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*#18 田中将大 ---- -1988年11月1日生 兵庫県伊丹市出身 右投右打 -通称マー君。マー、マーさん、まさお。「マーくん」では鴎のマスコットになるので注意。 -最近では、あまりに頼りになるので君付けでは恐れ多くなってきている。 -好きな言葉は「気持ち」。グローブは黄色。好きなおにぎりの具は明太子。 -野球を始めたときのポジションは捕手。&br()小学校の同級生だった坂本(現巨)とは同じ少年野球チームで、バッテリーを組んでいたことも。 -中学から投手を兼ねるようになり、高校進学後監督はしばらく投手・捕手どちらに専念させるか迷ったという。&br()投手一本に決めたのは、一年秋の神宮大会、田中を見た他校の監督の言葉がきっかけだとか。 -そして二年生ながら主戦投手となり、駒大苫小牧は夏の甲子園2連覇を果たす。 -夏3連覇のかかった2006年大会決勝、駒苫と早稲田実業は2日間にわたる球史に残る熱戦を繰り広げる。&br()わけても田中と斎藤佑樹(現公)との投げ合いは世間の注目を浴びた。 -世代最強エースの名をほしいままにし、[[2006年の高校生ドラフト>2006年ドラフト]]では5球団から1巡目指名を受ける。&br()抽選の結果、[[神の手]]を持つ男・島田社長が交渉権を獲得し、入団。 -本人の実力もさることながら、チーム事情もあり一年目から先発ローテ入り。&br()初登板は鷹打線に1回2/3で6失点とボコボコにされてプロの洗礼にさらされるが、11勝7敗で新人王に輝く。 -なお、この年は[[オールスター]]にもファン投票で選ばれた。しかし2回6失点とやっぱりボコボコに(ry -その後は[[おじいちゃん>野村克也]]の寵愛を受けつつ、若きエースとして順調に成長。 -援護運がとても強く、「マー君、神の子、不思議な子(byノムさん)」と呼ばれた。 --[[山崎武司]]「マー(田中)が投げる試合は何故かホームランがよく出る」 --[[高須洋介]]「マーが投げる試合は、打線がなんとかしようという雰囲気になる」 --と選手からも言われる。 -2009年、チームがリーグ2位と躍進し初の地元開催となったCS1stステージ2戦目に登板。 -みごと完投勝利を収めた瞬間、まさに阿修羅と化して雄叫びを上げた。&br()&ref(20091017-00000056-jijp-spo-view-000.jpg) -だがしかし楽天銀行の援護貯金は残高が少なかったのか、[[ムエンゴ]]に悩まされることも。&br()リードを守って降板しても後ろの[[袖達]]に勝ちを消される事態が多発。&br()かといって3失点以内に押さえて完投しても負け投手。どうしろと。 -2011年キャンプ、朝の声だしで「[[岩隈>岩隈久志]]さんから開幕投手の座を奪い、沢村賞を目指します!」と宣言。&br()弟分から、チームを支える柱となる自覚が芽生えている模様。 -キャンプ中に[[星野監督>星野仙一]]から開幕日の書かれたボールを受け取り、開幕投手の指名を受けていた。&br()しかし[[震災>東北地方太平洋沖地震]]の影響で開幕がズレたこともあり、岩隈にその座を譲る。 -楽天のホーム開幕試合が甲子園球場で行われたため、そこに当てるという監督の計らいもあるが。 -この年、8月27日にNPB記録2位となる1試合18奪三振を記録するなどこれまでで最高の成績をあげる。&br()19勝(リーグ最多タイ)、防御率1.27(リーグ最高)、奪三振241(ダルについで2位)で宣言通り沢村賞に輝いた。 -2012年は腰痛などで戦線を離脱することが多かったため登板機会が大きく減ったが、それでもシーズン終盤に4連勝して10勝の大台に乗せた。 --この終盤の連勝がどこまで続くのか、このとき知っていたものなど誰もいなかっただろう... -2013年シーズンはWBCの影響もあり開幕投手を新人の則本昂大に譲った。 --4,5月は好投して袖達に勝ちを消されたりもあったが、援護は多く被安打15でも負けが付かないという幸運もあった。 --これ以降は安定して勝ち星を重ねていく。連勝記録において数々のプロ野球新記録を立てたほか、5カ月連続の月間MVPに選出されるなど別次元の成績を次々と叩き出した。 --最終成績は&bold(){24勝0敗1S、防御率1.27、QS率1.00}。