キングクリムゾンやエマーソン・レイク&パーマーでの活動が知られるベーシスト、ボーカル
1947年11月10日に生まれる。
少年期、母がギターを買い与え、ギター教室に通わせた。ギター教室には後にキングクリムゾンで共に活動するロバート・フリップも通っていた。
その後、バンド「ユニット・フォー」を皮切りに様々なバンドに参加。
1969年、ロバート・フリップにキングクリムゾン参加の誘いを受け、キングクリムゾンへ参加。ライブ活動を果て、アルバム「クリムゾンキングの宮殿」「ポセイドンのめざめ」を完成させる。
同年、キングクリムゾンに限界を感じた彼は、アメリカ公演中に知り合ったキース・エマーソンと意気投合、新バンド結成を計画する。
1970年、キングクリムゾン脱退、そしてキース・エマーソン、カール・パーマーとともにエマーソン・レイク&パーマーを結成。同年に開催された音楽祭「ワイト島フェスティバル」に出演。一気に人気バンドになった。その後も様々なライブ活動、アルバム発表を重ねる。
1980年にエマーソン・レイク&パーマーが解散。
その後はサポートとしてバンドに参加したりするも、基本はソロ活動に力を入れる。
2016年に癌により亡くなった。ご冥福をお祈りします。
機材
69年から70年代前半までのメインベース。60年代ではサンバースト、70年代にはブラックのものを使用した。ピックアップカバーは外し、ブリッジカバーのみを装着していることが特長。高音が目立つ音作りで、キングクリムゾンやエマーソン・レイク&パーマーのサウンドに彩りを与えた。
70年代後半のメインベース。高音がジャズベースより目立っていて、硬質なサウンド。
晩年のメインベース。ジャズベース型で、スタンダードな仕様。ゴールドカラーは非常に目立つ。しかし激太りした後の彼には少し似合わない印象がある。
チェリーサンバーストにブラックのピックガードという仕様。タルカスの戦場などで使用。
彼のメインアコースティックギター。ラッキーマン、展覧会の絵の賢人、石をとれのアコースティックギターパートなど多くの曲で使用された。
サウンド
基本はクリーンで高音を目立たせたサウンドであるが、ファズをかけたり、ワウペダルを使用することもあった。(ファズは「未開人」、ワウは展覧会の絵の「こびと」や「バーバ・ヤーガの呪い」などで聞くことが出来る。)
備考
- 若い頃はイケメンであったが、70年代後半から顔が丸くなっていき、晩年はアンパンマンと揶揄されるほど太ってしまった。
- またタバコの影響か、再結成以降では声が大きく変わってしまった。
- ゴーマンで性格が悪いことで有名だが、実際どうなのかは分からない。
- 「音楽以外の道に進むなら自殺しただろう」語るほど音楽に人生を捧げていた。
YouTubeリンク
キングクリムゾン時代 (1969年) 細イケメンだった頃の映像。この映像では彼とイアン・マクドナルドしか映していない。もうちょい他も映してあげて…
EL&P時代 (1973年) ノリノリでベースを弾くグレッグ。インスト曲であり、ベースも目立つことをしないこの曲では、ほぼキース・エマーソンのバックと化している
EL&P時代 (1997年) 上2つの動画をみてからこの動画をみると分かる彼の見た目と声の変わりよう…
最終更新:2024年04月07日 04:43