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「はあ。そういえば設楽さん、今日は早いですね?」
そういいつつ、さらなの手はかが美のシャンプーに伸びていた。
「トモのヤツにね、誘われたんですよ。たまには一緒にお風呂入らないかって。でも、トモは先に出てしまったので、こうして一人で早い時間のお風呂を満喫しているのです」
かが美が湯船の中で手足をいっぱいに広げて伸びをしている様子を、さらなは目を丸くして見ていた。
「設楽さんでもお風呂ではリラックスしてそういうことするんですね」
「それは、そうよ。お行儀よく真面目にって言うのも楽じゃないんですよ」
「そうですよね。あんまりストレスはためない方がいいですよ」
そう言ったきり、二人はしばらく黙っていた。さらなが体や髪を洗い終えて湯船に入ってくると、今度はかが美の方から声をかけた。
「なにか良いストレス解消法とかない?」
「ストレス解消法ですか……」
「た、例えば御影先生なんかはどうしてるのかしら?」
かが美はさりげなく聞いたつもりだったが、さらなは苦笑いを隠せなかった。
「姉さんですか? まぁ、ストレスは多そうですけどね……趣味も多い人だから」
さらなは一瞬真面目に考えたが、困ったように口元を引きつらせ、目線をそらした。
「趣味ですか。どんなのかしら。知らない? さらな」
「う。ま、まぁ。そうですね。例えばですね、姉さんは、編み物が好きなんですけど」
「ああ。ひとつの作業に集中することで却ってストレスを発散できるんですね」
一人合点するかが美を見て、さらなの苦笑は止まらなかった。
「違うんですよ。姉さんはですね、時折、ものすごく単調な物を丁寧に編むんです。で、それを編みあがった途端にすぐさまほどくんですね。すごくストレス解消になるんだそうです。ピーッて糸がほどけて行く感触と、ここまで編んだ苦労を自分の手で無にするのがたまらないって言ってました。私なんかは見たことないんですけど。姉さん、糸をほどいていくとき、なんだかすごく冷たい笑顔を見せるらしいんですよ。鳳先生が結構怖い光景だと言ってました」
「う、うそ?」
「あ、やっぱり、設楽さんには刺激が強かったかな?」
一瞬、かが美は絶句したが、さらなの困ったような声を聞いてすぐに立ち直った。その脳裏には、保健室での光景がよぎっていた。
「だ、大丈夫よ。イメージとは違ったけど。そうよ、御影先生だって、私のイメージと違う面があって当然です」
「無理してませんか? 顔、引きつってますよ」
お湯の表面に映ったかが美の顔は、確かに何かを必死で飲み込もうとしているように見えた。
「他には、ないのかしら」
「ほかですか? え、えーとですね。そうだなぁ。たしか、かわいいお洋服とかも好きみたいなんですけどねぇ……」
さらなは言ってからしまったという顔をした。
「そうなの。御影先生って普段からお着物ばかりのように思えるけど」
そんなさらなの様子に気付かず、かが美は普通に疑問を呈した。
「いや、なんていうか、着るんじゃなくて、デザインを見るのが好きと言うか。あ、でも、紗月姉さんって記憶力いいじゃないですか? かなりの知識を持ってるみたいですから、生半可な気持ちで行ってついていけないと、かえってがっかりされると思いますよ」
さらなは紗月の着せ替え趣味について触れてはいけないものだと判断し、必死でごまかした。
「そ、そうですか。残念です。私も記憶力には自信がありますが……」
「そういえば、トリーは大丈夫みたいで、姉さんの部屋によく遊びに行ってるみたいですけどねぇ」
「え? トリー・コーウェン。御影先生のお部屋に上がるなんて。いつの間に……」
かが美の表情がみるみるうちに険しくなっていった。嫉妬の炎で燃え上がった瞳で一点を睨み、体の震えが湯面を細かく波立たせるほどだった。
「どうしました、し、設楽先輩?」
