「一場靖弘」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

一場靖弘」(2012/10/01 (月) 21:48:02) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*一場靖弘 ---- -&italic(){彼の潜在能力に夢を見た人は数知れず…今でもロマンを見ている。} -1982年7月5日生まれ 群馬県吾妻郡出身 右投右打 -在籍時の背番号は「11(05'-08')」 **楽天時代 -2004年、イーグルス最初のドラフト自由枠で獲得。 -大学時代はMAX154km/h、シーズン107奪三振、完全試合達成など、大いに期待を持たれた逸材だった。 -だがそれゆえ激しい争奪戦が繰り広げられ、巨人・横浜・阪神から&del(){裏金}栄養費を受け取っていた事実が発覚。&br()なお広島も金銭を渡していたが交通費(2000円)のみであったらしい。 -前々から悪しき慣例として、プロアマ間での札束攻勢の「噂」はあったが、この一件で初めて表沙汰に。&br()ちょうど同時期の球界再編問題と合わせ、プロ野球チームの経営のどんぶり勘定さを世間に知らしめる出来事となった。 -大学の野球部監督と一場自身は退部、また3球団のオーナーもそれぞれ辞任している。 -問題の重要性、発覚したのがドラフト会議直前という時期もあり、全チームからそっぽを向かれてしまう。 -失意のどん底で、一時はNPB断念を考えるほどだったが、恋人の懸命な支えもあってモチベーションを取り戻す。&br()手を取り合って苦境を乗り越えた二人はのちに結婚。イイハナシダナー -タイミングよく?新規参入し、しがらみもなかった楽天に即戦力として望まれ、晴れてプロ入り。 -投手層の薄いチームで一年目から先発ローテ入りを果たす。&br()2006年には開幕投手をつとめたこともある。 -が……。 -多彩な球種と平均して140km/h前半から150km/hの速球を持つが、コントロールが悪く球数は多め。&br()しかし溢れるスタミナでものともせず、西口(猫)の完全試合を阻止する9回178球無失点をやってのけたこともあった。 -大学時代の経歴を見れば分かるとおり、素材はまさに一級品。&br()コントロールがもうちょっと良くなり、メンタルがもうちょっと強ければすごいピッチャーになる。たぶん。 -ただ、そんな投手は一場らしくないというのが住民の見解。 -メンタルと並び、フォームがぶれぶれなのが最大の課題とされる。 --[[ジャーマン>山崎武司]]いわく、「毎試合ごとに投球フォームが変わる」とか。 --春季キャンプで[[ヨシコーチ>佐藤義則]]がつきっきりでフォームを矯正したが、翌日には&bold(){元に戻っていた}という。 -2009年、本拠地で初のOP戦が開催されるという日、燕・[[宮出隆自]]との1対1でトレードが発表される。 -この日、スレは悲嘆の声で満ちあふれた。ダメな子ほど可愛いのである。 -大学時代に輝いた神宮でのマウンドでなら……!と期待をかけて見送られた。 -また当時の燕監督は明治大学の大先輩、高田総統。&br()燕に行ったほうが可愛がってもらえる、という[[野村監督>野村克也]]の親心もあったようだ。 -15勝28敗という通算成績を残して楽天を去る。 **ヤクルト時代 -そして現在の拠点は神宮ではなく戸田(ヤクルト二軍本拠地)である。背番号は「43」。 -移籍後、一軍での初登板は4月11日の横浜戦。5回を被安打4、奪三振4、与四死球5の無失点。 --勝利投手にもなっており、まずまずの成績に見える。 --だが、実はこの日一番頑張ったのは一場ではなくサード宮本慎也。&br()打球がサードへ飛んでゲッツーという結果がとても多かったのである。 -ヒーローインタビューでは「四球は持ち味です」「ピンチを作って自分で抑えるのは昔からです」などと発言。&br()……少しは反省してほしいものである。 --「四球は持ち味です」という言葉はやくせん内でも流行したらしい。 -結局、移籍して最初の年は1勝5敗防御率7.88と期待&del(){通りの}を裏切る結果に。