| 国名 |
ハダカンボ王国 |
| 英名 |
Kingdom of Haddakaa -Nbo |
| 地域 |
東タヴェリア |
| 国旗 |
 |
| 国歌 |
大地の詩 |
| 国花 |
芥子 |
| 通貨 |
なし(原則物々交換) |
| 公用語 |
ダハーカ語 |
| 首都 |
フルヌゥド |
| 政体 |
専制君主制 |
| 皇王 |
ハダカンボ11世 |
| 総執政 |
ナラム・アジャリバジ |
| 人口 |
約250万人 |
| 宗教 |
土着信仰(大地神ゼン・ラーを崇拝) |
| 気候 |
熱帯気候 |
| 民族 |
ダハーカ人、亜人種など |
| 経済 |
自給自足経済 |
| 農業 |
焼畑農業 |
| 工業 |
なし |
| 鉱業 |
良質な鉄鉱と炭鉱が所在 |
| 商業 |
メトラ系商人が中心的に活動している |
政策スライダー
| ハダカンボ王国:専制君主制 |
| 民主的 |
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆ |
独裁的 |
皇王がすべてを決する |
| 政治的左派 |
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆ |
政治的右派 |
伝統を絶対視する |
| 解放社会 |
◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇ |
閉鎖社会 |
すべての外国人に開かれている |
| 自由経済 |
◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇ |
中央計画経済 |
そもそも統制すべき経済がない |
| 常備軍 |
◇◇◇◇◇◇◆◇◇◇ |
徴兵軍 |
平時は最小限の警備兵しか配置されない |
| タカ派 |
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆ |
ハト派 |
争いを好まないので協調外交を展開する |
| 介入主義 |
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◆ |
孤立主義 |
他国に介入する暇があればその日の食料を確保するだろう |
国名
ハダカンボとはダハーカ語で「巡礼(Haddha)される(Khaa)者(Nbo)」つまり「神」という意味であり神の統治する国という意味である。代々の皇王は国名と同じハダカンボと名乗っているがこれは王が大地神ゼン・ラーの化身とされているために本名とは別に名乗っている。
国歌
母なる大地よ 我ら自由なる民なり
母なる大地よ 我ら大地の子なり
我が魂よ 震える大地に 畏れを抱かん
我が魂よ 迫れる海に 恵みを頂かん
皆大地母神の大いなる贈り物なり
おお 我ら大地の民 我ら大地の民
大地母神ゼン・ラーの加護あらん
歴史
建国神話
大地神ゼン・ラーが海から陸を作り、海神ポンズと世界を二分したと言われている。ゼン・ラーは土を捏ねて人を作り、自らの片割れとして分身としての化身を遣わした。これが現王家の祖先と言われている。
人類の居住
歴史学的にはフルヌゥド近郊に紀元前15000年ごろに存在したとされている集落の遺跡が発見されている。この集落の民族と現在のダハーカ人との関係性は不明だがフルヌゥドには紀元前2000年頃に定住したと言われる。
古代トプレス王朝(紀元前6世紀頃~紀元33年)
古代からの王朝の歴史的記録はすべて口承で伝わっておりそれによればダハーカ人最初の王はストリプ1世とされている。
トプレス朝はストリプ1世から38代533年続き、この時代には北部大陸から伝わった石造りの技術が生かされてこの時建造された石造建築が現在もいくつか残っている。その代表的なものがフルヌゥド中心部にある大神殿である。38代ストリプ5世のときに
古代ヤード帝国の攻撃によって滅ぼされた。このとき捕虜として捕らえられた1万人のダハーカ人が奴隷として連れ去られたという。北部大陸には現在もこの時連行されたダハーカ人の子孫が点在している。
スッパダカ島に国家が存在した確実な記録は紀元前32年に
古代ヤード帝国の学者ヤドリアヌスがタヴェリア大陸東岸部を探検した際に記した「タヴェリア見聞記」に詳細が記されている。ヤード帝国側の記録でも紀元33年に南方遠征で捕虜を奴隷として連れ去ったという記録があり口承伝承がある程度正しいことが証明されている。
部族群雄割拠時代(32年~7世紀)
王朝崩壊後、それまでいくつか存在していた氏族が独立し、以後は地方ごとに離合集散を繰り返すことになる。この時代は勢力均衡が覚醒力の暗黙の了解となっており、巨大勢力が登場した際は連合してこれを潰すということが慣習化した。
この時代は壁画や文字の記録が多く、戦乱の時代の記録を残している。
なお3世紀頃の貝塚からは衣服の断片が投棄されており、この時代までは衣服を着ていたことがわかっている。伝承ではイクファターナから衣服が伝わったが皮膚病が蔓延したため、人々はこれを大地神の怒りと捉え、以後一切の衣服を身に着けなくなったとされている。これは現在では当時衣服が伝わったものの洗濯の習慣と衛生観念が定着しなかったために起こったものと言われている。現在でも服を着ることはタブーとされている。
暗黒時代(7世紀~16世紀頃)
7世紀半ばになると突如として記録が途絶え、集住していた人々は従来の都市文明を放棄する。これ以降木造の建築物はすべて放棄され、現存している建築物はトプレス王朝時代に建築された石造建築のみとなっている。
都市を放棄した理由は諸説あるが現在でも詳細は不明となっている。
都市文明を放棄したダハーカ人は狩猟採集社会に退行したと言われこの社会は現在も続いている。
スッパダカ王朝(1755年~)
暗黒時代にも部族による抗争が続いていたと推測されており、とくに食糧難から血なまぐさい時代が続いていたが、1755年に12の部族が合同してフルヌゥド神殿の守り人であったスッパダカ族族長ハレンティを全部族の酋長として推戴し、新王朝が誕生する。このときハレンティは皇王ハダカンボ1世を名乗る。
ハダカンボ1世は古代王朝の継承と神権政治を実施し宗教的権威のもとに部族の影響力を排除しようとしたが、地方に割拠する大部族の力には勝てず、最終的には宰相は大部族の長から任命するということを約束させられてしまう。以後代々の皇王は大部族に逆らうことができずほとんど傀儡にされてしまう。
第5代ハダカンボ5世は宰相職を廃止し、皇王親政を強行するも、部族に妥協的な弟ストリク王子を担いだイマラ族・フーエラ族によって廃位されてしまう。ストリク王子は政治は部族長との合議の上で決定するという約束でハダカンボ6世として即位するが、その約束は直ちに反故にされ、イマラ族によって全大臣職が独占され、ハダカンボ6世は酒浸りになって政治の舞台から姿を消してしまう。
