どうしてか……ここ最近、ずっと気分が悪い。
 レナから綿流しという言葉を聞いたときに、何かがちくりと胸の奥を刺した。
綿流しが近付くにつれて、何かが胸の中で育ってきた。
 今目の前で起きていることが、聞いていることが……感じているすべてが、もやの掛かった……夢のように、何かが隔てられているように虚ろな気がする。
 楽しいのに……こんなにもみんなと一緒にいて楽しいのに、楽しいと感じているはずなのに、どうしてこんな気分になるのだろう。
 そうだよ。……昨日だって、あんなにも楽しく綿流しのお祭りを楽しんだじゃないか。
 けれど、心の底からはしゃぎ回っている自分を、冷ややかに自分が見下ろしている。
 しかもその自分はいつまで経っても俺から離れようとしない。いつも俺の後ろをぺたぺたと……。
 大石という刑事に――富竹さんが死んで鷹野さんが行方不明になった――と聞かされたときでさえ、どこか他人事のような……予定されていたような、そんな気がしてしまった。

 不意に、背後から俺の肩が叩かれる。
「うわあああああああぁぁぁぁっ!!」
 ひぐらしのなく夕暮れの中、俺の叫び声が雛見沢に響く。
「きゃあっ!」
 俺の背後から、若い女の人の悲鳴が聞こえた。
 慌てて振り返ると、そこには目を丸くした知恵先生が立っていた。心なしか髪の毛も逆立っていたかもしれない。
「あ……すみません。突然、大声出してしまって……」
 恥ずかしさで耳まで血が昇るのが自分でも分かる。
「いえ、先生の方こそすみません。……脅かすつもりはなかったんですけど……」
 そう言って、本当にすまなさそうに知恵先生は頭を下げた。
「あっ……いえ、そんな……」
 慌てて俺は視線を反らした。
 何故なら、先生の瞳があんまりにも真っ直ぐで……真摯で、綺麗だったから。
 だからつい、どきりとしてしまった。
 今まで先生だから、そういう目で見たこと無かったけど、やっぱり知恵先生だって若い女の人だ。しかも、そういう意味で言ったら、レナや魅音に比べて遙かに女性として成熟している。
 結構……美人なんだな。いや、可愛いっていう方が合ってるのか? こんな田舎にいるのはもったいない気がする。
 一瞬、状況を忘れてそんなことを考えてしまった。
「でも前原君? もうだいぶ日も暮れかけていますよ? こんな時間に、こんな ところで一人で何をしていたんですか?」
 古手神社の片隅……雛見沢を一望出来る場所で、俺はずっと柵にもたれかかっていた。
 確かに、言われてみるまで気付かなかったけれど、いつのまにか日も沈んでいた。あとしばらくもすれば真っ暗になってしまうに違いない。
「いえ。……なんでもないんです。神社でみんなと遊んでいたんですけど、別れてからちょっと考え事していたら……、つい」
「随分と深く考え事をしていたみたいですね。何を考えていたんです? 恋ですか?」
「ちょっ……、全然違いますよ。そんなんじゃないです。まあ、自分でも何を考えていたのかよく分かんないですけど。なんとなく、胸の中のもやもやが消えなかっただけですから」
「そうなんですか。……まあ、そういうときってありますよね。でも、そろそろ帰らないといけませんよ? 御両親だって心配します。何なら、先生が送っていってあげましょうか?」
「いえ、大丈夫です。今日はうちの親父達、東京に行って留守ですから」
 俺が笑ってそう言うと…………しかし、知恵先生はむぅと眉根を寄せた。
「それは本当に大丈夫なんですか? 今日のお夕飯はどうするんです? お店だってもう閉まる時間ですよ?」
「まあ、一日ぐらいならカップラーメンで大丈夫です」
 はあ と知恵先生は溜め息を吐いた。
「そんなの全然よくないです。まったく…………。前原君、今日は先生のところにいらっしゃい」
「ええっ!? いくらなんでもそんなのって……」
「教え子がそんな遠慮なんてするものじゃありません。これは命令です」
「そんな無茶苦茶な……。それに、いくら先生の命令でも――」
「命令が嫌なら人助けでもいいです。私だっていつも女一人だけの夕食っていうのが寂しいときだってあります。そのお付き合いっていうのでもいいですから……」
 そう言って知恵先生は俺の腕を掴んできた。
 でもその手はとても温かくて……、そしてその目は「たとえなんと言われようと、前原君をお持ち帰りします」と言っていた。
 どうやら、俺に知恵先生から逃れる選択肢は無いようだった。
「先生って、おせっかい……なんですね」
 苦笑混じりに俺がそう言うと、知恵先生はにっこりと笑みを浮かべた。
「ええ、私ってそういうの放っておけないんです」





