『幸せ』その4

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 俺は朝から悶々としていた。何故かって? 母さんから矯正すると言われた口調についてで、だ。
 あー、また“俺”って言ってるな……。治らないって。15、6年間も使ってきた口調だよ? そう簡単に治るほうがおかしいんだよ。
 と、兎に角! お……じゃなかった。今日からは頑張って、“私”として生きていかないと。どうせ今週末にみっちり仕込まれるんだから。
 治すのは、一人称だけじゃないんだよな……。今のこの口調、完全に男口調だし……。
 どれぐらいかかれば、完全に女口調になるだろう。想像するだけでも気が遠くなりそうだった。
 さて、と。辺りに有るバッグ等の荷物を見ながら、

「準備はオーケイかな?」

 とつぶやく。ふと壁掛け時計を見ると、もうそろそろ針は7時に到達しそうだった。
 や、ヤバい。心臓がバクバクしてきた。それもそうだよな。ついこの間、気持ちを理解して、会うだけでも恥ずかしい相手なのに。それでいて女口調で過ごさなきゃいけないなんて。
 あーッ、もう! そう言い頭を振る。考えるな――、考えるなッ。必死に忘れようとする。しかし、こう言った場合、決して心から離れないことぐらい承知で――
 ――ピンポーン!

「――――ひゃうっ!」

 普段なら、少なくともこんなふうに驚いたりはしないが、無機質なインターホンの音を聞くと、比喩ではなく飛び上がる。
 ねことかが垂直跳びをしたのは見たことがあったけど、まさか人間が垂直跳びをするとは夢にも思っていなかった所為で、その事象にも驚く。
 随分と驚き、まさに頭にクエッションマークを浮かべているような状態だったが、三上が来ていることを思い出し、早く開けてやらねばと思いドアに向かった。
 鍵を開け、ノブを捻る。そこにはいつもとなんらかわりがない様子で三上が立っていて。
 俺を一瞥し、言った。

「どうした? なんつーか、顔赤いぞ?」
「――ッ!?」

 言われて初めて気付き顔を両手で隠す。すると三上は、

「反応を見るからに、熱ではないのか。じゃあ――」
「うッ、うるさい! それ以上は、言うなッ」

 慌てて事を隠すように言うと、三上は不思議そうな顔で、

「俺は心配要らないなって言おうと思ったんだが……」

 とか言ってきた。
 ――へ? ひょっとしてアレですか。語るに落ちるってやつですか? お、私は最高にアホですか?
 ますます顔に血が上ってくるのがわかる。

「だ、大丈夫か!?」
「大丈夫だからッ! 気にするな!」

 恥ずかしい気持ちを隠すために、必死になってしまっていた。だからといって、撤回するのも非常に恥ずかしい。
 ハッキリ言って泥沼状態だと思う。会話すればするほど、恥ずかしさが増していく。
 昨日だいぶ平常だったのが嘘みたいだ。

「本当に大丈夫か? さっきからうつむいてるけど――」
「だから、大丈夫だって! さ、さっさと行こう!」

 ありえないほど動転している俺の態度に、ポカーンとしつつ三上は俺の後を付いて来た。


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 俺は一日ぶりに職員室へと足を運んでいた。いや、普通は一日置きに職員室へ入ること自体がまれなのだが。
 今日の要件は、いわゆる改名手続きの書類の提出だ。
 昨日の会話の通り、親から(母さんだけだったが)は改名案の許可が出た。なるべく早いうちに方が先生に迷惑かからないから。

「はい、確かに預かったわ。じゃあ、後でおうちの方に連絡させてもらうわね」

 そう言うと、早速妙に高級そうなその用紙をファイリングした。

「ありがとうございます、先生」
「いいのよ~。実奈ちゃん、ねぇ~。かわいい名前じゃないの」

 先生はそう言うと、とっても輝いた眼光で私を見つめてきた。

「あの、あんまり見つめないでもらえますか?」

 男の頃ならクラっときただろうその瞳は、女となった今では裏になにがあるのかが見えてしまうのだ。
 そう。この先生は私を「可愛い、弄りたい対象」として見ているのだ。だから、少しばかり突き放す。

