6・229

「……夏凜さ~ん……」

 私が3本目の缶ジュースを飲み干したところで、樹はようやく姿を現した。道の向こう側から
ぶんぶんと手を振り、ぱたぱたと駆けてくる。
 「き、来たわね、樹……」
 私はぎこちない動作で空き缶を近くのゴミ箱へ放る。が、惜しくも狙いがそれてカコン、と
地面に落ちてしまったので、これまたぎこちない動作で拾い上げるとゴミ箱へ捨て直す。それから、
駅前スタンドの軒下から出て樹を出迎えた。
 「はあ、はあ、ごめんなさい……遅くなっちゃって……待たせちゃいましたか?」
 「い、いや、今来たばっかりだから……」
 膝で息をして私を見上げる樹を、私は見つめ返す事ができず、視線をあっちこっちにさまよわせる。
 「えと……ふ、風のヤツには、気づかれてないわよね?」
 「あ、はい……お姉ちゃんには、一人でお買いものに行く、って言ってきたので、大丈夫です」
 「そ、そう……」
 それだけ聞くと、もう話すことはなくなってしまい、気まずい沈黙が訪れる。
 「そ、それじゃあ、行きましょっか!」
 間に耐えられなくなった私はくるりと振り向き、ずんずんと改札の方へと歩いて行った。
 「ま、待ってください、夏凜さん! わたし、まだ切符を……!」
 私の背中から、樹のあわてた声が追いかけてきた。

 ――そんなさえない始まりで、私達のファーストデートは幕を開けたのだった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 私と樹は今、付き合っている関係にある。
 ……付き合っているというのは、その、だから、そういう意味での『お付き合い』をしているという事だ。
 きっかけは、ちょうど一か月前。誰もいない夕方の勇者部で、樹の方から告白されたのが始まりだった。

 『夏凜さん……わ、わたし、夏凜さんの事が、好きですっ!』

 そんな言葉で、樹は私に気持ちを打ち明けてきた。両目に涙をいっぱいためて、おびえているようにぶるぶる
震えていたその様子は告白と言うより、なんだか怖い先輩に呼び出しをくらっている後輩みたいな感じだったが、
ともかく。
 私だって、樹の事をかわいい後輩として憎からず思っていたのは確かだ。だけど、いざこんな風にはっきりと
気持ちをぶつけられ、またそれに応えなければいけない場面が来るなんて事は夢にも思っていなかった。
 私はその場で必死に頭を働かせた。自分は樹の事をどう思っているのか。後輩としては好きで――でも果たして
それは本当にそれだけなのか。私の本当の気持ちは――
 悩みに悩んだ末、出てきた言葉が、

 『わ、私も……樹のこと、大好きよ』

 だったのである。
 樹の『好き』に対して私の方は『大好き』とまで言ってしまっており、なんだか後から考えるととても恥ずかしい
のだが、それは置いておくとして。
 私と樹は、晴れて恋人同士となったのだった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「……夏凜さん? どうかしましたか?」

 がたんごとん、と揺れる電車内で、回想にふけっている私の顔を、いつのまにか隣の座席の樹がじっとのぞき込んでいた。
 「ふえっ!? べべべ、別に、何でもないわよっ!」
 「か、夏凜さん、静かに……」
 まっすぐこちらに向けられている視線に気づき、私は気が動転してしまい、ずずず、とシートを移動して樹から距離を取る。
 「ご、ごめん……」
 「うふふ、夏凜さんったら、おかしいですね」
 そんな私の様子を見て、樹がくすくすと無邪気に笑う。
 (う……かわいい……)
 不覚にも、その笑顔にきゅん、と胸が高鳴るのを感じてしまった。

 「……ところで……風、本当に気づいてなかったのよね? もしもバレたりしたら、大変な事に……」
 「大丈夫だと思います。いつも通りおやつを食べながら『おー、行っといでー』なんて言ってましたから」
 「だといいんだけど……」
 私ははあ、とため息をつく。