「さ、どうぞ前原君。ちょっと散らかっているかもしれませんけど、我慢して下さい」
「いえ、……お邪魔します」
 俺は頭を下げ、知恵先生の住むアパートに入った。
 でも、知恵先生が謙遜するほど部屋は全然散らかってなんかいなくて……。それに、何だかいい匂いがした。
 そう、とても辛くて食欲をそそる………………………………カレーの匂いだっ!?
「あーうん。そりゃそうだよな……はは……」
 絶対に壁までカレーの匂いが染みついてるよ。引っ越しのときとかどうするんだろ?
なんだか、余計な心配までしてしまった。
「そういえば、先生の方こそあそこで何していたんですか?」
 いそいそと台所へと向かう知恵先生に、俺は居間から声を掛けた。
「私ですか? 集会所でお祭りの反省会をしていたんですよ。子供達に何か困ったことがなかったか、他にも困った子供達がいなかったかとか。あと、来年はどうやって対処しようかとか……色々な話です」
 カチッ とコンロに火を点す音がする。
「そうそう。前原君? みなさん元気なのは結構ですけど、あんまり騒ぎ過ぎちゃいけませんよ? かき氷に金魚すくいの水を入れて早食いだなんて……お腹壊したらどうするんです? そうなったら金魚すくいのおじさんだって困るんですよ?」
「……はい。すいません……」
 まさかそんなことまで知られていたとは……雛見沢恐るべし……。
「まったく、仕方のない子達ですね」
 先生の笑い声が台所から聞こえてくる。
「そうそう。そういえば前原君はいつも竜宮さんや園崎さん達と待ち合わせをして登校しているんですか?」
「はい。レナと待ち合わせして、それから魅音と合流して学校に来てます」
「じゃあ、竜宮さんに電話してあげた方がいいですね。……明日、待ちぼうけさせてはいけません」
「あっ。そうですね。……すいません。電話をお借りしてよろしいですか?」
「ええ、どうぞ」
 慌てて俺は電話に向かった。
 ジーコロ ジーコロ とダイヤルを回す。
 レナは直ぐに出てくれた。
『はいもしもし、竜宮です』
「あ、もしもしレナか? 圭一だけど」
『あ、圭一君? 丁度よかった。私も圭一君に訊きたいことがあったの』
「へっ? 俺に? ……なんだよ?」
『うん。……えへへ、圭一君の好きな食べ物って何? 今食べたいものでもいいよ?』
「そうだなあー。俺は和食みたいのが好きだぜ? 熱々ご飯に具沢山のみそ汁とか……あと、野菜炒めかなあ? 俺、結構好きなんだけど、うちのお袋ってつくってくれないんだ」
『ふーん。そうなんだ。……じゃあ、楽しみにしててね☆ レナ張り切ってつくるから』
「レナ? それどういうことだよ?」
『うん。圭一君のお母さんにね、電話で頼まれたの。圭一君のことよろしくお願いって……』

”ああ……そういうことだったのか……”