「つれないわね~。ちょっと位いいじゃないのぉー」
「まあ……見るだけなら構わないですよ? あくまで見るだけならですけど」

 そう言うと先生は何かを諦めたようにはぁ、とため息を吐く。

「ねぇ、実奈ちゃん」

 いきなり改名後の名前で呼ばれる。

「先生もいきなりそれで呼ぶんですか?」
「だって、明日には正式に改名も終わるんだし、これが突っぱねられることもないじゃない? それよりも、今日は妙に女の子っぽい口調だけど……なにかあったの?」

 ニヤニヤしてる西川先生。その顔はまさに女子高生……って、違うか。先生の変な噂が流れる理由がわかった気がする。これ、男なら一溜まりも無いもんな。こんな笑顔されたら普通は落ちるよ。
 ――って、なんか先生が妙に鋭いこと言ってるよ!? 確かに、意識はしてるけど三上とかには気付かれなかったし……。それくらいの変化でとどめてるはずなんだけどな、口調。

「鋭いですね。なんでわかったんですか? “私”が女口調を意識して話してる事」
「なんとなく、って言うのが一番正しいわね~。他にも理由は有るんだけど、一番大きいのが『なんとなく昨日までの口調と違う』って思ったことなのよ」

 一旦区切り、

「まあ、男子は気づかないわよ、きっと」

 そう言う。すると、先生の顔が一変。さっきまでの可愛いニヤニヤから、何かを考えついたニヤニヤへとかわり、

「もしかして。……もう気になり始めちゃったのかしら、男子のこと」
「――んなッ! そ、そんなこと、」

 女ってものを侮ってました。ほんと、どうしてこうも鋭いの!? 母さんと言い、先生と言い、皆に気づかれてる気がする。
 そして、恥ずかしい。こう言った恋愛ごとは、なるべく一人、もしくは相手とふたりだけで共有したいタイプなのだ。第三者に見抜かれるのは、すっごく恥ずかしい。

「図星みたいねぇ~。いいのよ、その件で相談しても」

 言いつつ、携帯電話を取り出す。そう言えば、昨日カウンセリングの為にメールアドレスと電話番号を教えてもらったんだっけ。

「し、しませんよッ!」

 多分。――日が経つと恥ずかしさを忘れ相談してしまうのではないかという心配があった。だから多分。
 出来るならしたくはないけれど。

「ふ~ん……。そう言った人が今までにも……」
「居たんですか?」

 恐る恐る訊く。

「あえて言いません」

 何だそりゃ! 驚きを隠せていないのだろうか、まあ顔に表情はでてないだろうけど。

「これでお相子よ。実奈ちゃんだって言って無いことが有るでしょ? だから、私はこれ以上は言わないわ」
「そ、それはずるいような……」

 先生は誇ったように言った。そして、

「もうこんな時間だったのね。さ、ホームルーム始まるから、教室戻ってね~」
「あ、は、はい……」

 なんだか腑に落ちない。でも私が言うまで、絶対に言わないんだろうなぁ、そう思い職員室を後にした。


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「ねえ、えっと……実奈ちゃん……だっけ?」

 突然、クラスの女子に話しかけられた。って、あれ。私に話しかけてる? 一応挨拶はしたことがある女子だったが、あまりに唐突な事だったから、返答に迷っていた。
 しかも、さっき先生が伝えた名前で来たよ……。

「そう、だけど……」

 正直、私が読んだ作品ではこう行った場合女子に話しかけられるといいことは余り無い。ほんと、なんにもない。
 だが、

「――抱きしめていいかなっ?」
「へ?」

 二言目は到底ありえないような台詞で。いきなりそんな事を言われて気が動転する。

「え? ぇ? な、なに!?」
「それだよ! その態度!」

 何か悪いことをしたのだろうか。大声を出されたので思わず萎縮する。責められるのは、嫌だ。
 でも、彼女の顔は怒っているようには見えなかった。

「くぅー! アレだよね! 最ッ高の、“萌え”だよね!」
「……も、もえ?」

 アレか? 秋葉原とかで有名な、オタク文化の“萌え”? これで“燃え”だったら大変だから、恐らく有っているのだろう。勝手に自己完結し、

「もしかして……オタク?」
「痛いところを突いてきますねぇ、実奈ちゃん! でも私は動じないよっ!」

 彼女はなんだか、オタクと呼ばれたことに対して妙に誇らしげだった。
 それはさておき。そろそろ彼女の名前を聞いておいたほうがいい気がする。ずっと“彼女”じゃ、それこそ彼女に悪い。

