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*一場靖弘
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-&italic(){彼の潜在能力に夢を見た人は数知れず…今でもロマンを見ている。}
-1982年7月5日生まれ 群馬県吾妻郡出身 右投右打
-在籍時の背番号は「11(05'-08')」
**楽天時代
-2004年、イーグルス最初のドラフト自由枠で獲得。
-大学時代はMAX154km/h、シーズン107奪三振、完全試合達成など、大いに期待を持たれた逸材だった。
-だがそれゆえ激しい争奪戦が繰り広げられ、巨人・横浜・阪神から&del(){裏金}栄養費を受け取っていた事実が発覚。&br()なお広島も金銭を渡していたが交通費(2000円)のみであったらしい。
-前々から悪しき慣例として、プロアマ間での札束攻勢の「噂」はあったが、この一件で初めて表沙汰に。&br()ちょうど同時期の球界再編問題と合わせ、プロ野球チームの経営のどんぶり勘定さを世間に知らしめる出来事となった。
-大学の野球部監督と一場自身は退部、また3球団のオーナーもそれぞれ辞任している。
-問題の重要性、発覚したのがドラフト会議直前という時期もあり、全チームからそっぽを向かれてしまう。
-失意のどん底で、一時はNPB断念を考えるほどだったが、恋人の懸命な支えもあってモチベーションを取り戻す。&br()手を取り合って苦境を乗り越えた二人はのちに結婚。イイハナシダナー
-タイミングよく?新規参入し、しがらみもなかった楽天に即戦力として望まれ、晴れてプロ入り。
-投手層の薄いチームで一年目から先発ローテ入りを果たす。&br()2006年には開幕投手をつとめたこともある。
-が……。
-多彩な球種と平均して140km/h前半から150km/hの速球を持つが、コントロールが悪く球数は多め。&br()しかし溢れるスタミナでものともせず、西口(猫)の完全試合を阻止する9回178球無失点をやってのけたこともあった。
-大学時代の経歴を見れば分かるとおり、素材はまさに一級品。&br()コントロールがもうちょっと良くなり、メンタルがもうちょっと強ければすごいピッチャーになる。たぶん。
-ただ、そんな投手は一場らしくないというのが住民の見解。
-メンタルと並び、フォームがぶれぶれなのが最大の課題とされる。
--[[ジャーマン>山崎武司]]いわく、「毎試合ごとに投球フォームが変わる」とか。
--春季キャンプで[[ヨシコーチ>佐藤義則]]がつきっきりでフォームを矯正したが、翌日には&bold(){元に戻っていた}という。
-2009年、本拠地で初のOP戦が開催されるという日、燕・[[宮出隆自]]との1対1でトレードが発表される。
-この日、スレは悲嘆の声で満ちあふれた。ダメな子ほど可愛いのである。
-大学時代に輝いた神宮でのマウンドでなら……!と期待をかけて見送られた。
-また当時の燕監督は明治大学の大先輩、高田総統。&br()燕に行ったほうが可愛がってもらえる、という[[野村監督>野村克也]]の親心もあったようだ。
-15勝28敗という通算成績を残して楽天を去る。
**ヤクルト時代
-そして現在の拠点は神宮ではなく戸田(ヤクルト二軍本拠地)である。背番号は「43」。
-移籍後、一軍での初登板は4月11日の横浜戦。5回を被安打4、奪三振4、与四死球5の無失点。
--勝利投手にもなっており、まずまずの成績に見える。
--だが、実はこの日一番頑張ったのは一場ではなくサード宮本慎也。&br()打球がサードへ飛んでゲッツーという結果がとても多かったのである。
-ヒーローインタビューでは「四球は持ち味です」「ピンチを作って自分で抑えるのは昔からです」などと発言。&br()……少しは反省してほしいものである。
--「四球は持ち味です」という言葉はやくせん内でも流行したらしい。
-結局、移籍して最初の年は1勝5敗防御率7.88と期待&del(){通りの}を裏切る結果に。&br()一方の宮出は(ry
-移籍2年目は精神修練のために滝行をおこなって臨む。
-龍にちなんだ「ドラゴン・シュート」、滝からヒントを得た「ザ・フォール」などを開発。&br()など、ということは他にもあったのか?