 俺の心の奥に、ちりりとした痛みが湧いた。
「ごめん……それなんだけどさ、レナ。俺、今日は知恵先生の家に泊めて貰うことになったんだ。神社であの後、偶然会ってさ……そういうことになった」
『えーっ? そうなの? 圭一君?』
 びっくりしたような……どこか残念なような、そんなレナの声。
「ああ、多分夕方にお袋が俺の家に電話して出なかったから、レナの方に電話したんだと思う。俺一人だとカップ麺しか食べないだろうって……」
『あははははははは。うん、その通りだよ圭一君。圭一君のお母さんも同じこと言ってた。駄目だよ? 圭一君。そんなのよくないよ?』
「あははは。知恵先生にも同じこと言われて怒られた。それで、家に来なさいって……」
『へえー。そうなんだ。よかったね圭一君』
「レナには悪いことしたと思うけどな……」
『気にしなくていいよー。あ、それじゃあ明日のお弁当は私が作ってくね? 三食カレーじゃ辛いでしょ?』
「ああ……そうしてくれると助かる」
 そうだった。知恵先生にお弁当まで頼むと、夕食と明日の朝食だけじゃない、お弁当までカレーになってしまうんだった。
『うん。じゃあそうするね☆』
「ありがとう、レナ。じゃあ、また明日な。レナの弁当、期待してるぜ。大盛りで頼む」
『うん。また明日ね。知恵先生に迷惑掛けちゃ……ダメだよ?』
 がちゃっ
 そして、電話が切られた。
 最後の「ダメだよ?」に妙に力がこもっていた気がしたが……。
 ふぅ と肩を落とし大きく息を吐く。
 俺がレナと電話している間にカレーが温まったのか、知恵先生がテーブルに食器を並べていく。
 俺は受話器を置いた。
「話は終わったみたいですね。……こっちももうすぐ出来ますから、もうちょっとだけ待っていて下さい」
「はい。電話ありがとうございました。おかげで助かりました。レナの奴、うちのお袋に頼まれて俺の分の夕食まで作ろうとしてくれたところでした」
「あら、そうだったんですか? それは竜宮さんに悪い事しましたねえ」
「そうですね。気のせいかもしれませんけど、ちょっと怒ってた気がします。ひょっとしたら、材料も俺の分まで用意してたかもしれません。明日のお昼の弁当も作ってくれるって言ってたので……それは大盛りで頼んでおきましたけど」
 俺がそう言うと、知恵先生は苦笑した。
「いえ、そういう意味じゃないんですけど……。これは竜宮さんも園崎さんも大変ですねえ」
 何でそこでレナだけじゃなくて魅音の名前も出てくるんだ?
 わけが分からない。
 首を傾げる俺を見て、先生はくすくす笑っていた。
「さあ、準備完了です。今すぐ盛り付けてきますから、椅子に座って待ってて下さい」
「はい」
 俺は頷いて、先生の言葉に従った。





 プロ野球中継をテレビで流しながら、俺達はカレーを食べ始めた。
 俺は黙々とカレーを口に運んでいく。
 ニンジン、ジャガイモ、タマネギ、そして豚肉だけのシンプルなカレー。
「…………前原君?」
「え? あ…………はい?」
 不意に知恵先生に声を掛けられ、俺は顔を上げた。
「前原君のご家庭では、ご飯のときはお話ししないんですか?」
「いえ……そんなことないですけど……」
 俺がそう答えると、知恵先生は少しむくれた。
「じゃあ、ひょっとしてこのカレー、お口に合いませんでした? スパイスの配合には自信あったんですけど……」
「えっ?」
 俺は慌ててもう一口食べてみた。
「………………あっ」
 そう言われてみればそうだ。このカレー、今まで食べた市販のどのルーとも違う味だ……。味も香りも、一つ一つのスパイスがそれぞれの個性を強く訴えていて、複雑かつ調和した味わいを醸し出している。
 なんで俺……気付かなかったんだろう?
「いえ、そんなことないです。美味しいです。本当ですっ!」
「前原君。慌てて言っても説得力がありませんよ?」
「そんな。……本当ですって……」
「先生悲しいです。それは、前原君にしてみれば竜宮さんや園崎さんの料理の方が嬉しかったでしょうけど……」
「あの。ですから……」

”信じて貰えない”
”それは……なんて悲しいことなんだろう”