第9代ハダカンボ9世は無能であり、朝議にもほとんど出席しない有様であったがやたらと長生きをし、自分の子、孫、曾孫より長生きをしてしまい、曾孫が子がなく死去したため直系が断絶してしまう。さらに自らとその子孫が無能なのを熟知しており、生前から王位は質実剛健な大甥のフルティン王子がふさわしいとして曾孫の死後フルティン王子を王太子として指名している。
ハダカンボ9世在位中の1850年に、ヤード帝国海軍大将ボリス・コーネフがスッパダカ島を「発見」し、事実上鎖国状態であった王国は1851年のヤード・ハダカンボ通商修好条約で正式に異国との外交関係を結ぶ。
ハダカンボ9世が99歳で崩御すると、フルティン王子が40歳にして第10代ハダカンボ10世として即位する。ハダカンボ10世は歴代皇王の課題であった部族の権力削減に乗り出し、その手始めに部族政治の権力の源泉であった部族の私兵集団に着目した。部族の私兵を直接解体することはリスクが大きすぎるために、それに対抗するだけの軍事力を形成することを決める。それによってできたのが皇王直属の禁軍である。従来の部族私兵集団は地方軍として温存しつつも、従来よりも王の権力は強化され、これまで軍事力をちらつかせながら絶大な権力を誇示してきたイマラ族出身のティンカウスを宰相職から解任し、ついに中央政界から大部族を追放することに成功する。
その一方で、外交にも力を入れ、1913年の
ヤーディシア大戦ではアトリオン海軍への協力を行い、1916年にヤード帝国が崩壊するとすかさずヤードとの不平等条約破棄を宣言した。さらに1925年にヤーディシア共同体に加盟する。加盟申請費は当時の国家予算の倍額1800万ヤードルーブルだったが、交渉の結果以後家畜の物納で納付することが決まった。
そんな中、王家と地方との対立は年々激しくなり、1927年、フーエラ族の長シャクファチの反乱が起こる。禁軍を総動員して王家優勢の中、イマラ族の仲介で和議を結ぶ。しかしこの和睦の席でハダカンボ10世がイマラ族の刺客によって暗殺され、さらにイマラ族と密通した第2王子ラータイが王族殺害事件を起こす。ラータイ王子は見返りとして王位を約束されるも、皇王専制を夢見ていたためにティンカウスの宰相復帰は拒否したために孤立無援となる。その間に殺害事件の難を逃れていた第11王子ヌギがモフモフ族の支援をうけ、軍を率いてフルヌゥドに進軍。王太子殺害の罪により即日処刑された。ヌギ王子はそのまま禁軍とモフモフ族の軍を率いてイマラ・フーエラ両部族を討伐し、反乱の首謀者シャクファチと弑逆犯で元宰相のティンカウスを処刑。この速やかな対応にその他の部族が全領地を王家に差し出し、同時にソミンサイの勅令によって地方軍も解体することとなった。名目上はマッパダカ族領地を除く北半部が皇王領となったが、統治機構が未成熟なために地方部族の長がそのまま藩王として任命されて現地を統治することとなった。
1930年3月には王国史上最大の対外戦争である
ドピゥ戦役が勃発。近代兵器の前に苦戦しつつも、高い士気と地の利を活かした巧みな戦術によって勝利を収めた。
政治
建国以来王位はスッパダカ皇王家による世襲(スッパダカ王朝)であり、専制君主政治が行われており、皇王(ナジャ)の一声で全てが決まってしまう。
一方で地方政治ではいまだに部族の影響力が伝統的に強い。各部族は独自に司法権を持つ。また、一定の税収を中央政府に納めるなど表向きは王家に忠誠を誓っているものの、代々の皇王はなんとかして地方の影響力を削ごうとしては失敗してしばしば反乱が起こる。第10代ハダカンボ10世の治世には地方軍閥に対抗するだけの軍事力を王家が直属で持った結果、反乱自体は収まったものの、大部族によって皇王が暗殺されるという事態が起こった。第11代
ハダカンボ11世は即位直後に先代を暗殺したイマラ族を討伐し、殲滅したことにより大部族のほとんどが事実上王家に降伏するということで部族政治を終わらせることに成功した。その後ソミンサイの勅令で地方軍は解体されたが、行政システムが未発達のために国内すべてを直接統治するだけの行政機構がなく、王家に従属する部族は藩として存続し、引き続き部族長が藩知事として現地を治めているという状態が続いている。
しかしながら、部族長たる藩主を現地常駐にすると、反乱の温床となるとの考えから、藩主は一年のうち半年以上はフルヌゥドに在住しなければならない在京令が発令されている。
中央政治は長らく部族長会議(ジルガ)による部族合議制だったが、シャクファチの乱以後ジルガは解散させられ、ドピゥ戦役以後に王の側近を参議とする御前会議(ドゥーエ)における少数合議制に移行した。
通常の行政執行は宰相に相当する総執政(リバウ)が行うとされている。執政府布告は勅令と同等の効力を持ち即座に法令とされる。
皇王
慣習法により様々な規定があるが、主に皇王自身の指導力政治力によってその権限も大きく変わってくる。
基本的には皇王独自の権限は
- 勅令の発布施行
- 国内全官職の任免
- 外国との宣戦、講和、条約締結及び批准
- 諸藩への戦時動員命令権
- 諸藩への無制限の立ち入り
などがある。
総執政
ハダカンボ11世の治世から宰相職に代わって新設された官職で、各国には首相と訳される場合が多い。
敬称は「殿下」。
行政府の総責任者であり、国内行政全般を統括する。
外交権限以外は皇王と同等の権限を持ち、勅令と同等の効力を持つ執政府布告を発令することができる。
また、執政に不足している権限を補うために指定の大臣職を兼務することができる。
現在の執政ナラムは外務卿を兼任している。
御前会議
ダハーカ語でドゥーエという。
ドピゥ戦役の際の大本営会議が起源。
議員定数は総数9名。
執政と五将軍を参議(ニアメ)とし、その他王が指名した参与(ツバウ)から構成され、その職掌は政治・軍事・宮中・祭祀など多岐にわたり、事実上の国政最高機関となっている。参議と参与の違いは、参議には議決権があり、また任期は終身であるのに対し、参与には議決権はなく、任期は3年と定められている。
基本的には多数決制だが、参議には拒否権があり、一人でも拒否権を発動した場合は廃案になるか、王の聖慮を求められる。
初期の頃は議論が白熱しすぎて殴り合いになったので、そうならないように、一度着座したら王の許可があるまで立ち上がってはならないという
ルールがある。
参議一覧(席次・序列順)
- ナラム(王国総執政)
- バセンジ(モフモフ族・族長)
- エホーマキ(ユダバンディ)
- ミウ(エドーコ族)
- トーマ(フェミ族)
- フェンリル(外国出身者)
参与一覧
政治勢力
平和に見える国情だが、いくつかの政治勢力があり政争が絶えない。
| 名前 |
指導者 |
概要 |
| 皇王派(ヌギ派) |
ハダカンボ11世ヌギ |
現皇王ハダカンボ11世ヌギを支持する派閥。部族による支持を前提としていないため政治基盤が弱く、ヌギの個人的なカリスマ性と軍事力によって統治していると言われている。ヌギ派というのは政敵からの呼称。 |
