオレを"妹"として事務所に置いてくれている。

 ……そりゃ、昨日の一件はちょっとはカチンときたけど。

 だからといって、こんなことで赤羽根サンと冷戦状態になるほどオレだってバカじゃないぞ。うん。

 でも……昨晩、事務所に戻ってきた赤羽根サンが呟いた理不尽な言葉だけは……どうしても許せなくて。

『今後、坂城 るいには近付くな。
 もしどうしても必要があって、接触する際には俺を通せ』

 訳が分からなかった。
 自分から坂城さんに接触を試みたクセに、なんで今になって彼女を敵視し始めたのか。
 ……勿論、理由も問い質したさ。

『坂城 るいが、委員会役員殺害事件の犯人の可能性があるからだ』

 赤羽根サンの返答に、オレは思わず自分の耳を疑ったよ。
 生憎、言い間違いでも聞き違いでもなかったけれど。

 ……なんで、そんな結論に到ったのかは知らない。
 理由を問い質す前に、赤羽根サンは即座に寝入ってしまったから。
 事務所机に据えられたキャスター付きの古びた椅子に座り、トレードマークの帽子を目深に被ってから、所要時間、僅か3秒。

 ……α波が出るまでが早過ぎだろ、このヒトの脳みそ。

 そのあとで、オレが肩を揺さぶろうが頭を叩こうが起きるどころか微動だにしなかったし……。

 ―――結局、一晩経っても、赤羽根サンの主張は変わることはなく。
 "坂城さん犯人説"の詳しい理由を尋ねても、はぐらかすばっかりで答えてくれやしなかった。

 ……だから、今のような冷戦状態に至るワケだけど。


 ―――坂城さんは、確かに少し変わっているとは思う。

 オレと同じく、異性化疾患を発病したと元男だとは思えないほど立ち居振る舞いは女の子そのものだし、物腰は柔らかいし、頭の回転も早い。
 誰が相手であっても気が強かったり、何を考えてるか分からない面もあるけど……。
 でも、仮にも信を置いていた相手を簡単に疑えるなんて、どうかしているとしか言いようがないじゃないか!?

「………なぁ、名佳」

 どう考えても美味いとは思えない煙をゆっくり吐き出してから、赤羽根サンはそっぽ向いたまま口を開いた。
 オレは返事をしなかったけど、赤羽根サンは構わずに言葉を繋げる。

「―――俺は嬢ちゃんに面と向かって言った。
 ……まぁ、なんだ。色んな情報を加味した上で"警察も俺も、てめーを疑ってる"ってよ。
 そしたら嬢ちゃん、なんつったと思う?」

 知るかよ、そんなの。

「ンな面してねーで、まぁ、聞けや」



  【赤羽根探偵と奇妙な数日-4日目早朝-】


『んー……残念だけど、私にアリバイはありませんねー』

 それまで俺への敵意に満ちていた嬢ちゃんの表情が、何故か緩む。
 その穏やかな面構えに釣られてやるほど、俺が素直な人間じゃねぇってことは嬢ちゃんも重々承知してると思うが。

『……随分と余裕綽々だな』
『だって事実を誤魔化したって仕様がないじゃないですか』
『胸を張るとこじゃねぇだろ』
『あはははっ、確かにそうですね。
 ……よい、しょと』

 楽しげに一仕切り顔を綻ばせると、立っていることに疲れたのか、嬢ちゃんはぺたんと玄関のフローリングに腰を下ろした。腿の半ばまで裾上げされたチェックスカートの中身を見せないためか、正座を崩したような座り方で。
 ……まるで、アイドルのグラビア撮影にでも立ち会ってるような錯覚に俺が陥っていると、
 嬢ちゃんの白く細い人差し指が、空中に幾何学的な何かを描きだした。
 ……なんかを考える時の癖か?
 その証拠に自らが指先で描いた幾何学的模様とは明後日の方面に視線が向いている。