「ぷっ。……くすくす」
 知恵先生は手の甲を口に当てて笑った。
「そんな顔しなくてもいいですよ。さっき前原君、素直に驚いてくれたじゃないですか。嘘じゃないって、ちゃんと先生分かっていますよ」
「あ……うう」
 俺は顔を赤くした。
 これじゃ、まるっきり子供扱いじゃねぇか。……そりゃ、先生にしてみれば俺なんて子供だろうけどよ。
「また、考え事でもしてたんですか?」
「いえ……考え事っていうか、ちょっとぼーっとしていただけです。それで……」
「ひょっとして、ご飯のときはいつもそんな感じなんですか?」
「…………んんっ……」
 先生にそう訊かれて、俺は返答に詰まった。
 ああ……そうだ……その通りだ。最近、部活の仲間達といるときを抜かせば、何を食べているといもそうだったような気がする。
「そうですね。…………そうかもしれません」
「何か悩み事でも?」
 俺は首を横に振った。
「……別に…………そういうわけでもないんです。ただ――」
「ただ?」
 上手く、言葉が思い浮かばない。
 しばらくの間、俺の視線は中を彷徨った。
 いや……薄々は気づいている。俺が何を気にしているのか……。
「多分、気のせいだと思います。何だか、雛見沢のことをずっと前から知っていたような気がしていて……それが、何だか……」
 俺は自嘲して、続けた。
「何度も見た……物凄く好きな映画をもう一度見せられてるようで……。楽しいんですけど、何だかつまらないんです」
「はあ。……それは何だか複雑ですねえ」
「それで、何かを忘れている気がするんです。忘れちゃいけない大切な何かを……。それが気になるっていうか……ただの気のせいだと、自分でも分かってるんですけど」
 俺は自嘲した。
 そうだよ……こんなのは気のせい以外の何ものでもないんだ。
 だから、本当ならこんな……出るはずのない答えを考える必要なんて無い。
でもそれなら――。
「つまり、前原君はそれを思い出そうとしているっていうことなんですか?」
「…………えっ? あっ………………ああ……はい。そうです……」
 俺は慌てて顔を上げた。
「もう。……またですか? 何だか道端でもそうやっていて、車に轢かれそうで心配になってしまいますよ?」

”ああ……それは、確かに邪魔だったに違いない”

「そうですね。気を付けます」
 俺はぺこりと知恵先生に頭を下げた。
 そして、もう一口カレーを頬張る。
 ああ、……やっぱり美味しいよな。このカレー。





 カレーを食べ終わって、俺は居間でぼんやりとテレビを眺める。
 ニュースは今日のプロ野球のハイライトをやっていて……でも、そんなこと俺にはどうでもいい気がした。
 どこが勝とうと、俺達には関係のない話だ。
 何しろ、どうせ俺達は……。
「前原君? ……何だか本当に浮かない顔ですよ? いったいどうしたっていうんですか?」
「ふにゃうわこむごきょおおおっ!?」
 不意に、先生が俺の瞳を覗き込んできて、俺は奇声を上げて仰け反る。
 というか先生、近いっ! 顔が近いよっ!?
 あーもう、心臓がバクバクいってる。
「思い出せないことというのは、そんなにも気になることなんですか?」
 先生の質問に俺は少し黙考する。
「…………ええ、そうだと思います。夕食のときにも言いましたけど、絶対、忘れちゃいけないことだったっていうか……」
「でもそれがどんなものかも……前原君には分からないんですよね? それでも気になるんですか?」
 俺が頷くと、先生は困ったような表情を浮かべた。
「どうしてそんなに……苦しそうな顔をしてまで、それを思い出そうとするんですか?」
「そう……ですよね。自分でも変だと思います。……思い出すものなんて、何も無いっていうのに……」
 そう言って、俺は苦笑した。
 しかし、先生は首を横に振ってくる。
「いいえ、たとえ前原君がはっきりとした形で思い出せなくても、前原君はその記憶の存在を気にしています。……なら、それはきっと本当にあったことですよ」
「………………え……?」
 先生は俺を見詰めながら、寂しげに微笑んでくる。
「そうまでして思い出そうとするということは、前原君にとってそれはきっと、とても大切なことなんでしょうね」
「…………そう、なのかもしれません」
 自分でも分からないものを大切だと考えるのは……欠けていても何も困らないものを大切だと考えるのはおかしな話だけれど……。
「それは、前原君にとってどんな感じのものなのですか?」
「どんなって…………ええと……その……」
「漠然としているのなら、漠然としたままを話して下さい。……それだけでも、話してみれば少しは違いますよ」
「ん……はい…………」
 俺が……思い出せないことを……どう思っているというのか……。
 頭の中からすくい取ったイメージを……言葉に結びつけていく。
「俺の……どうしても許せない罪。結末。終わり。……そういう…………」
 軽く頭を掻いてから、続ける。
「俺……なんだか、何度も同じ映画を見ているようだって言いましたよね?」
「はい」
 そんな馬鹿馬鹿しい話を知恵先生は真正面から聞いてくれた。
「結末は分からないですけど、その映画がもうすぐ終わるような……避けられない終わりを……避けられないからこそどうしてそんなことになったのか……でも、どうせ無駄で……」
 つくづく、自分でも何を言っているのかよく分からない。
 だから、苦笑するしかない。
「何だか、取り憑かれているような気がします」
 それでもそんな俺を、知恵先生は真っ直ぐに見てくれた。
 ニュース番組が天気予報を伝えてくる。
 どうやら明日は快晴らしい。





