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「樹ぃ、アタシはもうダメよ…どうか、次代の勇者部を支えていってちょうだい…」
「おねえちゃーん!?しっかり!傷は浅いよ!」
「…風先輩、どうしたの?」
「ああ、よく行く幼稚園の…ほら、トロ子の所。あそこの子供に声をかけたらギャン泣きされたって。『魔王が出たー!』って」

 私たち勇者部は時々幼稚園や老人ホームで劇をしたりするが、勇者を題材にした話の時はほぼ確実に風先輩が魔王役である。
 演技力の関係もあるし、何より割とノリノリで悪役を演じる風先輩のハマり役だったのだけど、子供の涙が堪えたらしい。

「と、言う訳で」

 復活した風先輩が、お手製の魔王愛用どくろステッキを手にし、そしてそっと床へと置いた。

「わたし、普通の女の子に戻ります!」
「東郷さん、あれなあに?」
「昔、西暦の時代にあんな風にして引退したアイドルがいたのよ」
「ごふっ。滑ったネタに解説とはご無体な…」
「お姉ちゃん、大丈夫?」

 とりあえず、風先輩は樹ちゃんに任せるとして。

「風先輩が引退してしまった以上、来週の幼稚園での劇は別の題材にする?」
「でも、勇者の劇は勇者部の代名詞だよ?子供たちが泣いたのだって、それだけ印象が強いってことだし」
「それに、今から書き直したり練習したりじゃ、他の依頼を幾つかキャンセルすることになるよー?」
「となると、魔王の代役を立てることになるわね。一応、劇の台詞は全員分覚えているけど」

 考え込む私に、何故かみんなの視線が集中する。
 ……もしかして?


『東郷美森の魔王特訓』


「―――遂に辿り着いたぞ、魔王の元へ!もう悪いことはやめるんだ!」
「解ったわ、友奈ちゃんがそう言うなら」
「カーット!何で開幕1秒で改心してるのよ!」

 友奈ちゃんのあまりに凛々しい説得に思わず心を動かされてしまったらしい。
 前に劇の練習をした時も思ったけれど、真剣な顔をしている友奈ちゃんは麻薬のような魅力に満ちている。

「東郷、この魔王の設定を復唱!」
「はい、生まれながらに人と違う角と牙を持ち、そのせいで人間の世界で起こる災いはいつの間にか皆自分のせい。
 同じような境遇の者を集めて遂に侵攻を開始した、怨讐と孤独の具現です」
「その通り!それが憎い人間の一言で改心するとは何事か!あんたは、魔王になり切れてない!
 それで子供が感動させられるか!人の心が打てるのかー!」

 総監督の地位に落ち着いた風先輩の言葉に胸を打たれる。
 確かに、如何に友奈ちゃんの言葉と言えどもそれが響くのは東郷美森に対してであって、魔王にではないはずだ。
 …というか、そもそも友奈ちゃんも友奈ちゃんではなく勇者な訳で。こんな基本を見落としていたなんて。

「東郷さん、大丈夫?少し休憩しようか」
「いえ、休憩では足りないわ。風先輩、お願いがあります。私に3日の時間をください!」
「ふむ、その間に特訓するという訳ね。良いわ、ギリギリ間に合うだろうし。けど、何するの?」
「東郷はこういう時、山籠もりとかしそうなイメージがあるわね…」
「流石に冬の山に乗り込むほど蛮勇は持ち合わせていないわ。けど、発想は近い」

 ―――ここで言葉にしてしまっては引けなくなる。
 少しだけ躊躇したけれど、私ははっきりとみんなに宣言する。

「この3日間―――友奈ちゃん断ちをします!」
「……えー!?」
「東郷、死ぬ気!?」
「わっしー、考え直すべきだよ!」
「ご、ごめんなさい、そこまで思いつめるとは思わなくて!」

 …気遣われているはずなのに何だろう、この湧き上がる複雑な思いは。
 けど、私に魔王の孤独が解らないのは友奈ちゃんという絶対に消えない心の太陽があるからだ。
 真の孤独に身を晒さなくては風先輩を超える魔王を演ずることは敵わない。

