「……グダァァアア゛ア゛…………」
「唸るな、伏せるな、はしたない」
「うるへー……この気持ちはお前にゃ判んねぇよ、畜生……」
べたぁ、と自分の机に張り付きながら顔すら上げずに言い返す。毎度ながら、竹馬の友に向けて何と言う言い草だろうか。俺はこんなにも親愛のこもった言葉を送っているというのに。
……だが、結局その罵り一つにすら今日は微塵も勢いが乗らない。昼休みを迎えた周囲のざわめきすら正直ちょっと鬱陶しく思えてくる。
それもその筈で、只今俺の身体は紛れも無く調子その他が絶賛出血大サービス中なのだから仕方がない。テンションは墜落スレスレの低空維持のアクロバット飛行中である。
長めの髪が伏せた視界を遮ってくれているのが、ただ唯一の救いで安らぎ。ちっとは手間をかけて手入れしている甲斐もあるというものだ。
ああもう気分は悪いし腹は痛いし胸はむかつくし、以前の俺だったらこんな状態だと認識した時点で嬉々として休むなり下校するなりしている筈なのだ。そしてしたい、今だって。
――これが、突発的な物だったら。
「それは勿論判りたくもないが……だがしかし、月の物で一々休むようでは出席日数どころの騒ぎじゃないだろう。割り切って過ごすより他にあるまいに……」
まるでそんな俺の気持ちを読んだかのように、『親友』もとい『恋人』は溜め息混じりで告げてくる。
――占拠した前の席の背に右肘を乗せ、左手を額に当てて一つ溜め息。だが視線は俺の後頭部から放さない。
目の前は机のドアップしかないというのに、今浮かべているであろうその表情は手に取るように見えた。
……それは確かにあまりに正論で、
だからこそ、少しだけムズムズと何かが昇ってくる。
重い身体を引き起こして顔を上げた。目の前には、先程木目の向こうに浮かんでいたのと寸分違わぬ姿。――普段と変わらないその態度が、何だか今はやけにムズムズする。
「……なんだよ、俺だって判りたくなかったさ。そうは言ったって仕方ないだろ、だって血ィ出るんだぞ血。しかもまあダラッダラダラダラ。俺は痔かっつーの。トイレの水が赤かったらテンパるっつーの。
なんじゃこりゃぁぁ!?
って叫びたくなるっつーの。これなら男の時の風邪の方がなんぼなんぞかマシだよ本当……後仮にも乙女の前で堂々と、『月』とか言うな。今から月禁止」
「それは失礼した。だが普段から『男として扱え』と言って聞かないのはお前だろう。全く気分でコロコロと態度と意見を変えおってからに……たまには振り回されるこっちの身にもなってくれてもいいと思わないか? 後、月という単語を総て封印というのはあまりに横暴だろう」
言いながら、またハァと一つ溜め息。コイツのいつもの癖。珍しくも何とも無いいつもの態度。
――なんなんだよ。
ムズムズが、モヤモヤへと変わりながら胸の奥に昇ってくる。まるで実際の下腹部の違和感が昇ってくるようで、胸のムカツキが増してくる。
――苦しくて、少し目を伏せる。前髪が視界にサラリと揺れて、その程度の事が癇に触る。
両手で制服のリボンの上から柔い胸を抑えるが、モヤモヤしたものは一向に腹の奥に帰らない。
――苦しい。
「…………るせーよ……マヌケ……」
「悪かったな、まぬ……おい、どうかしたか?」
そこまで言いかけて俺の様子がおかしい事に気付いたか、俺の顔を下から覗き込んでくる、 『アキラ』。僅かに表情に浮かんだ心配は、コイツの表情としてはかなりレアだろう。
……それは少し嬉しくて、同時に俺こそがコイツに普段とは違うような顔をさせているという事にほかならない。