2012年シーズンからの連勝を28とし、2回目の沢村賞を受賞した。 --なお、1Sは優勝が決まった試合で救援登板したため。CSでも2ndステージ4戦目で救援登板し日本シリーズへの切符を手にした。 --まさに「神様仏様田中様」である。 -巨人との日本シリーズでは、第2戦に先発し9回3安打1失点の完投勝利を挙げる。 --が、3勝2敗で迎えた勝てば日本一となる第6戦で今季ワーストとなる4失点でまさかの負け投手に。 --翌日の第7戦、前の日に9回160球を投げているのにも関わらずブルペン入り。[[美馬>美馬学]]、[[則本>則本昂大]]の後を受け9回に登板し胴上げ投手となった。 --[[わし>星野仙一]]によればまさおが志願したとのこと。まさおのシーズンだったから最後も投げさせたと語った。 -つまり、リーグ優勝・CS突破・日本一の瞬間は&bold(){全てマウンドにいた}。しかもリリーフで。 -投げてる時は鬼の形相、試合が終われば人懐っこい犬の笑顔。良くも悪くもわりと顔に出やすいタイプ。 -江夏豊以来の記録となる、入団から5年連続で100奪三振を達成する本格派。変化球のキレと気合いで抑える。 -[[嶋基宏]]いわく、得点圏にランナーを置くと目に見えてギアチェンジし、より凄い球を投げてくるという。 -主な球種は直球、スライダー、フォーク(SFF)、シュート。 --高校時代からスライダーはプロでも通用すると言われ、特に高速縦スラはフォークと変わらない落ち方をする。 --課題だった直球は、ダルビッシュの教えでものにした。&br()2011年6月25日、西武ドームで167km/hを記録したほどである。&del(){(スピードガンの誤作動ry} --また非常に器用で、変化球の習得も早い。&br()スライダーに代わる新たな決め球としているSFFは、「週ベ」の記事でファルケンボーグの握りを見て会得。 --[[ヨシコーチ>佐藤義則]]から「ヨシボール(高速カーブ)」を伝授され、話題になったがあまり投げていない。&br()しかし2013WBCにてG阿部から緩急についてアドバイスされ、カーブを用いることも増えてきた。 -ルーキーイヤーはリーグ最多の与四死球(68)を記録したが、年を追うごとにコントロールは改善されている。&br()ソフトバンクの野手陣から番組の企画にて「年々パワーアップしている」という証言も。 -バッティングもそこそこ上手いようで、2011年ファン感謝デーにて[[ジャマさん>山崎武司]]や多村や松中、新井、おかわりを凡退させた&br()KATTUNの亀梨からヒットを放つ(GOING!とのコラボ企画) -ダルビッシュ有を兄貴分と慕っており、ダルのtwitterやヒロインでもよく名前が出てくる。 --ASなどでよく一緒に映っているが、特に2011年は3日間ずーっと2人で行動を共にしていた。&br()「できてんのか」「これは里田が嫉妬するレベル」と実況板でレスがつく。 -甲子園、2008年の北京五輪、2009・2013年WBCと、年は若いが大舞台での経験が多い。 -最初の代表入りの際はチーム最年少で、弟のように可愛がられているダルはじめ、メンバーにいじられまくっていた。 --藤川球児(当時T)が「お前は“マー君”っていうより“まさお”って顔だよな!」と発言。&br()まさお爆誕の瞬間である。 --第2回WBCのシャンパンファイト、メンバーが次々胴上げされた最後に「まさお」コールで輪の中へ。&br()が、皆から笑顔で蹴りを入れられる(なお、L涌井は真顔だったらしい)。&br()松坂大輔には「若い芽は早いうちに潰しておかないと」と言われ、「あ~ショックだ~!」と叫ぶ。 --さらに、ダルが「(帰路のフライトが長いので)ゲームしたり、音楽聞いたり、寝ているまさおに新聞投げたり、機内食食べたり、&br()寝ているまさおにスリッパなげたり。色々しながら過ごしてましたp(^^)q」とブログに書く。ヒドス -弟キャラかと思いきや、プライベートではやんちゃでジャイアンな面があるらしい。&br()-仲良しであるが一応年上の[[永井怜]]や[[長谷部康平]]にも物怖じせず、[[草野大輔]]にもいたずらを仕掛ける。 -英語を社内公用語とする楽天本社の納会に参加した際には、自己紹介でギブアップ。やっぱり高卒はイカンのか。 -「ガキ使」年末スペシャルに2009・2010年連続で出演。