コラム > scrap5

とうとう5ページ目になったスクラップ集。最近はコラムとして別ページにしてもいいほど文章量が増えている気がする…。
しかしこういう雑多なごった煮ページもそれはそれで味がある、気がする。


ハッシュタグで世界は変えられるか?の巻

2014年4月15日、ナイジェリアのテロ組織ボコ・ハラムによって200人以上の女学生が拉致された。ボコ・ハラムは現地の言葉で「西
洋式の教育は罪」という意味であり、その名に違わず「欧米流の教育をやめさせるために学生達を連れ去った。奴隷として売り飛ば
す」との犯行声明をぶち上げた。この衝撃的なニュースが伝えられると、ソーシャルメディア上では「#BringBackOurGirls(我々の
少女たちを取り返せ)」というハッシュタグを合い言葉として抗議キャンペーンが始まった。

BBCによれば最初にこの合い言葉が使われたのはナイジェリア国内で、4月23日のことだという。ミシェル・オバマ大統領夫人やマラ
ラ・ユスフザイといった著名人が加わり、キャンペーンは拡大していった。典型的な「活動」としては、紙に書かれた#BringBackOu
rGirlsの文字と共に自分の写真を撮り、それをネットにアップするといったものだ。このハッシュタグは5月13日までに330万回ツイ
ートされ、国別にはナイジェリア(27%)、アメリカ(26%)、イギリス(11%)の順だった。20日で330万人分の署名と考えればすさまじ
い勢いである。だが、それでボコ・ハラムは「参りました。学生達を返します」とは言わなかった。拉致直後に自力で逃げ出した学
生を除けばほとんどが拘束されたまま時間は過ぎ、2016年5月17日にようやく1人が救出、赤十字とスイス政府の仲介によりナイジェ
リア政府とボコ・ハラムとの間で交渉が行われ、同年10月に21人が、2017年5月6日にはボコ・ハラムの幹部5人の釈放、並びに2度に
渡る解放の身代金として300万ユーロを支払うことと引き替えに82人が解放された。しかし2018年1月4日時点で112人がなお行方不明
だという。この間にもボコ・ハラムによる民間人の拉致・殺害とナイジェリア軍による制圧作戦が幾度となく起こっており、状況は
混沌としている。

もし#BringBackOurGirlsキャンペーンが悪徳企業の差別的広告や不法行為に抗議するものだったならば、あっという間に「勝利」を
収めただろう。あるいは、アイス・バケツ・チャレンジのように様々な批判を受けながらも多額の寄付金を集め、しかもその寄付金
のおかげで治療に繋がるかもしれない新たな遺伝子が発見されるといった「成果」が生まれたかもしれない。だが#BringBackOurGir
lsはそのどちらにもならなかった。ボコ・ハラムは失って困るような顧客もブランドイメージも持っていなかったからだ。キャンペ
ーンの敗因はいくつか考えつく。

  • 事件の場所がアフリカであり、欧米の市民による「本社前で抗議デモを行い、その様子がSNSやメディアによりさらに拡散」なん
    て正のスパイラルが起きなかった。
  • 物理的にそれが可能なナイジェリア人も相手がテロ組織である以上命の危険があり、そんなことはできっこなかった。
    • 実際、ナイジェリアの市民が行ったのは自国政府に行動を求めるデモだった。運動としては実に筋が通っている。
  • 「寄付金を募って問題解決」などと異なり、「テロ組織から人質を奪還する」というのは極めて困難な行為だった。
    • ナイジェリア政府/軍が頼りないからといって「武器をありったけ送れ」という訳にはいかない。
      政府軍が自国民を殺害している疑いがあるからだ。

どんなキャンペーンにも流行り廃りというものはあるが、#BringBackOurGirlsの場合半年後にはアルジャジーラが「6ヶ月後、女学
生の拉致に対する憤りと悲しみはナイジェリアの家族達を除いて消え去った」という見出しの付いた「Bring Back Our Girlsの放
棄」という記事を、1年後にはガーディアン紙が「#BringBackOurGirlsキャンペーンはactivismだったのか、それともclicktivismだ
ったのか?」という後ろ向きな記事を書いている。この時点でキャンペーンの敗北は明かだったのだろう。clicktivism:クリック
ティビズムとはclick:クリックとactivism:行動主義のかばん語で、ネットを使った請願や署名、メールの送付といった社会的・
政治的活動を指す言葉だが、現在ではおおむね「スマホの画面やマウスをポチポチするだけでなにがしかの活動を行ったつもりにな
ること」と批判的な意味で用いられている。先ほど「ハッシュタグは330万回ツイートされた」と書いた。しかし活動の進展をSNS上
の数値で表そうとする「クリックティビズム化」がキャンペーンの寿命を縮める一因になったとは言えないだろうか。拉致された学
生を救出するという目的がどこかへ行ってしまい、目に見えるわかりやすい結果である「いいね」やツイートの数を誇るようにな
る。そうやって「○○個のいいね!が集まった」「××回もリツイートされた!」と盛り上がっている限り「現実社会へ出てきて運
動しないと真の成果は上がらないよ」という耳の痛い批判を聞かなくて済むし、「あの有名人の△△もキャンペーンに参加!」と燃
料が供給されている限り、事態が良い方向に進んでいるように感じられる。そのような雰囲気が無かったとは言えまい。

