6・364

 「――そろそろ、いいかしら」

 私、東郷美森は夜中に突然くわっ、と目を覚ますと、物音を立てないようにそうっと自室のベッドを降りる。
そろりそろりと廊下を進んで両親の寝室の前まで行き、聞き耳を立ててみると、どうやら二人とも寝入っているようだ。
 「――よし」
 それを確認した私は再びそろりそろりと自室へ戻ると、部屋の押し入れにしまっておいたダンボールをずりずりと
引きずり出す。すでに一度開封済みのふたを開けて、その中にしまわれていたものを取り出す。
 折りたたまれた布状のそれをベッドの上に広げて眺め、私はしみじみとつぶやいた。

 「……やってしまった」

 そこに敷かれているのは、表面に友奈ちゃんのイラストがプリントされた、1メートル半ほどの袋状の物体――
 俗に言う、『抱き枕カバー』であった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 ここで断っておきたいのだが、これは別に私謹製の製品というわけではない。いくら私といえど、超えてはいけない
一線というものくらいは、まあ、一応、わかっているつもりだ。
 これを作ったのは私ではなく、大赦なのである。
 何やら精神的なストレスを負った勇者へのケアの一環として、癒し成分の強い友奈ちゃんをモデルケースに云々かんぬんと
言っていたが、正直に言って、
 (……相変わらず予想の斜め上を行く組織だわ……)
 くらいの感想しか持てなかった。こんな物を作ったところで、欲しがる人間などいやしないだろう。
 ……たぶん、私以外には。

 「……いや、別によこしまな気持ちがあったわけじゃなくて、ただ純粋に、好奇心がわいただけであって……」
 と、深夜の自室で誰にするでもない言い訳をぶつぶつとつぶやく私。そんな私をベッドの上から、平面になった
友奈ちゃんが見つめていた。
 「……それにしても、ずいぶんとクオリティの高いイラストね……」
 あらためて、私は表面に描かれた友奈ちゃんをまじまじと見つめる。
 ……しわのよった、ピンク色のシーツの上に、どさり、と友奈ちゃんが身を横たえている、という風情のイラストだった。
友奈ちゃんは(なぜか)制服姿であり、頬を染めた表情を浮かべて、自分を見下ろす誰かを見上げるような顔をしている。
両脚は絶妙な角度でしなを作っており、ゆるやかにまくれているスカートの端からのぞいている太ももなど、まるで芸術品の
ような趣さえあり――

 「……はっ!?」

 自分がいつの間にかベッドに上がり込み、食い入るように見つめていたことに気づいた私はあわててばっと飛びずさる。
ついでに、口の端からちょっと漏れていたものをずず、と拭いた。
 「あ、危ない危ない……! もう少しで変な世界に行ってしまう所だったわ……」
 ふうー、と深呼吸して、私は気持ちを落ち着ける。
 「……あ、そう言えばこれ、裏側にはどんなイラストが……?」
 一度開きかけたところで表のイラストの一部が見え、即座に折りたたんで夜中まで待とうと決心したため、私はまだ
裏側を見ていない事に気づいた。
 何気ない拍子でカバーを取り上げ、くるりと裏返した瞬間、私は悶絶してその場でがく、とうずくまってしまった。

 「……水……着……!?」

 そう、裏側のイラストの友奈ちゃんは、まさかの水着姿であった。
 表面と比べると何かこう、決意を固めたような微笑みを浮かべた友奈ちゃんが、両手でシーツをきゅっと握りながら、
仰向けになってこちらを見上げている。ビキニタイプの上下の水着を身に着けただけの友奈ちゃんは当然露出が格段に増えており、
谷間やら何やらが惜しげもなくあらわになっていた。水着はシーツと同じく薄ピンク色だが上下どちらにもフリルのついた
かわいらしいデザインで、何より重要なのは留め金ではなくひも止め形式であることであり、これはもうほんの少しつまんで
引くだけでしゅるりとほどけ、頼りない当て布はたちまち身体から離れてその裏側には―――