&br()2010年は紅白にもゲスト出演していたので、テレビの前で驚く住民も多かった。 --2011年も出演すると思われたが、紅白の審査員を含めた裏番組2つに出演していたためか、出演はなかった。 --余談だが台湾では「ガキ使」が人気で、真偽不明ながら向こうではまさおは芸人だと思われていたらしい。&br()そのため、2013WBCの台湾戦で登板した際「野球選手だったの!?」と驚かれたとかなかったとか。 -里田まいとの熱愛が発覚したが、公表までチームメートに一切悟らせなかった。一年あまりの交際を経て2012年3月に入籍。 -その少し前からAKBファンであることが報じられ、総選挙でもガチの順位予想を東スポに寄せるほどだったが…。&br()ちなみに推しメンは高橋みなみ。 -さらに、自身もドルオタである里田の影響で、ももいろクローバーZのファンになる。&br()2013年の登場曲をももクロにし、自身の練習用グラブはクローバーの刺繍入りのももクロカラー。&br()当然応援グッズにももクロカラーのタオルが出る。選手プロデュースなので趣味なのは間違いない。 --2013年9月3日、ももクロが始球式でKスタを訪れたことでついに念願のご対面。 --斎藤和巳らが持つ開幕からの16連勝や稲尾和久らの記録を抜く21連勝を達成した時ですらヒロインでは冷静だったが&br()この時ばかりは&bold(){「今日を楽しみにシーズンを過ごしてきた。」}と大感激。 --2013年シーズン優勝決定後のビールかけにおいてニコ生のコメントを拾う。「ももクロに一言」に対して「ありがとうございます」と返した。 -交流戦で名古屋へ遠征した際、栄のSKE劇場、しかも研究生(野球で言えば育成選手)の公演を観に行く。&br()関係者席ではなく一般席だったことから自腹かと思われる。 -SKE48の松井玲奈をフォローするか悩んだり、結局照れながらフォローしたりと言動が完全にドルヲタのそれである。&br()本人も有名人であるため、その後松井玲奈からリフォロー&リプライをもらい、舞い上がる。 -AKBからSKEに鞍替えしたかのようだが、AKBファンからは好意的に受け止められているらしい。
*#18 田中将大 ---- -1988年11月1日生 兵庫県伊丹市出身 右投右打 -通称マー君。マー、マーさん、まさお。「マーくん」では鴎のマスコットになるので注意。 -最近では、あまりに頼りになるので君付けでは恐れ多くなってきている。 -好きな言葉は「気持ち」。グローブは黄色。好きなおにぎりの具は明太子。 -野球を始めたときのポジションは捕手。&br()小学校の同級生だった坂本(現巨)とは同じ少年野球チームで、バッテリーを組んでいたことも。 -中学から投手を兼ねるようになり、高校進学後監督はしばらく投手・捕手どちらに専念させるか迷ったという。&br()投手一本に決めたのは、一年秋の神宮大会、田中を見た他校の監督の言葉がきっかけだとか。 -そして二年生ながら主戦投手となり、駒大苫小牧は夏の甲子園2連覇を果たす。 -夏3連覇のかかった2006年大会決勝、駒苫と早稲田実業は2日間にわたる球史に残る熱戦を繰り広げる。&br()わけても田中と斎藤佑樹(現公)との投げ合いは世間の注目を浴びた。 -世代最強エースの名をほしいままにし、[[2006年の高校生ドラフト>2006年ドラフト]]では5球団から1巡目指名を受ける。&br()抽選の結果、[[神の手]]を持つ男・島田社長が交渉権を獲得し、入団。 -本人の実力もさることながら、チーム事情もあり一年目から先発ローテ入り。&br()初登板は鷹打線に1回2/3で6失点とボコボコにされてプロの洗礼にさらされるが、11勝7敗で新人王に輝く。 -なお、この年は[[オールスター]]にもファン投票で選ばれた。しかし2回6失点とやっぱりボコボコに(ry -その後は[[おじいちゃん>野村克也]]の寵愛を受けつつ、若きエースとして順調に成長。 -援護運がとても強く、「マー君、神の子、不思議な子(byノムさん)」と呼ばれた。 --[[山崎武司]]「マー(田中)が投げる試合は何故かホームランがよく出る」 --[[高須洋介]]「マーが投げる試合は、打線がなんとかしようという雰囲気になる」 --と選手からも言われる。 -2009年、チームがリーグ2位と躍進し初の地元開催となったCS1stステージ2戦目に登板。 -みごと完投勝利を収めた瞬間、まさに阿修羅と化して雄叫びを上げた。