2019年の今もなお、#BringBackOurGirlsのハッシュタグと共に投稿を続けているナイジェリアからのものと思われるアカウントはあ
る。彼らにとっては未だ解決していない切実な現実だ。だが5年前に#BringBackOurGirlsの名の下に日本を含む各国から集まった関
心はほとんど消え失せている。今後もTwitterやFacebook上での抗議・請願・アピールといったキャンペーンは起こるだろうし、今
この瞬間にも新たに起こっているかもしれない。#BringBackOurGirlsの失敗を深く反省し、ネット上での社会運動はどのような諸条
件によって成功するのか、そして何によって失敗するのかを学ばなければならない。さもなければ何度でも同じ敗北を繰り返すだろう。

……ところで、自分で書いておいてなんだが「反省し、学ばなければならない」人物とは一体誰のことだろうか。かつてスローガン
を書いた紙と共に自撮り画像をSNSに投稿した人のことだろうか? それともハッシュタグと共に世界に連帯を求めるなにがしかの
つぶやきをした人のことか? まさか。クリック一つ、タップ一つで気軽に「抗議」に参加した人々は同じ気軽さだけの責任しか感
じていまい。つまり、ほぼ全く責任を感じていない。例えば日本に住んでいる日本人が「ナイジェリアの女学生達を取り戻せなかっ
たのは俺の頑張りが足りなかったせいだ!」と自分を責めていたらそっちの方が不自然だ。そういう人には「別に君が運動のリーダ
ーだったわけじゃないんだから」となだめるしかないが、この台詞は同時に敗因をも指摘している。#BringBackOurGirlsは誰かが旗
を振ってグループを組織した運動ではなかった。指導者も教義もなかった。だからこそクリックティビズムと揶揄されるほど誰でも
簡単に参加でき、良くも悪くも「祭り」がごとく急速に規模が拡大した。しかし組織化されていないゆえに短期間で「息切れ」し
た。政治家の失言への抗議や募金キャンペーンなら息切れする前に勢いで押し切れたかもしれないが、相手がテロ組織では分が悪
い。運動の組織化について朝日新聞GLOBE+に興味深い記事があったので引用する。
トゥフェックチーはその限界をこう説明する。「ソーシャルメディアは、本来は広告のための道具であって、社会問題を解決するた
めのプラットフォームとしては設計されていない。急速に怒りを拡散できたとしても、それだけでは社会を変えるのに必要な政治的
組織の構築にはつながらず、壁にぶつかってしまう」
ただ、運動を組織化したところでボコ・ハラムからどうやって女学生を取り戻すんだ、という問題はなお残っている。
フレデリック・フォーサイスみたいに傭兵雇って現地に送るわけにも行くまい。先述したようにボコ・ハラム幹部の身柄や身代金と
引き替えにするというのも一つの手だが、これはこれで「ナイジェリアと全く無関係の他国民がテロ組織との取引を指図する」とい
う問題を招く。キャンペーンの最中には米軍に行動を求めるものもあったようだが、ナイジェリア系アメリカ人のジャーナリスト/
運動家であるJumoke Balogunという人はこのアイデアをボロクソに批判している。
Your insistence on urging American power, specifically American military power, to address this issue will ultimately
hurt the people of Nigeria.
アメリカの力、つまりアメリカの軍事力にこの問題を対処させようと迫るあなた方の力説ぶりは、結局ナイジェリアの人々を傷つけ
ることになるでしょう。

when you pressure western powers, particularly the American government, to get involved in African affairs and when
you champion military intervention, you become part of a much larger problem. You become a complicit participant in a
military expansionist agenda on the continent of Africa. This is not good.
西側諸国、とりわけアメリカ政府にアフリカの問題に関与するよう圧力を掛け、軍事的介入を擁護するとき、あなたはもっと大きな
問題の一部になってしまいます。アフリカ大陸における軍事的勢力拡大を目論む人たちの共謀者になってしまうのです。これは好ま
しくないことです。[military expansionistは直訳すると「軍拡論者」だが、ここでは支援にかこつけて軍隊を他国に展開し、当該
地域における軍事的存在感を増大させ周辺諸国への影響力を強めたいグループの意…だと思う」

You might not know this, but the United States military loves your hashtags because it gives them legitimacy to
encroach and grow their military presence in Africa.
あなたは知らないかもしれませんが、米軍はあなたのハッシュタグが大好きです。なぜならアフリカにおける軍事的プレゼンスを拡
大し、侵食していく行為にお墨付きを与えてくれるからです。
今までに失敗した事例を見るに、SNS上での抗議の声を組織としてまとめ上げるのはとても難しい。よしんば組織化されたグループ
が街頭に打って出ても、上記リンク先のセルビアのデモ隊、アメリカのオキュパイ・ウォールストリート運動、フランスの黄色いベ
スト運動、はたまた日本のSEALDsのように目標を実現できないまま勢いが衰えることだってある。テロ組織に拉致された人々を取り
戻すなんてのはよりいっそう難しい。

今のところ#BringBackOurGirlsは女学生達を取り返せてはいない。彼女らの代わりに、SNSの限界が我々の前に突き出されている。


見られる意識、見る意識の巻

車の後ろに張ってある「赤ちゃんが乗っています」マークがどうにも好きでない。いや、別に乳幼児が嫌いだと言いたいのではな
い。マークの必要性や意味について申し上げている。「ほう赤ちゃんが乗っている。だからどうした? 何をしろと?」という疑問
の声は根強く、それに反論するためか「このマークは事故が起きた際にレスキュー隊に子どもがいることを知らせるための物だ」と
いう根も葉もない都市伝説が生み出されもした。それはそれとして、おれが言いたいことはそこではない。