 ……樹と付き合い始めたはいいものの、私は大事なことを失念していた。
 (――恋人同士って、いったい何するものなのかしら?)
 今まで通り、部室に行けば毎日樹とは顔を合わせられるし、おしゃべりもできる。私としてはそれだけで満たされてしまって、
それ以上の何かをする必要性を感じられなかったのだ。
 だが、ある時。
 『今度の日曜日、デートしませんか? ふたりきりで』
 樹から、そんなメールが送られてきた。

 デート。

 その3文字を見るだけで、私の心拍数と血圧はぐんぐん上昇していった。
 (そ、そうよね……恋人同士なんだから、デートくらい、しなくちゃね……)
 にわかに緊張し始めた私は、部屋の中をぐるぐると歩き回り、ああでもないこうでもないとデートプランを練り始めた。
 どこへ行こう。何をして遊ぼう。食事なんかも、行先を決めないといけない。
 色々と頭の中に去来する事柄はあったのだが、どうしても外せない条件が一つだけあった。
 「この街の中でデートするのは……やっぱマズいわよね」
 当然だ。この辺をうろうろしていたのでは、いつ友奈や東郷、風とばったりでくわしてしまうかわからない。どこへ行くに
しても、この街からいったん離れた上で決めなければならない。
 で、本日の電車でのお出かけとなったのである。

 「時間がかかっちゃいましたけど……やっと二人でお出かけできましたね。楽しみですね、夏凜さん!」
 「ええ……」
 わくわくを抑えきれない樹に対して、今や緊張の塊みたいになってしまっている私が空返事を返したとき、電車が目的の駅に
到着し、ぷしゅう、とドアが開いた。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「……このケーキ、おいしいですねっ」

 はむっ、とフォークで切り取ったシフォンケーキを口に運んで、樹がほっこりとした笑顔を見せる。
 「うん、そうね……おいしいわね」
 対する私はモンブランをつつきながら、しかしその味もイマイチよくわからないままだった。
 (これで合ってるかしら……デートって言ったら、喫茶店で二人でお茶とケーキ……間違ってないわよね……?)
 そんな事ばかりが気になってしまい、とても味を楽しむどころではない。
 かといって、ただ黙っているばかりでも息が詰まってしまう。私は苦し紛れになんとか話題をひねり出す事にした。
 「……た、確かにおいしいケーキね。風なんかがいたら、三つくらいは簡単に食べちゃいそうだわ」
 「……あはっ、そうですね」
 よし、樹を笑わせてやったわ。大丈夫、私、上手くやれてるはず。
 と、その時。
 「……夏凜さん」
 「ん?」
 「こっちのケーキ、ひとくち食べてみませんか?」
 と、樹が自分のケーキをすすめてきた。確かに、甘くてふわふわの、おいしそうなシフォンケーキだ。
 「いいの? それじゃあお言葉に甘えて……」
 「ま、待ってください」
 自分のフォークを伸ばそうとした私を、樹があわてたように止める。
 「ん? どうしたの?」
 「………」
 そのまま、何かを迷っているような素振りを見せる樹だったが、やがて決心したようにきっ、と顔を上げると、自分のフォークを
手に取り、それですっ、とケーキを切り分ける。
 その一片をフォークに乗せた樹は、震える手で、それを私に向かって伸ばしてきた。