『―――動機はあるし、アリバイもない、状況証拠は出揃ってるけど、物的証拠がない。
 更に、私の身分と神代せんせーの名前が邪魔をして、警察は手が出せないでいる。
 ……そんなとこですか?』

 ……随分と、この私設秘書サマは自分の置かれた立場を理解しているようで。

『あれあれっ、何で驚いてるんです? 警察に情報を貰いに行くって言ったのは赤羽根さん自身じゃないですか』
『どうしたら、この状況そんな飄々としてられンのか理解に苦しんでンだよ』

 殺人犯として疑われてる自覚があんのかどうかも怪しいような天真爛漫とした笑みを浮かべ続ける嬢ちゃんが小憎たらしい。

『ん~……、客観視したら疑われても仕様がないですからね、私の立ち位置って。
 そんなの、今更どうこう言ったところで、どうにもなりませんし……。
 それに……赤羽根さんは、私の過去の経歴もバッチリ知っちゃってるんですよね?』
『……そういう言い回しをすれば、俺が疑わないとでも思ったか』
『いいえ、全然』

 即答だった。

『仮にもプロを相手に、疑いの目を逸らそうなんて白々しいと思いませんか?』
『……人をナメんのもいい加減にしろ』
『ナメてるワケじゃないです、なのちゃんをイジメた仕返しです』
『………チッ』
『あはははっ。さ、冗句はさて置き』

 笑みを崩さないまま、嬢ちゃんは声のトーンだけを落とした。


 ――――そして、珍妙極まりない頼みを受けることになる。

『もし―――赤羽根さんが、私を殺人犯だと思うのなら……なのちゃんを出来るだけ私から遠ざけて下さい』

―――――
――――
―――

 ……言葉が出なかった。
 訳が分からない。
 坂城さんは自らに殺人の疑いが掛かっても、否定すらしないなんて……。

「だから、坂城 るいには近付くなっつったンだよ。これで満足か?」

 気だるそうな欠伸混じりに赤羽根サンは言った。

「………なんで」
「あン?」
「なんで、それでアンタは納得出来るんだよっ!!? どう考えたってオカシいだろっ!!?」

 狭い事務所にデスクを叩いた音と、自分でもヒステリックだと思う声が反響する。
 それでも、赤羽根サンは微動だにしないまま、目線だけをこちらに向けて―――

「……うるせぇよ」

 ―――と唸るような声でオレを窘めるだけだった。

 くそっ、なんなんだよっ!?

 そんなバカげた話に乗ってしまう赤羽根サンも赤羽根サンだけど、坂城さんも坂城さんじゃないかっ!?
 どうして"自分は犯人じゃない"って主張しないんだよ!?

「―――誰が納得したっつったよ?」
「え……?」

 愛用の帽子を目深に被り直しながら呟く赤羽根サン。
 ……オレの見間違いじゃなければ赤羽根サンの口元は、力が入っていたように見えた。
 何があったんだろう?
 ……そう言えば、今し方、赤羽根サンが話してくれた昨日の出来事は少し尻切れ蜻蛉な気がする。

 もしかしたら―――

「―――とっとと準備しろ。遅れンぞ」
「赤羽根……サン」
「てめーも"赤羽根"だろうが。
 言っとくが、外ではそんな素振り見せんじゃねーぞ」

 赤羽根サンはそう釘を差すと、そっぽを向いて再び紫煙を吐き出していた。
 ……オレばっか言われっぱなしで、ちょっと悔しい。

「わかってるよ、……お、おにいちゃん」
「っ」

 よし、赤羽根サンの奴、ちょっと噎せた。
 恥を忍んで言った甲斐があったぞ、よくやったオレ!