&br()&ref(20091017-00000056-jijp-spo-view-000.jpg) -だがしかし楽天銀行の援護貯金は残高が少なかったのか、[[ムエンゴ]]に悩まされることも。&br()リードを守って降板しても後ろの[[袖達]]に勝ちを消される事態が多発。&br()かといって3失点以内に押さえて完投しても負け投手。どうしろと。 -2011年キャンプ、朝の声だしで「[[岩隈>岩隈久志]]さんから開幕投手の座を奪い、沢村賞を目指します!」と宣言。&br()弟分から、チームを支える柱となる自覚が芽生えている模様。 -キャンプ中に[[星野監督>星野仙一]]から開幕日の書かれたボールを受け取り、開幕投手の指名を受けていた。&br()しかし[[震災>東北地方太平洋沖地震]]の影響で開幕がズレたこともあり、岩隈にその座を譲る。 -楽天のホーム開幕試合が甲子園球場で行われたため、そこに当てるという監督の計らいもあるが。 -この年、8月27日にNPB記録2位となる1試合18奪三振を記録するなどこれまでで最高の成績をあげる。&br()19勝(リーグ最多タイ)、防御率1.27(リーグ最高)、奪三振241(ダルについで2位)で宣言通り沢村賞に輝いた。 -2012年は腰痛などで戦線を離脱することが多かったため登板機会が大きく減ったが、それでもシーズン終盤に4連勝して10勝の大台に乗せた。 --この終盤の連勝がどこまで続くのか、このとき知っていたものなど誰もいなかっただろう... -2013年シーズンはWBCの影響もあり開幕投手を新人の則本昂大に譲った。 --4,5月は好投して袖達に勝ちを消されたりもあったが、援護は多く被安打15でも負けが付かないという幸運もあった。 --これ以降は安定して勝ち星を重ねていく。連勝記録において数々のプロ野球新記録を立てたほか、5カ月連続の月間MVPに選出されるなど別次元の成績を次々と叩き出した。 --最終成績は&bold(){24勝0敗1S、防御率1.27、QS率1.00}。2012年シーズンからの連勝を28とし、2回目の沢村賞を受賞した。 --なお、1Sは優勝が決まった試合で救援登板したため。CSでも2ndステージ4戦目で救援登板し日本シリーズへの切符を手にした。 --まさに「神様仏様田中様」である。 -巨人との日本シリーズでは、第2戦に先発し9回3安打1失点の完投勝利を挙げる。 --が、3勝2敗で迎えた勝てば日本一となる第6戦で今季ワーストとなる4失点でまさかの負け投手に。 --翌日の第7戦、前の日に9回160球を投げているのにも関わらずブルペン入り。[[美馬>美馬学]]、[[則本>則本昂大]]の後を受け9回に登板し胴上げ投手となった。 --[[わし>星野仙一]]によればまさおが志願したとのこと。まさおのシーズンだったから最後も投げさせたと語った。 -つまり、リーグ優勝・CS突破・日本一の瞬間は&bold(){全てマウンドにいた}。しかもリリーフで。 -投げてる時は鬼の形相、試合が終われば人懐っこい犬の笑顔。良くも悪くもわりと顔に出やすいタイプ。 -江夏豊以来の記録となる、入団から5年連続で100奪三振を達成する本格派。変化球のキレと気合いで抑える。 -[[嶋基宏]]いわく、得点圏にランナーを置くと目に見えてギアチェンジし、より凄い球を投げてくるという。 -主な球種は直球、スライダー、フォーク(SFF)、シュート。 --高校時代からスライダーはプロでも通用すると言われ、特に高速縦スラはフォークと変わらない落ち方をする。 --課題だった直球は、ダルビッシュの教えでものにした。&br()2011年6月25日、西武ドームで167km/hを記録したほどである。&del(){(スピードガンの誤作動ry} --また非常に器用で、変化球の習得も早い。&br()スライダーに代わる新たな決め球としているSFFは、「週ベ」の記事でファルケンボーグの握りを見て会得。 --[[ヨシコーチ>佐藤義則]]から「ヨシボール(高速カーブ)」を伝授され、話題になったがあまり投げていない。&br()しかし2013WBCにてG阿部から緩急についてアドバイスされ、カーブを用いることも増えてきた。 -ルーキーイヤーはリーグ最多の与四死球(68)を記録したが、年を追うごとにコントロールは改善されている。&br()ソフトバンクの野手陣から番組の企画にて「年々パワーアップしている」という証言も。 -バッティングもそこそこ上手いようで、2011年ファン感謝デーにて[[ジャマさん>山崎武司]]や多村や松中、新井、おかわりを凡退させた&br()KATTUNの亀梨からヒットを放つ(GOING!とのコラボ企画) -ダルビッシュ有を兄貴分と慕っており、ダルのtwitterやヒロインでもよく名前が出てくる。 --ASなどでよく一緒に映っているが、特に2011年は3日間ずーっと2人で行動を共にしていた。&br()「できてんのか」「これは里田が嫉妬するレベル」と実況板でレスがつく。 -甲子園、2008年の北京五輪、2009・2013年WBCと、年は若いが大舞台での経験が多い。 -最初の代表入りの際はチーム最年少で、弟のように可愛がられているダルはじめ、メンバーにいじられまくっていた。 --藤川球児(当時T)が「お前は“マー君”っていうより“まさお”って顔だよな!」と発言。&br()まさお爆誕の瞬間である。 --第2回WBCのシャンパンファイト、メンバーが次々胴上げされた最後に「まさお」コールで輪の中へ。&br()が、皆から笑顔で蹴りを入れられる(なお、L涌井は真顔だったらしい)。&br()松坂大輔には「若い芽は早いうちに潰しておかないと」と言われ、「あ~ショックだ~!」と叫ぶ。 --さらに、ダルが「(帰路のフライトが長いので)ゲームしたり、音楽聞いたり、寝ているまさおに新聞投げたり、機内食食べたり、&br()寝ているまさおにスリッパなげたり。色々しながら過ごしてましたp(^^)q」とブログに書く。ヒドス -弟キャラかと思いきや、プライベートではやんちゃでジャイアンな面があるらしい。&br()-仲良しであるが一応年上の[[永井怜]]や[[長谷部康平]]にも物怖じせず、[[草野大輔]]にもいたずらを仕掛ける。 -英語を社内公用語とする楽天本社の納会に参加した際には、自己紹介でギブアップ。やっぱり高卒はイカンのか。 --日本一となった2013年に行った本社への優勝報告会では自身を「神です」と紹介。 -「ガキ使」年末スペシャルに2009・2010年連続で出演。&br()2010年は紅白にもゲスト出演していたので、テレビの前で驚く住民も多かった。 --2011年も出演すると思われたが、紅白の審査員を含めた裏番組2つに出演していたためか、出演はなかった。 --余談だが台湾では「ガキ使」が人気で、真偽不明ながら向こうではまさおは芸人だと思われていたらしい。&br()そのため、2013WBCの台湾戦で登板した際「野球選手だったの!?」と驚かれたとかなかったとか。 -里田まいとの熱愛が発覚したが、公表までチームメートに一切悟らせなかった。一年あまりの交際を経て2012年3月に入籍。 -その少し前からAKBファンであることが報じられ、総選挙でもガチの順位予想を東スポに寄せるほどだったが…。&br()ちなみに推しメンは高橋みなみ。 -さらに、自身もドルオタである里田の影響で、ももいろクローバーZのファンになる。&br()2013年の登場曲をももクロにし、自身の練習用グラブはクローバーの刺繍入りのももクロカラー。&br()当然応援グッズにももクロカラーのタオルが出る。選手プロデュースなので趣味なのは間違いない。 --2013年9月3日、ももクロが始球式でKスタを訪れたことでついに念願のご対面。 --斎藤和巳らが持つ開幕からの16連勝や稲尾和久らの記録を抜く21連勝を達成した時ですらヒロインでは冷静だったが&br()この時ばかりは&bold(){「今日を楽しみにシーズンを過ごしてきた。」}と大感激。 --2013年シーズン優勝決定後のビールかけにおいてニコ生のコメントを拾う。「ももクロに一言」に対して「ありがとうございます」と返した。 -交流戦で名古屋へ遠征した際、栄のSKE劇場、しかも研究生(野球で言えば育成選手)の公演を観に行く。&br()関係者席ではなく一般席だったことから自腹かと思われる。 -SKE48の松井玲奈をフォローするか悩んだり、結局照れながらフォローしたりと言動が完全にドルヲタのそれである。&br()本人も有名人であるため、その後松井玲奈からリフォロー&リプライをもらい、舞い上がる。 -AKBからSKEに鞍替えしたかのようだが、AKBファンからは好意的に受け止められているらしい。

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