「あの、すみません。名前を教えてください」
「あ~。そう言えば、私たちからすれば有名だったから話してたけど、そうだよね。クラスが同じなのは今年からだし、名前知らないのは当然かー」

 私が申し訳なさそうにしてると、気さくにそんな事を言い、笑う。

「私は、敷島 恵奈(しきじま けいな)。実奈ちゃんが気付いたとおり、オタクっ子なわけですよ~」
「その、よろしく、敷島さ――」

 そこで、敷島さんは首を横に振り、

「ノーノー。私のことは恵奈って呼んで。そんなお固い敬語じゃ嫌なのです!」

 にこやかにそんな事を言う。そう言えば、さっきからずっと敬語だった気がする。
 ……女子とすんなり話せたら、女体化なんかしないよね。

「わかった。け……恵奈……ちゃん」
「よろしいよろしい。よろしくね、実奈ちゃん」

 そう言って、頭をなでられた。……なんだろう、この幸福感。今までは男だったから頭をなでられるって事が無かったからかな。
 さてさて、こんなに会話が流れればさっきの件は忘れて――

「――で、本題に戻るけど、実奈ちゃん! 抱きしめてオーケイですかな?」

 忘れてくれなかった。なんだろうか、恵奈ちゃんの眼光には有無を言わさぬ何か強い意志が感じられる。ただ、否定することは出来た。でも、

「……ん、いい、よ」

 気がつけば、その問に対して私は肯定していた。
 女の子に抱きしめられるなんてレアな経験はなかなか無い。少なくとも、彼女とかが居なければ。いや、いたとしても抱きしめるのは男のほう? それに私は、彼女とかいた経験がないし……。
 そして私が抱きしめられることを許可した何よりの理由は、女の子同士ならほぼ確実に合法で居られるということ。
 そんなくだらないことを考えたりしていると、ブワッと恵奈ちゃんが重なってきた。
 私より幾分か大きい身長と……あからさまに大きい胸が私を包む。
 ――柔らかい。いい匂いもする。

「やっぱり可愛いよぉー、実奈ちゃん! ……是非このまま妹にっ」
「それは、無理、だと思うよ」

 苦笑しつつ、恵奈ちゃんに言う。ほんと、温かい。

「そのまま、寝ちゃってもいいんだよ~」
「まだ授業が残って……るよ」

 優しい問いかけに、心が落ち着く。
 こうやって、優しくされるのは、嫌いじゃ――な、

「あ、あれ? ほんとーに寝ちゃった?」

 そんな声がとても心地よかった。
 ――ちなみに。男子がとっても“アレ”な目で私たちを見ていたことと、その後の授業は丸々寝ていたことがわかったのは後の話である。


――――――――。
――――。

 困った。本当に、困った。
 素直に恵奈ちゃんと一緒にクラスに帰っていれば良かった。
 なにが困ったのかというと、それは今眼の前に居る“男子”についてだ。
 あからさまに体育会系で、がっちりとした体。その男子が、否。男が。私と対面している。
 普通、女の子になっちゃったばかりの人間を体育の後、体育館裏に連れ込み――、

「なあ、どうなんだ? 付き合ってくれるの?」

 ――告白するなんて真似が出来るのだろうか。正直やめてほしい。接点がない。私はこの男を知らない。明らかに美術で入ってきたとは思えないから、スポーツ推薦で入ってきたのだろう。
 そしてなにより。私は、男が怖いんだ。だから、最近は家から出ない。もちろん、三上が居るときは別。アイツがボディーガードをしてくれているから。
 でも、今はその三上も居ない。そりゃ、四六時中私の側に居るわけには行かないし……なにより、今は……体育の、後だ。
 私自身、寒いから早いところジャージなり、なんなり着たいのだけれど、どうしても、動くことが出来ない。
 言い訳をさせてもらうとしたら、男と対面しているだけでも体はガチガチで。声もろくに出せないから、つまるところ逃げられないでいる。
 どうしてだろう。ちょっと怖い目にあっただけで、体は、頭はこんなふうに判断してしまう。相手の顔を直視できない。でも、相手は直視してくる。
 その視線が怖い。――恐い。
 そして、男はしきりに「付き合ってくれる?」とか「返事してよ」とか言って来る。なんで、自分から迫ってきておいて……。一人の女の子……いや、元男だけどさ。女の子を、苦しめてるとも気付かずに、こんなことが言えるのだろうか。