「赤ちゃんが乗っています」「Baby in Car」――。いずれも単に事実を述べているに過ぎない。そこに主張や意思がない。「赤ち
ゃんが乗っているからお先にどうぞ」なのか「赤ちゃんが乗っているから道を譲れ」なのか、見る側には分からないのだ。これはお
そらく意図的にそうなっている。「赤ちゃんが乗ってるぞ。ほら、空気を読んで配慮しろよ。言わなくても分かるよな?」という無
言の強要がそこにある。そしてそれこそが主意なのだろう。流行りの言葉を使って言うなら忖度だ。一見下手に出ているようで実は
そうでない。ゆえに、その「卑怯さ」に気がついた人たちから「だからどうした? 何をしろと?」というイラついた感想が出てく
るわけである。

しかし、日頃から安全運転を行っていない人間がこのマークを見て突然周囲への気配りに目覚めるとは思えないし、安全運転をして
いるドライバーは前の車に乗っているのが老人だろうが赤ん坊だろうが安全運転を続けるだろう。amazonで検索すると、主意を最後
まで書いている「赤ちゃんが乗っています」マークにはおおむね「安全運転中」と「お先にどうぞ」の2種類がある。後者こそがこ
のマークのあるべき姿だろう。一方前者は相当に変だ。赤ちゃんが乗っている時しか安全運転しませんとでも言うのだろうか。世の
中のドライバーのほとんどは安全運転しているが、だからといって「安全運転中」と書かれたステッカーを貼ったりはしない。運送
業者が安全スローガンとして貼るのとはわけが違う。それでもトラックに貼ってあるような無機質な「安全運転中」ステッカーなら
イラつく人もなかろうが、「赤ちゃんが乗っています」マークは非常に多種多様なデザインで、中にはふざけてんのかと思うような
デザインもある。ここまでくるともはや安全がどうのではなくファッションの範疇だろう。

結局の所、「赤ちゃんが乗っています」マークはごく少数の「ゆっくり走っています」「お先にどうぞ」と主旨が書かれているもの
を除き、歯切れの悪い言葉で人をイラつかせるほかはさほど効果がないとおれは考えている。

「ドライブレコーダー録画中」というマークもだいたい似たような物だ。録画中だからなんだというのか。ここにも省略された主意
がある。「だから煽ってくる奴はひどい目に遭うぞ」。煽り運転をするような人間はそんなステッカーが貼ってあろうがなかろうが
煽るだろうし、最初から煽らない人間はステッカーが貼ってあろうがなかろうが煽らない。「ドライブレコーダー録画中だから少し
でも煽ったらネットで晒すぞ!」と堂々書かれたステッカーを貼るわけでもなく、逆に「ステッカーを貼らずにあえて煽らせたあげ
く裁判起こして賠償金ゲット」などと悪知恵を働かせるのでもない。「ドライブレコーダー録画中なんだけどー、うんまぁ煽りたい
なら好きにすれば良いんじゃない? 録画してるけど?」という中途半端なイキりぶり――しかもそれは、一方でステッカーを貼ら
ずにおれないほどの小心さも併せ持っている――が見えるようで、おれ個人としてはどこか薄気味悪い。そもそもステッカーを貼れ
ば煽られなくなる/煽られにくくなるというアイデア自体が怪しいではないか。コンビニには防犯カメラ稼働中のステッカーが貼っ
てあるし、レジの周囲を映すよう常時カメラが回っていることは誰もが知っている。しかしコンビニ強盗が無くなったという話は聞
かない。「私服警備員巡回中」の但し書きが貼ってあるスーパーやドラッグストアから万引きが根絶されたとの話も聞かない。本当
に煽られたくないならステッカーを貼る前にやれることはいろいろあるだろう。そして残念なことに、「全ての対処法をこなした上
での最後の一押し」としてのステッカーと虚勢を張った結果のステッカーとを、後続車は区別できない。

「お前はさっきからなんでたかがマークやステッカーにイラついてるんだよ」と言われれば、ただ謝るほかない。「赤ちゃんが乗っ
ています」マークが好きでない人間としてできるのは、一刻も早くこのマークがファッションと化すよう祈ることだけだ。Tシャツ
に書かれた英語の文章のように、着る方も見る方も別段深い意味を感じない存在。そうなれば誰もが笑顔で「赤ちゃんが乗っていま
す」マークを眺めることが出来る。ググると出てくる無数の「赤ちゃんが乗っています」マークとそのパロディを見るに、その方向
に向かっている実感はある。そうなったとき、自動車に乗った赤ちゃんの安全というマークに込められた根本的な願いがどこへ行く
のかまではおれには分からない。

追記:「何かして欲しいのは分かるが、何を求められているのかが分からない」という意味ではマタニティマークやヘルプマークで
も似たようなことが言える。マタニティマークは「妊婦である」という共通項があるから良いものの、ヘルプマークは「義足や人工
関節を使用している方、内部障害や難病の方、または妊娠初期の方など、外見から分からなくても援助や配慮を必要としている方々
」と多種多様である。人によって悩んでいることもして欲しいことも異なるはずだ。とはいえ電車やバスの中でマークを見るたび
「どんな障害をお持ちですか」と問いただすのは聞く方も聞かれる方も相当に気が引ける。「ヘルプマークを付けていても誰も気に
かけてくれなかった」という話は少なくないようだが、それを防ごうとするなら「マークを付けているとうっとうしいほど話しかけ
られる」ことになるやもしれない。ヘルプマークで検索すると「むかつく」「甘え」「悪用」などとサジェストされる。これではマ
ークそのものがスティグマ(負の刻印)となりかねない。「積極的に私を頼ってくれていいよマーク」みたいなものの方が双方にと
って気が楽なのかもしれない。ん? ということはつまり、求められているのは「私は煽り運転しないよ」ステッカーってことか??