| ふくろう党 |
グラヴィヤ |
ネイ王子を正当な皇王とする一派。グラヴィヤの隱遁先であるふくろう谷を拠点てしていることからふくろう党と呼ばれる。過激な主張をする反皇王派急先鋒であり、王府から監視されている。 |
| クマタク派 |
ストロク |
旧イマラ族の残党による地下勢力で、現在はジャングル奥地で再起を図っている。かつての部族合議制への回帰を目指しており、反皇王派として活動している。ふくろう党から従属すべしと勧誘されるも、グラヴィヤの専制主義には反発している。名前の由来はイマラ族の本拠地があったクマタク川から。 |
| マッパダカ派 |
シラス |
部族の自治を拡大すべきとする一派で、マッパダカ族を中心に形成している。クマタク派と違い、中央政治には興味がなく、自らの自由を要求しているにすぎないため、反皇王派というよりはどちらかというと穏健派である。そのため一枚岩ではなく、同じく分権派であるエドーコ族のように王府に出仕している部族もいる。 |
司法
各部族長が独自に裁判権を持ち、部族ごとの掟によって裁かれる。部族間の争いは皇王による裁定が行われる。互いに異なる部族所属の個人が争いになった場合も同様だが、訴人が希望すれば決闘裁判になることがある。決闘裁判はどちらかが死ぬか戦闘不能になるまで行われ、過去に多くの死者が出たことから、19世紀半ばからはほとんど行われていない。
死刑以上の決裁は皇王しか下せないため、殺人などの重大事件等は皇王に決裁が求められる。
刑罰など
最高刑は死刑であり、死刑方法は王族、部族長、将軍、大臣などの貴人には石打ちの刑がなされる。賜死という形で自決を命じられたり、皇王が直接手を下す手討ちなどがあるが、これは刑死とみなされず、むしろ名誉なこととされる。
また、死刑から一等減じた宮刑という刑罰がある。まれに戦争捕虜に行われることがある。
男性器、特に睾丸を切除する刑で、これを受けた男性は戦に行くことを禁じられ、また、戦士の権利も失う大変不名誉な刑である。
刑を受けた場合、男性として生きていくことが出来ず、女性とともに家事などを手伝うことでしか生きていくことが出来ない。それ故に、去勢された男性は部族社会では最下等の存在とみなされる。王による情状酌量が認められた場合は宦官という形で王宮に召し抱えられることがある。
女性の場合の宮刑は片方の乳房を切り取られる刑で、両方切り取られた後に三度宮刑を処せられた場合、斬首となる。
宦官
去勢された男性で、主に宮中での家事などを任される。1932年現在10人勤務している。部族内で家事や雑用を任される者と違い、権力中枢に食い込むこともあるために、一族から宦官が出た場合はむしろ盛大に送り出される。歴史的にはストリプ王朝の頃にはすでにあったとされ、スッパダカ王朝でも皇王の擁立を左右するなど絶大な影響力を誇ったこともある。歴史の暗部を担っており、諜報活動なども行う政治警察の役割も行っている。
立法
法律の概念はないが慣習法による全土で通じる法から、部族の掟という形で社会生活上の
ルールが定められている。また、勅令という形で全国統一法が発せられることもあるが、これは王と部族の力関係に左右されやすい。王権強化に努めたハダカンボ10世以降は勅令を乱発し、半ば常態化しつつある。
基本的に刑法は部族の管轄だが、どの部族の掟でも殺人や窃盗は罪とされる。
歴代皇王
王位継承に一律的な法則はないが、多くの場合は嫡男が継承するのが通例である。また、王の指名によって事前に王太子が定められる。相続は男系男子が原則だが、他の部族同様に女子の相続も認められており、第7代ハダカンボ7世は女性である。
- ハダカンボ1世ハレンティ(聖王)(在位:1755~1778)
- ハダカンボ2世ダツィ(守成王)(在位:1778~1780)
- ハダカンボ3世スポポン(英雄王)(在位:1780~1794)
- ハダカンボ4世オヴォン(英明王)(在位:1794~1809)
- ハダカンボ5世ノパン(無謀王)(在位:1809~1810)
- ハダカンボ6世ストリク(失地王)(在位:1810~1836)
- ハダカンボ7世フゾク(女傑王):唯一の女王(在位:1836~1842)
- ハダカンボ8世ズルティン(痴愚王)(在位:1842~1847)
- ハダカンボ9世ホーケイ(長寿王)(在位:1847~1909)
- ハダカンボ10世フルティン(豪傑王)(在位:1909~1927)
- ハダカンボ11世ヌギ(獅子王)(在位:1927~)
国民
文化
国民の大多数を占めるダハーカ人は前述の歴史的経緯からの宗教的理由により基本的に衣服をつけないことになっているため全裸で生活している。そのためアクセサリー類を除いた衣装は身につけない。高山などの寒冷地に行く際も簡素なマント状の衣類しか身に着けず、寒さ対策用にアザラシの油などを全身に塗るくらいしかしない。
国によっては民族衣装と認められる場合があるが、殆どの国や地域では法に抵触するため、現在では「大地神ゼン・ラーの加護が及ばない土地では衣服を身に着けても問題ない」という神示勅令のもと、外国渡航の際には衣服を身につけることを推奨している。
臀部・肛門をこすり合わせるのが友好の証で挨拶とされ、逆に男性同士が勃起した性器をこすり合わせるのは威嚇の姿勢を表し、決闘の申し入れとみなされる。
性的なものに対しておおらかなので全裸が恥ではないどころか、公然の場で自慰行為や性交をすることも普通に行われている。
人々の殆どが暇なので毎日性行為をしたりしているが人口が爆発的に増えないのは豚の腸などを使った避妊具などを用いているためであると言われている。
石器時代の暮らしをほぼ保っており、金属器は装飾品以外には用いない。建築という概念がないため、人々は洞窟や露天で生活している。そのため「石器時代に戻してやる」と爆撃しようにもすでに石器時代なのでこれ以下の暮らしにはできない。
言語
ダハーカ語という周辺の国との関連性が不明な孤立した言語を有する。スッパダカ島全域で話されているが、地域ごとに方言があり、フルヌゥド近郊の北部方言が標準語とされる。
独特の吸着音が特徴で、さらにnとngの発音の違いで意味が変わることもある。
ダハーカ文字というものが遺跡や神殿の壁画に刻まれているが、これはすでに継承されておらず、併記されている
古代ヤード語で意味などが解明されているに過ぎない。
- 今日から使える表現
- ヨハォ(おはようございます)
- パゥクニチェ(こんにちは)
- ルキォサァダ(こんばんわ)
- ナクァ ム レダッテン シムァ?(あなたは今死んでいますか?)
- ベー、オイ デ レダッテン ドッジャ ンゴロ!(いいえ、私は今、とてもお腹が空いています!)
- ナクァ ム ヒデブ シムァ(お前はもう、死んでいる。)
- オイ デ ヒゴンムァ?(私は熊ですか?)
