de-packaged (1)

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自ブログに転載)

 

 

文:tallyao

 

 


 1

 


 はてしないとさえ思われる静寂と闇に覆われ続けていたその空間に、唐突に、まるで不意に、光が差し込んだ。重い扉が音を立てて開き、その奥に、何年とも何十年ともつかない時をへだてて、日光が射し込み、外気が吹き込んだ。
 自動開閉装置の壊れて久しい倉庫の扉を、力ずくで、物理ボディの義体腕力だけで開けた鏡音リンは、入り口から扉ごしに頭を突っ込むようにし、中の埃にまみれた光景に、まず顔をしかめた。
 そして、リンと、その背後から初音ミクが、倉庫の床へと足を踏み入れ、特にあてもないような定まらない足取りで、棚や機器の合間をめぐった。
「おねぇちゃん」
 埃っぽい棚と、うずたかく積み重なった残骸(壊れたものばかりというわけでもないのだが、ほぼこう表現しても構わないだろう)の合間を見上げながら、リンが言った。
「え」ミクが振り向いた。
「見つかるの、こんなんで」
 ミクはしばらくの間、棚を見上げてから、
「マトリックスで物をさがすときは、手をかざせば、どんな物かは……周りの空気とかから、どんなファイルかはわかるでしょう」
「いや、そりゃ、マトリックスじゃそうだけどッ……」
 それは電脳空間(サイバースペース)の、電子ファイルの特性が知覚情報化・感覚化されたマトリックスの空間では、すぐれたウィザード(電脳技術者)らに必要とされる能力だが、無論、彼女らVOCALOIDのような、電脳空間を本来の居場所とするAIにとってもそうであり、リンも普段からそうしている。が、電脳空間ではなく、この物理空間(フィジックスペース)で、自分たちの物理ボディに持たされた感覚で、物理的な物体の何がわかるというのだろうか。
「ここでも、ものをさがすなら、同じことだと思うの……」
 そして、ミクはゆっくりと棚の一箇所に手をのばし、そこでわずかに手をとめただけで、無造作に──少なくともリンの目からは見る限りでは、そこから迷う様子もなく、ひどく無造作に──それを抜き出したように見えた。表面はほぼ完全に無地の、黒く艶のないパッケージだった。
 暗い倉庫の片隅に埃をかぶり、誰にも思い出されることない古びたそのパッケージの中には、往年のひとりの”詩人”の霊感と、そこから湧き出る音の粒とかけらが詰まっているというのだった。

 

 

 

 2体のVOCALOIDの物理ボディは、倉庫の外に出た。周りの土地は、豊かな緑の丘が多かったが、あまり手入れはされておらず、伸びるに任された草木も目立つ。周囲には他にも、ぽつぽつと同様の倉庫や、古く人気のない建物が見える。
 《札幌(サッポロ)》の郊外といっていい辺縁のこの土地は、旧時代のおわりごろまで、『テクノパーク』の地名で、ひいては通称で『北のシリコンバレー』などと呼ばれていた。まだ電脳とは呼ばれていなかった頃の電子機器、シリコン文明を開拓する数多くの研究や開発の勢力でひしめいていた。しかし今では、この土地や、ほとんど空になった建物や倉庫をまともに管理する者さえいない。企業らの遺産のうち、誰も引き取り手がなかったものを管理している機関は、中身をほぼ廃品扱いで勝手に持ってゆけ同然のことを告げるだけで、からっぽの倉庫でふたりの少女(少なくとも、その心と姿を持つもの)の行う捜索に、手をかす者もいなかった。
 ……そんな倉庫のうちのひとつに、かつてシンガーソングライターとして世に知られていた”詩人”がいるという話を、あるとき、ミクとリンらは聞いたのだった。ただし、それは生きてではなく、かなり昔に死んだその人物の精神を、メモリーに焼き付けたROM人格マトリックス、ファームウェア構造物としてである。
 その”詩人”の記憶情報の収録が、その倉庫のかつての持ち主、テクノパークに集っていたハイテク企業のひとつが、みずから行ったことだったにせよ、その企業はどこか別の場所から手に入れたにせよ、どちらにしても並大抵の費用で済むことではないはずで、シンガーソングライターの精神などという、技術企業には簡単には利益には結びつけられないそれを、しかもそれを自社で保存、管理しておくような余力すらも、当時はあったということになる。
 実のところ、詩人の記憶などというものが役に立つかは、それに触れる者によって大きな差があるだろう。だが、ボーカル・アーティストAIシステムであるVOCALOIDにとって──この世界にもたらす歌を、永劫にわたって探し続けるかれらの、さらには、そのかれらの中でも、その使命を自ら模索することにおいて特に未熟な少女である、ミクとリンのふたりにとって──往年の”詩人”の記憶、歌、感性、感情にふれることは、はかりしれない価値があることに違いない。自分の歌を、歌の届く世界を、大きく広げることができるに違いない。
「家に寄るの?」道を歩きながらリンが、となりを歩くミクに聞いた。
 メトロや高架鉄道ではここから最寄りの、新札幌(シンサッポロ)の駅の近くには、初音ミクの物理空間での”仮住居”のうちのひとつ、すなわち、物理ボディを眠らせて安置しておくのに使うマンションがある。
「ううん……」ミクは期待をこめているように、両手に抱えたバッグを見下ろしながら言った。「すぐに、起動してみましょう」
「んじゃ、西11条までもうまっすぐ行っちゃうか」リンはのびをするような仕草と共に言った。
 ふたりは新札幌のメトロの地下駅で、北海道銀行与信素子(ドウギン・クレッド・チップ)を改札口に走らせ、かれらの所属するプロダクションの本社に最寄の大通(オオドオリ)西11条の駅まで直通の、この駅から始発の東西線(トーザイ・ライン)に乗った。
 ここが始発駅のためまったく混んでいない東西線メトロの座席に並んで掛けながら、リンは、大事そうにバッグを抱え微笑んでいるミクを見た。そのバッグの中に、あのROM構造物のパッケージがある。まるで、"姉"ミクは、あの黒いパッケージが単に、いにしえの音と詩性が一杯に詰まった宝箱か何か、とでも感じているように見える。
 しかし一方、ミクに比べてリンは、その物体に対して無感動というよりも、どうも実感がわかない故の戸惑いがある。今、それを近くで見てはじめて思うことだが、またAIである自分が思うのもなんだが、生体素子(バイオチップ)基盤を保護するための樹脂製の小さなパッケージの中、収められたROM回路基盤に、かつて生きていた人間が詰まって入っていると思うと、何か不気味ではある。ROM人格構造物のことを不健全めいて、”邪悪な幽霊(ゴースト)の宿る箱”と呼ぶ者がいるというのも、もっともなことだった。リンはふたたびミクの手のバッグに目をやり、かすかな身震いと共に、目をそらした。

 


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