フォントの見え方テストの巻

あんまり変わらないような結構変わってるような…

デフォルトで指定されているフォントカラー:#000000 rgb(0, 0, 0)
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
Grumpy wizards make toxic brew for the evil Queen and Jack.
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて
一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。
孟子曰、盡書信、則不如無書、吾於武成、取二三策而已矣、仁人無敵於天下、以至仁伐至不仁、而何其血之流杵也。

twitterのフォントカラー:#14171a rgb(20, 23, 26)
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
Grumpy wizards make toxic brew for the evil Queen and Jack.
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて
一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。
孟子曰、盡書信、則不如無書、吾於武成、取二三策而已矣、仁人無敵於天下、以至仁伐至不仁、而何其血之流杵也。

redditのフォントカラー:#1a1a1b rgb(26, 26, 27)
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
Grumpy wizards make toxic brew for the evil Queen and Jack.
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて
一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。
孟子曰、盡書信、則不如無書、吾於武成、取二三策而已矣、仁人無敵於天下、以至仁伐至不仁、而何其血之流杵也。

google検索結果のフォントカラー:#545454 rgb(84, 84, 84)
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
Grumpy wizards make toxic brew for the evil Queen and Jack.
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて
一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。
孟子曰、盡書信、則不如無書、吾於武成、取二三策而已矣、仁人無敵於天下、以至仁伐至不仁、而何其血之流杵也。

googleヘルプページのフォントカラー:#3c4043 rgb(60, 64, 67)
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
Grumpy wizards make toxic brew for the evil Queen and Jack.
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて
一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。
孟子曰、盡書信、則不如無書、吾於武成、取二三策而已矣、仁人無敵於天下、以至仁伐至不仁、而何其血之流杵也。

wikipedia本文のフォントカラー:#222222 rgb(34, 34, 34)
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
Grumpy wizards make toxic brew for the evil Queen and Jack.
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて
一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。
孟子曰、盡書信、則不如無書、吾於武成、取二三策而已矣、仁人無敵於天下、以至仁伐至不仁、而何其血之流杵也。


国変わって山河あり?の巻

ここらで一発多国籍ジョークを。

ある老人が亡くなり、天国へやってきた。天使が現れて今までの人生について聞いてきた。

「どこのお生まれで?」――「オーストリア・ハンガリーだよ」
「どこの学校で学ばれました?」――「チェコスロヴァキア」
「結婚したときはどちらに?」――「ハンガリーだね」
「どこでお勤めに?」――「ソ連さ」
「亡くなったときには?」――「ウクライナにいた」

「ずいぶん国際色豊かな生涯でしたね」
「とんでもない! 生まれてこの方ムカチェヴォから出たことがないさ!」

ムカチェヴォはオーストリア・ハンガリーの統治下にあったが第一次大戦後チェコスロヴァキア領となり、第一次ウィーン裁定によ
ってハンガリーへ割譲された。第二次大戦勃発後ソ連がハンガリーへと侵攻し、その後ソ連からウクライナ・ソビエト社会主義共和
国へと割譲され、ソ連崩壊後もそのままウクライナ領となっている。住んでいる人間は変わらないのに国だけどんどん変わっていっ
たというジョークである。(自分で自分のジョークを解説することほどダサい真似もないね!)

海外旅行に行くならこういうふしぎな都市に行きたいものだ。先祖代々そこに住んでいる人の人生観や国家観はおれたちのそれと相
当に異なっているかもしれない。もっとも、EU圏内だと「車を飛ばして隣の国のスーパーで買い物」なんてケースがいくらでもある
だろうから、そこまで珍しい話じゃないのかもしれないが…。


オーストリアの首都はシドニーでもキャンベラでもない、の巻

世論調査やコンサルティング業を務めるアメリカのMorning Consult社が面白い調査をしている。アメリカの有権者2千人に世界地図
からイランの位置を指し示すよう求めた調査だ。このアンケートは2020年1月4日から5日にかけて行われた。時期的にはソレイマニ
司令官の殺害後・イランによる報復攻撃の前だ。その結果がこちら。正しく回答できたのはわずか23%で、範囲を狭めた地図でも2
8%でしかない。Morning Consult社は2017年にも北朝鮮の位置を聞く似たような調査をしている。その時の回答はこちら。18歳以上
の1746人に質問して、正しく回答できたのは36%である。回答者が共和党支持だろうと民主党支持だろうと差はあまりない。強いて
言えば無党派の方が両者より数ポイント高い。個人的に気になった点がある。イランを示すよう求められた地図でアメリカやカナダ
にそこそこ点が打たれているのはなぜだろうか。「アメリカこそ真のイラン(と言いたくなるような悪さをしている!)」なんて皮
肉なのか、適当に回答したのか、本気でそこだと思ったのか。また、北朝鮮の方の地図で日本を指し示した回答がそこそこあるのも
気になる。同盟国だ何だと言っても現実は寂しいものだ。