 「は、はい……あ~……ん?」

 「…………え?」
 一瞬、私はわけがわからず固まってしまった。だが。
 くすくす、という笑い声が私の耳に聞こえてきて、私はちらり、とそちらに目をやる。視界の端で、見知らぬ女性の二人連れが、
私達の方をちらちら見つつ、笑いをこらえているのが見えてしまった。
 それで私は、急に何だか恥ずかしくなってきてしまい、
 「い……いいわよいいわよ、じ、自分で食べるからさ……」
 と、樹のフォークをずい、と辞退して、ケーキ皿をすす、と引き寄せて自分のフォークでひょい、ぱく、と口に含んだ。
 「う、うん、こっちのケーキもまーまーね。私のモンブランもおいしいから、よかったら食べる?」
 むぐむぐと、やはり味の判らないシフォンケーキを食べながら、私は自分のケーキを樹に向かって差し出した。
 「……はい、いただきますねっ」
 つっかえされた自分のフォークを、しばらくは所在なさげに漂わせていた樹だったが、やがてにこっと笑顔になると、私の
ケーキにフォークを入れた。
 「……おいしいです!」
 「でしょう?」
 うん、私はともかく、樹は楽しんでくれてる。問題ない、問題ない。
 私はひとり、心の中でうんうんと満足しながら、ひたすらケーキを食べ続けた。

 ――その後も私たちは、万事そんな調子で、初めてのデートと言う難関を、ひとつひとつクリアしていくのだった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 そして。

 「……キレイな夕焼けですね……」

 展望台の窓から、樹が外を眺めてうっとりとつぶやく。私はそんな樹を見て、ほっと胸をなでおろす。
 (よかった……色々あったけど、なんとか無事、ここまでこぎつけられたわね)
 ここは街一番の高層ビルの上層階で、ある種の観光スポットにもなっている。階下にはショッピングモールやレストランが
並び、こうして展望台も併設されて、訪れる人達の目を楽しませているらしい。そろそろ日が沈む時間とあって、
観光客でにぎわっていてもおかしくはないのだが、今はたまたま、私と樹のふたりきりだった。
 (一緒にお茶をして、二人で遊び回って……ええと、もうやり残してる事はないはずよね?)
 私は事前に予定してきたプランを頭の中で思い浮かべつつ、指折り確認してもれが無い事を確かめた。
 「……さて、それじゃあ、やる事もやりきったし。そろそろ帰りましょうか、樹? 早く帰んないと、風にヘンな疑い
  かけられちゃうしね。まったくアイツってば、そういう所には鋭いんだから……」
 無事にデートをこなしきったという安心感からか、私の口はなめらかになり、ぺらぺらとしゃべり続けた。くるりと振り向き、
出口へと歩き出そうとした、その瞬間。

 「……ごめんなさい、夏凜さん」

 ふいに、樹がぽつりとそうつぶやいた。
 「え……?」
 ごめんなさい? 今、ごめんなさい、って言ったの?
 まったく心当たりのなかった私は、その場で立ち止まり、顔だけを肩越しに樹の方へと振り向ける。樹は胸の前で指をからみ
あわせ、もう、窓の外の景色を見てはおらず、かといって私の方を見るでもなく、ただじっと足元を見ているだけだった。
 「今日は……無理に誘っちゃって、すいませんでした。わたしと遊んでても、楽しくなんてなかったですよね……」
 「なっ……何言ってんのよ、樹……」
 私はたたた、と樹の元へと駆け戻る。
 「だって……だって樹、今日一日、あんなに楽しそうにしてたじゃない。あんなに笑って……」
 「でも」
 すいっ、と樹が顔を上げる。その視線が、私の視線とぶつかり合った。

 「夏凜さんは、楽しかったですか?」

 「あ……」
 面と向かってそう問われ、私は継ぐ言葉を失ってしまう。
 ……思い返してみれば、その通りだ。私自身は一日中ずっと、樹が楽しめているか、その事ばかり気にして、自分が楽しむ事なんて
これっぽっちも頭になかった……気がする。
 「で、でも、樹は楽しんでくれたんでしょう? だったら、私はそれで……」
 「それじゃ意味がないんです」
 樹はすばやくかぶりを振って、私の言葉を否定する。
 「わたしだけが楽しくたって……意味なんかないんです。わたしと、夏凜さん……二人でいっしょに、おいしいねって笑いあって、
  楽しいねって言いあえるんじゃなくちゃ……二人でいる意味が、ないんです」
 「樹……」
 私は、胸がざわざわとざわつくのを感じる。
 もしかしたら今日一日、私はずっと、とんでもない勘違いをしていたのかもしれないと。
 思わず手を伸ばした私から、樹は一歩、すっと後ろに下がる。
 「……!」
 「き……気にしないでください。か、夏凜さんにつまらない思いをさせちゃったのは悪かったですけど……こうやって二人で
  遊んでいられただけで、わたしには、いい……最後の、思い出になりましたから」
 無理に作っていることがばればれの笑顔で、樹は私に微笑む。
 「……最後の、って……」
 「……はい」
 その言葉の意味がわからなくて、私は樹に問いかける。蚊の鳴くような、情けない声で。
 胸の前で合わせた手を、いっそうぎゅっと強く握りしめ、樹は言葉をしぼりだした。