『いつも』を乱して、なのに喜んでいる。……ダメだというのに。
刹那、苦しさが少し引いて苦笑いが漏れた。
「……ん、大丈夫、かな……」
――随分現金な乙女だこと。
そんな事を思いながら、俺は何とか胸の奥のムカツキを押し戻して、いつもの二人に戻ろうと――
――したのに。
「全く……それならお前らしく罵声の一つでもまともに上げろ。レパートリーが少ないぞ阿呆」
何の変哲もない、人を小馬鹿にしたような軽口。いつもの態度。
ブワリと、突然止める間も無くモヤが喉まで湧き上がってきて。
「――――ああ悪かったな阿呆でなあッ!」
――何故か、突然俺の両手が机を強打した。
そのままの勢いで立ち上がる。ヒリヒリする掌も、ズキリと響く腹の痛みも、喉元までくる吐き気も総てが忌々しくて、あまりに忌々しくて気にする余裕すらない。周囲の視線を集めた自覚もあるが、そんなもの意識の範疇にすらない。思考が出来ない。頭が熱い。
「な…………?」
予期せぬ出来事に、驚きすらせず呆然とコチラを見つめるアキラ。当然だ、コイツは何も悪くない。
なのに
「あーあーはいはい悪かったなこんな可愛らしさの欠片もない阿呆なクソ男女が彼女でわるぅございましたねぇ! 知らねーよバカ! お前なんか勝手に美人局に貢いでサラ金さんに追いかけられてろよ大マヌケェ!」
そこまで一気に捲し立てて鞄を手に取る。飛び出す。間三秒。反論の余地すら与えなかった。
……不条理な事を言ってるなー、とは思ってる。だが何故か口も足も止まらない。
人にぶつかりそうになるのも構わず廊下を駆ける。
訳もなく視界がぼやけて、走るのが辛い。
そんな状態でただひたすら、周囲の目も気にせず昇降口まで走って。
唐突に、猛烈な吐き気と腹痛が襲ってきた。
「……ッグ、つぅ、あ、は――――」
地面に頭からへたりこむのを、なんとか下駄箱を掴んで阻止する。……何故か、顔より服より、長くて黒い『アイツの好きな』髪を汚すのが酷く嫌で。
「……っふ、っぐ――ひっく、きもち、わるい……ハァッ、おなか、ッ、いた、い……ッ!」
ぼろぼろと、後から後から泣き言と涙が零れ出す。周囲に人気がないのは幸か不幸か。それすら判断がつかない。
……女々しい。
こうなるのが嫌だった。
こうだけはなりたくなかった。
こうだけはならないと心に決めていた。
――アイツの重荷に、なりたくなかった、のに。
最、悪だ。
「ハッ、ふ、ぁ、グッ……ひっく、もう、ッわかんねぇよ――っく、いたいよっ、ッグ……たす、けろよ――――」
――これは、言ってはいけないセリフ、なのに――
「――――ア、キ」
廊下を豪快に突っ走る音が届いたのは、その瞬間で。
「ッ……! 大丈夫かッ!? おい、しっかりしろこの阿呆!」
……こんな時にも律義に阿呆呼ばわりする声は、酷く俺を安心させた。
「はっきり言って俺はバカ兼トンマ兼マヌケだが、お前もまた救いようのない阿呆だな。それだけは譲れん。ついでに調子はもういいか」
「……うるせぇよ、バカ。ついでに調子はもう気にもならねーよ。そりゃまだ生理中だから完全に治まりはしないがな」
「そうか、良かった」
「バカか」
夕暮れに赤く染まった保健室は、どうにも妙な感じがして落ち着かない。元が白いせいなのか赤が強過ぎるようで、それが薬品の匂いと混ざってどうにも不可思議な感覚がしていけ好かない。……よく判らんな、うん。
少し硬いベッドに横になり、脇に座るアキラと会話を交わすだけの空間。保健の先生もいない。
それが何故かと問われると……まあそれが今寝ながら彼女の帰還を待っている理由にもなるのだが。