- レダビ ジャ ナクァ チョルルォ。(今日のあなたはネズミです)
教育
教育機関はなく、子供の教育は家庭で行われる。12歳になると元服として成人として扱われる。
文字文化がなく国民のほぼ全てが文盲である。
音楽・舞踊
東タヴェリア文化圏に属しており、ンコチという伝統的な舞踊がある。
宗教
大地神ゼン・ラーを主神とする多神教を信仰している。
王はゼン・ラーの化身として神格化されており、毎年春になると一年の豊作を祈る
豊穣の儀(リンク先成人向注意)を皇王が主宰する。
生贄の文化が残っており、幼少期より育てられた生贄を神殿で神に捧げ、それを王が食すという風習がかつてはあった。
生命の肉体は大地神より借り受けているものとされ、人間が死んだ場合はジャングルに放置し風葬・鳥葬とされる。
家畜も屠殺ではなく自然死したものは食べてはならず、同様に風葬・鳥葬に処するものとされている。
古来より性と生は一体であるとされ、宗教儀式の大半には性行為が行われる。
宗教分布
伝統宗教 95%
メトラ教 3%
円十字教 1%
その他 1%
食文化
昆虫、コウモリ、猿などの野生生物の肉や遊牧が行われている地域では牧畜で育てた羊の肉を主なタンパク源としている他、植物はイモをすりつぶした料理も食べられている。
タヴェリアオオカタツムリという巨大なカタツムリを火で炙った料理も食されている。調味料は貴重品で主に塩が用いられるが、魚醤なども使われる。
代表的な料理
- クミチ=オルンポ:母乳で作った乳粥に男性の精液を混ぜたもの。少年の精液を混ぜると味がまろやかになり美味となる。主に祭事に食べられる。
- ノロタマイマイ:タヴェリアオオカタツムリの身を取り出し串焼きにしたもの。食感はアワビに似て美味。
- カナサクン:ハイイロオオイワシをペースト状にしたすり身。生で食べられる。
- ギョギョゥ:カナサクンを平らにして大鍋の表面で焼いたもの。
- ヤッツザックィ:猿の脳を魚醤につけそのまま食べる。精力剤としても効用があるとされる。
- タッタ:ハダカンボ風の唐揚げ。衣をつけないので素揚げで食べる。揚げる食材はイモから昆虫まで様々である。
民族
共通の言語を持つダハーカ系部族が主な民族だが、その中でもいくつかの部族があり、それぞれ大きな影響力を持っている。
獣人種もいるが、大地神ゼン・ラーを崇拝し、全裸で生活するなど共通の文化を持つ。
ダハーカ人はヒト科生物の一派ホモ・ソーラネウス種であり、ホモ・サピエンスと比較して肉体的に頑強であり、二次性徴を迎えた成人男性はほとんど筋肉質である。また、繁殖力も強く、妊娠期間は五ヶ月と短く、生涯に多くの子を産む。
- スッパダカ族:代々の王を排出している部族でダハーカ族最大の部族。もともとは神殿の神官であったが、王権を行使するようになってからは宗教的権威のもとに政治を行うことになった。族長は王であるハダカンボ11世ことヌギ。
- イマラ族:古代から続く名門の氏族。スッパダカ王朝創建の際から王の側近として使えときには王を傀儡にするほどの権勢を誇るが、ハダカンボ10世の頃に事実上失脚し、再起を図った反乱で王府軍に敗れ滅亡。他の氏族が旧領に戻って再度統治を委任される中で、イマラ族だけは四族滅殺に処され、女子供を含む数万人が皆殺しにされた。最後の族長はシャクファチ。旧イマラ族の領地は皇王私領とされた。
- フーエラ族:古代から続くシャクファチの乱で敗れ滅亡。その後東西に分割して旧領統治を委任される。東フーエラ族族長はコク。西フーエラ族族長はソウジ。
- マッパダカ族:スッパダカ島南部にて大勢力を誇る部族で王権に服属しない最後の部族。言語も独特の表現を持つ南部方言を話す。族長はシラス。
- エドーコ族:古くから漁業で生計を立てている海洋部族。王国の海上警備も担当しているが、あくまで王家とは対等な同盟に過ぎず、従属関係にはない。イマラ族滅亡後周囲を完全に天領に包囲されてしまい以前よりも王府への従属度が上がっている。野暮を嫌い粋を好み、血の気が多く喧嘩っ早い。シースという握り飯に生の魚介類を乗せた独特の料理が食べられている。族長はカイシュー。
- フェミ族:ダハーカ諸部族の中で唯一女系社会で成り立っている部族。初代ハダカンボ1世の正室を出した名族。一妻多夫が伝統で、伝統的に女性の権力が強い。部族長も代々女性。外部から男性が入ってこないように、24時間女性戦士による検問がなされている。族長はユウリ。
- モフモフ族:犬族(コボルト)で構成され、スッパダカ王家に最も忠実な部族で国内の警察権を担っている。鬼族ラクシャーサとの抗争で功績があったとされ、以来王家への年貢納入を免除されるなど他の部族とは別格の扱いを受けている。質実剛健を是とし、幼い頃より男女問わず戦士として教育される。王の代替わりごとに忠誠を誓う儀式が行われる。モフモフの男子にとって敗北は最大の恥であるとされ、いかなる勝負であっても敗北した瞬間自害せねばならないという掟がある。族長はバセンジ。
- ダチワ族:性交人形作りが得意な部族。かなり精巧な人形なので他の部族の独身男性からも人気が高い。海外にも輸出している。
- カンノ族:尖った耳が特徴で弓術に長けている。イクファターナではエルフという名で知られている。繁殖力が弱く、総数21名と数は少ないが、非常に長命でヒト族の5倍の寿命を持っている。族長はリン。
- ユダバンディ:ハダカンボ3世の時代に駆逐された鬼族の末裔。ダハーカ語で「投降者」という意味で、鬼戦争で捕虜となり服従することになった鬼族。ヒト族との混血が進んで純血種のような凶悪な見た目ではなくなったが、頭に角があるなど祖先の特徴を残している。個々の戦闘力は強く、合戦でのトドメなどに使われたりする。血が薄まっているためか繁殖力が弱く、また40歳以上は生きられず短命なため現在は4人しかいない。
飛び地の天領には代官が置かれている。
身分制度
皇王を頂点とし、その下に参議(五将軍)がいて皇王を輔弼する。さらに下に部族長たる諸侯が貴族階級として地方を治め、次に戦士団をまとめる士族、その下に一般の戦士を出す平民がいる。奴隷制は存在しない。皇臣とされるのは一般的に貴族以上であり、必ず臣下契約を結ぶことが義務付けられている。
医療
近代的な医療施設はまったくなく、医療は基本的に民間医療か呪医によるシャーマニズム医療しかない。
経済
国民の暮らしは周辺諸国に比べればかなり貧しく、国民の殆どが原始的な暮らしをしている。食料の生産は農業よりも狩猟採集に偏っている。労働という概念がなく、生きるために必要な食料を得たらその日一日は遊んで暮らしている。
物価水準
国家予算規模:1億8000万YR
白米10kg:30YR(昨年1年間平均)
チーズ1kg:85YR
仔牛一頭:200万YR
特産品
| 座標 |
ブロック名 |
産出原料 |
| S25 |
スッパダカ島北部 |
ゴム、熱帯木材 |
| S31 |
スッパダカ島南部 |
貴金属、果実 |
| S30 |
ファンブル諸島 |
魚、阿片 |
農業
伝統的に天水農業・焼畑農業が中心で、大半の国民は移動式の生活を送っている。
主な農産物は米、サトウキビ、ジロイモ。
特に稲作は外貨獲得に重要な産業であるが、直播きかつ陸田であり、生産性は高くはない。
水産業
島国ということも有り古来より漁業は盛んである。近海での漁業はもちろん遠洋での漁業も行っている。
工業
大規模に商品を生産している施設は皆無で殆どの国民の消費財は自家生産か近隣の住民と交換しあっているので工場などで消費財を生産する必要がない。少量生産される民芸品は観光客向けのお土産としても売られている。
商業
貨幣制度はなく、商取引は主に物々交換でなされ、富の大きさは羊を何頭所有しているかで表される(国内最大の富豪は王家であり羊を3万頭保有しているといわれる)。