 「でぇい!!」

 バシン! と自分の頬に一発ビンタをくれる事で、私はどうにかこうにか正気を取り戻した。
 「……何てモノを……何てモノを作ってくれてしまったの、大赦……!」
 わなわなと震える声で、戦慄と歓喜がいっしょくたになってしまったような、そんな感想を述べる私。
 「と、とにかく、これはいくら何でも目に毒すぎるわ……いったん、表に返して……」
 水着姿の友奈ちゃんをなるべく直視しないよう気を付けながら、私はそっとカバーの端をつまみ、ひらり、と表面に
返す。再び、制服姿の友奈ちゃんが、姿を現した。
 「ふう……これでよし、と」
 何だかすでに一仕事終えたような気分になってしまった私だが、もちろん、ここでやめる訳にもいかなかった。
 抱き枕カバー、本来の用途とは何か?
 中に抱き枕を詰めて、抱いて、寝ることである。

 「……とりあえず、実際に使ってみない事には、評価は下せないわね」

 ふふふ、と喉を鳴らす私のことを、ぺったんこの友奈ちゃんだけが、ただ黙って見上げていた。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 とは言っても、私は抱き枕など使ったことがないし、中身を注文するのもすっかり忘れていた。
 そこで、ちょっと考えて、まだ使っていない冬物の毛布を一枚、押し入れから引っ張り出してきた。これを丸めれば
サイズや厚さややわらかさなど、それなりにいい感じになるだろう。
 というわけで、さっそくそれを実践してみる。

 「……これはなかなか……」

 先ほどまでは中身が空っぽだったため、ぺちゃっとつぶれていたカバーだったが、今はその内側にぱんぱんに毛布を
詰め込み、ベッドの上にごろん、と転がっている。なんとも異様な存在感があった。
 その表面では、友奈ちゃん(表側)が相変わらず赤面をたたえていた。
 「じ、じゃあ、失礼して……」
 私はひとつ、おほん、と咳ばらいをしてから、おずおずとベッドへ上り、横になる。
 そうして、目の前の抱き枕に手を回し、ぎゅっ、と抱きしめてみた。
 「……うん、手触りは、いいわね」
 とりあえず気持ちを落ち着けた私は、手や頬に当たる感触を確かめてみる。さすがに抱いて寝るように作られた
カバーだけあって、その肌触りはすべすべとしており、なかなか悪くないものだった。毛布の抱き心地もふかふかで、
適度に重みを感じさせる感触であり、とりあえず、抱き枕としては普通に使える一品だと言える。
 「……さて」
 私ははあっ、と息をついてから、接触させていた顔をあえて少し離し、ちょうど、目の前に友奈ちゃんの顔が
来る距離感で、じっとその絵を見つめてみた。

 ……両手の中に、ちょうど女の子の大きさくらいの質量を抱きつつ、目の前にどアップで友奈ちゃんの顔が迫る。

 たったそれだけの組み合わせが、ここまで破壊力を伴うとは、正直、予想だにしていなかった。
 「……んふぅ……」
 意味もなく、鼻から息を漏らしてしまう私。思わず両手にぎゅっと力を込めると、友奈ちゃんの顔はますますこちらに
接近してくる。
 「ああ、友奈ちゃん……」
 私は片足をぐい、と持ち上げ、引っ掛けるようにして抱き枕の裏側へと回し、がっちりとホールドする。それで私と
友奈ちゃ――抱き枕との接触面はさらに増え、私はますますうっとりとしてしまった。

 「……いい……」

 知らず知らずのうちにそうつぶやくのを、私は自分でも止める事ができなかった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 (これは……さらに香りがつくといい感じかもしれないわね。例えば花の香りのアロマと、しばらく一緒に置いておくことで……)
 私が早くも抱き枕の有効活用法について頭を巡らせ、ぶつぶつと独り言を始めた、その時。

 ぶるるるる、と枕元に置いておいたスマホに、突然着信が入った。

 「ひゃぃぃっ!?」
 その振動音に飛び上がるほどびっくりした私は思わず両手両足にむぎゅっ、と力を込めてしまい、表面の友奈ちゃんの
イラストがぐにゃ、と歪む。
 「で、電話……? いったい、こんな時間に誰から……」
 とりあえず抱き枕を離した私は、ベッド上で半身を起こしてスマホを手に取り、発信者を確かめる。
 そこに表示されていたのは。
 「はぅっ……!」