「大体いきなり全力疾走した挙句ナプキンがずれたのにも気付かんとは全く」
「だからやめれと。死なすぞ」
……つまりそういう事だ。
俺を見つけたアキラが初めにした事。それはお姫様抱っこ……などではなく。
『……取り敢えず、これで太股を拭くといい』
『……ふぇ?』
奇妙に視線を逸らしながら、ティッシュを渡す事だった。
「いや、しかし太股に一筋走る血の一滴というのも、何か奇妙なエロスを感じさせ」
「よっ」
取り敢えずみぞおちに蹴りを入れて黙らせる。
「グッ、ハァ…………血染めの、パン、つ」
「死ねぇこのクソマヌケッ!?」
……多くは語らない。もういやだ。
……そんな、バカなやり取りがしばらく続いた後。
「……なぁ」
「おう」
ふと、いつかのような、笑える程真摯なまなざしを向けてくるバカ。 まあ、予想はついている。
……もう、ダメなんだろう。
俺が答えるが早いか、いきなり深々と、ベッドに突っ込まんとばかりに頭を下げるバカ。
……まあ恋人ごっこもここまでかね。
――そうでなければ、コイツが謝る理由がないから。
やってはいけない事をしたのは、俺だから。
だから。
「スマン、本当に済まない」
「……何の事だバカ」
……そう、笑って、返して。
「……お前をしっかり女として、いや、大切な人として扱ってやれていなかった」
俺達は、こうして終わりを――
「……ハァ?」
……思わずポカンとバカの顔を見つめる。いや、正直予想の斜め上をいった。
「……どうした?」
俺のリアクションを不審に思ったのか、疑わしげな顔でコチラを見つめるバカ。……なんかこのほうが睫毛が長く見え――ではなく。
「いや、だって……へ、いいのか?」
「何がだ」
しどろもどろな俺に鋭く切り返してくるのはいじめっ子精神の表れなのか。目付きが心持ち鋭くなった気がするのは、きっと俺の気のせい。
「いや、だって……お前、ウザいだろ?」
「……何の話だ」
……どう見ても今、明らかに鋭くなった。――もしかして、コイツ。
「……いや、あの、だから、流石の俺もだいぶ女々しくウザくなったかなーと思いまして、ですね」
「つまり親友に戻ろうと言い出すと。……言いたい事はこれで合っているな?」
――気付いてやがる。
「…………うん」
「……ハァァァァァァァァァ…………」
途端、今まででも最大級の溜め息が飛び出した。
と、ギロリ、とこちらを睨む双眸が視線にぶつかる。
「……ぅ…………」
思わずたじろいだ。……だが何故睨まれる。理不尽だ。
そしてたじろぐ俺を見て満足したのか、更に一息つくと、
「『月』の縛りを解除しろ」
バカはまた意味の判らん事を言い出した。
遠慮なく不審げな目を注ぐと、バカは不本意だと言わんばかりに腕を組んで憮然とする。
「……ハァ?」
「月だ月、昼のアレ」
……ああ、そういやそんな事も言ったな。しかし何故今いきなり。そんなにセクハラがしたいのだろうか。イマイチ意図が掴めないが……まあいいか。
「まあ別に構わんが……」
「了解した。じゃあ言うぞ……」
そこまで言うと、いきなり胸を撫で下ろして深呼吸を始めるバカ。やはりよく判らん。
……なのに
突然ついと見上げた視線は下らない程真っ直ぐで――
「……月が、綺麗ですね」
――やっぱり、よく判らん。
アホー、とカラスが鳴いている。
「……出て無いぞ?」
仮にも夕暮れである。
「判っている。理解はされない事は判っている」
判っているらしい。
「つまり解説すると、お前に判りやすく詳しい解説は総て省いてこれはアイラブユーという意味だ」
「おかしくねーかその日本語」
……というか。