常設されている商店はなく、フルヌゥドでは定期的に市が開催されたり、全国を巡業している行商人が存在している程度である。
対外貿易は少額だが行われており、
ジャーガルク・シャー国、
ディヴィーカ等の近隣諸国相手の交易を行っている。
主な輸出品目は、食肉、民芸品、木材。
逆に、輸入品は薬品、穀物などである。
対外取引のために外国資本との商取引は外貨支払も認めている。
対外関係
| 国名 |
友好度 |
詳細 |
| ディヴィーカ |
良好 |
近隣諸国ということで繋がりが深い。古くから交易を行っており、外部の人間をあまり信用しないマッパダカ族もディヴィーカ商人は信用できるとしている。 |
| ジャーガルク・シャー国 |
険悪 |
周辺海域で漁場を荒らしているので海を縄張りにしているエドーコ族が憤慨している。 |
| ザルバチ海岸共和国 |
警戒 |
ドピゥ外寇を引き起こした同胞の本拠地であり、また、同国が有色人種やタヴェリア人を不当に差別していることに対して不信感を持っている。 |
| フォンタニエ辺境伯国 |
普通 |
近年「発見」された国同士なので親近感を持っている。近々使節派遣を検討している。 |
| ソフィア王国 |
普通 |
ドピゥ戦役後民俗学研究のための学者が訪れるようになった。国書を送ったがいつまでたっても返事が来ないので遣ソフィア使を検討中。 |
ハダカンボ王国民の旅券は葉製紙に王府の御璽を押印し、証明書を記載したものである。各国に通知済みなので一応旅券として通用する。
軍事
皇王が全軍の統帥権を持つ。軍は部族の有力者が将官クラスの軍人として跋扈しており、兵士も部族から供出されているため部族の影響力が強い。歴代の皇王はこれら部族系軍部との対立と妥協を繰り返してきたが、第10代ハダカンボ10世はこれに対抗して皇王直属の禁軍を中央軍として設立し、従来の部族出身の軍隊を地方軍として地方警備の任に当てた。これにより地方の軍閥化が進む一方で中央政界における部族の影響力は大幅に低下し皇王専制政治が行われるようになった。その後イマラ族の乱のあとのソミンサイの勅令で地方軍が解体されると全軍が王の指揮権に入った。
軍制は皇王を総司令官とし、その下に左右の五将軍が陸海軍参謀として輔弼する。(皇王-五将軍-千人戦士長-百人戦士長-十人戦士長-戦士)。戦士は主に歩兵だが、機動戦力として騎兵(馬・馬鳥)が存在する。鐙はなく裸馬に乗るので熟練した戦士が多い。
使用する兵器は大楯・石槍・弓矢を基本装備とし、その他にはキマウというスリング式の簡易投石器、先込め式の火縄銃を装備した部隊もある。
水軍はジャンク船に酷似した構造の船を用い、敵の船に乗り込んで白兵戦に持ち込むという戦術を使用する。
(伝統的なハダカンボ人の戦士の衣装。基本装備は石槍・大盾・短刀。陰茎を紐で縛って固定して駆けやすくし、機動力を上げている。)
陸軍
全陸軍は5個軍団から構成されており、それぞれ特性に応じて役割が与えられている。
| 軍団名 |
司令官 |
詳細 |
| 第1軍団 |
ハダカンボ11世 |
皇王直轄の軍団で最も勇敢で武芸に優れた者が集められた最精鋭部隊。歩兵、馬鳥騎兵、軽火器兵の混成軍団であり、歩兵による白兵戦と火器による援護ののち、騎兵突撃で決着を付けるという伝統的な戦い方を行う。 |
| 第2軍団 |
バセンジ |
モフモフ歩兵から構成される亜人部隊で、驚異的な身体能力を持つことから露払いや最先鋒を担当することが多い。ジャングル内部での戦いでは機動力を生かしてゲリラ戦なども行う。 |
| 第3軍団 |
トーマ |
平均年齢が最も若い経験の浅い戦士を統括する部隊。弓兵などで援護射撃を行うなど補助的な役割に徹することが多く、主に敵の足止めなどを任務とする。 |
| 第4軍団 |
エホーマキ |
追撃用・反撃用の予備兵力として工法に控えている場合が多い。主に戦歴の長いベテラン戦士が所属しており、ダハーカ戦士にとって第1軍団についで配属されることがステータスとなっている軍団。 |
| 第5軍団 |
フェンリル |
ドピゥ戦役以後新設された軍団で、ドピゥ戦役で当時客将の身分だったフェンリルが寄せ集めの兵士を用いて戦ったのがはじまり。ソフィア式の訓練を実施しており、最も規律が厳しいとされる。 |
水軍
王国五将
王国五虎将軍とも言われる名将たち。政務に置いては参議を兼任する。ドピゥ戦役で功績があった五人の戦士にそれぞれ「忠・勇・智・仁・信」の称号が与えられておりそれぞれ部族長と同等の特権が与えられている。本来は当時の総戦士長タムケン、エガチャンも加えて王国七将軍だったが、二人がすぐに隠居して五将軍となった。
五将軍の主な特権
- 各部族長への戦時命令権
- 食料無償支給
- 全島における漁業権・狩猟権(釣り・狩りし放題)
- 王への謁見の際に最敬礼の免除
観光
「最後の裸族の国」として興味本位で観光する者がそこそこいるが交通手段が限られているので入国自体は簡単ではない。人々が純朴なため昔から旅人は歓迎されるが部族によっては攻撃的な集団もあるので単独で部族の領地に入ることは推奨されない。部族領に立ち入る際は、王府に届け出てガイドをつけてもらうと安全である。外国人が全裸になる必要はないが、全裸になることは歓迎される。入国すると一度フルヌゥドの王府で王に謁見しなければならない。これが事実上の入国審査である。当然ながら国民の大半が全裸なので観光客はかなり目のやり場に困るという声が多い。
飛行機を受け入れる空港がないので王都フルヌゥドに行くための交通手段は船舶かチャーター機ぐらいしかない。
路上で性行為に及んでも罪には問われないが、強姦はいかなる理由があろうとも拘束される。たまに勘違いした観光客が路上の女性を強姦する事件が起こるが、そういった者はただちに現地当局に拘束され、強制退去となり再入国ができなくなる。
ジャーガルク・シャー国のホラァ港、もしくは
ディヴィーカのジェナーテラ港から三ヶ月に一度、定期便の貨物船が出ており、それに搭乗する。約30時間かけてシュイン港に到着する。原則としてこれが王国政府が認めた正式な入国方法であり、特に、ドピゥ戦役以降は正規の入国手続きを経ない密入国者は即座に捕縛されることになっている。
入国後は必ずフルヌゥドの王府にて王の謁見を受けなければならない。この時動物を持ち込んでいた場合は王府に預けなければならない。また、感染病伝来を防ぐために病気持ちの場合は速やかに申し出なければならない。これでようやく正式に入国許可が下りる。旅券への入国スタンプもあるので、希望者は申請すれば押してもらえる。秘境の島の、しかも金印の入国スタンプは記念の土産としてはかなり希少価値がある。
無論次の定期便が来るまでは島から出ることはできず、出国時も必ず王府に出向き出国許可を受ける。この時持ち出し禁止品がないかを調べられる。外国への持ち出しが禁じられているのは、金塊、阿片、固有動植物などである。
公衆衛生など
衛生観念に薄く、入浴はおろか身体を洗うという習慣はなく、乾季の水浴びや泥などで著しく汚れた場合に川で洗う程度である。また、雨季のスコールをシャワー代わりにすることもある。
便所などもなく、河川付近では川で排泄するが、それ以外の地域ではその場で排泄する。熱帯地方なので分解が早く、放置しても大量にたまることはない。人前でも平気で排泄するので外国人は面食らうことが多い。そのため観光客は草の茂みで用を足すしかない。
風土病
| グールー(震え病) |
古代から続いている風土病。全身の震えが止まらなくなる病気で、笑いが止まらなくなることから別名笑い病とも言われる。主に王族が罹患することが多く、第7代ハダカンボ7世の死因がこれといわれている。その原因は生贄を食するという風習であるとされ、その原因判明以降は生贄食の儀式は行われなくなった。 |