「は! な、なんでもないのよ」
恐る恐るさらなが声をかけると、かが美はいつもの表情に戻った。
「しかし、トリーのやつ、少し懲らしめてやらなくちゃ……あ、そうだわ!」
なにやら小声でブツブツとつぶやいていたかが美が突然大声を上げた。
「わっぷ。やっぱり変ですよ、設楽さん」
「あ、あら、ごめんなさい。ところで、さらな」
「はい?」
「話は変わるんだけど、もう少しおつきあい願える?」
かが美が食堂に出ると、トリーが食堂に備え付けられた電子レンジで冷えた食事を暖めているところだった。
「こんばんは、トリー。一人でお夕食?」
かが美が声をかけると、トリーはレンジから食事を取り出しながら振り返った。
「グッドイーブニング、設楽先輩。お風呂デスカ?」
「そうよ。気持ち良かったわ。あなたもたまには早い時間に入ったら? やっぱり寒くなる前の方がいいわよ」
トリーはいつも深夜や早朝等、誰にも見つからない時間にこっそりと入浴していた。それもシャワーをさっと浴びるなどして手短に済ますため、更衣室ですれ違った人間はいても、誰も入浴している場面に遭遇していなかった。無論、その理由はかぐら女子寮内の誰も知らない。
「サンキュ。でもお気遣いいらないデスヨ。異文化コミュニケィションっちゅーやつデス」
「微妙に古いですね。ところでトリー、この間の土曜日は二週間に一度の大掃除の日だったけど、姿が見えませんでしたね。どうしたの?」
「オゥ、ソーリィ。その日は留学生の集会で出られませんデシタ」
トリーは表情一つ変えずに、おかずの野菜炒めを口に運んでいた。
「それでは仕方ないですね。でも、結構早い時間に終わったようですね? 戻ってきてくれればよかったのに」
「そんなことはないデスヨ。代表サンの挨拶が長くてイヤにナリマスヨ」
トリーはここでスプーンを止め、かが美の方を見た。表情には余裕が見られた
「いえね、まだ掃除が終わっていない時間に、街中であなたを見かけたという話を聞いたんですよ」
「そんなことアリマセン。誰が言ってるんデスカ?」
「相月おーみですけど。生徒会長の」
その名前を聞いて、初めてトリーの表情が青ざめた。
「リ、リアリィ? 設楽先輩」
「ええ。嘘を言っても仕方ないでしょ?」
「しょ、証拠でもあるんデスカ?」
狼狽し始めたトリーに、かが美は携帯電話の画面を見せた。それを見て、トリーはスプーンをテーブルの上に落とした。そこにはトリーがブティックに入っていく姿が映されていた。
「ノー! このフォトグラフはフェイク、ニセモノデス!」
トリーは立ち上がって反論したが、かが美はまったく動じずに答えた。
「そうですか? 相月は性格は悪いですが、こういう嘘はつきませんよ。むしろ、真実をネタにして喜ぶ方が好きですから。だいたい、このお店のセール、たしかこの日でしたよね?」
「し、設楽先輩。ヘルプミー。さらなには黙っていてくだサイ。プリーズ!」
泣き出さんばかりの勢いで手を合わせるトリーに、かが美はにっこりと微笑みながら携帯を閉じ、突き放すように言った。
「残念ですね。もうこれはさらなに報告済みです。弁明なら寮長にしなさいね」
「オゥマイゴッド……」
そのとき、かが美の背後の扉が開き、風呂上りのさらなが現れた。
「トリー、いいところで会ったわね」
「フォーギブミー、ボス……」
首を振りながらへなへなと座り込むトリーを見て、さらなは怒りを押し殺すように引きつった笑顔を見せた。
「トリー、先週のお掃除のことでちょっと話があるんだけど、あとで寮長室に来なさい」
「ノー! 出来心というヤツデス!」
「話は寮長室で聞くから。罰当番はささなと話し合ってから決定!」
かが美は人差し指で眼鏡を直すと、さらなとトリーを残して食堂を後にした。その手は小さくガッツポーズを作っていた。
(おしまい)
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