 俺のことを気遣ってのことだろうか……。
 気分が重いときは寝てしまうのが一番だということになり、先生は押し入れから布団を取り出してきて……もう寝ようということになった。
 ちなみに先生のパジャマは、黒一色で……襟の部分だけが白というデザインだ。どこか修道服っぽいような気がする。あんまり色気はないかもしれない。……別に変な期待していた訳じゃないけど。
 先生のことだから、インドの民族衣装のようなデザインだと思ってたんだけどなあ?
「あの、先生? もう一枚の布団は?」
「ありませんよ?」
「はい?」
 平然と答えてくる先生に俺は目を白黒させた。
「だから、先生はソファで寝ます。前原君はお客さんなんですから、遠慮せずにその布団を使って下さい」
 俺は慌てて首を横に振る。
「そんな。……俺がソファで寝ますから、先生こそ布団で寝て下さい」
「ダメですよ。先生そんなの許しません」
「でも……それは俺だって…………その……」
 けど、俺だって引き下がるつもりはない。
 顔が赤くなるのを承知で言う。
「知恵先生から見たら俺は……それは子供かもしれません。けれど、男として……女の人をソファで寝かすなんて真似は出来ません」
けれど先生はにっこりと微笑んで。
「前原君の気持ちは嬉しいですけど、先生なら大丈夫です。それに、先生だって 生徒をソファで寝かせるような真似は出来ません」
だから先生、そんなに真っ直ぐに見ないでくれよ。
 というか……夕方のときもそうだったけど、知恵先生って本当にこう……折れないっていうか頑固っていうか……。
「じゃあ……、一緒に布団に入るってのはどうですか?」
「こらっ!!」
 俺がそう言うと、途端に先生は目を吊り上げてきた。
 クッションを投げ付けようと、その場で振りかぶってくる。
「いえっ!? だからその……違うんです。決して変な意味じゃなくてっ! 布団を縦に使うんじゃなくて、ええとその……普通に寝るんじゃなくて、いつもとは90度違う方向に体を横にして、上半身だけを布団に乗せるんです。脚は先生が使おうとしているタオルケットで覆ってです……。そしたら、布団の端の方で寝れば、お互いこう……くっつくことだってないし……」
 慌ててまくし立てる俺。
 そんな俺の説明に、先生はしばし考え込み……。
 小さく溜め息を吐いた。
「仕方ありませんね。……どうやら前原君にとっても、それが一番いいみたいですしね」
 どうやら納得して貰えたらしい。
 俺はほっと息を吐いた。
 電気を消して、俺が言った提案の通りに、俺達は布団の中に入る。
 脚が直接床に当たる感覚ってのは正直、ちょっと違和感を感じるが我慢出来ないこともない。
 俺はゆったりと息を吐いて、目を瞑った。