&br()一方の宮出は(ry -移籍2年目は精神修練のために滝行をおこなって臨む。 -龍にちなんだ「ドラゴン・シュート」、滝からヒントを得た「ザ・フォール」などを開発。&br()など、ということは他にもあったのか? -だが高田監督が辞任したこともあってか、結局1試合も1軍で投げることのないままシーズンを終えた。 -解雇リストに名前が載ってしまうという危機もあったらしい。 -そんな一場を救ったのは、なんとノムさん。「一場を辞めさせないでほしい」とヤクルトに頭を下げにいったという。&br()ノムさんの気持ちを無駄にしないよう、がんばれ一場。 -フェニックスリーグでは、山部コーチからリリーフ転向をほのめかされた。 --ただ、スワローズには抑えの林昌勇はじめ、安定した右腕リリーフが揃っている。 --先発も実力ある選手が並び、正直一場の割って入る隙があまりない……。 -キャンプで広岡達郎からフォームの指導を受けたり、小川監督も中継ぎとして期待する旨を語ったり…。&br()なんやかんやでヤクルトの人たちもロマンを感じているようだ。 -2011年、キャンプ中おこなわれた紅白戦で、出戻ったBIGさんにすないぽ。 -開幕こそ不調だったが、中継ぎに抑えにと働き好成績を残す。(&bold(){戸田で})。 -熾烈なセの優勝争いの中、チームに故障者続出したためなんと一場も9月22日に一軍昇格。 --接戦が続き、しばらくは登板機会がなかったが、9月28日の最初の登板では好リリーフ。 --なお次の試合では(ry -このまま不振ならヤクルトから戦力外になる可能性は大。&br()また[[星野監督>星野仙一]]も明大出身ということで、楽天復帰もひそかに噂されている。 -なんだかんだ言いつつ、一場が好きなわしせん民はまだまだ多いのである。 -ロマンと呼ばれる由来は、楽天戦で解説(西崎か阿波野か村上あたり)が「一場にはロマンを感じる」と言ったため。 -本人も「野球とはロマン」と言っている。 -そのロマンに魅入られたファンと、熱烈なアンチとに、彼への評価は二分される。
*一場靖弘 ---- -&italic(){彼の潜在能力に夢を見た人は数知れず…今でもロマンを見ている。} -1982年7月5日生まれ 群馬県吾妻郡出身 右投右打 -在籍時の背番号は「11(05'-08')」 **楽天時代 -2004年、イーグルス最初のドラフト自由枠で獲得。 -大学時代はMAX154km/h、シーズン107奪三振、完全試合達成など、大いに期待を持たれた逸材だった。 -だがそれゆえ激しい争奪戦が繰り広げられ、巨人・横浜・阪神から&del(){裏金}栄養費を受け取っていた事実が発覚。&br()なお広島も金銭を渡していたが交通費(2000円)のみであったらしい。 -前々から悪しき慣例として、プロアマ間での札束攻勢の「噂」はあったが、この一件で初めて表沙汰に。&br()ちょうど同時期の球界再編問題と合わせ、プロ野球チームの経営のどんぶり勘定さを世間に知らしめる出来事となった。 -大学の野球部監督と一場自身は退部、また3球団のオーナーもそれぞれ辞任している。 -問題の重要性、発覚したのがドラフト会議直前という時期もあり、全チームからそっぽを向かれてしまう。 -失意のどん底で、一時はNPB断念を考えるほどだったが、恋人の懸命な支えもあってモチベーションを取り戻す。&br()手を取り合って苦境を乗り越えた二人はのちに結婚。イイハナシダナー -タイミングよく?新規参入し、しがらみもなかった楽天に即戦力として望まれ、晴れてプロ入り。 -投手層の薄いチームで一年目から先発ローテ入りを果たす。&br()2006年には開幕投手をつとめたこともある。 -が……。 -多彩な球種と平均して140km/h前半から150km/hの速球を持つが、コントロールが悪く球数は多め。&br()しかし溢れるスタミナでものともせず、西口(猫)の完全試合を阻止する9回178球無失点をやってのけたこともあった。 -大学時代の経歴を見れば分かるとおり、素材はまさに一級品。&br()コントロールがもうちょっと良くなり、メンタルがもうちょっと強ければすごいピッチャーになる。