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「そう、けれど家の事情と言うなら仕方ないわね」
「風先輩と樹ちゃんにはどう伝えるの?」
「悩んでるけど、引っ越し直前までは伏せておくつもり。
 樹も今が一番大切な時期だし、変に動揺させたくないわ」
「寂しくなるねー。よーし、そんなにぼっしーを私が慰めてしんぜよー」

 樹と2人して勇者部の部室にやって来たあたし、犬吠埼風の耳に届いた情報はあまりにもショッキングなものだった。
 引っ越し?親の都合で?今の話の流れ的に、夏凛が?
 見れば樹も顔を真っ青にしてこちらを見詰めていた。どうやら聞き違いではないらしい。
 慌てて勇者部の入り口から離れて、2人で事態の確認を行う。

「ど、どど、どうしよう、どうしよう、お姉ちゃん!」
「おお、落ちつきなさい樹!勇者はうろたえない!ほら、ひっひふー、ひっひふー、深呼吸!」
「それ深呼吸じゃないよ!?」

 とはいえあたしのボケのお陰か樹が落ちつき、それに釣られてこちらの心も大分平静を取り戻した。
 そもそも夏凛はバーテックス撃退の為の助っ人として讃州中学勇者部にやって来た訳で。
 考えてみれば全ての戦いが終わった後もここに居続けてくれるのは奇跡のようなことなのだ。
 返し切れない恩も受けたし迷惑もかけた、可愛い後輩が居なくなる。
 そのことに自分でも想像以上にショックを受けていた。

「私のせいでお姉ちゃんに伝えられないのかな」
「あの子は優しい子だから、せいだなんて思わないで。
 けど、これからどうやって知らないフリして接すればいいのよ」

 今、樹はオーディションを通った芸能事務所でレッスンを受けている。
 学園祭の劇で一部のナレーションを樹が担当したのだが、それが中々に好評で。
 それを名のある音楽プロデューサーが観客に居て感銘を受けたとかで、本格デビューの話があるのだ。
 それはあたしにとっては嬉しいことであると共に何だか据わりの悪い話でもあった。
 確かに大切な時期ではあるし、樹の動揺ぶりを見ると夏凛の判断は正しいかも知れない。けれど。

「(この不安は―――あたしのこれは、夏凛に失礼だわ)」

 だってそれは、夏凛が居なくなる不安だけでは無いから。
 樹が芸能人として成功して自分から遠く離れて行ってしまう不安と、彼女との別離を重ねている。
 それはまるで夏凛を“樹の次”みたいに扱っている不快感があった。

「お姉ちゃん?」
「樹、大丈夫。やっぱり、誤魔化すのはやめにした」

 あたしは樹の手を握ると、勇者部の部室へと突撃する。勢いよく扉を開いて、入室。

「あ、風先輩こんにちは」
「遅いわよ、風。忙しい樹はともかく、弛んでるんじゃないの?」

 夏凛が明らかに無理をしてそんなことを言って来る。ごめんね、気を遣わせちゃって。

「夏凛!樹のことは大丈夫よ!あたしが絶対に支えて行く!勇者部のみんなと一緒に」
「え、え?」
「お姉ちゃん///」
「だから、無理しなくていいの!ちゃんと引越しのこと伝えて!
 あたしも辛いけど、樹と一緒に乗り越えて行くから!」
「えっと、風?引越しの話聞いてたっぽいけど、何言ってるの?」

 見れば、他のみんなもポカンとしてあたしと樹を見やっている。何だろう、急に嫌な予感がしてきた。

「あの、夏凛さんが引っ越しちゃうんじゃないんですか?」
「は!?なんでそんな話になってるのよ!引っ越しするのはトロ子よ、トロ子!」
「トロ子?ええと、幼稚園の?」
「そ、私の弟子。丁寧に私に連絡入れて来たんだから。師匠に似てしっかりしてると思わない?」

 確かに夏凛に一番懐いているけれど、付き合い自体はあたしと樹の方が長い。
 事実を確認して見れば、少しだけ寂しい気持ちになったのも事実だ。
 だけど、それ以上の羞恥心が爆発して、私は奇声を上げながら机に頭をぶつける。

「風先輩!?」
「お、お姉ちゃん!すごい音したよ!」
「それ以上頭打って考えなしが進行したら友奈みたいになるわよ」
「私は私で色々考えてるんだけどなあ」
「ゆーゆ、割と冷静だね」

 樹が慌てて駆け寄って私の頭を撫でてくれる。
 それを見詰めながら、夏凛がフッと穏やかに笑った。

「これからも一緒に居るわよ。こんな手のかかる先輩、放っておけないったら」

 樹と夏凛に挟まれて、私はまだ治まらぬ恥じらいの中に確かに幸せを感じていた。


おしまい


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最終更新:2015年02月10日 12:26