-だが高田監督が辞任したこともあってか、結局1試合も1軍で投げることのないままシーズンを終えた。
-解雇リストに名前が載ってしまうという危機もあったらしい。
-そんな一場を救ったのは、なんとノムさん。「一場を辞めさせないでほしい」とヤクルトに頭を下げにいったという。&br()ノムさんの気持ちを無駄にしないよう、がんばれ一場。
-フェニックスリーグでは、山部コーチからリリーフ転向をほのめかされた。
--ただ、スワローズには抑えの林昌勇はじめ、安定した右腕リリーフが揃っている。
--先発も実力ある選手が並び、正直一場の割って入る隙があまりない……。
-キャンプで広岡達郎からフォームの指導を受けたり、小川監督も中継ぎとして期待する旨を語ったり…。&br()なんやかんやでヤクルトの人たちもロマンを感じているようだ。
-2011年、キャンプ中おこなわれた紅白戦で、出戻ったBIGさんにすないぽ。
-開幕こそ不調だったが、中継ぎに抑えにと働き好成績を残す。(&bold(){戸田で})。
-熾烈なセの優勝争いの中、チームに故障者続出したためなんと一場も9月22日に一軍昇格。
--接戦が続き、しばらくは登板機会がなかったが、9月28日の最初の登板では好リリーフ。
--なお次の試合では(ry
-このまま不振ならヤクルトから戦力外になる可能性は大。&br()また[[星野監督>星野仙一]]も明大出身ということで、楽天復帰もひそかに噂されている。
-なんだかんだ言いつつ、一場が好きなわしせん民はまだまだ多いのである。
-ロマンと呼ばれる由来は、楽天戦で解説(西崎か阿波野か村上あたり)が「一場にはロマンを感じる」と言ったため。
-本人も「野球とはロマン」と言っている。
-そのロマンに魅入られたファンと、熱烈なアンチとに、彼への評価は二分される。
*一場靖弘
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-&italic(){彼の潜在能力に夢を見た人は数知れず…今でもロマンを見ている。}
-1982年7月5日生まれ 群馬県吾妻郡出身 右投右打
-在籍時の背番号は「11(05'-08')」
**楽天時代
-2004年、イーグルス最初のドラフト自由枠で獲得。
-大学時代はMAX154km/h、シーズン107奪三振、完全試合達成など、大いに期待を持たれた逸材だった。
-だがそれゆえ激しい争奪戦が繰り広げられ、巨人・横浜・阪神から&del(){裏金}栄養費を受け取っていた事実が発覚。&br()なお広島も金銭を渡していたが交通費(2000円)のみであったらしい。
-前々から悪しき慣例として、プロアマ間での札束攻勢の「噂」はあったが、この一件で初めて表沙汰に。&br()ちょうど同時期の球界再編問題と合わせ、プロ野球チームの経営のどんぶり勘定さを世間に知らしめる出来事となった。
-大学の野球部監督と一場自身は退部、また3球団のオーナーもそれぞれ辞任している。
-問題の重要性、発覚したのがドラフト会議直前という時期もあり、全チームからそっぽを向かれてしまう。
-失意のどん底で、一時はNPB断念を考えるほどだったが、恋人の懸命な支えもあってモチベーションを取り戻す。&br()手を取り合って苦境を乗り越えた二人はのちに結婚。イイハナシダナー
-タイミングよく?新規参入し、しがらみもなかった楽天に即戦力として望まれ、晴れてプロ入り。
-投手層の薄いチームで一年目から先発ローテ入りを果たす。&br()2006年には開幕投手をつとめたこともある。
-が……。
-多彩な球種と平均して140km/h前半から150km/hの速球を持つが、コントロールが悪く球数は多め。&br()しかし溢れるスタミナでものともせず、西口(猫)の完全試合を阻止する9回178球無失点をやってのけたこともあった。
-大学時代の経歴を見れば分かるとおり、素材はまさに一級品。&br()コントロールがもうちょっと良くなり、メンタルがもうちょっと強ければすごいピッチャーになる。たぶん。
