萩原淳
- お、荻原…
- 1992年 オリックス→2007年シーズン途中 日ハムへトレード→同年 戦力外通告→トライアウトを経て2008年に入団。
- 高校のときは、通算25本塁打の強肩強打が売りの内野手。ちなみに高校は村中と同じで村中から見れば大先輩にあたる。
- 1991年のドラフト2位プロ入り。同期入団には田口壮(1位)、イチロー(4位)がいる。
- 内野手から投手へ転向という珍しい経歴の持ち主。
当時の監督であった故・仰木彬氏の指示で2000年シーズン中のことだったらしい。
- 時々150km/hを超える速球を中心にロングリリーフをできるのが強み。
- 見た目が怖いため総統が雇った戦闘要員との噂も…。
- 2008年は25試合で勝ち負けなし。投球回数も32に留まり、シーズン後半は戸田での登板が多かった。
- 2009年になると状況が一変。先発が打ち込まれ、早々と降板した際のロングリリーフ(いわゆる敗戦処理)から、リードしている場面で先発から松岡、五十嵐、イムの勝ちパターンへの繋ぎ役など、気が付けばチームに欠かせない存在に。
- 住民は黙々と投げるその姿に、日々お疲れ様と感謝するのであった。
- …と思ったら、やはりと言うべきか9月に右肩痛で戦線離脱。
- 2009年は34試合で1勝1敗・投球回数39回1/3。6.18のロッテ戦で移籍後初勝利を挙げる。
- 契約更改の際には「ケガしないでくれ」と言われたそうであるが、いくら丈夫な身体の持ち主とはいえ、それは酷d(ry
- 2010年から背番号を48から42へ変更し心機一転。画伯の退団に伴いチーム最年長投手となったがまだまだ貴重な戦力。150km/h超のストレートをまた見せて欲しいものである。