たぶん。 -ただ、そんな投手は一場らしくないというのが住民の見解。 -メンタルと並び、フォームがぶれぶれなのが最大の課題とされる。 --[[ジャーマン>山崎武司]]いわく、「毎試合ごとに投球フォームが変わる」とか。 --春季キャンプで[[ヨシコーチ>佐藤義則]]がつきっきりでフォームを矯正したが、翌日には&bold(){元に戻っていた}という。 -2009年、本拠地で初のOP戦が開催されるという日、燕・[[宮出隆自]]との1対1でトレードが発表される。 -この日、スレは悲嘆の声で満ちあふれた。ダメな子ほど可愛いのである。 -大学時代に輝いた神宮でのマウンドでなら……!と期待をかけて見送られた。 -また当時の燕監督は明治大学の大先輩、高田総統。&br()燕に行ったほうが可愛がってもらえる、という[[野村監督>野村克也]]の親心もあったようだ。 -15勝28敗という通算成績を残して楽天を去る。 **ヤクルト時代 -そして現在の拠点は神宮ではなく戸田(ヤクルト二軍本拠地)である。背番号は「43」。 -移籍後、一軍での初登板は4月11日の横浜戦。5回を被安打4、奪三振4、与四死球5の無失点。 --勝利投手にもなっており、まずまずの成績に見える。 --だが、実はこの日一番頑張ったのは一場ではなくサード宮本慎也。&br()打球がサードへ飛んでゲッツーという結果がとても多かったのである。 -ヒーローインタビューでは「四球は持ち味です」「ピンチを作って自分で抑えるのは昔からです」などと発言。&br()……少しは反省してほしいものである。 --「四球は持ち味です」という言葉はやくせん内でも流行したらしい。 -結局、移籍して最初の年は1勝5敗防御率7.88と期待&del(){通りの}を裏切る結果に。&br()一方の宮出は(ry -移籍2年目は精神修練のために滝行をおこなって臨む。 -龍にちなんだ「ドラゴン・シュート」、滝からヒントを得た「ザ・フォール」などを開発。&br()など、ということは他にもあったのか? -だが高田監督が辞任したこともあってか、結局1試合も1軍で投げることのないままシーズンを終えた。 -解雇リストに名前が載ってしまうという危機もあったらしい。 -そんな一場を救ったのは、なんとノムさん。「一場を辞めさせないでほしい」とヤクルトに頭を下げにいったという。&br()ノムさんの気持ちを無駄にしないよう、がんばれ一場。 -フェニックスリーグでは、山部コーチからリリーフ転向をほのめかされた。 --ただ、スワローズには抑えの林昌勇はじめ、安定した右腕リリーフが揃っている。 --先発も実力ある選手が並び、正直一場の割って入る隙があまりない……。 -キャンプで名将・広岡達郎氏からフォームの指導を受けたり、小川監督も中継ぎとして期待する旨を語ったり…。&br()なんやかんやでヤクルトの人たちもロマンを感じているようだ。 -2011年、キャンプ中おこなわれた紅白戦で、出戻ったBIGさんにすないぽ。 -開幕こそ不調だったが、中継ぎに抑えにと働き好成績を残す。(&bold(){戸田で})。 -熾烈なセの優勝争いの中、チームに故障者続出したためなんと一場も9月22日に一軍昇格。 --接戦が続き、しばらくは登板機会がなかったが、9月28日の最初の登板では好リリーフ。 --なお次の試合では(ry -このまま不振ならヤクルトから戦力外になる可能性は大。&br()また[[星野監督>星野仙一]]も明大出身ということで、楽天復帰もひそかに噂されている。 -なんだかんだ言いつつ、一場が好きなわしせん民はまだまだ多いのである。 -2012年、一部からヤ戦病院と呼ばれるほど離脱者が多かったにも関わらず、一軍昇格なし。&br()戦力外になってしまう…。 -ロマンと呼ばれる由来は、楽天戦で解説(西崎か阿波野か村上あたり)が「一場にはロマンを感じる」と言ったため。 -本人も「野球とはロマン」と言っている。 -そのロマンに魅入られたファンと、熱烈なアンチとに、彼への評価は二分される。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: