6・792

「昨日のユリステのイツキ見た?」
「見た見た!新曲すごい良かった~!」
「トークは相変わらず“お姉ちゃん”一色だったよねー。あれ、キャラ作りじゃないってホント?」
「どうなんだろ?取材とかテレビの企画でも顔出さないし“お姉ちゃん”って割と謎の人なんだよねえ」

 クラスのみんなが昨日のテレビ番組の話題で盛り上がっている中、私はそっと抜け出して図書室へと向かう。
 いじめられているとか、そういうことでは全然ない。みんないい子だ、話せばとても楽しい。
 けれどイツキの話はちょっとだけ苦手だった。応援はしているんだけど。でも、個人的な理由で。
 それに今日は楽しみにしていた新刊が入庫する日だった。とても人気があるので、予約禁止の早い者勝ちである。

「そっか、上手くやってるなら何よりね。元部長として肩の荷が下がるってもんよ」

 図書館では、司書の園子先生が誰かと話していた。
 物凄い美人さんだ。金色の綺麗な髪、抜群のスタイル、それに笑顔がとって魅力的だ。
 園子先生もかなりの美人さんだけど、また全然タイプが違って、親しげに話しているのが何だか不思議に思える。

「うふふ、先輩の本は毎回ちゃんと入庫してるんだよー。生徒たちから大人気!」
「う~む、不特定多数に読まれるのは慣れたけど、あんたが手に持ってるのを見ると気恥かしいのは何故だろう」

 園子先生の手には私が楽しみにしていた新刊『私の妹がこんなにも可愛い』の第11巻がある。
 先輩の本?まさか、この美人さんは。

「あ、あの、すいません」
「ん?ああ、もしかしてうるさかったかな。ごめんね、図書館では静かにしないと」
「そ、そうじゃなくて、あの、えぇと」
「美月ちゃん、こんにちは~。先輩、この子先輩の大ファンだよー。美月ちゃん、この人が『わたいも』の作者こと犬神咲先生」
「園子、あんま吹聴されると困るんだけど。ま、いいか。こんにちは、美月ちゃん」

 やっぱり本物の犬神咲先生だった。
 神世紀302年にライトノベル『私の妹がこんなにも可愛い』で鮮烈デビューを果たした大人気作家。
 その作風は主人公である姉の妹に対する深い愛情と細かく丁寧な関係が描かれていて『事実を元にしている?』と噂される程だ。
 ただデビュー当時は現役高校生だったこともありほとんどメディアへの露出はなく、当然こんな美人さんだと知る読者はいない。
 大ファンですと興奮気味に告げると、園子先生は奥の休憩室に私たちを案内してくれた。

「多分新刊を借りに来る子がいるから、私はしばらくカウンターにいなきゃなんだよー。
 だから美月ちゃんにミッションを与えます。抱腹絶倒のトークで先輩をもてなしておいて下さい」
「え、ええー!?」
「無茶ぶりしないの。ごめんね、新刊楽しみにしてたでしょうに。まあ自分の本だと思うと変な感じだけど」

 犬神先生―――本名は犬吠埼風さんは、ガチガチになっていた私の緊張を柔らかい態度と口調で解きほぐしてくれた。
 あんな凄い小説が書ける上に優しいなんて、風さんは完璧超人過ぎると思う。

「完璧、ね。妹にも昔はそんな風に思われてたなあ。美月ちゃんはちょっとだけ妹に似てるのよね、だから接しやすい」
「そ、そんな、畏れ多いです。というか、やっぱり妹さんいらっしゃるんですね?」
「まあね。あの本、『わたいも』はライトノベルの態は成してるけど5割くらいは私の自叙伝だし」
「ええっ!?」

 流石にその割合については衝撃を受ける。
 両親が亡くなっ沈んでいる妹の為に必死に姉が料理や家事を覚えたりとか。
 寂しくなってベッドに潜り込んで来た妹の可愛さに悶えながら眠れぬ夜を過ごしたとか。
 妹が怪我をした時に怒りで暴走しそうになったのを背中を抱きしめて諌められたこととか。
 芸能人としてデビューした妹の為に毎日美味しいごはんを用意して新妻のごとく待っているとか。