「そんな顔してないでさ、ほらどうなんだ?」

 そんな顔、というのは恐らく私の“冷静そうな顔”の事だろう。表情が出ないのが、こんなにも裏目に出るとは、思わなかった。もっと、表情が豊かだったら。もっと喜怒哀楽に富んだ顔が出来たら、この男は私が嫌がっていることに気がついただろうか。
 ――助けてほしい。でも、助けてくれる人が居ない。
 ふと、頭に今日親しくなった恵奈ちゃんが浮かぶ。けど、それを必死に振り払う。恵奈ちゃんも、かなり可愛いほうだ。こういう男は、……面識もないのに告白してきてることから考えて、顔だけで物を判断するのだろう。だとしたら、恵奈ちゃんにも迷惑がかかる。それだけは、駄目だ。

「どうなんだよ?」
「――ッ」

 肩が震えたのがわかった。それくらいあからさまに相手の態度が変わった。
 泣きそうだった。そうしている間にも男は一歩、私に近づき。
 遠ざかりたいけれど、私の足は言うことを聞かない。心臓が痛い。圧迫されているのがわかる。
 もう涙腺は決壊寸前なのに、顔ばかり強ばっていて、なにもすることが出来ない。せめて泣き出せたらどんなに楽だろうか、と思考を巡らす。
 一歩、――また一歩。男がどんどん私に近づいてくる。

 体の強ばりが一層高まり、足も完全に竦んでしまっている。奥歯を強く噛みあわせ、必死に耐える。
 もう少し、もう少しすれば――、時間が、
 ――時間? 嫌な予感がする。今は体育の終了の時刻。そして、それは次は“昼休み”で有ることを表していて。次の着席のチャイムまでは、あと30分以上も有る。
 助けは来るのだろうか。ヘタをすると、このまま昼休み中口説かれ続ける、なんてこともあり得る。
 気づけば、相手のワイシャツの胸元が、私の目の前に有り。

「……答えてくれよ」

 そう言いつつ、両肩を掴まれる。
 体が激しく震えた。感づいてくれただろうか?
 恐る恐る、上を見上げる。すると、そこに見えたのは、怒っているような、何かを我慢しているような。良いとは言えない顔で。
 その体勢から、まるで動けなくなる。私が苦しんでいることに、怖がっていることに気付いていなければ、返事をよこさないことに対しての不満が顔に出ている。
 その顔はまるで私を責めているようで、いたたまれない気持ちになる。
 もう、自力では絶対に逃れられない状態になってしまっていた。少しでも、さっき、少しでも勇気を振り絞って逃げていれば良かった。そんな後悔が頭をよぎる。
 今はもう、肩を捕まれ足は動かず、体は硬直しきっていて。
 涙腺も硬直しているのだろうか? 顔は――元からかもしれないけど。せめて、顔だけでも、表情が出れば。そうすれば、きっとこの男も察してくれる。
 声……。声を出そう。そう考えた。でも、それすら無理で。

「ぁ…………」

 必死に搾り出した声は、相手にすら届かず。空中で虚しく掻き消える。
 助けてよ、察してよ! 頼むからッ……。
 泣きたい。……泣けない。声も出ない。苦しみは顔に出ない。足は動かない。
 呼吸をしているのかも、わからなくなってきた。
 ――恐い、怖い、コワい!
 こんなに男が思ってしまうのは、どうしてだろう。私が、男を理解しているから? なにをされるのか、わかってるから? 男に、犯されそうになったから?
 違う。きっと、どれも違う。どれも違くて、どれも正しい。
 支離滅裂な思考。必死になって搾り出そうとする言葉。それら全て、意味が無い。
 きっと、助けを待っていた。それしか出来ないから?
 ――違う。助けて、欲しかったから。
 どうして、抵抗出来なかった? 体が動かないから?
 ……違う。多分、心配して欲しかったから。
 どうして、冷静になったの? ――それは、