 「……わたしなんかとお付き合いさせちゃって、すみませんでした。夏凜さん」


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 樹の言葉に、私の心臓がどくん、と跳ね上がる。
 「ど、どうして……?」
 私は自然にそう問いかけていた。具体的に何を聞きたかったのかは、自分でもわからない。
 「……わたし、わかるんです。夏凜さんが好きなのは、きっとわたしじゃなくって……」
 樹はそっと視線をそらし、遠くの空を眺めるような目つきになった。

 「……お姉ちゃん、なんだって」

 「えっ……!?」
 突拍子もない発言に、私は今度こそ、心の底から驚いてしまった。
 風? 風の事? 私が、風の事を……好き? バカな、そんな事、あるわけがない。
 「だって」
 樹の語気が、若干強まった。
 「夏凜さん、デートの間もずっと、お姉ちゃんの事気にしてましたよね? お姉ちゃんに、バレてないかな? バレたら、
  なんて言い訳しようか……って」
 「それは……本当に、そう思ってたから……」
 「でも、わたしにはそう聞こえたんです。夏凜さん、わたしよりも、お姉ちゃんの事ばっかり……って」
 私の胸の中に、何かどすん、と重たい物が落ちてきたように感じられた。
 確かにそうだ。樹が楽しめているかと同じくらい、私は今日、風に何か感づかれやしないか、という事も気にしていたように思う。
どちらにしても、自分が楽しんでいるかを考える余地なんて、これっぽっちもなかったという事だ。
 「だから……もう、いいんです……っ」
 樹の語尾が短く震える。それと同時に、瞳の端にしみだしてきた涙が、夕日を反射してキラリ、と光った。場違いなほど綺麗に。

 私が、樹を、泣かせてしまった――

 「……ごめんなさい。泣かれたって、夏凜さんも困っちゃいますよね」
 ポケットからハンカチを取り出して涙をぬぐいながら、樹はそんな事を言う。
 「さあ、帰りましょう。遅くなったら、夏凜さんの言うとおり、本当にお姉ちゃんに――」

 「樹っ!!」

 私はばっ、と両手を伸ばし、樹の体を思いきり抱きしめた。

 「かっ、夏凜さん……!?」
 「ゴメン、樹……! 私が、間違ってた……!」
 戸惑う樹にもかまわず、私は樹の体を強く抱きすくめる。触れ合った部分から、樹の温かさが直に伝わってくる。
 ああ、そうだ。私はまだ、樹の体が、こんなにもあったかい事さえ、知らずにいたんだ。
 「樹の言うとおりよ……私、樹の事ばっかり考えてて、自分の事なんて全然考えてなかった……」
 両手を樹の背中に回したまま、私は胸の内をぶちまける。
 「だけど、それじゃダメなのよね……恋人同士って、お互いが楽しくなきゃ、いけないのよね……。私、やっとわかったの……」
 今さら気づいたところで、遅いかもしれないけれど、でも。
 「でも……もしも、許してくれるのなら、私にもう一度だけ、チャンスをくれない……?」
 「チャンス……?」
 「うん……」
 樹に見られないよう、目元をぐしっ、とぬぐいながら、私は樹としっかり向かい合う。
 「……私は、もっともっと、樹と楽しい時間を過ごしたい。このまま終わりにするなんて、絶対にイヤなの。樹に申し訳なくて……
  だけじゃない。私自身が、寂しいから。だから……」
 私はぐっと唇をかむ。この先の台詞を、きちんと樹に伝えるために。
 それには、あの日、あの夕焼けの部室での樹と、同じだけの勇気を出さなければいけなかった。
 私に、樹のような勇気があるだろうか? それはわからない。でも、この言葉は、どうしても今ここで、樹に伝えなければならなかった。