だが、我々自身はこの結果をゲラゲラ笑いながら見ていられる資格があるのか? 自衛隊のイラク派遣が本格的に始まった2004年1
月頃にイラクの位置を聞かれてどのくらいの日本人有権者が正解できるか。あるいは南スーダンに派遣された2012年1月に南スーダ
ンの場所を問われてどれだけが正しく指し示すことが出来るか。正直に言って、アメリカ人を対象にした上記二つの調査よりはるか
に立派な結果が出るとはあまり思えない。「地図上で正しい位置を回答できたからと言って、その国と自国との問題に詳しくなるわ
けではない」という反論は可能だ。だが、平均的な有権者は、世界のどこにあるのかさえ知らない国との問題について、積極的に知
ろうとか詳しくなろうとかするほど殊勝な態度を取らないはずだとおれは想像するのである。国内に置き換えてみればよい。地方の
ある県の名前も読めないような市町村で古くから伝わる祭りが人口不足で続けられないとか、伝統工芸品が中国製に圧倒されて虫の
息だとか。そんなニュースは今日もごろごろ伝えられているだろう。だがこういうニュースは大抵全国的な関心を引かない。「行っ
たこともなければ場所も知らないし、想像のしようも無い」のがその一因なんじゃないかとおれは言いたいのである。関心を持ちさ
えすれば問題が解決するのかと言えば、それはまた全然違う話なのだろうが……。

「国民だって全知全能じゃないんだからあまり文句を言ってもしょうがないじゃん。有権者が多少地理に詳しくなくたって、防衛外
交の当事者がしっかりしてれば大丈夫でしょ」と感じた人がいるかもしれない。おれもそう思うし、世の中の大抵の問題は事実そう
やって回っているのだろう。ところが当事者たる防衛省や外務省の地理知識も怪しいのである。愛知大学文学部准教授の近藤暁夫氏
が書いている論文「掲載地図の誤りにみる『防衛白書』の資料的価値と防衛省の地理的知識」や「掲載地図と本文の矛盾からみた日
本国『外交青書』の資料的価値」にはマジで目を覆いたくなるような地図上のミスがこれでもかと列記されている。竹島や尖閣の位
置が全然違う、沖縄の形が歪みまくり、地図上にグアム島があるのに全く異なるところをグアムと表記、ウクライナ南部に謎の独立
国家が誕生している、などなど…。堅いタイトルに反して学術論文としてはとても読みやすいので興味を持ったら一読を勧める。時
間が無ければ近藤氏が書いたウェブ上の記事がおすすめだ。エッセンスが濃縮されている。「作成側の正気を疑われるような水準の
地図を平気で『防衛白書』に掲載」「地図帳を片手に検討すれば中学生でもわかる水準の「誤り」」などとかなり手厳しい言葉が並
んでいるが、ほんとにそう言われても仕方の無いレベルなのだ。しかもそれが、地方自治体のホームページのうっかりミスなんても
のではなく、よりにもよって白書や青書といった極めて公式度の高い文書の間違いだったりする……。

正直に告白すると、最初この文章は「アメリカ人ってほんとダメな連中だよな~でもおれたちも人のこと言えないよな~」といった
人の振り見て我が振り直せ的結論にするつもりで書いていた。ところが調べている最中に我々の方がはるかに「ダメな連中」である
気がしてきた次第。ここまで散々偉そうに書いてきたおれもカリブ海の国々やミクロネシア、ポリネシア、メラネシアの島々に関す
る地理の知識は相当に怪しい。たまにはgoogleマップで世界旅行してきた方がいいのかもしれない……。

追記:2022年8月にMorning Consult社がまた面白い調査をしていた。アメリカの有権者2005人に「今台湾問題が盛り上がってる
けど、台湾ってどこ?」と地図に印を付けるよう聞いてみたのだ。結果がこちら。画像を見たい時はこっち。34%「しか」答えら
れなかったと見るべきか、34%「も」答えられたと見るべきか、なんとも言えない。何かの間違いで米中が戦いの火蓋を切ってし
まった時、アメリカ人が中国本土と間違えて日本やフィリピンを爆撃しやしないか、おれはとてもとても心配している。


モテない中年オヤジの俺が実は貴族の末裔で王国復興することになった件 の巻

地方紙にこのサイト的にすげぇニュースが載っていた。以下引用。
「新しい国つくる」詐欺で検察 男に懲役6年求刑 福井地裁(福井新聞2020年3月12日)

「新しい国をつくる」などとする架空話で女性2人から計約6千万円をだまし取ったとして福井県警に逮捕され、詐欺罪に問われた東
京都文京区、会社役員五百旗頭正男被告(70)の論告求刑公判が11日、福井地裁(渡邊史郎裁判長)であった。検察側は「影の首謀
者的立場として極めて重要な役割を果たした」として懲役6年を求刑し結審した。判決は4月14日。起訴状によると、五百旗頭被告
は、会社役員王見禎宏被告(66)=同罪で公判中=と共謀し2013年9~12月、女性2人に「王見被告は王族の末裔で外国に資産を持って
いる」「資産を入手し利益を上乗せして還元する」とうそを言い、知人を介して現金をだまし取ったとされる。後半は、両被告によ
る詐欺の共謀が成立するかどうかが争点となった。論告で検察側は、五百旗頭被告は、王見被告の資金が海外にあるという真偽不明
の話を利用して「ブライトン王国を建国する」などの虚偽の話を作り出したと指摘、五百旗頭被告は王見被告から受け取っただけで
も12億円余りを手にしたとし「被害総額は数十億円規模で、潜在的被害者が全国に多数いることも明らか」とした。弁護側は「事件
は被告の意思の及ばないところで行われ、詐欺の共謀はない」として無罪を主張した。
ずいぶんと話のでかい詐欺もあったものだ。ナイジェリアの手紙を彷彿とさせる。王見禎宏なんて露骨に日本人の名前なのにブライ
トン王国なんて横文字な国の名前をよく考えるものだ。このオッサン、見たわけではないが9割9分ごく普通の日本人の顔をしている
だろう。だったら中華系に見えなくもない名字(王見姓は大阪府、兵庫県、広島県に見られるそうだ)を利用して清朝の末裔とでも
でっち上げたほうがまだスジが良さそうなのに。逆に言えば正体不明の謎の王国であった方が食いつきが良いということなのか。ネ
ットで調べると被害者のフォーラムとおぼしき物が出てくるが、天皇だのバチカンだの好き放題語って(もしくは騙って)いたよう
である。しかしこのご時世に王族の末裔がどうのと言っても、貴種流離譚というにはあまりに「なろう系」っぽい話にしか聞こえな
い。被害者もいくらなんでも怪しいと思わなかったのだろうか。まぁ、思わなかったからだまされたわけだが……。