「……解説するなら意味ないだろ」
「……察しろ」
……何故か、告白された俺は素面で奴赤面というおかしな状況である。
……やっぱりテンパり型だなあ、コイツ。空回りもいいとこで、かっこつけようとして結局空回った挙句にこうやって窓の外とか見始めるタイプなのだ。見た目クール気取ったイケメンの癖に。
だから。
「おい」
「ん? どうし――」
振り向いた瞬間、首に手を回して引き寄せて。
「――――ンッ」
――出来るだけ判りやすく、マウストゥマウスで答えてやった。
「………………」
「……お前は一々屁理屈が多いんだよ、バカ。俺に以前問答無用でフレンチキスかましてくれた、あの根性はどうした」
ポカンとしたままの顔にイタズラっぽくウィンクを一つ。
やばい、ニヤニヤが止まらん。
「……しかしお前がテンパるおかげで、結局俺のペースが取り戻せるってのもなんだが妙な話だが。しかしアナタまあ見事に私にべた惚れじゃないかですよぅ。うわあ、ちょっと悩んだのがアホらしー、うふふふふふ――」
そして都合が良くなった途端、一気に回り始める俺の舌。まあ我ながら単純というか何と言うか。こんな事を言いながらも結局、夕焼けに頬を真っ赤に染めているのだこのタチの悪い美少女は。
「うわーはっずかしーはっずかしー……仕方ねぇなあ、お前みたいな恥ずかしい奴俺以外に誰がもらってやれるかって話だからなあ、まあ不本意――いやそんな事は微塵もないが、しょーがないから受けてやろうかなあ」
……強がりと判っちゃいるが、やめられないのが俺の性格なんでまあ仕方がない。
「……お前、な」
少し俯いて身体を戦慄かすアキラ。……それは良く見れば妙なのだが、浮かれている俺は気付かず答えようとして。
「おう、どうし――――」
――いきなり、肩を掴まれて引き寄せられた。
「――――ふぇ?」
「なあ、物はついでだ、一つ教えてやろう」
目の前には、紛うこと無きアキラの顔。そこには先程の動揺は微塵も残っていない――というか。
「フレンチキスというのは、こういう行為だ」
「ちょ、え、お前なんか目が据わって、まッ――――ンッ!?」
――『触れる』というよりは『奪う』と言った方が正しい勢いで、突然交わされる柔らかい唇の感触。
構える余裕も、閉じる余裕もなく、奪われた唇を蹂躙するように舌が入り込んでくる。
「ッ……ン、ンムゥッ!?」
突然の感触に、反射的に舌が、身体が逃げる。
もとい、逃げようとした。
「っふ――ンムッ、ハッ、あ――」
それを阻むように、肩の手が後頭部に回る。アキラの唇が唇を、舌が舌を追いすがる。
――気付けば、優しく壁に追い詰められていた。
「ッ、ァッ……ンッ、ッヤ――ッヤ、ァ」
くちゃりと、粘膜の立てる音が保健室に響く。
――逃げられない。
縮こまった舌を絡め取られ、撫でられ、力の抜けた所を吸われ。
一通り舌を嬲った後、上顎を、頬を、舌の裏を舌先でなぞり、潜り、口内を思うままに蹂躙していく舌。
下唇を、上唇を――柔らかく唇をハンでくる唇。
――壁に押し付けられていながら苦しくないのは、おそらく後ろに回された手が守っていてくれて。
「――ハァッ、ッン……ッぷぁ、もう、やめ――ンッグ、ッ、ン――――」
腕の力が弱まったと思えば、掌はそのまま移動して耳を抑える。
刹那、ぐちゃりと、生々しい水音がはっきりと耳の中に響き始める。
蹂躙の音。
「――――ッア、っふぁ、これ、やめ――ァ、ッン……!」
くちゃりと、這い回り、舌を絡め、甘い唾液を啜る音。
貪られて、いる。
頭の中に響いて、まるで総てが掻き回されているような。
