H4・41

 それはまだ、四国が孤独ではなかったころ……。

「では、今日の議論はここまでですね」

 校内のチャイムを聞き、白鳥が会話を打ち切る。議論していたのはもちろん、長野の蕎麦と香川のうどんのどちらが優れているか、だ。

「うむ、そのようだな」

 白鳥の声を受け、乃木若葉は返答する。

「では、また明日。そちらは夏休みが始まるのでしたね。四国の無事と検討を祈ります」

「白鳥さん、そのことなんだが、明日は終日学校にいないため、通信はできない」

「ああ、例のオリエンテーションですね。ごめんなさい、すっかり忘れていました。行き先は海、でしたか。羨ましいです」

「長野がバーテックスの襲撃にさらされているというのに、申し訳ない」

「いえ、いいんですよ。それに羨ましいといったのは別のことです。私、海を見たことがないものですから」

「そうか。私も瀬戸内の海しか知らない」

「いつか一緒に海を見たいものです」

「ああ、私もそう思う。では、また明後日に。長野の無事と検討を祈る」

 若葉は通信を切った。
 放送室から出た若葉はそのまま学校を出て本丸に向かう。緑葉に埋まる本丸への道を若葉は登る。
 登りきった後、本丸の石垣から海を睨む。これは若葉の日課だ。
 瀬戸内海には遠目からもわかるような壁が出来ていた。
 その植物から出来ているようなその壁が出来た所以を思い出す。
 あの時受けた屈辱、絶望、怒り、苦々しさ、全てがつい先ほどのことのように思い出せた。
 この日課はすでに千を数えようとしている。だが、若葉は思う。
(例え千が万になり、十万になろうとも。私が朽ち果てたとしても、私の子孫が、意志を次ぐ者が、必ず報いを与えるだろう)
 そう確信していた。
 若葉にはそんな自分の確信の結末も、見ている光景の本当の姿さえも知る術はなかった。

 本丸から降りた若葉はそのまま二の丸、一の丸への坂道を降りる。
 特徴的な石垣を横目に見ながら、なだらかな長い坂道を降りる。
 坂道の先ではベンチに座りながら若葉の親友上里ひなたが本を読んでいた。
 ひなたは若葉が降りてくるのを見ると、栞を刺して文庫本をかばんにしまった。
 ベンチから立ち上がり、若葉を待つ。

「すまない。待ったか」

「いえ、いいんですよ」

「読んでいた本は伊予島から借りたものか?」

「はい。なかなか面白いですよ。読んでみます?」

「時間があったらな」

 城門を抜けて帰路につく。若葉が先を歩き、左後ろをわずかに遅れてひなたが続く。
 話題は明日のオリエンテーションのことだった。

「明日の集合時間は普段と同じでしたね」

「そうだ。まあ、問題ないだろう。唯一高嶋が心配ではあるが」

「そんな、友奈ちゃんに悪いですよ。そういえば、海水浴場の名前、なんでしたっけ?」

 一拍おいて若葉が答えた。

「讃州サンビーチだ」

 答えてから若葉は明日おこなわれるオリエンテーションの内容を思い出し、頭痛を覚えていた。
 それはちょうど一週間前のことだった。


 職員室に呼び出された若葉は一人の教師に手招きされた。

「乃木、ちょっとこっちに来い」

 職員室の壁を指差す。職員室の隣の部屋で話があるらしい。秘密の話ということだろう。
 その教師はそのまま廊下に出ていった。若葉も後を追う。
 若葉は職員室の教師全員に面識がある。当たり前だ。ここの学校には若葉達しか生徒がいない。
 必然、教師は全員若葉達の担当となる。
 見知った教師達にわずかに頭を下げながら、若葉は廊下に向かった。


 さほど広くない部屋の戸を閉めると教師が椅子を勧めてきた。
 促されるままに座ると担任は開口一番、こう言ってきた。

「以前少し話したと思うが、夏休み初日にオリエンテーションを行うことになった」

 少し驚き、若葉は教師を見る。年は二十代台半ばだろう。
 腰よりも長い黒髪、整った顔立ちだが、どこか人をからかっているような表情をしている。
 常にスーツに身を包み、それがよく似合っている。教師というよりやり手のOLといった感じだ。
 傑物である、と若葉は思っている。少なくとも並大抵の人間ではない。
 身長では若葉を超え、体の一部の成長はひなたを凌ぎ、格闘技で友奈を圧倒し、文学の知識では杏をはるかに上回り、
 ゲームのやりこみでは千景を超え、たまに見せる子供っぽさでは珠子をすら下回る。
 教師だとしたら生徒の理想のような教師であろう。中学生のではなく小学生の、だが。
 正確には教師ではない。職員室にいるが、どの教科も担当していない。担任でもない。
 大社から派遣された人間であり、大社とこの中学校の調整役をしているとは聞いたことがある。

「場所は讃州サンビーチ。海だ。ここから車で一時間くらいかかる。こんな世の中だからな。
 人が使えるような海水浴場はほとんどない。ここを確保するのも苦労したんだ。車は私が運転する。
 それと、水着はこちらで手配するから、全員のサイズを確認して後で報告してくれ」

「表向きは勇者全員が海辺の戦闘に問題ないかを見ることになっている。だが、本当の目的はそうじゃない」

 一度話を切ってから続ける。

「お前達六人の関係は安定している。もちろん悪い意味でだ。仲良しペアが三組できあがり、その間に壁が出来ていて、
 そこから抜け出せない。まあ、一人例外もいるが。それを危惧しているだよ。
 今更ではあるが、その壁を壊してみろ。ただし、お前一人で、だ。誰にも言うなよ」