「友奈ちゃん、ごめんなさい。そういうことだから、この3日間は」
「いやだよ」
「うん、私も辛いけどわかってくれて嬉し…え?」

 友奈ちゃんの方へと顔を向けると、思っていたよりもずっと近くに彼女が近づいていた。
 ひゃっ、と心の中で小さく驚きの声を上げて下がろうとしたけど、手ががっしりと掴まれて叶わなかった。
 そのまま壁に追いつめられて、バンと音を立てて自由な方の手が私の頬を掠める。
 友奈ちゃんの目には、何にもない。いつもの明るさも、優しさも、気遣いも。
 真っ黒な太陽。何故かそんな印象が私の胸に刻み込まれる。

「練習には幾らでも付き合うし、東郷さんのお願いは出来るだけ聞くよ?
 でも、会えないのは駄目。ずっと一緒にいるって言ったのに。いつも見てるって約束したのに。
 約束、破るんだ?東郷さん」
「―――て、撤回します」
「―――うん!さ、休憩して劇の練習頑張ろうね!」

 にっこりとほほ笑む友奈ちゃんは、もういつもの友奈ちゃんで。
 へなへなと腰が抜けた私を素早く支えると、膝に乗せたまま椅子に座って見せる。
 腰が抜けた理由も単に怖かったからでは明らかになくて、私の中であの漆黒の太陽を喜び受け入れる部分が確かにあった。

「…ねえ、夏凜。ちょっと今思いついたことがあるんだけど」
「奇遇ね風、私も思いついたことがあるわ」

 そのっちが猛烈な勢いでノートPCを叩く傍ら、風先輩と夏凜ちゃんが頷き合う。
 私はまだ焦点が定まらない瞳でそれを見つめながら、友奈ちゃんの温もりを感じていた。


 ―――劇、当日。

「遂に辿り着いたわ、魔王の城へ!魔王、どうして悪いことをするの!みんなを困らせてはいけないわ!」
「ふふふ、それはお前がいるからだ、勇者!」
「私ですって!?」
「そうだ!お前は私がどれだけ悪いことをしても謝れば赦してくれると言った。自分は見捨てないと言ったな。
 そんなお前を独り占めにしたいから、お前の周りに意地悪したのだ!みんなが苦しんだのはお前のせいだぞ!」

 劇の筋は大体そのまま。台詞もほとんどは流用。けれど、魔王と勇者の最後の相対だけが違う。
 私と友奈ちゃんは台の下に隠れて、指人形を動かす。

「私がずっと一緒にいる、いつも見ててあげる。だから、もう意地悪はやめなさい!」
「そんなことを言って、お前には私以外にも大事なものが一杯じゃないか。
 人気者のお前は、それにかまけて私にそっぽを向く日が来るに決まってる」
「大丈夫よ、私はここで貴女と一緒に暮らす。世界の為にじゃない、貴女の為に」

 それにしても、友奈ちゃんと私の配役を逆転させるとは思い付かなかった。
 友奈ちゃんと言えば勇者で固定、私の中でもそう決まりきっていたから。
 なかなかどうして、面白くなったと思う…特に、魔王の幼くも強い独占欲がよく表現されていて。

「さあ、みんなにごめんなさいをして。もう意地悪はしないわね?」
「みんな、ごめんなさい。もう意地悪しません…お前と過ごすのに忙しいからな!」
「きゃっ!もう、魔王!」

 魔王が勇者の体を抱き上げ、風のように姿を消す。よく考えると幼稚園児に見せていい展開なのだろうか、これ。
 でも、人形越しに互いの手の温もりを感じていると、それも何だかどうでもよくなった。
 樹ちゃんのナレーションが聞こえる中、友奈ちゃんが小声で囁く。

「そっぽ向いちゃやだよ、東郷さん」
「解ってるわ、わがままな魔王様」

 拍手が巻き起こる中、そっと私たちは額を寄せ合って笑った。

「―――むむう、この喝采、この歓声!血がたぎる、たぎるわ!」

 なお、風先輩はこの劇以降再び魔王役に復帰、子供たちを恐怖のどん底に叩き落とすのだけど、それはまた別の話。


『東郷美森の魔王特訓(失敗)』…おしまい

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最終更新:2015年03月24日 09:48