「それが全部本当のことなんですか!?」
「ピンポイントで自叙伝部分ばっかり当てて来るわね!?うん、大体本当。多少は妄想とか、愛が迸り過ぎた所もあるけど」
「愛が迸り過ぎてとか、もう、私はもう」
「おーい、美月ちゃーん?」

 実の妹に恋愛感情に近い感情を抱いてしまう姉の葛藤、自分の感情が依存心や家族愛じゃないかと悩む妹の葛藤。
 それが半分とは言え事実だったと知って私の気持ちはとても高まっていた。
 今まで『わたいも』を読んで勇気づけられていた気持ちが報われたような気さえする。

「うーん。あのね、美月ちゃん。間違ってたらごめん。もしかして美月ちゃん、姉妹がいる?」
「え、あの、それは」
「美月!」

 図書室の方から押し殺した、けれど鋭い声が聞こえた。私は思わず背筋をピンと伸ばす。

「ああ、優ちゃん。こんにちは~」
「園子さん、美月見ませんでしたか?あの子ったらもう授業が始まってるのに教室に戻らないらしくて」
「うん、今は授業中だね~。優ちゃんは大丈夫?」
「私よりも美月です!見てませんか?」

 時計の方を見ると、確かに話に夢中になって気付かなかったけど授業が始まって15分以上過ぎている。
 小さく縮こまっている私を知ってか知らずか、園子先生がのんびりした口調で答える。

「図書館の中にはいないみたいだね~」
「そうですか、お騒がせしました。見かけたら注意して置いて下さい」

 遠ざかって行く足音。カウンターの方から園子先生の『めっ!』という声が聞こえた。注意なのだろうか。

「うん、なかなか激しいお姉さんね」
「ど、どうしてお姉ちゃんだって解ったんですか?」
「長年の経験と勘、かな。ほら、『わたいも』の姉もあんな感じでしょ?」

 私のお姉ちゃん、姉の優。とろくて暗い私とは大違いの何でもできる素敵な人。なのに、いつでも私を最優先してくれる。
 私は意を決して風さんに打ち明ける。

「その、実は『わたいも』と私たちってちょっとだけ似てる所がありまして。
 お姉ちゃんは何でもできる素敵な人なのに、私のお世話でいつもああやって損をして。
 けど、そうして気を遣われているのが心地よい気持ちもあって、こうやってドン臭い間はお姉ちゃんは離れていけないって」

 『わたいも』の妹も、自分に自信が無くて姉に愛想を尽かされるんじゃないかと怯えるシーンがあった。
 彼女には芸能人になるくらいの可憐さと才能があったけど、私には何にもない。

「こんな関係って、やっぱりいけない、ですよね?その、風さんは」

 妹さんと、今はどんな感じで接しているんですか?今でも互いの気持ちが通じ合っているんですか?
 そう聞こうとした私の問いを遮るみたいに、風さんが備え付けられたテレビのスイッチを入れる。

『―――スタジオにゲストをお呼びしています。大人気の“シスコン”アイドル、イツキさんです!』
『どうもこんにちは、今日はお姉ちゃんが朝から甘いハニートーストを焼いてくれました。イツキです』
『開幕から絶好調ですね、イツキさん』
『朝食をお姉ちゃんと一緒に食べられるのは久しぶりでしたから。とっても元気を貰いました!』

 歌は実力派なのに、トークは何を話しても“お姉ちゃん”へのラブコールになってしまうイツキ。
 私は彼女を応援している。彼女が頑張ると自分の気持ちも承認されているような気になる。
 けれど、同じくらい姉への気持ちをあんなにハキハキと口に出来るイツキを羨んでもいる。
 きっと昔から“お姉ちゃん”と真直ぐに気持ちが通じ合って来たに違いない。私と大違いだ。

