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【車椅子を押す少女

 昔、足が不自由で車椅子を使っている少女とそれを甲斐甲斐しく世話する少女が居た。
 2人はとても仲がよく互いのことを想いあっていたが、ある時手術で車椅子の少女の足が治ることになった。
 足が治ったら一緒に居られないと思い込んだもう1人の少女は、もっと症状がひどくなればと階段から車椅子を突き落とした。
 しかし、打ち所が悪く車椅子の少女は亡くなってしまい、それを悔いたもう1人の少女も後を追うように自殺した。
 以来、夜になると誰も乗っていない車椅子を押し続ける少女の霊が現れ、出会うと車椅子に無理やり乗せられ連れ去られる。
 そして斧で足を切断されてしまうという。
 大切な親友を、いなくなってしまった少女を今でも探し続けているのだろう―――】

(讃州中学オカルト研究会の古い会報より)


「幽霊の調査ですか?」
「う~ん、こういうのは正直ウチの管轄じゃない気がするんだけどねえ」

 そう口にしながらも風先輩は大量の依頼書を前に無碍にもできない様子だ。

『放課後に、車椅子を押す少女の幽霊が出る』

 そんな噂話が讃州中学で囁かれるようになったのは、そのっちが転校して来てからしばらく経った頃だった。
 私も友奈ちゃんも歩けるようになって、今讃州中学には車椅子を使っている生徒はいない。
 悪戯にしても手間だし、教員の中にもそれを見たという意見が出始めているらしい。

「神樹様や精霊もいるんだから、幽霊が居てもおかしくは無いと思うけどね~。もしそうなら…」

 そのっちがのんびりした口調で紡いでいた言葉を途中で飲み込む。私にはどう続けようとしたのかよく解っていた。
 もしそうなら、銀が会いにきてくれてもいいのに。彼女の幻すら見たことはない。
 だから私は、怪談話は好きだが幽霊の存在については懐疑的になっている。

「何でも昔から讃州中学に伝わってる有名な怪談話らしくてさ。何で急にまた流行り出したのかは解んないけど」

 そう言って風先輩が語ってくれたのは―――何だかドキリとさせられる話だった。
 世話する者とされる者の特別な関係。その快癒を巡る破綻。怪異を誕生させるほどの情念。
 思わず友奈ちゃんの方を見るが、その表情はごく普通で感情を読み取ることはできなかった。

「わざわざ学校まで車椅子持ち込んでうろついてる変質者かも知れないってことでしょ?この三好夏凛が成敗してやるわ」
「あ、危ないですよ、夏凛さん!警察に任せた方が…」
「けど怪談話と違って、実際に連れ去られたとかいう人はいないみたいだし、警察も動いてくれるやら」

 みんなが話している内容は、ほとんど私の耳には入っていない。私はずっと友奈ちゃんを見ていた。
 過ぎ去った車椅子を挟んだ特別な日々を、苦労も多かったけど甘やかでもあった閉じられた関係を思い出す。
 ずっとこの関係が続けばと悪念を抱いたことは、私が世話されていた時にも友奈ちゃんのお世話をしていた時にもあった。
 友奈ちゃんは―――もう、忘れてしまったのだろうか。あの時の特別な距離感と、心の近さを。
 そう思うと何だか酷く寂しくなって、最愛の少女を求めてさ迷う幽霊に少しだけ共感してしまった。

 ―――それがいけなかった。


「う、ん…?」

 目を覚ますと、外はすっかり暗くなってしまっていた。
 どうやら活動中に居眠りしてしまっていたらしい。最近は考える事が多くてあまり眠れないことが多かったから。
 例えば、何度か繰り返されている友奈ちゃんの立ちくらみ。本当にいずれ回復する後遺症なのかという不安。
 例えば、私の中の“鷲尾須美”。時々“東郷美森”より強くなるそれを、私は少し持てあましている。
 …やめよう、寝起きで思考がネガティブになってしまっているようだ。

「友奈ちゃん?」

 部屋の中に友奈ちゃんの姿を探す。見当たらない。
 もしかして、先に帰ってしまったのだろうか。いや、友奈ちゃんが書置きも遺さずに帰ってしまうというのは無いだろう。
 携帯の方にメッセージが来ていないかと確認すると、電源が切れてしまっていた。朝に充電したはずなのだけれど。

 ―――きぃ、きぃ、きぃ。

 金属のこすれる音。この2年ほどですっかり聞き慣れた音。それは、車椅子の立てる音だ。

「まさか?」

 立ちあがって、勇者部の部室を出る。廊下は灯りが点いておらず真っ暗だ。
 明るい部室に居たせいで、目が馴れない。耳を頼りに音が聞こえる方向に目を向ける。

 ―――薄暗い廊下の奥から、讃州中学の制服を来た少女(女子制服だ)がゆっくりとこちらに向かって来ていた。

 その姿を認めた瞬間、背後で部室の電気が消える。私は弾かれたように少女から距離を取るべく走り出した。
 電気が消えたのに動揺してしまったが、部室にたてこもるべきだったと気付いたのは走り出してからだ。
 あれが異形の存在なのか、それとも夏凛ちゃんが言うように変質者の類なのかは解らないが、どちらにしても私には対抗手段がない。
 宿直の先生や用務員さんに助けを求めるか、それともこのまま学校を出て逃げ出すか。

「どうして誰もいないの!?」

 その両方が不可能であることを知ったのは、職員室や用務員室まで消灯され、玄関が閉じられているのを確認してからだった。
 どう考えても人の仕業ではあり得ない。いっそ警備会社を呼ぼうと硝子に消火器を叩きつけてみたが、ヒビさえ入らなかった。
 きぃきぃという音は一定の速度で、昇降機を使うことなく階段も移動しながら追って来る。
 歩けるようになったら鬼ごっこをして見たい、と子供のようなことを考えたりもしたが、今はそんな自分を張り飛ばしたくなる。
 とにかく距離を取って、体力が尽きる前に誰か助けを呼ばないと―――叫び出したくなるのを抑えて、角を曲がる。

 ―――目の前に、車椅子があった。

「ひっ…!」

 勢いよく車椅子に飛び込んでしまいそうになり、無理に体を捻って交わす。
 足が不自然な形でぐにゃりと曲がり、廊下に叩きつけられる。目から火花が飛びだしそうな痛みが、これが現実だと伝えていた。

「どうして、さっきまで距離が合ったのに…!」
「とーごーさん」

 私の名前が呼ばれた。どうして、この少女は私の名前を知っているのだろう。それに、この声。聞き覚えがある。
 いいや、聞き覚えがあるどころじゃない。毎日でも聞いていたいと常に思っている声だった。
 恐る恐る振り返ると。
 車椅子を押しているのは友奈ちゃんだった。

「ゆう、な、ちゃん?」
「―――とーごーさん、還ろう。ね、一緒にあの日に還ろうよ。特別だった時間に。閉じられた時間に、ね」

 そっと、私の体が抱き上げられる。友奈ちゃんは、そのまま私の体を車椅子へと運んでいく。
 ああ、友奈ちゃんもあの時の特別な感覚を覚えていてくれたのね。恐怖が歓喜に変わり踊る。
 けれど、頭の中の冷静な部分が何かがおかしいとも訴えていて。
 でも、それはもう何もかも霧にかかったように薄れて行って。
 そうよ、足なんて。友奈ちゃんと、あの特別な時間を過ごし直せるなら。切って捨ててしまえば。

「―――東郷さんから離れて!!」

 私のぼやける思考を断ち切ったのは、鋭い友奈ちゃんの声だった。
 友奈ちゃんの声?でも、私を抱き上げているのは友奈ちゃんで。友奈ちゃんが2人?
 声の方へ顔を向けると、思いっきり拳を振り被った友奈ちゃんが、私を抱いている友奈ちゃんの顔面を殴りつけた。
 友奈ちゃん―――後から乱入んして来た友奈ちゃんは、取り落とされる私をヘッドスラインディングの要領で背中に受け止める。

「むぎゅっ!」
「ゆ、友奈ちゃん、大丈夫?」
「へ、へーき。東郷さん軽いもん。それよりアレ!」

 友奈ちゃんが指を指す先、殴られて車椅子に激突した友奈ちゃんが、ぐにゃりと輪郭を歪ませる。
 そして見覚えのある奇妙に無機的な、しかしどこかで人をイメージさせる形状へと変化した。