 俺が目を瞑って、どれだけの時間が経ったのだろう。
 いつもより寝るのが早い時間だからというせいもあるのかもしれないけれど、どうにも寝付くことが出来なかった。
 いつまでも頭の中が……何を考えているのか……バラバラなことを作業している。
 まずい……この感覚って…………眠れないときはいつもそうだ。
 溜め息を吐く。
「あの……前原君。まだ起きてますか?」
「はい」
 不意に、先生が俺に声を掛けてくる。
 正直、まだ先生が起きていたというのが少し驚きだった。
「前原君は……さっき『どうせ終わりだ』って、言っていましたよね?」
「はい」
「………………ひょっとして、最近元気がないのは……前原君はこの世界のことを終わりだと思っているからなのですか? とても大きな……悲しいことの前に、色々と諦めてしまっている様に見えますよ」
 諦めている……?
 諦めている……?
 諦めという言葉を頭の中で繰り返す。ああ……それは、今の俺にぴったりの言葉のような気がする。
「そうですね。……俺もそんな気がします」
「じゃあ、もう前原君にとってこの世界はどうでもいいんですか? 竜宮さんも、園崎さんも、北条さんも古手さんもお父さんもお母さんも他のみなさんのことも……自分自身のこともどうでもいいと言うんですか?」
「んっ……それは……。そういうつもりは……ないです。けれど、半分くらいはそう思っているような気がします」
 俺は口ごもったけれど、正直に白状した。
 どうしても、何だかこの世界から現実感を得ることが出来ない。得る気が起こらない。
 生きることに、必死というか……真面目になれない。力が入らない。
「…………重症ですね」
 先生の呟きに俺は答える気にはなれなかった。
 そしてそんな俺に、さすがに嫌気がさしてきたのか、先生は軽く溜め息を吐いてきた。
 と――先生が寝ている方向からごそごそとした音が近付いてくる。
「ちょっ!? ……先生?」
 不意に掛け布団が剥ぎ取られ、先生が俺の上に四つん這いになってくる。
 暗闇の中で、先生の姿はよく見えない。見えないけれど……。
 そして、そのまま先生が俺の下腹部の上に腰を下ろしてくる。
「あ…………あのっ!?」
 俺は、目の前の光景が信じられなかった。
 だって先生が俺の上で、パジャマを脱ぎ始めてきたんだぜ?
 心臓がドキドキと脈打って、喉が急速に渇いていって……先生がボタンを外す音、僅かな衣擦れの音すらが俺の耳によく聞こえてくる。
 そして……呆気にとられながらも見とれていて……俺は先生を止めることも出来ないまま……先生は最後のボタンを外した。
 先生の顔が……表情はまるで分からないけれど、ゆっくりと近付いてくる。
 先生の裸の胸が、シャツ越しに俺の胸に触れる。
 先生の両手が俺の頬を撫でてきて……。
 先生の唇が俺の唇に押し当てられた。……むっちりとして、柔らかい。
 俺はただ……目を開いたまま、それを受け入れていた。
 どれくらいの間そうしていたのだろうか……十秒? 二十秒? それとも一分か?
 先生は俺から離れた。
「急にこんな事してごめんなさい。……嫌でしたか?」
 俺は小さく……首を横に振った。
 それを見て、先生は少しほっとしたような……そんな気配がしてくる。
 そして、先生は俺のシャツを捲って、俺の胸に指を滑らせてきた。
「…………先生?」
 呼び掛けても、先生は答えてはくれなかった。
 指だけじゃない。先生は口でも俺の胸を愛撫してきた。
 柔らかい唇が俺の上半身に満遍なく吸い付き、そして舌が這ってくる。
 そんな……未経験の快感に、俺は身じろぎする。
 そして、そのままゆっくりと先生の顔は俺の下半身へと移動していって……。
 俺のものは既に大きく膨れあがっていた。
 先生の両手が俺の脇腹に当てられる。
 そして先生は…………俺の股間に顔を埋めた。
「はぁうっ……ああっ」
 ジ……ジジジ……ジッ
 先生は口で俺のズボンのボタンを外して……ファスナーを下ろしていく。
 覆うものが無くなっていく開放感と、その扇情的な光景に、俺のものはびくりと震えた。
 滞ることなく……先生は両手で俺のズボンとトランクスを脱がして……俺のものは完全に先生の前に露出した。
 先生の吐息が俺のものを刺激する。
 俺は、何故先生がこんな事をしてくるのか疑問に思いながらも……羞恥心と興奮で、その理由を考えようとはしなかった。
 ああ……先生の細い指が俺のものに絡んでくる。
 先生の舌が、俺のものを愛撫してくる。
 俺のものが、先生の温かい唾液にまみれてきて……そのぬるぬるとした感触が気持ちよかった。
「んっ……んんっ……はっ……」
 亀頭に先生がキスをして……そして先生は俺のものを銜えてきた。
 ギンギンに固くなった俺のものを先生はしゃぶり、強く啜ってくる。
 それだけじゃない。指で竿を扱きながら、激しいストロークで俺のものを出し入れしてくる……。
「ふぅっ……はあっ。じゅぶっ……じゅっ……ふぅはあっ」
 先生の口から漏れてくる喘ぎ声が、俺の思考を焦がしていく。
 俺のものはとっくに限界で……あまりにも先生のフェラが気持ちよすぎて……。
「うあっ……あああああっ!!」
 俺は呆気なく、先生の口の中に射精してしまった。
 どくどくと脈打つ俺のもの。
 …………嘘だろ? 何でそんな……ああっ。
 先生は精液を一滴残さず搾り取るかのように……俺のものを強く啜って……先生の喉が上下して……飲み干した。
「あっ…………あの……先生っ! その……俺……つい、ごめんなさい」
 ちゅぷっ
 音を立てて、先生の口が俺のものから離れる。
 そして先生は、膝立ちになって……パジャマのズボンを脱いでいった。
 パジャマの柔らかい布地が、俺の太股に触れる。
 先生はそのまま俺の手を取って……先生の…………その……秘部に俺の手を当てた。
 今まで見たこともないし、今もどうなっているのか分からない。
 けれどそこは温かくて、先生の恥毛が柔らかく茂っていて……。
 先生はそのまま、腰を上下に振った。
「んんっ…………はぁあっ……ああっ! くっ……うんっ」
 初めて聞く先生の声が……甲高い女の声が俺お耳に響いてくる。
 それがなんだか、妙に生々しくて……。
 俺と先生が今どんなことをしているのかを改めて意識させてくる。
 先生の声が高くなっていくにつれて、先生の秘部もまたほぐれてきて……粘り気のある液体が俺の手のひらを濡らしてくる。
「じゃあ……いきますよ」
「……え?」
 俺の返事も聞かず、先生は俺のものに再び手を添えた。
 そして、腰を下ろしてきて……。
 膨れあがった怒張が、先生の秘部に触れる。
 入り口だけが僅かな抵抗を伝えて……すんなりと俺のものは先生の中に飲み込まれていった。
「あああっ……あぅっ……はあっ」
「んくっ……ふぅっ……んんっ」
 俺達は同時に喘ぎ声をあげた。
 先生の中はぬるぬるとしたもので満たされていて……むっちりと柔らかい襞が俺のものを包み込んできた。
 手では絶対に得られないその快感。
 再び……俺のものに熱が篭もっていく。
 先生の中を掻き分けていって……俺のものは先生の奥へ到達する。
「はぁっ……ああっ……くんっ……はあ……はぁ……ああぅっ」
 先生の体が俺の上で踊っている。
 俺はそっと先生の胸に手を当てた。
 先生は俺の手を拒絶してこなかった。
 ふにふにとした柔らかい感触から、俺の手のひらに温もりが伝わる。
 揉みしだくと、優しく俺の手を受け止めてくる。
 結合部から粘っこい水音が聞こえてくる。
 先生の中を擦るたびに、俺のものがびくりと脈動する。
「先生……俺、俺……もう……もうっ」
「はぁっ……ああっ……はあああっ。わっ…………かり……ました……あっ……くぅっ」
 先生は喘ぎながら、俺のものを先生の秘部から抜いた。
 そして、粘液にまみれた俺のものに、秘部を擦りつける。
「ぐっ……くっ……ううぅ」
「はっ……あっ……うぅん」
 そして、俺は再び達した。
 先生の体も、軽く震えていた。
 荒い息を吐く俺。
 先生もまた俺と同じように荒い息を吐いていて……俺に倒れ込んできた。
 俺の首筋に先生の顔があって……俺は自然と先生の体を抱き締めていた。……先生って……こうしてみると、そんなに大きくもなかったんだな。
 くったりと俺の上で喘ぐ知恵先生の体は、今まで思っていたよりもずっと華奢で……軽かった。
 先生の髪から、先生の汗の匂いがしてくる。
「前原君。たとえ前原君が、この世界が終わりだと思っていても……この世界よりも思い出せない出来事の方が気になるとしても――」
「はい」
「それでも私達はまだ……いえ、私達はこうして……今この世界に生きているんです。それを蔑ろにするようなことだけは、しないで下さい」
 俺の腕の中から伝わってくる先生の温もり。
 気が付けば、それをどうしようもないほどに身近に感じていた。
 俺は……頭の中を満たしていたもやが、いつの間にか晴れているのに気付いた。
「今、前原君が感じているすべてが現実で……私達が存在していることは、決して夢でも幻でもありません。それだけは……忘れないで下さいね」
 先生が、俺と裸で抱き合っている。
 そして俺は……先生の存在を……俺は今さらながらに心の底から確認していて……俺達は、抱き締めあったまま朝まで過ごした。