| タヴェリア住血線虫 |
ネズミを終宿主、ナメクジ・カタツムリを中間宿主とする寄生虫。中間宿主によって汚染された食品を食することによって感染し、2〜35日(平均16日)の潜伏期の後発症し、患者は微熱から中等度の発熱、激しい頭痛、項部硬直、悪心、嘔吐、脳神経麻痺などを示し、さらに筋力の著しい低下、知覚異常、四肢の疼痛などを示すこ ともある。その他、複視、運動失調などを示す 場合があり、感染虫体数が多い重篤例では昏睡に陥ったり、死亡する場合もある。タヴェリアオオカタツムリに多く寄生しており、加熱が不十分な場合や、それの這った食品を食した場合、また触ったまま鼻孔口腔に触れた場合に感染する。 |
| ラルサ出血熱 |
獣人にのみ発症する奇病。数年単位でモフモフ族の間で散発的に発生する。ラルサウィルスというウィルスによって感染し、感染源は中間宿主である野生動物と言われる。感染者の精液・血液からも感染し、感染力は強い。ヒトへの感染は現時点で確認されていないが感染者は王命により隔離される。潜伏期間は約1週間ほどで、発症すると1~2日で下血・吐血・激しい下痢を催し、3日以降皮膚から激しい出血が起こり、7日目に体腔や内蔵から激しい出血を起こし死亡する。致死率は非常に高く、60%と言われている。一度発症すると免疫ができて再発しなくなる。 |
治安
人々が純朴で盗みや猟奇殺人などが行われることはなく、国内を通じて治安はとても良い。それでも発生する犯罪取締のために各地にモフモフ族の警邏士が配置されており、犯罪取締等の警察活動を行っている。各部族(特に南部地域)の慣習として首狩りなどをおこなっている部族(特に内陸部)もあり、外国人が狙われることもあることから、フルヌゥド外部ではモフモフ族のガイド兼護衛を付けることが推奨される。
地理
領土
王国本土で王府がある島。全土がジャングルに覆われ、道路と呼べるようなものはなく、交通路は獣道程度しかない。
王宮の存在する王都で国内最大の定住集落。人口は国内最大で約15,000人。首都と言ってもジャングルの中にあり近代的建築物はほぼなく、人々は洞窟群、樹上に簡素な屋根を付けた小屋、もしくは露天で生活している。王宮も巨大な洞窟の中にある。王宮の上にある石造りの建築物は大地神を祀る神殿で、王家の儀式などの国家的行事で使われる。
人口7900人。南部マッパダカ族の集住集落であり、フルヌゥドに匹敵する繁栄を誇っている。
フルヌゥドとちがって石造りの建築物は一切なく、またわらぶき屋根の小屋も洞窟もないため、人々は完全に露天生活をしている。
センゼリ山脈の中にあるスッパダカ島最高峰の活火山で標高3333m。ダハーカ諸部族の聖地であり、大地母神ゼン・ラーの御神体とも言われている。高高度地帯では永年積雪地帯となっており、聖地巡礼には全裸では大変厳しい土地だが、アザラシ等の油を全身に塗って登山しなければならない。
ほぼ毎年噴火しており、大規模な噴火で麓の集落が壊滅したことがある。
天領の飛び地であるが、外国人の立ち入りは厳しく規制されており、海外のメディアが1931年に無断で一度だけ入山をした以外は一切の立ち入りを禁じている。
王国最東端の岬で沿岸の海岸洞窟にはダハーカ神話の海神ポンズの神殿がある。
海からしか入れず王族のみ拝殿でき、一般人の上陸は禁止されている。
センゼリ山脈北部にある渓谷でテコキ川の源流がある。人の住まない不毛の地であり、常に強風が吹いており、風の音がフクロウの鳴き声に聞こえることからあふくろう谷と言われる。
オシコリビーチとして知られる海水浴場。
地元の人間も利用するのでヌーディストビーチとしても有名。観光客も全裸で海水浴することができる。
ドピゥ戦役の激戦となったオシコリ浜上陸戦の戦場ともなったため、今でも弾丸が発見される。不発弾はおおかた処理されたが極稀に見つかることがあるので茂みなどでは注意が必要。
人口200人ほどと言われている孤島。本土のダハーカ人も未だ島民との接触はできていない。理由は外部の人間に対して無条件で弓矢で攻撃してくるためでありその理由は定かではないが、はるか昔に島外の人間からひどい仕打ちを受けたためではないかとも言われている。そのため王国領でありながら事実上は島民の自治領として保護されている。
絶海の孤島で古くから流刑地として利用されている。周辺の海域は海流が早く簡素な筏では脱出ができない。ハダカンボ1世の異母弟アキラヒャッパ王子が流されるなど歴史的に政争に敗れた王侯貴族などの政治犯が流刑となっている。
気候
熱帯気候に属し、一年を通して雨季と乾季に分かれている。雨季になるとほぼ毎日雨天となる。最高気温は40度に達することがあり、非常に暑い。
土壌
熱帯地方特有のラトソル土壌で形成されている。循環が早く土壌は極端に痩せており農業には適さない。ただし焼き物には最適の土壌であり、早い時期から様々な土器が作られていることがわかっている。現在ではハダカンボ陶器は芸術的価値のあるものが数多くある。外国人にとっては入手困難なこともありイクファターナでは高値で取引されることもある。
動植物
大陸から離れているため独自の進化を遂げた生物が多数生息している。
動物
| ヒガシオオウマドリ(チポ) |
東タヴェリアに生息する大型の鳥類でウマドリ科最大種。ダハーカ語ではチポと呼ばれている。知能が高い上に人になつきやすいため、多くは家畜化されている。首が長く体高は2メートルを超える。古くから運搬手段や軍羽として利用されている。馬が時速50kmで走るのに対し、本種は人を乗せた状態でも最高時速80kmで走れる。 |
|
| タヴェリアオオカタツムリ |
世界最大の無脊椎動物で、主に食用で食べられている。火を通すとアワビのような食感で珍味として珍重されている。有害な寄生虫がいるため、生食は厳禁、素手で触ることも危険である。 |
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| ハイイロオオイワシ |
全長40センチにもなる巨大なイワシ。タヴェリア周辺海域に多数回遊している。 |
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植物など
| オチャダシヤシ |
スッパダカ島全域に生えている椰子。ヤシの実からは良質なココナッツミルクがとれる。 |
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| タケリタケ |
形状が男性の陰茎によく似ている。催淫効果があるが、毒性が強く、食べると幻覚等の神経中毒を起こす。そのため儀式の際はトランス状態になるために用いたりする。 |
|
通信
国内で唯一王宮にだけ黒電話がある。各国首脳と連絡をとりあうために必要とのことで外国資本によって導入。しかし肝心の電話の使い方がわからず殆ど使われていない。
電信技術はないが遠距離通信に狼煙や手旗信号などを使って遠距離地点に対して迅速に正確な情報を伝達することができる。ドピゥ戦役では敵軍の情報を王府に伝え初動対応で役立った。
郵便
大半の国民が文盲なので郵便制度がない。
物流
遠方の人間に物資を届けたいとしても物流システムがないので代理人に届けてもらうか自分で届けなければならない。
国内交通
公共交通機関がなく、王族は輿に乗って移動することもあるが移動はもっぱら徒歩か馬鳥に騎乗での移動になる。道路はすべて未舗装で河川には橋がかかっておらず、国道と称する幹線道路の何箇所かの区間はジャングルの中を通る獣道だったりとかなり劣悪な状況である。雨季になると河川は氾濫し、道もぬかるむため移動が困難になる。幹線道路には部族の領地を通る区間があり、地域によっては莫大な通行料を取られることがある。