「んだよ、そのガッツポーズ」
「べっつに?」
「……チッ、いいから早くしろっつの!」
「はいはい、わかりましたよーだ」

 あれだけオレに騒ぐな喚くなって言ってたクセに、自分だって同じじゃないか。
 ……ま、ガラス戸を閉めようとした背後でブツブツと文句を垂れる赤羽根サンが面白かったからヨシとしよう。

「……ふぅ」

 ゆるゆるとブラウスに袖を通している時に―――意図せずに溜め息が出た。

 こんなにも訳が分からない生活も、いつの間にか折り返しに来ている。

 ……慣れというものは恐ろしいもので、女性モノの服も―――装飾が特殊なものでないのが前提だけど―――基本的なものは独りで身に着けることが出来るようになってる。
 ……足元の風通しの良さにも、慣れてきたし。

「………っ」

 ―――不意に目頭が熱くなった。

 別に悲しい訳でもないのに。記憶なんてないのに、オレは男だった時のことを思い出して悔やんでいるのか?

 いや、多分そうじゃない。

「……っふ……ぅう……っ、ひくっ……」

 多角的に状況を見たら、とてもそうは思えないんだろうけど。

「ぇ……うっ……く……ひくっ」
『名佳……!? おい、どうした名佳っ!!?』

 カーテンの向こうから慌てた"兄"の声が聞こえて我に返る。

「っ、なんでもないっ! つーか、どさくさに紛れて覗こうとするなよ!!」
『誰が妹の着替えなんぞ覗くか!! 紛らわしいンだっつのっ!!』
「だって、っく、朝から……ひくっ、サイダーなんて……えぐっ、飲ませるから……しゃっくり……っく、止まんないんだよっ!!」
『ったく……あんまヒヤヒヤさせんなっつーのっ』
「ひ……っく、わ、悪かったなっ!」

 ―――本気の本気で心配くれる"友達"が居てくれて。

 ―――だらしないし、いい加減で、口も悪いけど、オレを必死で守ろうとしてくれてる"家族"が居て。

 それが、堪らなく嬉しくて。
 それが、終ってしまうことが決まっていることが堪らなく寂しくて。

 だって、今オレは、多分……幸せだから。

 どうしよう。今、目が真っ赤だと思う。鏡なんか見なくても、瞼の周りの熱で分かる。

 しっかりしろ、オレ。今オレがコケたら、みんなが積み上げてきてくれたものが全て水の泡になるんだぞ。
 ―――それだけは、絶対に避けなきゃいけないんだ。

『気負うんじゃねーぞ』
「……えっ」

 カーテンと、ガラス戸越しに赤羽根サンが低く呟いた。

『赤羽根の家の人間っつーのは下手に気張るとロクなコトになんねーンだよな』

 ……なんだよ、それ。オレも"赤羽根"だからか?

「っ、ひくっ、大丈夫だってば! だい、じょ……ひっく……」

 ……バカ兄のせいで、落ち着いてきてた呼吸がまた苦しくなったじゃないかバカ!
 ……それなのに、嬉しがってるオレのが……よっぽと、バカかもしれないけどさ。

 ………。よし。
 制服もバッグも準備完了だ。

『……あのよ、名佳』

 ガラス戸越しに頼りない兄の声が聞こえてくる。

「ん?」
『その、昨日は……悪かったな。あー、その……怒鳴っちまって』

 オレは別にもう怒ってないんだけど、すんなり許してしまうのも面白くないからって―――

「今更だよな」
『……言わねーよりマシだろ』
「……そーいう問題かよ」

 ―――まったく、素直じゃない。お互い様だけど。

『んで、準備、出来たか?』
「ん。……なぁ」
『なんだ?』
「頼りにはしてるから」
『……おう』
「……それじゃあ」
『……行くとしますか』

 問題は山積みで、決してオレも赤羽根サンも楽観出来ない状態には変わりは無い。
 でも、不思議とココロは軽くなってたような気がする。

  【赤羽根探偵と奇妙な数日-4日目早朝-】

  完


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最終更新:2010年09月13日 21:20
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