偽の儲け話は別にして、国を作るなどと言うのは大変ロマンあふれる話である。一体どこにどうやって作るのか見当も付かないが、
自分たちの理想国家を自分たちの手で作る! だから君の手助けが必要だ! 君が気に入ったならこの船に乗れ、いつかなくした夢
がここにだけ生きてる などと聞けばおれも興奮せずにはいられない。土地を切り開き、都市を造り、法を整え、経世済民に心血を
注ぎ、周辺国と切った張ったの外交を繰り広げる。シムシティかはたまたパラドゲーか。詐欺られた数多の被害者の中には、金に目
がくらんだ人だけでなくロマンに目がくらんだ人もいたのかもしれないと勝手に考えている。思うにこの容疑者たちは詐欺などせ
ず、その話術と想像力を生かしてなろう系小説を書くべきだった。大勢の被害者が、うさんくささを乗り越えて大金を出してしまう
ほどにその話は面白かったのだから。少なくともおれは読者になったはずだ。

追記:東京新聞のwebに続報が乗っていたのだが、以下の証言が気になった。というか、正直に言うと目がくらくらしてきた。
現在も支援者の一部は王見被告を信じている。千葉県の会社経営の男性(72)は取材に「全国で五百人近くの同志がいる。
これまで三十九億円を支援した。王見さんの復帰を待っている」と語った。判決は四月以降に言い渡される。
この文章を読んでいる人の大半は所詮ただの詐欺話だと切って捨てるだろう。取り上げたおれとて、「国を作るなんてロマンがある
よなガハハw」とネタにする程度にしか信じていない。けれどもこの「支援者」たちは王見被告のことを真剣に信じている。詐欺に
遭ったことを認めたくないからそう言っているのか、本気で言っているのか、もはや外から眺めただけでは分からない。被告はモン
テ・クリスト伯になれるだろうか。そしてブライトン王国は無事に建国できるのだろうか。歴史が審判を下すことだろう。

さらに追記:裁判の様子が毎日新聞のサイトに乗っている。消えてたらInternet Archiveの履歴から見られる。


マルクス主義ヴィーガニズムの可能性はありえるのか?の巻

Veganism is a way of living which seeks to exclude, as far as is possible and practicable, all forms of exploitation 
of, and cruelty to, animals for food, clothing or any other purpose.

訳:ヴィーガニズムとは、可能な限り、そして実行性のある限り、食用、衣類、その他の目的のために動物へ行われるあらゆる形態
の搾取や残虐行為を排除しようとする生き方である。
英国ヴィーガン協会によるヴィーガニズムの定義である。自分でこのような生き方を選び実践している人は立派だと思う。冗談抜き
に尊敬に値する。肉も魚も乳製品も好きなおれにはちょっと無理だ。だが、それは別としても、この定義に一カ所引っかかるところ
がある。「動物に対する搾取」のくだりだ。この「動物」に人間は入っているのだろうか? 何が言いたいのかというと、我々は他
の人間に対する搾取を排除すること、そう試みることは可能なのだろうか? 世の中に「マルクスの基本定理」なるものがある。も
のすごくかいつまんで言うと「搾取なくして利益なし」「利益のあるところ必ず搾取あり」と証明した定理だ。この定理の何が恐ろ
しいかというと、マルクス主義・マルクス経済学に与しない経済学者も認めざるを得ない形で数学的に証明されてしまった点であ
る。専門家でないので断言は出来ないが、1955年に発表されて以来多くの反論や批判に耐えてなお生き残っている以上、そうとうな
程度には確かなようだ。我々が住むこの現代社会で、おれは営利企業に金を支払って物やサービスを得ている。家庭菜園から得られ
るジャガイモやタマネギにしたって、その種芋や苗はホームセンターから買ってきた物だ。結局山奥に隠居して自給自足生活でもし
ない限り「搾取と利益」の構造から逃げることは出来ない。生きることと搾取の構造に荷担することはイコールである。

同時に、おれ自身はいち賃金労働者として搾取されている。搾取されているおれが、ありがた~いお賃金を握りしめて誰かを搾取し
た結果生まれた商品を買い求める。何もそこまでマルクス経済学的に考えなくとも、もっとレベルの低いところで搾取を感じること
もある。ネットで一番安いショップを見つけて何かを買う。定価より○○円も安く買えたとおれが喜ぶその裏では、確実に誰かの夕
飯がわびしくなり、時には首をくくっているはずだ。よしんば定価で手に入れたところで、どうせ海の向こうの労働者をこき使った
商品だろう。そのような、労働者ゆえに他の労働者に対して同情したり、搾取されている者さえ誰かを搾取する構造を嘆いたりする
素朴な感情がおれにはある。一般的な定義はさておくとして、おれ自身の勝手な定義の元では、製造ラインの労働者が文字通り血と
涙を流して作ったスマホや自動車を保有しておいてヴィーガンを名乗ることは許されないのだ。(とはいえ、それらの便利アイテム
なしでどうやって暮らせばいいんだ?)