 目を覚ますと、既に先生は起きて台所で朝ご飯を作っていた。
 味噌汁の匂いとかじゃなくて、カレー臭で起きる朝ってのも……なんだかなあ……。
 俺は苦笑して布団から抜け出た。
 というか俺……どんな顔して先生に会えばいいんだろ?
 そりゃ、最初にその……ああいうことをしてきたのは先生なのだが……。
 昨晩の出来事を思い出し、俺は顔を真っ赤にする。
「あっ、前原君も目を覚ましたんですね。おはようございます」
 けれど先生はそんな俺の気持ちに気付いてないかのように、台所から振り返ってきて……自然な笑みを浮かべて挨拶してきた。
「あっ。はい……おはようございます」
 そして俺も反射的に、いつものように先生に挨拶を返した。
 まるで昨日のことなんて無かったかのように……。
 うぅ……なんか……俺、やっぱり先生から見たら子供なんだな。
「前原君、起きたのならシャワー浴びてきなさい。その間に先生、朝ご飯の用意を済ませておきますからね」
「……はいっ!」
 それは、久しぶりに爽やかな朝だった。
 ひょっとしたら、本当にこの平穏な日常がもうすぐ終わってしまうのかもしれない。
 でも、もしそうだとしても……俺は最後の最後の瞬間まで、この世界で生きていこう。
 絶対に悔いが残らないくらい、この瞬間を噛み締めて……。