「お前……実奈になにをしている?」

 最近も聞いた。あの、怒っていて、頼もしい声が、聞こえたから。




 おかしい。なにがおかしいかって、それは実奈が居ないこと。昼休みももう10分を過ぎている。他の女子は、既に体育から帰ってきていて、でも実奈だけが帰ってきていない。
 俺の昼ごはんが無いって事もあるが一番心配なのは、また何かに巻き込まれてしまっているのではないか? ということ。
 居ても立っても居られなくなった俺は、今日休み時間中に実奈と親しくしていた女子生徒に話しかけることにした。

「な、なあ、えっと……」

 よく考えたら、俺はこの女子の名前を知らなかった。どう呼んでいいか、迷っていると、

「おや、三上くんですかな?」
「……なんで俺の名前を知ってるんだ?」

 俺は知らないのに――、ってこれは暴論か。帰ってきた答えは、意外というか、当然なもので、

「いやいや、いつも実奈ちゃんと一緒にいるし、今日実奈ちゃんの口から語られた男子は、三上くん。貴方だけだったのですよ?」
「なるほど――、ってそれはどういう事だ!?」

 この女子が、あまりにもニヤニヤしながら俺に言ってきたもんだから、思わず強い口調で聞き返す。恐らく言葉の裏に隠れた何かが有るのだろうとも思えた。

「んー、私的には三上くんは実奈ちゃんの彼氏さんですかな、と訊きたかったり」
「んなっ……! ち、違う! す、少なくともアイツはそう思ってないだろ!?」

 言うと、あからさまにニヤニヤされる。絶対に誤解してる。

「じゃあ、少なくとも両思いなんだねっ?」
「ち、違うと思うぞ?」

 俺は……確かに好きだが。迷惑だろうと思う。あいつからしたら、頼れるのは俺だけ見たいなものだから、それで頼ってきているに違いない。

「まあ、惚気(のろけ)話は置いておくとしましょう」
「なにが惚気話だ!」

 思わずツッコむ。ちくしょう、斉藤との会話で鍛えられたツッコミスキルがこんなところで披露されることになろうとは……。

「で――、三上くんはなんでそんなに慌てながら私に物を訪ねてきたのですかな?」

 相手から本題を打ち出されるとは思ってなかったから、少し驚く。そうだ。そうだった。こんなエセ漫才みたいなことやってる場合じゃないんだ。

「なあ、実奈……見なかったか?」
「そう言えば、戻ってないみたいだね。さっき私の誘いを断って、先に帰ったかと思ってたんだけど……」
「なんで先に帰ったのに、クラスに着いてないんだよ!」

 言うと、女子は困惑した表情を浮かべ、

「わ、私に言われても……。……あ、そう言えば」
「そう言えば、なんだ!?」
「そんなに慌てないで。落ち着かなきゃ、色々取り返しが付かなくなっちゃうかもしれないよ?」
「そ、そうだな……。すまん」

 言われて初めて、自分が慌てていることにも気付き、頑張って平静を保とうとする。

「……さっきね、他クラスの人間が、実奈ちゃんを気に入っていたようだった、って話を思い出したの」

 何だそりゃ、と聞き返す。

「お昼休みで外に出てる生徒さんは少ないから、ひょっとしたら告白とかされてるのかもしれない」

 アイツが、告白か。まあ、普通に可愛いし、当然の結果なのだろうか。これだから顔だけで全てを判断する奴は、まったく。いや、中身も全然悪くないが。
 って、待て待て待て待て。ヤバイんじゃないか? 実奈が自力で相手から逃げられるとは思えない。実奈は学生寮の部屋から部屋への移動ですら、怖いと言ってきたんだ。だとしたら、男と二人っきりになっちまうのが当然の告白の現場なんて、耐えられるのか?

「ヤバいな――。なあ、つまり実奈は外に居るのか?」
「ど、どうしたのかな、三上くん!?」

 気づいたら、思わずその女子の肩を掴んでしまっていて。「すまん」と言って肩から手を離す。

「実奈ちゃんが告白されてるのは、嫌?」
「そう言うんじゃない……いや、それもあるけど、問題は“そこ”じゃないんだ」

 あっけらかんとしている女子に、理由を。実奈も信用している相手だし、それこそなにも言わずにただ「駄目だ、ヤバい」とか言っても信じられないだろうから。告白されてるなら助けださなきゃ行けない理由を話す。

