#7 松井稼頭央


  • 本名は松井和夫。
  • 1975年10月23日生まれ 大阪府出身 右投両打

  • 走・攻・守、三拍子揃ったどころか、走塁・巧打・長打・強肩・好守と5ツール揃ったプレーヤー。
  • 現役時代のこさっちとはどちらが守備が上か、昔から議論されている。
  • 90年代のパ・リーグを代表する遊撃手。
  • 全試合出場していた西武時代とは異なり、MLB時代からスペ気味の傾向がある。
  • 2009年に名球会入り。楽天に在籍した選手での名球会員は初となる。
    ちなみに、コーチを含めると、駒田徳広が初。

  • PL学園時代は投手で、1993年にドラフト3位で西武ライオンズに入団。
  • プロ入り後内野手に転向し、またスイッチヒッターとなった。3年目には石毛からショートのレギュラーの座を奪う。
  • 西武時代、3年連続で盗塁王に輝いているが、特に1997年は62の盗塁をあげている。初めて3割を打ったのもこの年。
    その翌年、こさっちと熾烈な盗塁王争いを繰り広げている。
    最終的には双方43盗塁でタイトルを分け合ったが、故意ボーク疑惑まで起こったほどだった。
  • 当時のパ・リーグでは、2人の盗塁王&ゴールデングラブ賞争いが見ものだった。
  • 鉄平はオールスターに初出場した際、記憶に残るASとして1997年にカズオが成功させた1試合4盗塁をあげている。
    今でもオールスター記録として残っている。また、4つすべての盗塁を古田敦也から決めた事も有名。

  • 2004年、FA権を行使しMLB挑戦。ニューヨーク・メッツが獲得した。
  • そして開幕戦にて、メジャー史上初の開幕戦・新人・初打席・初球HRを打つ。
    デビューこそ鮮烈だったが、その後は守備・打撃共に大不振に陥り、怪我も繰り返すように。
  • その後は、コロラド・ロッキーズ(2006-2007)、ヒューストン・アストロズ(2008-2010)でプレー。
    ロッキーズ時代にはワールドシリーズ進出に貢献した。
  • 2010年はさっぱり打てず、5月20日にはアストロズから自由契約公示された。
    ロッキーズとマイナー契約を結んだが、結局メジャー昇格はかなわず、3Aでシーズンを終える。
  • 日本復帰を決め、檻などとの争奪戦の末、11月楽天へ入団することが決まった。
  • そしてその直後、渡辺直人が金銭トレードで横浜へ移籍。
    一部ファンが松井叩きに走るなど、スレはもちろんネット上で大騒ぎに。
    もちろん、カズオは悪くない。

  • 楽天入団時の背番号「32」はプロ入りしたとき最初に背負った番号。
    この番号はこれまで、前田忠節沖原佳典、こさっちがつけている。即戦力遊撃手専用になりつつある。
  • 入団の翌年、退団したジャーマンの跡を継ぐ形で背番号を「7」に変更。これも西武時代に背負っていた番号である。
  • キャンプでも、さすがというシャープな動きを見せ、OP戦や練習試合でもコンスタントに安打を記録。
    解説者からも「衰えの幅が少ない」の言葉が出た(ただし発言は広澤克己)
  • メジャーでは二塁手だったが、遊撃手に「復帰」した。ただ、二塁を守ることもある。
  • 4月15日、甲子園でのホーム開幕戦では初回先頭打者アーチをかけ、スレは大いに湧いた。
  • 年齢による衰えもあるのか、「元メジャー」の肩書きを考えると打率や守備も今ひとつ。
    しかしチームトップの決勝打・両リーグを通じてトップである34本の二塁打を放っている。
  • 定期的にスタメンを外し、休養を取らせる起用法になってからプレーも安定。
    疲労がたまりやすいのは、しかたのないことか。
  • 夏に強いらしく、8月になると急速に打ち出す。本人も日本の夏が好きらしい。
    2011年8月には、月間MVPも受賞。
  • 打順があまり安定しない。1,2番はもちろん、3,5番を打つことも。
    でも1番の起用が一番安定していると思われる。
  • 7月26日に日本通算1500安打史上最速達成記録を達成。やっぱりそこらへんは超一流選手と言えよう。
  • 7月2日の試合で、抜けそうなあたりを好守で抑え、まさおの勝利に貢献されたことが称えられ、
    ジョージア魂賞も受賞。
  • スペ体質という評判はなんだったのか、結局、怪我での欠場はなく、シーズンを通して1軍に帯同。
    星野監督も、そのプロ意識を評価した。
  • 大活躍してもお立ち台にはめったに上がらず、他の選手に譲ることが多い。
    人柄は控えめ、やらかしで落ち込む選手がいたらそっとフォローするなど、人望はうなぎのぼり。ただしソースは東(ry
  • とくにおっさんと仲が良いらしく、HR時に「ワッショイワッショイ」のパフォーマンスをしたり、
    伊志嶺をいじったり、おっさんと一緒にの散髪をしたりとチームにも馴染んでいる。
  • 1月の自主トレは美馬と一緒にトレーニング。住民は「異様なコンビだな」という声が相次ぐ。

  • 2012年キャンプでは、不振の鉄平にかわって人生初のキャプテンに就任。
  • しかしキャプテンの呪いなのだろうか、腰痛が酷くなり、開幕1軍を逃す。
  • 6・7月に16試合連続安打を記録するも、怪我や目まいの影響で8月にはかなりの不振となってしまい打線のブレーキに。しかし9・10月には復調。
    • パ1位だった二塁打や打点は減少したものの、打率やOPSは昨年を上回り、サヨナラを3回決めた。ちなみにHRは9本で前年と変わらず。
    • また守備の面でも西武時代とは一味違った流れるようなプレーがよく見られるようになった。
  • キャプテンとしてチームを最後までAクラス争いに導き、バーンも流行らせた。

  • 2013年はWBC日本代表に選出されるも出番は少なく、準決勝のプエルトリコ戦では9回2アウトに代打で出場して凡退、最後の打者となってしまった。
  • シーズンでは常に満身創痍の状態ながら一度も登録抹消されることはなかった。
    交流戦までは聖澤が3番に定着していたことで1番を務めていたが銀次の3番定着で自身は下位打順で定着。
    • この年は遊撃手部門でファン投票・選手間投票共に1位となり10年ぶりにオールスター出場を果たした。
    • 打率は.248と日本復帰後最低の数字に終わったが本塁打は2003年以来久々に2桁をマークした。
      その一方で盗塁数は大きく落ち込みわずかに1という結果だった。(ただし足の速さが衰えたわけではなく故障防止の為だろう)
  • MLB移籍前は日本シリーズに3度出場したが意外にも日本一の経験が無かった。その為今回の楽天での日本一がキャリア初の日本一となった。

  • 2014年、西田を次の遊撃手として育てるため三塁やレフトを守る。打率.291と活躍を続けている。

  • 2015年、本格的に外野手転向。主にライトを守り、チーム内日本人HR王、盗塁王、打点王。

  • 怒らせるとめちゃくちゃ怖いらしい。
  • 筋肉質な体の持ち主。選手プロデュースTシャツでも、その無駄のないきれいな筋肉が描かれている。
    • 2013年の優勝の際のビールかけでタンクトップ姿でその肉体美を披露した。
  • ちなみに、佐竹と同じ誕生日。

  • プロデュースメニューとしてフィリーチーズステーキサンド(アメリカ名物)を出した。
    アメリカらしく非常に食べ応えがあるのでぜひ一度お試しあれ。

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最終更新:2015年10月09日 09:59