―END―





【TIPS:おかえりなさい】

「おはよー圭ちゃん。今日は先生と一緒に登校したんだって?」
「おう、おはよう。……ちなみに、やっぱり知恵先生は朝からカレーだった。レナ……俺の昼飯は?」
「うん。ちゃんと圭一君の希望通り、大盛だよ。圭一君の好きな和食系のおかずを沢山作ってきたから、安心して」
「サンキュー。助かる。……いやー、昼飯が楽しみだー☆」
 そう言って、圭一君が笑顔を浮かべてくる。
 よかった。圭一君、元気になったみたい。最近、暗い表情をしてることが多かっ たから、私達心配していたんだよ?
 でも、圭一君はいつもの圭一君に戻ってくれた。
 おかえりなさい……圭一君。
 でも、先生の家にお泊まりしてこうなるっていうのは……。
「ねえ圭一君?」
「ん? 何だよ?」
「……先生と何かあった?」
 途端、圭一君の動きが止まった。
 顔も赤くなっていく。
「……ナ、ナニもナカッタ……よ?」
 そんな……声まで裏返って……。
「ちょっ。ちょっと圭ちゃ~んっ!? 先生と何があったって言うのさ~?」
「違うっ! 何もないっ! 何もないんだっ! 本当なんだってば~っ!?」
 大慌てで圭一君が否定しようとするけど、そんなの信じられるわけないじゃない。
「嘘だっ!!!!」
 教室に私の大声が響き渡った。

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最終更新:2008年03月26日 23:42