――訳が判らない。
時折サラリと撫でられる髪の先まで、ゾクリと身体を直接愛撫されるような熱が走る。
脳の奥がひどく熱くて、まるで熔けているようで。
その熱が、脊髄を通り下へ。胸を焦がし、お腹に渦巻いて、どんどんと逃げ場をなくして溜まっていく。
――気付けば、最早追いすがっている。
逃がさないと舌を絡め取り、攻め込み、思うまま嬲り尽くして、尽くされて。
離れる頃には、最早思考能力など完全に熔け落ちていた。
唇を橋渡し、引いた銀の糸すら惜しくて、お互いに舐め取りながら唇が離れる。唇の端から溢れた唾液が顎をつたうが、そんなものを気にするような思考能力すら残っていない。
視線の先には、普段の理知的な光の消えた瞳でこちらを見つめるアキラの姿。
その呆とした表情に、積もりに積もったお腹の熱が、ドクンと疼く。
「ッ………………!?」
身体が、突然ビクリと跳ねる。
「――あつ、い…………」
衝動的に下腹部を抑えた。プリーツスカートの奥でトロリとした熱の渦が、行き場を求めて暴れている。
「ハッ、ァ――――」
――熱に浮かされた一対の瞳に映るのは、熱に浮かされたもう一対の瞳。
もう、ここが何処だとか、今はどういう状況だとか、そんな思考は疾うにトンでいて、
ただ、この熱の為にすべき事を知りたくて、
俺は、何の躊躇いもなく、
「――もっと、きてもいいよ――なあ……ア、キラ――――」
その言葉を、口に――
「はいただいまー♪ 下着買って――――」
……時が、凍り付いた。
「――――ゴメン、下着置いたらすぐ行くから用が済んだら職員室に呼びに来てくれると先生嬉しいなじゃあゴメンあそばせッ! 後生理中でも避妊はシテねッ!」
……そしてピシャンと、時を動かす音が響いた。
「変態鬼畜外道畜生悪魔淫魔強姦魔」
「折角ならいっそ六道総て追加してくれ、天狗は一種俺の憧れだ」
「知らねぇよバカ」
言葉を交わし――もとい、ひたすらに横を歩くバカザルを罵倒しながら帰る暗い夜道。
日も落ちて、夜闇に彩られている空には白く輝く満月が昇っていて、疲れ切った俺の心を癒してくれた。
……あの後、ハプニングのおかげでようやく正気に戻った俺は、
『折角赦しが出たのだ、さあ続きを』
などとほざくエロバカ魔人を瞬間的に叩き出して下着を代え、こうして何とか無傷で今に到る。……本当に間一髪で、保健の先生には感謝してもしきれない。今度粗品の一つでも持って行こうかと思う。
にも関わらず、
「……本当に、惜しかった……くぅ、もう少し急いでいればと思うと心底悔やんでも悔やみ切れん……」
「ああ、一度コンクリートオーシャンにダイブしてから東京湾に素潜りするといいと思うよ盛った動物は」
こんな事を心底残念そうにほざき続けるマヌケは、限り無く再起不能にした方が人類の為になるんじゃないかと切に思っていたりする訳だが。
……本当にまあこんな時に、生理と何の因果もない頭痛を抱えるとは思わなかった。
「大体な……冷静になって考えれば生理だぞ俺は。血だらけだぞ。俺は当然としてお前だってやる気は失せるだろうに……」
溜め息で頭痛を吐き出しながら、恨みがましくジト目で横行く男を睨む。だが結局シレッとした態度が変わる筈もなく、増えた頭痛で再び溜め息。
……いくらなんでも、好んで血だらけになりたがるバカは
「問題ない。俺の性癖の広さをあまりナメるなよ」
「胸はって自慢げに答えるんじゃねぇエロボケザルが」
……こんなところにはいるらしい。
そうして、いつもの分かれ道に辿り着く。
コイツは右に、俺は真っ直ぐ。
いつだって、ここで別れなかった記憶はほとんど無い。連れ立って遊びに行く時はともかく。
別れるのが、いつもの事。
「送らなくていいか?」
「俺を襲いたくなる奴なんてお前だけだバカ。送り狼の方がよっぽど危ないっての」
若干心配そうな声音に軽口を返す。……正直嫌な訳はないが、ただでさえ今日は迷惑をかけたのだ。これ以上依存したら、本当に俺はダメになる。
だと言うのに、
「阿呆、お前を見て欲情しない男がいるものか。いたらそいつは間違いなく不能だ」
「……何小っ恥ずかしい事言ってんだマヌケ」
「事実を指摘しただけだ」
「……バカか」
「バカで結構」
……足を止めて、そんな言葉を真顔で向けてくるバカに、思わずクラリと寄り掛かりそうになる。
――温もりを求めて近付こうとする足を、全力で引き戻した。サラリと髪をかき上げて一つ息をつき、出来るだけ自然に笑みを送る。
「……大丈夫だよ、大した距離じゃない。じゃな、また明日」
心が引きつるような感触を堪えながら、その一言だけを何とか言い捨てると、俺はそのままクルリと踵を返して――
「何を気にしているのかは判らんが、一つだけ言っておく」
――そのまま、グイと手を引き戻される。
……夜より黒い双眸が、まるで奥を見透かすように覗き込んできた。
「俺とお前は恋人だ」
「……ああ」
――瞳の奥に、心の内だけで語りかける。
どうしてお前はこうして、いつも俺を揺るがそうとする。
……だからこそこうして俺は頑張っているのに。いつまでも『恋人』でいられるよう頑張っているのに。
『親友』ではない、『恋人』として、隣りにずっといられるように――
なのに――なんで
「――だが恋人である以前に、俺はお前を俺の人生にして唯一無二、死ぬまでただ一人の心の友だと思っている事を忘れるな」
……言いながら浮かぶ僅かな微笑に、その答えを聞いた。
「……本当、か?」
「ああ、たとえ恋人として成り立たなくなろうが、俺以外の彼氏を作ろうが俺は絶対にお前から離れんからな。お前が嫌がろうがいつまでもストーカーしてやる。
……やはり前言撤回だ、彼氏など全力で潰してやる。想像するだけで不快極まりない。ましてやお前の純潔を他にやるなど吐き気がする。もっとも俺が襲う方がマシだとまでは言わんが」
「……駄々っ子かよ」
「みすみす指を咥えてお前を取られるのを見ているよりかマシだ。……嫌か?」
問うて不安げに揺れる瞳に、ただ安らぎを感じて――
――結局また、悪戯心が復活してしまった。
ついと踵を返すと、そのまま颯爽と髪を靡かせ歩き出す。
「あ…………」
残念そうな声を尻目に、更に5歩。
そこで、立ち尽くしたままのバカにクルリと振り返った。
「――――約束するよ。俺とお前は、いつまでも親友だ――」
口にして零れる笑みは、思わず出ただけの事。
「――ああ!」
答える声も、まあ馬鹿馬鹿しい程喜色を湛えていて。
「あーちなみに、俺も今日の月は綺麗だと思うぞキザ男。ちなみにお前に判りやすくこの言葉の意味を詳しい解説は総て放置して説明すると」
「ええい早く回れ右をして真っ直ぐおうちに帰れ阿呆!」
「うふふふふふ、どうかしたかい? お姉さんには君が何で怒鳴るのか判らないんだぜ鬼畜君?」
「……だからそれは済まないと何度も」
「まあお前なら、別に生理じゃなければいつ済ませてもいいけど」
「――さて、手帳は何処だったか。取り敢えず貴様の生理の期間をきっちりと調べておかねばな。終わり次第即日やるぞ」
「うわあ、猿だな最早」
――ただ白銀の満月だけが、どうにも締まらない二人を見下ろしていた。
最終更新:2008年09月06日 22:18