じわりじわりと力を込めて。締めるというより押し潰すように。
少しずつ少しずつ友奈ちゃんの指が私の首に食い込んで行く。
息ができない。声も出せない。抵抗する力も湧いてこない。
友奈ちゃんは穏やかな笑顔で見詰めている。愛しんでいるようにすら見える。
『東郷さん苦しい?怖い?』
苦しい、苦しいよ友奈ちゃん。このままじゃ死んじゃう。怖い、怖いよ。
『大丈夫だよ、だってね―――』
首を絞める手は動かさないまま、友奈ちゃんの唇が私の耳元に寄せられる。
『悪いのは東郷さんの方なんだから』
ボキリッという鈍い音。視界が勝手に何もない空へ移る。
これは夢なんだと冷静に思いながら、曲がった首から呻きとも喘ぎともつかぬ声を漏らした。
※
「東郷さん、どうしたの?何だか顔色よくないけど」
「大丈夫よ友奈ちゃん。今朝いつもより早く目が覚めてしまっただけだから」
友奈ちゃんに話したのは嘘ではない。悪夢にうなされて目を覚ましたのは深夜2時のことだった。
友奈ちゃんはただでさえ鋭い上に今は距離感が距離感だ、悟られないようにするのは至難の業だから。
私が夢の中で友奈ちゃんに殺されるようになって今日で3日目になる。
かつて友奈ちゃんが私にしてくれていたように、友奈ちゃんの車椅子を私が押すようになってからだ。
「そっか。よく眠れる音楽とか貸そうか?お医者さんが紹介してくれたんだよ」
「そんなことを言って、友奈ちゃんはお堅い音楽なら大体聞きながら眠ってしまうんじゃない?」
「東郷さん意地悪だ!その通りなのが辛い所だけど!」
そうやって冗談を交わしながら登校する間、私は心の隅で夢の原因について考え続けている。
罪悪感―――これが原因なのは間違いないだろう。
私は友奈ちゃんにとても後ろめたい気持ちを抱えている。それも幾つも。
例えば友奈ちゃんに友情を超えた感情を抱いているのを隠していることとか。
それでいて彼女の方から気付いてほしいとこれ見よがしに小出しでアピールすることとか。
友奈ちゃんが大変なのに車椅子を挟んだ距離に少しだけ優越感を覚えていることとか。
―――友奈ちゃんと一緒に世界を巻き込んだ心中を図ろうとしたこととか。
「(私は、結局裁かれなかった)」
神樹様は反乱を企てた私にも皆と同じ様に供物として捧げた物をお返しくださった。
風先輩以下勇者部のみんなは「おかえり」とだけ告げて誰も私を否定しなかった。
そのっちは言葉の通りに私の決断を知った後も「大変だったね」と優しく受け止めてくれた。
友奈ちゃんは―――1人だけ犠牲になってしまうかも知れなかったのに、私の為に戻って来てくれた。
誰も私を責めない。責任を追及しない。して、くれない。
「(それだけじゃない。私には裁かれていない罪が多過ぎる)」
そのっちと銀のことを忘れていた。あの時、他人の顔をした私にどれだけそのっちは傷ついただろう。
風先輩と樹ちゃんの両親が亡くなったことにも責任がある、2人の悲しみは計り知れない。
結果的に勇者部のみんなは救われたけれど、バーテックスとの戦いを次の勇者たちに押し付けた。
いっぱい考えてしまう。幾らでも罪の意識が沸いて来る。止まることのない自責の連鎖―――。
「(きっと、私は友奈ちゃんに助けを求めているんだわ)」
あの時、バーテックスとの最終決戦の時。
もしも友奈ちゃんが本気だったなら精霊がその一撃を防いでいたはずなのだ。
けれど友奈ちゃんの拳は私の頬を捉えた。止める為の拳で、倒す為の拳では無かったからだ。。
ずっと一緒にいる、私のことを忘れないという言葉は涙が出るほど嬉しかった。
けれど同時にこうも思っていた―――殴り潰して、消し去ってくれても良かったのに、と。
※
『東郷さん熱い?苦しい?生きながら焼かれるってどんな感じ?』
私は勇者の姿をした友奈ちゃんが放つ炎に焼かれている。
撲殺、斬殺、絞殺、焼殺。多分次は薬殺されるのだろう。
それは全て、私が友奈ちゃんに黙って自決の実験を試みた方法だ。罪悪の記憶だ。
炎に焼かれると肺の中に炎をが入り込んで悲鳴が上げられないと聞いたことがある。