 『友奈ちゃん』の文字だった。

 「ゆ、友奈ちゃん……!?」
 何故だかよくわからないが、何かとんでもない罪悪感がずしん、と肩にのしかかってきて、私は通話ボタンを押すのをためらう。
が、私は首をぶんぶんと振って、そもそも私はまったくやましい気持ちなど抱いていないので罪悪感など感じる必要もなく
その証明のために友奈ちゃんと普通にお話だってできる、という理屈を一気に頭の中で組み上げ、ぴ、とボタンを押した。
 「も……もしもし? 友奈ちゃん?」
 「あ、東郷さん……ごめんなさい、こんな遅い時間に」
 電話の向こうから聞こえてきたのは、まぎれもなく本物の友奈ちゃんの声だ。立体の。
 「もう寝てたら悪いかな、って思ったんだけど……どうしても、東郷さんとお話がしたくなっちゃったから。……怒ってる?」
 「……い、いえ、私もちょうど、寝つけずにいたところだから気にしないで、うふふ」
 ホント? とすまなそうな声でたずねてくる友奈ちゃんに対し、私は何とかいつもの調子を取り繕って答えた。
 「少しね……悩み、っていったら大げさなのかな……聞いてもらいたい話があって……」
 「……何かしら?」
 どうやらマジメな話のようだ。私はキリッと気持ちを切り替えて、ベッドの上にきちんと座り直した。
 「……わたし達はもう、勇者として戦わなくてよくなったんだよね?」
 「ええ、そうよ。大赦に勇者のお役目を解かれたのだから」
 「だけど、世界の外側があんな風で……これからまた、バーテックスが神樹様を狙ってくるかもしれない事には、
  変わりないんだよね」
 友奈ちゃんの声は、胸に何かがつかえているかのようなしゃべり方だった。
 そのつかえの正体は、私にも何となく推察ができる。

 「……自分たち以外の誰かが勇者として戦い、傷つくかもしれない事を心配しているのね、友奈ちゃんは」

 「!……東郷さん、どうしてわかるの?」
 「わかるわよ。私は友奈ちゃんの一番の友達ですもの」
 私は友奈ちゃんを元気付けるように、送話口越しにやさしく微笑む。
 「そっかぁ、何でもお見通しなんだね。東郷さんにはかなわないなー」
 えへへ、と友奈ちゃんの笑い声が聞こえてきた。それで私も少しほっとし、ぴんと張っていた姿勢をくずして体勢を変える。

 その拍子に、こちら側で寝転んでいる方の友奈ちゃんが視界に入り、再びその存在を思い出してしまった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「……あ」
 「? どうしたの、東郷さん?」
 思わず出てしまった私の声を聴いて、友奈ちゃんがそう聞いてくる。
 「なっ、何でもないのよ、友奈ちゃん。……えーと、それでね」
 とごまかしつつも、私の視線は抱き枕の方に釘付けになってしまっており、もはや引きはがす事もできなくなっていた。

 耳元から聞こえる友奈ちゃんの声と。
 目の前で横たわる友奈ちゃんの姿が、私の脳内で結びついてしまい。
 それがあたかもひとつの像となって、私を捉えてしまっているかのようだった。