「あれって、まさかバーテックス!?」
「ジェ、ジェミニ、だっけ?延長戦と合わせて2回倒した相手」

 バーテックスはまだ事態を把握し切れていないのか、体を無駄に大きな動きで左右に振り回している。
 友奈ちゃんがころりと転がって私の下から這い出ると、立ちあがり拳法の構えを取った。

「だ、ダメよ友奈ちゃん!どうしてここに居るかは解らないけど、相手はバーテックスなのよ!
 勇者の力が無い私たちじゃ勝ち目がない!逃げなきゃ!」
「無理だよ。こいつ、確か滅茶苦茶足が速いもん。逃げても追いつかれる」

 その通りだ、ジェミニはとてつもないスピードで行動する厄介な敵だった。
 何のことはない、いきなり角を曲がった先に現れたのは超スピードで先回りしただけだったのだろう。

「大丈夫、東郷さんは私がまも…っく、守る!」

 友奈ちゃんが体をぐらりと揺らす。こんな時に立ちくらみだなんて!
 バーテックスが、ジェミニが体勢を立て直し、とてつもない速度で友奈ちゃんに襲いかかる。
 これは、罰なのだろうか。過ぎ去った時間にこだわり過ぎて、現実から目を反らして美化した過去を見詰めたことへの。
 けれど、それが私ではなく友奈ちゃんに下されるなんてあまりにも惨過ぎる。
 誰でもいい、神樹様でも精霊でももう存在しない異国の神様でも!幽霊でも妖怪でも構わない!友奈ちゃんを助けて!

 ゴキャリッ。

 何かが砕け散る音がした。
 友奈ちゃんの体がひしゃげてしまった音だろうか。絶望と共に、私は伏せた眼をあげる。

「え?」

 友奈ちゃんの拳が、ジェミニの体を貫通して打ち抜いている。
 その手の先を、失われたはずの勇者の手甲が覆っていて、やがてその部位が流れるように移動していく。
 ほんの一瞬だけ、友奈ちゃんは勇者の姿になって、やがて髪先から桃色の光が消え去って行った。
 ジェミニは、その光に導かれるようにミタマも出さずに消滅する。

「や、やっつけた?」
「友奈ちゃん!今のは一体…それに、体は大丈夫!?」
「う、うん、平気。あ、あれ?平気、過ぎるね?」
「なあに、それ?」
「いや、その。立ちくらみが、治っちゃってるんだけど」

 友奈ちゃんがきょとんとした顔でこちらを見詰めた瞬間。
 周囲に一気に光と音が戻って来て、私は気絶しそうなくらい衝撃を受ける。
 まだ窓の外は夕方くらいの明るさで、周囲には部活帰りらしい生徒たちの姿がある。
 携帯を見てみると、友奈ちゃんを含めた勇者部の面々からの大量の着信があった。

「なんだったの?」

 夢でも見ていたのかと思ったけど、捻った足の痛みは消えずに残っている。
 結局私が恥ずかしさから正気に戻ったのは、友奈ちゃんにお姫様だっこで勇者部の部室まで運ばれる時だった。


 ―――後から聞いた話である。

「友奈が目覚めるまで時間がかかったり、頻繁に立ちくらみを起こしてたのは、謂わば“過充電”のせいだったみたいね。
 バーテックスの残滓がまだ残っている可能性を神樹様が察知して、少しだけ勇者の力を残していたみたいなの」
「勇者システムも精霊の補助も介さずに神樹様の力を注がれてたようなものだからね~。
 適正値の一番高いゆーゆじゃなければもっと大変なことになってたかも知れないよ」

 ―――ジェミニは、あのバーテックスは何だったの。

「あの最終決戦の時、なだれ込んで来た雑魚バーテックスの何体かが樹海の内側でジェミニを再生させかけてたみたい。
 けど友奈が先に親玉をぶちのめしたから、不十分なまま消える―――はずだったんだけど」
「バーテックスは天の神様の遣い、謂わば天使や式神みたいなものだからね。旧世紀には幾つも伝承が残ってる。
 そういう伝説やうわさ話に肉付けをすることで、復活を図ってたみたいだねー。それが車椅子を押す少女の噂だったと」