私が無抵抗だからか、それともそこまでリアリティを求めていないからか、そうはならない。
「とっても苦しいよ、友奈ちゃん」
『そう。良かったねえ、東郷さん』
友奈ちゃんの穏やかな笑顔。ぶすぶすと焼ける痛みと炎の匂い。
こんな風に夢の中で、優しい友奈ちゃんに処刑役をやらせて、罪を購った気分になっている。
私は本当に救い難い卑怯者だ。もっと罰を。裁きを。徹底的な断罪を。
もうこのまま心が壊れて目覚めないのなら少しは何処かの誰かの気も晴れるのだろうに。
明日も明後日も友奈ちゃんに会いたい心は消えなくて、私は夢の中ですら死に切れない。
『東郷さん、また明日ね?』
友奈ちゃんが私の頭を踏み砕く為に足を振り上げる。
私の意識は粉々に飛散して、また自責を繰り返す現実に戻る。
ああ、これはこういう刑罰なのかも知れない。無限地獄は心の中に作れるのだ。
そう気付いたらおかしくなって、私は口の中が焦げるのも気にせず笑いだした。
―――次の瞬間、友奈ちゃんが吹っ飛んだ。
※
「え」
その後ろ姿はあまりにも見慣れたもので。ここ数日も高さが少し異なるそれをずっと見て来て。
「友奈ちゃん」
讃州中学の制服姿の友奈ちゃんが、勇者姿の友奈ちゃんを殴り飛ばした。
こんな展開は初めてで、私は“焼かれるのも忘れて”ポカンとその背中を見詰めることしかできない。
吹き飛ばされた方の友奈ちゃんの顔が、ぽろぽろと割れた様に崩れる。
その下から何処かで見た事のある顔が覗いている。忘れもしない。あれは、私自身の顔だ。
制服の友奈ちゃんはツカツカと友奈ちゃん―――だった私に近付くと、その体を抱きしめる。
「もう、いいんだよ」
私が消える。私を責め続けていた私が。友奈ちゃんに助けを求め続けていた私が溶けて散る。
ああ、また赦されてしまった―――そうぼんやりと思う私の方へ、今度は友奈ちゃんがやって来る。
「来ないで。来ないで、友奈ちゃん!来ないで!」
私が友奈ちゃんを拒絶する日が来るなんて想像もしなかった。殺されることすら受け入れたのに。
お願いだから、私を抱きしめないで。赦さないで。優しくしないで。
私の罪を、裁かれなかった日々を、生きた軌跡を無にしてしまわないで―――!!
ぺちん。
友奈ちゃんは、私の頬を本当に弱々しく叩いた。
「ずっと一緒に居るって言ったよ。一緒に背負うから。だから、私を追いださないで」
友奈ちゃんが泣き笑いの表情でそう告げる。私もぼろぼろと涙腺が決壊する。
「ごめんなさい、ごめんなさい、友奈ちゃん!ごめんなさい!ごめんなさい!」
ああ、謝ることもしないで裁きばかり求めていたんだ。漸く私は気付いた。
※
目を覚ますと、勇者部の部室だった。
眠れなかったせいで書類の整理の途中で限界が来て、風先輩が仮眠するように言ってくれたのだった。
もう外は大分暗くなっていて、ホワイトボードに「鍵はいつもの所。ちゃんと施錠して帰る様に」と書かれている。
結局部活の時間中ずっと眠っていたらしい。また罪に1つ追加だ―――その思考に、痛みはほとんど無かった。
「むにゃ…東郷さん…」
私の左手をしっかりと握って、友奈ちゃんが寝息を立てている。
車椅子でこの眠り方は中々器用だと思う。待たせてしまったのだろうか。
「ありがとう、友奈ちゃん」
罪は消えない。罰は下されない。報いも裁きも訪れない。世の中にはそんなこともある。
けれど購い続けることはできる。何かの形で区切りをつけることより、ずっと辛い道だけど。
「本当に、一緒に背負ってくれる?」
押し潰されそうな数多の罪と、並んで向き合っていってくれるだろうか。
私が一番罪を感じているのは友奈ちゃんなのに、そんなことができるのか。
「勿論だよ、東郷さん」
それは、夢でのやり取りを知らないと絶対に出て来ない言葉のはずなのだけれど。
私はまた泣きだしそうになりながら、友奈ちゃんの手を強く、強く握る。
私の中に彼女を刻み込むように。もう2度と都合が良いだけの友奈ちゃんを心の中に生まないように。
―――その夜、夢はもう見なかった。
最終更新:2015年02月12日 10:42