-ただ、そんな投手は一場らしくないというのが住民の見解。
-メンタルと並び、フォームがぶれぶれなのが最大の課題とされる。
--[[ジャーマン>山崎武司]]いわく、「毎試合ごとに投球フォームが変わる」とか。
--春季キャンプで[[ヨシコーチ>佐藤義則]]がつきっきりでフォームを矯正したが、翌日には&bold(){元に戻っていた}という。
-2009年、本拠地で初のOP戦が開催されるという日、燕・[[宮出隆自]]との1対1でトレードが発表される。
-この日、スレは悲嘆の声で満ちあふれた。ダメな子ほど可愛いのである。
-大学時代に輝いた神宮でのマウンドでなら……!と期待をかけて見送られた。
-また当時の燕監督は明治大学の大先輩、高田総統。&br()燕に行ったほうが可愛がってもらえる、という[[野村監督>野村克也]]の親心もあったようだ。
-15勝28敗という通算成績を残して楽天を去る。
**ヤクルト時代
-そして現在の拠点は神宮ではなく戸田(ヤクルト二軍本拠地)である。背番号は「43」。
-移籍後、一軍での初登板は4月11日の横浜戦。5回を被安打4、奪三振4、与四死球5の無失点。
--勝利投手にもなっており、まずまずの成績に見える。
--だが、実はこの日一番頑張ったのは一場ではなくサード宮本慎也。&br()打球がサードへ飛んでゲッツーという結果がとても多かったのである。
-ヒーローインタビューでは「四球は持ち味です」「ピンチを作って自分で抑えるのは昔からです」などと発言。&br()……少しは反省してほしいものである。
--「四球は持ち味です」という言葉はやくせん内でも流行したらしい。
-結局、移籍して最初の年は1勝5敗防御率7.88と期待&del(){通りの}を裏切る結果に。&br()一方の宮出は(ry
-移籍2年目は精神修練のために滝行をおこなって臨む。
-龍にちなんだ「ドラゴン・シュート」、滝からヒントを得た「ザ・フォール」などを開発。&br()など、ということは他にもあったのか?
-だが高田監督が辞任したこともあってか、結局1試合も1軍で投げることのないままシーズンを終えた。
-解雇リストに名前が載ってしまうという危機もあったらしい。
-そんな一場を救ったのは、なんとノムさん。「一場を辞めさせないでほしい」とヤクルトに頭を下げにいったという。&br()ノムさんの気持ちを無駄にしないよう、がんばれ一場。
-フェニックスリーグでは、山部コーチからリリーフ転向をほのめかされた。
--ただ、スワローズには抑えの林昌勇はじめ、安定した右腕リリーフが揃っている。
--先発も実力ある選手が並び、正直一場の割って入る隙があまりない……。
-キャンプで名将・広岡達郎氏からフォームの指導を受けたり、小川監督も中継ぎとして期待する旨を語ったり…。&br()なんやかんやでヤクルトの人たちもロマンを感じているようだ。
-2011年、キャンプ中おこなわれた紅白戦で、出戻ったBIGさんにすないぽ。
-開幕こそ不調だったが、中継ぎに抑えにと働き好成績を残す。(&bold(){戸田で})。
-熾烈なセの優勝争いの中、チームに故障者続出したためなんと一場も9月22日に一軍昇格。
--接戦が続き、しばらくは登板機会がなかったが、9月28日の最初の登板では好リリーフ。
--なお次の試合では(ry
-このまま不振ならヤクルトから戦力外になる可能性は大。&br()また[[星野監督>星野仙一]]も明大出身ということで、楽天復帰もひそかに噂されている。
-なんだかんだ言いつつ、一場が好きなわしせん民はまだまだ多いのである。
-2012年、一部からヤ戦病院と呼ばれるほど離脱者が多かったにも関わらず、一軍昇格なし。&br()戦力外になってしまう…。
-ロマンと呼ばれる由来は、楽天戦で解説(西崎か阿波野か村上あたり)が「一場にはロマンを感じる」と言ったため。
-本人も「野球とはロマン」と言っている。
-そのロマンに魅入られたファンと、熱烈なアンチとに、彼への評価は二分される。