「アイツは、実奈はいわゆる“男性恐怖症”状態なんだよ。ちょっと、色々有ってな」

 小声でそう伝える。まだ核心には触れていないものの、女子の方も理解してくれたようで、

「……三上くん? ならこんなところで立ち話してる場合じゃないんじゃないかな?」
「そ、そうだな、言って来る」

 そう言い、教室を後にしようとする。だが、その女子に止められた。

「まって。……私も行くよ。仮にも実奈ちゃんの友人だから、ね」
「そうか、じゃあ行くぞ、えと……」

 ここに来て、名前を知らないことがバレた。この状況じゃ、名前を訊こうにも訊けなかっただろうと頭の中で勝手に言い訳をし、

「私は、敷島恵奈、だよ。覚えといてね三上くん」
「ああ、わかった。行くぞ、敷島……」

 察してくれたのか、名乗ってくれたことに感謝しつつ、教室を後にした俺たちが体育館の裏で見た光景は、大柄な男にがっしりと両肩を捕まれ、顔は強ばり恐らく平静を保てていないだろう、実奈の姿だった。


――――――――。
――――。

「誰だよ、お前」

 私を掴んでいる男が、その声の主に向かって言う。その声に驚きつつも、ようやく男の手から開放される。
 やっと、助かった。思わず、今まで緊張でガチガチになっていた涙腺が緩みそうになった。もう、どうでもいいかもしれない。
 もう、来てくれたから。どうしてかは知らないけど、ここに。

「お前こそ、誰なんだよ。……実奈と、面識あったのかよ?」

 声の主にそう言われ、たじろぐ男。その男が、恐らく苦肉の策だったのだろう。言い出す。

「お、お前こそ、……どうなんだよ!」
「俺がコイツを、実奈を名前で呼んでる時点で気付けないのか?」

 苦し紛れの一言は、揺るぎない口調にたたき落とされて。顔は怒りに染まっていた。いや、それ以前に言葉の主――三上は何か呆れたような目でその男を見ていた。
 足が、掬(すく)われたような感覚。安心しきったことで、体中の力が抜けたのか――、私は後ろに倒れこみ、

「っと、だいじょーぶかな? 実奈ちゃん」
「け……恵奈ちゃん……」

 後ろに立っていたらしい恵奈ちゃんに抱えられる。
 ――って、え? どうして恵奈ちゃんまでここにいるの?
 しかしそんな思考は長く続かず。

「お前、この女の彼氏か何かなのかよ!?」

 男のほうが、声を荒らげて言った。切羽詰っているのだろうか。そんな事を口にするなんて、常識ではありえない気がしないでも無い。
 三上の方も、だいぶ冷静で、

「それがどうしたんだ? 逆に訊くがお前は実奈と付き合えるとでも思ってたのか?」
「――っ! この野郎! 調子に乗りやがって……」

 その声の大きさに、思わず萎縮する。そんな私の肩を、恵奈ちゃんは優しく包んでくれて。

「そんなふうにしか反論出来ないってことは、自信は無かったんだな。――いや、無理矢理にでも付き合わせるつもりだったのか……」

 三上はそう言うとため息を吐き、言う。

「お前、最低だな」
「野郎……!」

 そうとしか言い返せない男が哀れに見えてきた。でも、このまま恨みを買うようなこと――、

「図星なんだろ? だったら最低だ。図星じゃなかったとして、告白してるってことは最低限顔は好きになったんだろ? だったら……」

 一旦区切った三上は私のことをチラッと見て、

「その顔の僅かな意思表示すら見抜けないなんて、少なくとも俺ならそんな奴を実奈の彼氏になんてさせられない」

 既にうつむいてしまっている男に三上は迫り、

「これ以上実奈に近づくな。次お前が実奈に迫ってるところを見たら、次は言葉じゃなくて手が出るぞ」

 男を真正面から睨みつけ、言った。
 それを聞いた男は、さっさと退散していく。逃げ際に何か言っていたような気がするが、私には聞き取れなかった。
 今は、三上がこんなにも私を気遣っていてくれていることが、すごく嬉しくて。
 一緒に来てくれた恵奈ちゃんも、同じ。二人して、助けに来てくれた。
 それが只々嬉しくて。

「ありがと……」

 それしか、言えなかった。残り少ない昼休みを、私はずっとそれを言い過ごした。恵奈ちゃんと、三上と一緒に。


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最終更新:2011年01月05日 23:37
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