 ―――どうして、あの怪談だったのかしら。

「それはまあ、言いにくいけど、ねえ」
「多分核になったのは、きっと」

 ―――ええ、解っているわ、解ってる。


「私は、友奈ちゃんの様子や蘇った記憶に不安を覚えていて、それは車椅子を挟んだ日々への憧憬を強めた。
 それを核にしてジェミニは復活を狙っていたみたい。噂が先か私の想いが先かは、鶏と卵の関係だけどね」
「そっか。こういう事態に備えてたはずの神樹様の配慮が、結果的に事件の引き金になっちゃったんだね。
 でも、東郷さんが無事でよかった!私も完全復活だよ!」

 検査を終えた友奈ちゃんが元気よく笑う。もう立ちくらみが起こることはない。
 今度こそ友奈ちゃんは、勇者のおつとめから完全に解放されたのだ。
 あの時、友奈ちゃんは何度も立ちくらみを起こしながら突然部室から消えた私を探し回ったのだという。
 元を辿れば私は被害者と言うよりも加害者の側なので、申し訳なくて真直ぐ彼女の顔が見れない。

「でもね、東郷さん。1つだけ東郷さんは間違ってるかも知れないよ」
「間違い?一体、何を?」
「どうしてジェミニは、東郷さんを車椅子に乗せようとしたんだと思う?復活したならすぐ神樹様の元へ向かえばいいのに。
 それに、東郷さんの想いを核にしてたのなら私でも良かったはずだよね?」

 それは確かにそうだ。ミタマが出なかったことから考えても、ジェミニは完全復活とは言えない状態だっただろう。
 けれど、結果的に力を失った私に何故か拘泥したことで友奈ちゃんに倒されている。考えてみれば奇妙だった。

「実は、あの怪談話を聞いた時、ほら、私は興味なんてありませんよーって顔、してたでしょ」
「ええ。そう言えば、今思えばちょっと不自然なくらいの無関心ぶりだったわね」
「本当はね、あの時―――私、あの怪談に出て来る女の子の気持ちが解るなーって思ってたんだ。
 東郷さんが歩けるようになって、私のお世話も終わった時に、ちょっとだけ…ううん、すごく寂しかったから」

 あの時、私が友奈ちゃんはもうすっかり特別な時間を忘れてしまったんだと勝手に失望していた時。
 本当は、私たちの気持ちは通じあっていたのだ。
 それが解ってさえいれば、今度こそ車椅子はいらない。一緒に歩んで行ける気がする。

「友奈ちゃん、本当にありがとう。これからも一緒に居てね?約束よ」
「勿論だよ東郷さん。だから、東郷さんも急にいなくなっちゃ嫌だよ?また走りまわることになっちゃうし」

 私たちは笑い合うと、病院の前の坂を並んで下って行く。
 足が動いて良かった。心の底からそう思った。



おまけ

「そう言えば友奈ちゃん。私がバーテックスの結界?に囚われた時、どうして友奈ちゃんだけが駆け付けてくれたの?」
「それが変な話でね。夏凛ちゃんから何処そこへ迎え、そこで飛び込め、みたいな細かい指示が携帯に来てたんだ。
 なのに、夏凛ちゃんはそんなメッセージ送ってないって。東郷さんに連絡しようと必死だったみたいだから」
「それって―――どういうことなの?」


 ―――人気の絶えた真夜中の讃州中学。
 友奈によってジェミニもどきが砕かれた場所に、小さな光が灯っていた。
 闇の中の光であるにも関わらず、どこか不安を誘うそれはやがて明確な形へと集積する。
 バーテックスの素体。不完全な勇者の力では根絶し切れなかった残滓。
 それは再び人々の恐慌や畏怖を糧に自らを象ろうと行動を開始―――しようとした。

 きぃ、きぃ、きぃ。

 金属がこすれる音。
 バーテックスは音に反応して、その体を捻る。
 ほんの一瞬でその体が粉々に打ち砕かれ、圧倒的な質量によって抹消された。
 巨大な、斧によって。

「―――本当に、世話が焼けるんだよな。須美は」

 巨大な斧を掲げた影は、讃州中学を包む夜闇の中へとゆっくりと消えて行った。

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最終更新:2015年02月24日 10:58