 「……たとえそれが、遠い街の知らない誰かだったとしても、傷つくことを想像するだけで憂鬱な気持ちになってしまうと
  いうのは、とても友奈ちゃんらしいと思うわ」
 私はベッドに横たわり、再び抱き枕と添い寝の状態に戻る。
 「でもね、大赦の人たちだって、ただ手をこまねいているわけじゃないわ。これまでの私達の戦いを通じて、常に
  勇者システムを改良しようと、努力を重ねているはずなの。特に、私達が散華で失ったはずの供物を取り戻せた仕組みさえ
  わかれば、満開によるリスクはぐっと減らせるはずだわ」
 片手でスマホを保持しつつ、私は手と足でぐいぐいと抱き枕を自分の方へと抱き寄せた。
 「……そういう意味では、友奈ちゃんや私達のがんばりは、ずっとずっと、後の勇者達の役に立ち続けていく事になるの。
  それは結局、私達が、後輩たちを手助けしている事になるって――そうは考えられないかしら」
 「東郷さん……」
 目の前に至近距離で迫る友奈ちゃんの顔を見つつ、私は友奈ちゃんに名を呼ばれ、ヘンな気持ちがこみ上げてくるのを感じた。
 (友奈ちゃん……)
 声には出さずに私は名前を呼び返し、私の方からも顔と顔の距離を詰めていく。もう、二人を隔てる距離は、数センチもなかった。
 「……そっか、そうだよね! わたし達が戦ってきたことは、無駄なんかじゃないんだね!」
 晴れ晴れとした様子で、電話の向こうの友奈ちゃんの声のトーンが上がる。
 「そう。……だから今は、信じましょう? 次の勇者達が、きっともっと上手くやってくれるって」
 「うん!」
 電話にのらないように抑えていた呼吸が、もうどうにも止まらずはあはあと荒ぶり出すのを私は自覚していた。

 「やっぱり、東郷さんに相談してよかった……ありがとう、東郷さん! 大好きだよっ」

 「!!」
 その言葉を聞いた瞬間、私はもう完全にタガが外れてしまい、全身で目の前の友奈ちゃんにむしゃぶりついていた。
 「……ん、ぷはっ、友奈ちゃん、友奈ちゃんっ……!」
 ぎゅぅぅっと顔を押し付けてはまた離れ、またくっつく。今の自分を傍から見たらどう思われるかという疑問をできるかぎり
意識の外にうっちゃって、ただひたすらその行為に没頭する私の耳に、
 「と、東郷さん? もしもし? 寝ちゃったの?」
 という友奈ちゃんの声が、ベッド上に放り出したスマホから聞こえてきた。
 「……………はっ!?」
 危うく失いかけていた理性を取り戻して、私はあわててスマホを持ち直す。
 「ご、ごご、ごめんね、友奈ちゃん。ちょ、ちょっと電話を落としてしまって……」
 「なあんだ、そうだったんだ」
 「ね、寝付けないとか言いながら、ちょっと寝ぼけちゃってるのかもしれないわね、私」
 あははははは、と笑い合いながら、私はぐいっと額の汗をぬぐう。
 「……本当にごめんね、夜遅くに電話して」
 「いいのよ、またお話したくなったら、いつでも構わないから、電話してね?」
 「ありがとう。……それじゃあ、おやすみ、東郷さん」
 「お休みなさい、友奈ちゃん。また明日の朝にね」

 そして、ぷつっと音を立て、通話は終了したのだった。


      ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇  ◆  ◇      


 「……危険すぎるわ!!」

 電話を切った後、私は急いでカバーのファスナーを開けると毛布を取り出し、さっさとそれを片付けにかかった。
 「このまま使い続けていたら、いつか完全に戻ってこれない世界に踏み込んでしまう……! この際、永遠にしまい込んで、
  二度と使わないよう、厳重な封印を……!」
 ぐるぐると丸めた毛布をとりあえず脇にどけ、再びぺちゃんこになった友奈ちゃん抱き枕カバーを折りたたもうとする。
 が、しかし。

 「………!」

 折りたたんだ裏側から現れた、水着姿の友奈ちゃんとバッチリ目が合ってしまい、私の手はぴたり、と止まってしまった。
 恥じらいつつも、その裏に何かへの期待を抱いているかのような、その表情。
 異様に再現度の高い、健康的な魅力に満ち溢れた、その五体が。
 私をして、片付けの続きにとりかからせないのだった。


 「………………も」

 やがて私は、折りたたんだカバーを、再びゆっくりと広げながら。
 自分に言い訳をするように、ぽつりとつぶやいた。

 「もう、一晩だけ………だから………」



 ――結局。
 私がその抱き枕カバーを完全に封印するのには、実に七日間(うち表側五日:裏側二日)という期間を要するのであった。

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最終更新:2015年02月11日 18:16