「この子も、昔はすごく人見知りだったし、自分のことをドン臭いとかお姉ちゃんに比べたら~とかよく言ってた」
「え」
「いつかダメな自分からお姉ちゃんは呆れて離れて行っちゃうに違いない、とか本気で思ってたのよ。
 笑えるわ―――あたしは、樹がしっかりしてお姉ちゃんなんていらないって何処かに行っちゃうことに怯えてたのに」

 風先輩がテレビに向ける視線はどこまでも優しく、それでいてとても熱っぽい。ベタな表現だけど、恋する乙女みたいな顔だ。

「色んなことがあってね。色んな人に支えられて、助けられて。
 普通だったらそこで成長して、互いに自立した道を歩んで~みたいになるでしょ?
 私たちは違った。これでいいんだって開き直ったの。出版社や事務所に騒ぎにならないようにとは言われてるけどね。
 でも、あたしたち自身は少しも互いへの少し歪んだ気持ちを隠してない。むしろ誇らしいとすら思ってるわ」

 テレビの中で司会者が『本当に何でもお姉ちゃんの話になっちゃうんですね』と質問する。

「あたしは樹を愛してるから」
『お姉ちゃんのこと、大好きですから!』

 風さんはそう言い切った後にちょっと照れて「あんまり悩める若人に言っちゃだめかもだけど」と笑った。

「でも、確認してみないと気持ちって解らないものよ。その是非を決めるのは社会でも神樹様でもなく、自分たち」

 風さんがそう締めるのとほぼ同時に、園子先生が勢いよく休憩室の扉を開けた。

「授業をサボる悪い子を追いだしに来ました!」
「え、えー!?」
「はい、これ新刊。美月ちゃんが一番乗りだったからね~」

 そう言って『わたいも』の11巻を渡され、ぐいぐいと背中を押される。
 授業中に借りに来る子は流石にいない。園子先生の気遣いを感じる。
 風先輩がひらひらとこちらに向かって手を振っていたけれど、図書館から出ると当たり前だけどすぐ見えなくなった。

「美月!」

 お姉ちゃんがこちらに向かって駆けよって来る。さっきからずっと私を探していたのか、額に汗が浮いていた。

「お姉ちゃん」
「授業中に新刊を借りに行くなんて、悪い子ね!お姉ちゃんがどれだけ心配したか」
「あのね、お姉ちゃん」
「な、何?急にどうしたの?」

 こうやって少しだけ落ちついてお姉ちゃんの顔を見ると、色んなことが解る。
 キツイこと言って嫌われないか怖がっているとか、心配することは負担になってないんだな、とか。

「これからも、お姉ちゃんの妹でいい?ずっとずっと、お姉ちゃんと居ていいかな?」
「―――?当たり前でしょ、姉妹なんだから」

 お姉ちゃんが私を優しく抱きしめる。そして、自分でも気付いていないくらい小さく囁く。

「離さないんだから」

 私は図書館の方へ心の中でお礼を言いながら、自分の手もお姉ちゃんの背に回した。


『―――お姉ちゃんは本当に素敵な人なんですよ!綺麗で優しくて、親切だし行動力もあるんです』

 迎えの車の中で流しているのは、未公開になってラジオ放送の時の音源を譲り受けたものだ。
 少しだけイメージが違うと言うことでお蔵入りになったもの。お気に入りのBGMになっている。

『でも、本当はとっても繊細で、私のことを絶対に手放さないって思ってくれている所もあって。
 私も、そんな可愛くて弱いところもあるお姉ちゃんの手を離したりしないって決めてるんです』

 こういう気持ちが迸り過ぎてテレビやラジオで使われなかった映像、音源は結構あるらしい。
 自分もやり過ぎて改稿になることは少なからずあるので、似た物姉妹なんだなと思う。
 ドアを自然な動作で開いて、ありがちなサングラスと帽子を被った女性が助手席に乗り込んでくる。
 少しも慌てずその唇にキスをして、1分ほどゆっくりと時間をかけて唾液を交わし合って。
 つぅと銀色の橋が互いの間にかかるのを見て、ようやく笑いあって車を発進させる。

「愛してるわよ、樹」
「大好きだよ、お姉ちゃん」

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2015年02月23日 11:15