主要人物
| 名前 |
詳細 |
能力値 |
画像 |
| ハダカンボ11世 |
前皇王ハダカンボ10世の第11王子。本名はヌギ。11歳の時にハダカンボ10世が崩御した折に第2王子ラータイが宮廷クーデターで王太子ヘアヌドをはじめとする王族を虐殺するも軍との軋轢からすぐに殺害され、たまたま聖地巡礼にて難を逃れていたために王位が転がり込んでくる。人懐っこい性格で、誰にでも親しく接するため多くの国民に慕われている。抑圧的で武断政治を行なっていた先代ハダカンボ10世とは対照的に王は民の最大の友であるという信念を持つ。それ故に民を犠牲にする外国の近代化には疑念を持っている。よく一人で天領などを出歩くため多くの観光客が彼が王であることに気づかず、謁見の時に驚かされることも多い。整った顔立ちであり女性にはよくモテる。著しく絶倫で、所構わず女性に手を出すため15歳の時点で子供が85人いると言われている。無論正式な妾ではないので全員王位継承権はない。 |
 |
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| ナラム |
王国総執政兼外務卿。ハダカンボ11世ヌギの幼馴染でスッパダカ族の平民家庭出身。両親が乳児期に死亡したため王と乳兄弟の関係。シャクファチの乱でヌギ王子の皇王即位に大きな貢献をしたことから王府に唯一アポなしで出入りを許されており、皇王と同等の権限を与えられるなど絶大な権力を保持している。ヤードの支配体制をもって改革を推進することを理想としているため、官僚主義的な政治思想を持っており、民主的な国政を目指す皇王と対照的に官僚主導の有司専制による強権的な統治体系を目指している。平民出身でありながら貴族と同等の格式を以て待遇されており「アジャリバジ(筆頭者)」の称号でも呼ばれる。 |
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| バセンジ |
王国五将の筆頭で忠の者。モフモフ族の若き族長。族長就任前はハダカンボ10世に近習として仕えていた。古風かつ武断的な性格で、ハダカンボ11世のことは女好きの軟派者としてはじめ嫌っていたが、見事な槍働きと合戦での采配ぶりを見せられて以降は忠臣として振る舞うようになる。シャクファチの乱とドピゥ戦役では最前線で戦い、数々の武功を上げた。武術の腕は鬼族を含めてスッパダカ島では最強とも言われる。エホーマキとは犬猿の仲でいつもケンカばかりしている。 |
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| エホーマキ |
王国五将の一人で勇の者。ユダバンディの戦士。毒舌家で気まぐれなので王命であっても従わないことがある。ヌギとは義兄弟の契りを結んでいる。血と闘争を好む鬼の本能を色濃く受け継いでおり、戦いの際は生き生きとする。戦いの際は常に笑みを浮かべており、笑いながら殺しにかかってくることからイクファターナでは"Smiling Devil"と呼ばれている。ドピゥ戦役で国際的に有名になったことで観光客が興味本位で会いに来るので迷惑している。普段はマン湖畔の顔面岩で昼寝している。バセンジのことを勝手にライバル視している。 |
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| トーマ |
王国五将の一人で信の者。フェミ族出身で男は幼い頃から一族を追放されるため幼少期からフルヌゥドで暮らしている。ダハーカ拳闘の名手で華奢な体つきから繰り出される正拳突きは多くの屈強な戦士を地に伏せさせた。毎年フルヌゥドで行われる拳闘大会で優勝をかっさらっており、拳一つで国一番の富豪にまで成り上がった。お遊びでキルクスに参加し、全試合KO勝ちで金メダルを獲得。イクファターナのボクシングチャンピオンを5秒でKOしたことでイクファターナのボクシング界でも有名な存在となり、数多くのボクシングジムからスカウトが来ている。 |
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| フェンリル |
王国五将の一人で智の者。本名フェンリル・ヨアヒム・フォン・バーベンベルク。ハダカンボ王国軍における数少ない知将。ソフィア王国門閥貴族バーベンベルク公爵家出身の元陸軍大尉。本国ではかなり優秀だったらしく、若年でありながら大尉にまで昇進したのは異例とも言われる。1929年タヴェリア大規模演習のために東タヴェリアに派遣される途中で軍艦が難破しスッパダカ島に流れ着く。外部との交通手段が殆ど無いので帰るに帰れないのでしかたなく定住することになった。ドピゥ戦役では参謀として作戦案などをだしており、諮問に対して即座にかつ正確に献策していることから「泉の水のごとく知謀が湧く」とまで評される。性格はソフィアの軍人気質を反映しており、極めて生真面目だがどこか抜けているところがある。本国では死亡したものとして扱われているため、二階級特進で中佐となっている。好物はビチェロのソテーアルビナ風でたまに自分で作って故郷の味を楽しんでいる。ソフィアから来ている観光客の通訳や観光ガイドなども行っている。 |
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| ミウ |
王国五将の一人で仁の者。五将軍の紅一点。エドーコ族族長カ・イシューの娘。仁義を大事にするエドーコ族らしく、義理堅く、約束を違えることを嫌う。王国水軍頭領を兼任し、海上警備全般を担当している。女性とされてはいるが、半陰陽であり男として育てられたためたいへん荒っぽく、口は大変に悪い。しかし反面面倒見がいいのでなかば隠居した父に代わって海の男達をまとめ上げている。 |
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| ラスコ |
王室に仕える宦官。旧イマラ族出身。ヌギの幼馴染であり、細事を任されている秘書的存在。性同一性障害で、男として生きていくことを捨て、自宮して宦官として王室に仕官するもハダカンボ10世からは軟弱者と罵られた挙げ句部族からも追い出される。ジャングルで餓死するしかないところをヌギに救われ以後ヌギの側近として仕えている。表向きは宮中の家事全般から政策の庶務を取り仕切っているが、裏の顔は秘密警察の長でもある。あらゆる情報をそのまま皇王に報告するため、ヌギに対して恋しておりかつ絶対の忠誠を捧げており、ヌギの信頼は厚いが、周囲からは蛇毒のごとく嫌われている。イマラ族の族長一族だったこともあり宮廷や部族の事情に詳しく、シャクファチの乱ではヌギ側につき、イマラ族への密偵として暗躍した。また、アトリオンへの留学経験もあるため海外の上流階級の作法にも詳しい。 |
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| エガチャン |
禁軍初代右翼総戦士長(陸軍元帥相当)で軍部における王の側近の一人。禿げ上がった頭に高いテンションで敵の戦意を喪失させたところを攻撃するという極めて高度な戦術を得意とする。東洋の武術セクシーコマンドーの奥義を修めたとも言われ、その実力は国内随一と言われる。ドピゥ戦役後に五将軍体制が成立した後に引退。 |
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| タムケン |
禁軍初代左翼総戦士長(海軍元帥相当)で王の武術師範も兼ねている。槍術の使い手として国内外でも有名。独特のポーズと「チャ~」という気の抜けた掛け声とともに繰り出されるやりさばきは歴代最強とも言われる。ドピゥ戦役後に五将軍体制が成立した後に引退。 |