それは仮に「いや、ヴィーガン的には人間は動物じゃないよ」と言われたところでなくなる物ではない。それどころかもっとひど
い。ゴリラやチンパンジーが作業服を着てインドネシアやマレーシアの労働者の代わりに工場で働いてくれるとしたら、あるいはハ
ムスターやインコがわずかなエサ代を支払うだけでおれのために働いてくれるとしたらどうか。人間の代わりに「動物」を搾取しま
くれる世界、より下位の生き物に搾取を押しつけることが可能な世界があり得るのなら、おれは喜んでその世界を選んでしまう。犬
猫やクジラや牛より人間の方がはるかに大事だとおれは思っているからだ。そう思わなければ「労働者なんて耕牛と同じでいくらで
も替えが効く」「しょせんお前らは二足歩行する家畜」なんて言葉の前に沈黙するほか無いではないか。人間は、労働者は機械でも
家畜でもない。いい目を見させろ。分け前をよこせ、よこせ、もっとよこせ。労働者が人間としての尊厳を得られるのなら豚や鶏の
100万匹くらい死んでも構うものか。

だが、「おれ」と「下の階層」との間に境界線を引くことで生まれる「家畜どもよ、人間のために死んでくれ」というあまりにも横
柄な態度は、そっくりそのまま自分への呪詛ともなる。かみ砕いて説明するとこうだ。おれは「おれ(=人間)は家畜(=動物)じ
ゃねぇ!」と思っている。同時に、「おれ(=人間)の代わりに家畜(=動物)がひどい目に遭うのは仕方がない」とも思ってい
る。しかしこの二つの考えは、「おれの雇い主もそう思ってるかも」という補助線を引いたとたんに自分自身へと跳ね返ってくる呪
いの言葉となるのである。「おれのために動物が死ぬのはかわいそうだがやむを得ない」というおれ→家畜の関係は、そのまま「雇
い主のために労働者が死ぬのはかわいそうだがやむを得ない」という雇い主→おれの関係とまったく同じではないのか。そう考えて
しまうのである。おれが雇い主から暴力を振るわれているという意味ではない。おれは牛や豚を殴っているわけではないが、しかし
牛や豚の命から美味しい思いをしている。それと同じ意味合いだ。仮に、この呪いの連鎖を断ち切るために私はヴィーガンになった
のだという人がいたとすれば、おれはその人に心の底から敬意を表する。おれにはまだその勇気がない。

そんなこんなで、人間が「動物」の中に含まれようと含まれまいと、おれはヴィーガンになることに二の足を踏んでしまうのであ
る。人間どころかヤギや羊さえ搾取されない社会。それはおれにとってもヴィーガンの人たちにとっても福音となるはずだが、それ
が一体どんな社会なのか、ちょっと想像が付かない。


逃げてしまわなかった男レオポルド3世、の巻

ベルギーにアルベール1世という国王がいた。第一次大戦の際、「フランスに攻め込むから領土通過させて」とぬけぬけと要求して
きたドイツに対し、「ベルギーは道ではない。国だ!」と近現代ヨーロッパ史に残る名啖呵を切り戦争に参加した。戦時中は国土の
ほとんどを占領されながらも(1917年頃の戦線がこれ)4年にわたる戦争を戦い抜き、戦勝国として講和会議のテーブルに就くこと
が出来た。ベルギーは軍民会わせて12~14万人の死者が出たものの、彼は今日もなお高く評価されている。アルベール1世と対照的
なのが彼の息子、レオポルド3世だ。第二次大戦の際に国王だったレオポルド3世はオランダやルクセンブルクの君主が国外へ脱出し
亡命政府を樹立するのとは異なり、ドイツへ降伏し占領下のベルギーに留まった。そりゃ、父王のように徹底抗戦を唱えた上で勝つ
のが一番格好いい。だがそういつも上手くはいかない。戦時の君主、しかも負けそうな君主の身の振り方には3つくらいあるだろ
う。

  • A 国外へ脱出して亡命政府を作る。勝てるか分からないが戦い続ける。
  • B 国内に留まり国民と苦難の時を分かち合う。堅忍不抜の精神で同盟国の救援を待つ。
  • C 国外へ脱出してあとは知らぬ振りをして余生を過ごす。隠し口座に金はたんまりあるんで。