 「……もう一度、私と付き合って。……樹」

 言った。言うことが出来た。ああ、無事に言えた。
 でも、それだけで満足してちゃいけない。樹の返事をきちんと受け止めるところまで、やり切らないといけないんだ。
 「………」
 樹はただ、驚いた表情のままで固まってしまっている。その気持ちは、私にもよくわかるつもりだった。きっと、あの日の私と同じ
気持ちのはずだったから。
 きっと今、樹は自分の感情を思い起こしなおしているはずだった。私の事を、本当はどう思っているのか。
 そしてその全てに整理がついた時、相手に素直な気持ちを伝える――
 それが、告白というものなのだ。

 「――はいっ」

 今にも沈み行きそうな、だけどまだ、ギリギリ沈みきってはいない夕日に見守られながら。
 私と樹は、もう一度、恋人になった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「夏凜さん……」

 樹はすっ、と目を閉じて、きゅっと唇を結び、黙ってしまう。
 (えっ……)
 樹の仕草に、私は面食らいつつも、心の一方ではその意味を悟っていた。
 (まっ、まさか……! これって、キっ……!)
 頭の中がぐるぐるとパニックになり、私は顔中からだらだらと汗を流す。目の前にあるのは、ぷるんと柔らかそうな、樹の唇。
 (そ、そうよ……! 私は樹とこ、恋人になるって決めたんだから……! き、キキ、キス、くらい、しなくちゃ……!)
 混乱しつつも何とか決断を固めた私は、むふー、と鼻息荒く閉じた口を、ぎゅーっと前に突き出して目をつむる。
 (い、いい、行くわよ、樹っ……!)
 そのままじりじり、じりじりと距離を詰めていき、あとほんの少しで、二人の唇が触れ合おうとする、その瞬間。

 「――えいっ♪」

 突然、私のおでこに、ぺちん、と何かがぶつかってくる感触があった。
 「あたっ!?」
 私は驚いて、額を抑えながら目を開ける。と、そこには。
 「えへへ……」
 「い、樹……!?」
 指をでこぴんの形にして、いたずらっぽく笑っている樹の顔があった。何がなんだかわからない私に向かって、樹はぴっ、と
唇の前に人差し指を立ててみせる。
 「一回目のデートでキスなんて、まだ気が早いですよ? 夏凜さん。そういうのは、もっと回数を重ねてからじゃないと……ね?」
 ちょっぴり照れてみせながらも、樹はふふん、と得意げに言った。

 「……!」

 そんな樹に、私の一番深い所にある、純粋な気持ちがぴくん、と反応するのがわかった。
 (――あ、ヤバい)
 私は今――今度こそ、本当に。
 樹に、恋をしてしまったのかもしれない。

 「行きましょう、夏凜さん」
 樹が自然に私の手を取り、たた、と駆け出していく。その勢いにつられながらも私は、
 「いっ、樹っ!」
 と、樹に向かって呼びかける。
 「何ですか、夏凜さん?」 
 「そ、その……えっと……」
 くるりとこちらを振り向く樹に対して、私はごにょごにょと口ごもりながらも、

 「ま、また今度……二人で、デート……しましょ?」

 樹の手をしっかりと握って、言葉を発した。
 みるみるうちに樹の顔が明るくなり、うれしげな表情へと変わってゆく。
 「もちろんです! ……でも」
 そこで言葉を切ると、樹はふふっと笑って、夢見るような顔で、私に宣言した。


 「今度こそ、私の『あーん』、食べてもらいますからね?」

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最終更新:2015年02月09日 17:12