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| ロッシュ |
ヌギの教育係で王府における最長老。何かと頭が固く、王としての威厳がないヌギに小言ばかり言っている。名目上は摂政だが、実権はないものの、長老として多くの人間から敬意を表されている。 |
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| ネイ |
前王太子ヘアヌドの嫡男でハダカンボ11世の甥にあたる。元王太子妃で母であるグラヴィヤを首魁とする政治派閥に担ぎ上げられる。しかし本人は政治には興味がなく、むしろ王を尊敬しているので対立するつもりがない。戦士として役に立てるように毎日鍛錬に励んでいる。 |
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| マルルダシ |
正室クリス王妃との間に生まれたハダカンボ11世の嫡男。4歳。 |
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| グラヴィヤ |
前王太子ヘアヌドの正室でヌギの異母姉でもあり、つまりネイの生母でもある。かなり高慢な性格で、王家の格式や伝統というものをとても重んじている。本来王位につくはずだった息子のネイを差し置いて王位についたヌギを憎んでおり、王太子死後は隠遁しつつも実子であるネイを王に担ぎ上げようと画策している。頭脳明晰であるが狡猾で冷徹な性格であり、実子のネイすらも政争の道具にしか思っていない。自らも王位継承権があるが、あくまで自らの血統から王を出すことにこだわっており王位そのものには興味が無いらしい。 |
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| クリス王妃 |
旧名はクリスティン・メアリー・ネルソン・フリーマン(CMNF)。現王妃で元はアトリオン系移民の農家出身。全国巡幸中に見初められて王宮入りする。はじめ全裸になることを嫌がったがなんとか説得し、儀式の時以外でも全裸で過ごすようになる。その後真っ先に王子を産んだために正式に結婚し王妃となる。 |
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| ツヨポン・クサナギ |
東洋からやってきたという元アイドルの中年男性。全裸で一年中過ごせる国があると聞いて帰化申請した。入国直後に「裸になって何が悪い!」と絶叫して全裸になったところを全世界に放映されて大問題となる。 |
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| マミ |
ハダカンボ11世の実母で前王の側室。南部出身で元は王妃付きの女官だったことから当時の王妃に疎まれ、ヌギ王子とともに王宮から追放されてしまう。しかし前王が唯一心の底から愛した女性とも言われている。追放期間中に死亡。 |
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| ターちゃん |
ジャングルの王者と称されるタヴェリア最強の戦士。しかし実際にはサバンナの草原地帯に住んでいる。偉大な戦士の特権として、唯一王への敬礼を免除されている。 |
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人物相関図
歴史上の人物
| 名前 |
詳細 |
能力値 |
画像 |
| ハダカンボ1世 |
スッパダカ王朝の始祖。本名はハレンティ。スッパダカ族長ヌガシの長男として生まれる。父が25歳にして早世したため10歳にして族長となる。伝承によればキサバシリ大噴火の年(地質学研究の結果1775年と判明)に28歳にして部族長会議で皇王に推戴されたとあるので伝承通りであれば1727年生まれであることになる。政務ではイマラ族のロションがよく支え、王朝創建期でありながらその治世前半は安定したものとなった。しかし、1765年に盟友ロションが亡くなると、皇王親政を志すようになり、ジルガを10年に渡り開催しない、自らを崇拝するように命じるなど次第に横暴さが目立つようになり、1775年に部族長の連名でジルガを開催することを要求され、はじめは抵抗したものの1778年にジルガは再開され、その決議により廃位された。皇子が2人いたが、いずれも廃位と同時に処刑され、後継は王弟ダツィが継いだ。廃位後ジャングルに追放され一人寂しく亡くなったという。 |
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| ハダカンボ2世 |
本名はダツィ。ハダカンボ1世の5歳違いの実弟で、宰相ロションと共に兄を補佐した。ロションの死後はロションの息子が幼かったこともあり、単独で王佐を務めたが、兄の専横を抑えきれず、自身も諫言した故に罷免されるなどの憂き目にあう。1778年のジルガで復帰し、後継の皇王に推戴され即位。王としての最初の命令は兄の追放であった。即位後は部族の調整役に徹し、王朝の基礎を築いた。 |
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| ロション |
イマラ族出身の宰相で後に族長兼任。イマラ族の族長の次男として生まれ、スッパダカ族に人質として送られる。このときに後に皇王となるハレンティと出会ったとされる。一人の指導者のもとに全部族を統合すべきという建議をジルガで提起し、ハレンティの即位に貢献した。カリスマ性ではロションこそが王にふさわしいとされたが、自らは王位には興味がなかったためにスッパダカ王朝が誕生した。しかし宰相として王を上回る権力を集めていたため実質的にイマラ王朝であるとも言われることもある。1465年権力の絶頂にあった時に不慮の事故で死去。享年55。 |
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| ハダカンボ9世 |
第9代皇王。父はハダカンボ8世、母はハダカンボ7世。即位当時は政務に熱心だったが、母親と近親相姦して二人の王子を作って以来無気力となりジルガには一度も出席しなかった。 |
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| ハダカンボ10世 |
故人。第10代皇王。大伯父ハダカンボ9世が嗣子なく崩御し、直系が断絶したので40歳で即位。王朝創立以来部族連合の筆頭に過ぎなかった王権を強化し、近代化改革を推進、白人富裕層を優遇し、海外貿易を盛んに行うなどタヴェリア最貧国から脱するなど名君として名高い一方で、政敵を容赦なく粛清したので雷帝の異名を持つ。地方部族の恨みを買い過ぎた結果、対立する部族との和睦の宴席で暗殺される。 |
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| ヘアヌド |
前王太子。ハダカンボ10世の嫡男の第1王子。文武両道、人望・能力ともに稀代の逸材と言われ、早くから10世をも超えるであろうと言われていたが、地方部族と手を結んだ第2王子ラータイによる宮廷クーデターにより殺害される。実子ネイが幼すぎるために死の直前に異母弟ヌギを後継者に指名して生き絶える。 |
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最終更新:2019年01月19日 19:06