Cを選ぶ敗北主義者はともかく(?)AとBのどちらが好ましい振る舞い方かは断言しづらい。Aを選んでも「おれ達を見捨てて自分だ
け逃げるのか!」と思う国民はいるだろうし、Bを選んでも「国外に逃げてあくまで戦い続けて欲しかった!」と思う国民もいるだ
ろう。実際のところ、ベルギー国民のみならず同盟国さえ後者のように考えた。すなわちベルギー首相ピエルロは「政府への諮問な
しに勝手に降伏するのは憲法違反じゃボケ!」と叫び、チャーチルは「おめーが救援を求めたから助けてやったのに勝手に降伏しな
すったせいでウチの軍隊まであやうく退路を断たれるところだったぞファック!」とあけすけに非難した。確かに裏切り行為に見え
たかもしれない。しかしレオポルド3世にも彼なりの事情があった。父の時代と違いあっという間に前線をぶち抜かれて西部戦線全
体のケリがついてしまったこと。オランダやルクセンブルクの君主と異なり自分は軍の最高司令官を兼ねているため、国外脱出は文
字通り敵前逃亡であること。さっきのリンク先から第一次大戦時の地図をもう一度見て欲しい。地図の左上に「BELGIAN」「ALBER
T」とあるのが分かるだろうか。すなわちアルベール1世がベルギー軍を指揮していたと言うことだ。軍のトップであり国王でもある
男が逃げ出したら、たとえその後に勝利者として凱旋できても一生後ろ指を指されるのは間違いない。そのあたりの微妙な事情を察
してか、英国王ジョージ6世は彼の勲章やらなんやらの栄典を剥奪しなかった。大戦が終わってもレオポルド3世に対する風当たりは
強い物があり、1950年までスイスに滞在していた。同年、王としての復帰を認めるか否かを問う国民投票が行われたが、結果は賛成
が57.7%、反対が42.3%というギリギリの状況であった。帰国と同時に大規模なゼネストが発生し、結局51年7月16日に退位するこ
ととなった。

で、じゃあレオポルド3世って時代の流れを読むことに失敗したかわいそうな奴なんですかと言われればそうでもない。「敗戦」し
て半年後にのこのこヒトラーと面会したり、リリアン・バエルという平民と結婚して無駄に反感を買ったりしている。リリアンは2
番目の妻であり、彼にはアストリッド・ド・スエードという前妻がいた。1935年、レオポルド3世自ら自動車を運転中に事故を起こ
して同乗していたアストリッドを死なせてしまったという過去があり、彼女の名前を付けた教会を事故現場に作るくらい悲しみに暮
れていた。そんな男が6年後にしれっと再婚、しかもヒトラーから祝福の花束まで貰ったというのだからベルギー人の怒りももっと
もであろう。加えて申せばアストリッドとの間には2男1女の世継ぎがいた。慌てて結婚する必要はこれっぽっちもなかった。今風に
言えば「不要不急の結婚」に他ならない。これがせめて「面会を求めたヒトラーを断固拒否した」とか「対独レジスタンス組織をこ
っそり支援していた」とか「ベルギーに住むユダヤ人をあの手この手で保護した」なんてエピソードがあればまた評価も変わったの
だろうが。おれは思う。レオポルド3世の肉体は確かにベルギーを離れなかった。しかし彼の精神はベルギーの国土からも、ベルギ
ー国民の心からも離れていたのではないか、と。まぁ現代日本に住む日本人が好き勝手言ってるだけなんで、実のところどうなのか
はベルギー人に聞いてみないと分からないのだが……。

余談:「ふしぎの国の世界大戦」でもトークのネタにしたが、レオポルド3世と結果的に真逆に振る舞うこととなったのがルクセン
ブルクのジャン大公世子だ。大公世子というのは要するに王子のこと。ドイツとの開戦によりカナダへ亡命した彼は1942年に義勇兵
としてイギリス軍に志願し、1944年のノルマンディー上陸作戦に参加、同年9月のルクセンブルク解放戦にも加わった。亡国の王子
が祖国奪還のため最前線で戦うというまるでファイアーエムブレムのような実話である。そんな彼が戦後にレオポルド3世の長女と
結婚しているのだから、意外なところで話が繋がっている。


歴史で食べるのか歴史を食べるのか、の巻

それは「歴史」なのか? それとも「観光資源」なのか? 両者の境界は極めてあいまいである。
「関ヶ原合戦饅頭」とか「四十七士が討ち入り前に食べたソバ」ならまぁ分かる。それらはもはや我々と直接的なつながりのない
歴史だからだ。しかし「阪神淡路大震災饅頭」とか「東日本大震災の被災者が食べた炊き出しの豚汁」なんかを売りに出そうと
いうなら猛烈な違和感がある。それは過ぎ去ったいつぞやの話ではまだない。

おれに言えることはただひとつ、「これは昔々ある国に起ったお伽話ではない」(丸山眞男のパクり)



左の写真の引用元:ポピュラー・カルチャーにおける「継承」の過剰と脱歴史化
右の写真の引用元:靖國八千代食堂(市ヶ谷/丼もの) - Retty
ついでの知識:特攻饅頭は今でも売っている


分からなくもないが間違っているというしょうもなさ の巻

将棋の藤井聡太二冠がちやほやされている! 憎たらしい! と言って殺害予告をして警察のやっかいになった人間がこの国には2
人もいるらしい。() 報道によると一人は43歳会社員、もう一人は50歳無職で両方とも男性だという。

思うに、この2人には地位も金も権力も誇りも自尊心さえもなかったのだろうか。どれか一つでもあれば自分の半分も生きていない
小僧っ子に殺害予告などしない。そりゃ、毎日将棋を指しているだけでおだてられたりインタビューされたりするのがムカつくとい
う理屈それ自体は分からんでもない。社会にとって不可欠なわけでも何かを生み出しているわけでもない(だから自分の方が社会に
とって役に立つ人間だ!)という素朴で粗雑な論理も理解しないではない。が、だからといって殺害予告してどうなるというのか。
こんな男たちこそなろう系小説でも読んで救われるべきだったのだ。あるいはウィリアム・ジェイムズ・サイディズの記事でも読ん
で気を紛らわすとかさ…。

想像するだに徒労感しか湧かない、「しょうもなさ」という点で個人的に2020年のワースト5位には入りそうなニュースである。


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最終更新:2022年08月31日 07:05
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