「どうして私だけで、なのですか?」

「お前が事前に上里に話したら六人中二人、察しのいい高嶋がそれに乗ったら六人中三人。過半数だ。それでは面白、いや、
 茶番になってしまう」
「リーダーだろう? そういった人間が動けば下も合わせて動くものさ。全員がそれぞれ考えて動くことが重要だ」
「まあ、がんばれ、としか言いようがない。できればもっと以前から部活とか奉仕活動とかをさせておけばよかったのかもしれん。
 だが、もうそんな時間はない、というのが上の判断だ。すまんな。私にはこんなことを準備することしかできない」

 そう言って謝ってきた。そうなると若葉には何も言えない。だが、どうすればいいというのだ?
 人付き合いが苦手な若葉には難題だった。


「若葉ちゃんどうしました?」

 ひなたに声をかけられ、若葉は我に返った。

「いや、なんでもない。明日は海になるが、ひなたはまだ泳げるか?」

「多分大丈夫だと思います。対バーテックス一戦用の訓練とのことでしたが、私も参加できてよかったです」

「ああ、そうだな」

 簡潔に若葉は応えた。ひなたも参加する理由は知っているが、ここで話すわけにはいかない。

 ひなたは若葉の左手に視線を移す。その左手は神の力を宿す器、生大刀をしっかりと握っている。
 生大刀を手に歩く若葉の姿にはわずかの乱れもない。一体となっているような自然さだった。

「生大刀、重くないですか。」

「ああ、問題ない。常在戦場だ」

 常在戦場、と言った若葉の言葉もあながち嘘ではない。
 四国にいる五人の勇者の中で、若葉だけが平常時も神器の所持を認められていた。
 バーテックスが結界を越えてきたとき、世界の時が止まる樹海化という現象が起こる。
 その際、防人として対バーテックスの魁となる責務を与えられているのだ。
 他の四人が神器を手に取り駆けつけるまで、一人でバーテックスと戦う。その責任の重さは計り知れない。
 だが、若葉はその責任にも誇りを持っていた。
 常に生大刀を身の近くに置き、しかもその姿にまったく気負いがない。
 その姿にひなたは危ういものを感じるのだった。


 その夜……。

 自室で一人、椅子に腰掛けながら郡千景は携帯ゲーム機を眺めていた。画面にはエンディング画面が映っている。
 クレジットがスクロールしていき、やがて終了する。

「暗夜ルナクラノーリセクリア、と」

 そう呟いて画面を閉じる。
 世界がこんな風になる少し前に出たゲームだったが、さんざんやり倒した千景には最難関モードでも物足りなくなっていた。
 次は何をしようか、と考える。いっそ、将棋や囲碁に手を出そうか。
 新しいゲームが出ることは絶望的だが、昔からあるものは未だに愛好者が多い。将棋や囲碁、麻雀はその典型だ。
 だがさすがに老人趣味が過ぎるだろうか。そう思い当たり、いったん保留にする。
 千景は差し迫った問題について考えた。明日のオリエンテーションのことだ。
 インドア派の千景にとっては普段の訓練だって面倒なのに、海に行くなど持ってのほかだ。泳げることを確認するだけなら、
 そこらのプールに水を張ればいい。そう思う。
 唯一の楽しみは高嶋友奈がこの話に乗り気だということだ。話があった最初から友奈はニコニコと満面の笑みを浮かべていた。
 楽しみでしょうがないのだろう。
 友達が少ない千景にも変わりなく笑顔で接してくる友奈は千景にとって唯一心を開いている相手だった。
 そんな友奈の笑顔を見ると千景も笑顔になる。
 この感情はなんなのだろう、今の千景にはまだわからなかった。


 ベッドに横たわり、土居球子は明日のスケジュールを確認していた。
 1.若葉より早く登校すること
 2.オリエンテーションのどこかで若葉をギャフンと言わせること
 これができれば非のうちどこのないオリエンテーションになるだろう。そう思えた。
 特に2.だ。勝負をかけるとすれば、早いうちだろうか、それとも終了ぎりぎりだろうか。
 球子には珍しく頭を使っていると、あくびが出てきた。
 まだ考えはまとまっていない。だが、早く寝なくては若葉より早く登校はできないだろう。
 球子は低い背をいっぱいに伸ばすと、部屋の灯りを消し、目を閉じた。


 机に向かいながら伊予島杏は明日行うオリエンテーションの意味を考えていた。
 杏がよく読む小説にはそんなシチュエーションがあるものも含まれていた。
 よくあるとすれば、修行、恋の接近だろうか。
 恋。杏達の中に男はいないので却下。突然男性キャラクターが出てきても、読書層に受けないだろう。
 修行。ある意味当たっている。スケジュールは体力づくりに該当するもので埋め尽くされていた。
 運動が苦手な杏はそれを考えるだけで憂鬱になる。必殺技の伝授、などというものがないことを祈るばかりだ。
 あるいは・・・。ひとつの考えに行きあたる。私達の人間関係についてだろうか。
 面倒なことになりそうだ。ひとつため息をつく。
 特に球子だ。若葉に何かしらのちょっかいをするだろう。
 どう転ぶにしろ、簡単にはすまなそうである。


 明日の準備を整えると、上里ひなたはベッドにもぐりこんだ。
 寝る前に考えるのは親友、乃木若葉のことである。
 三年前のあの日から、彼女は少し変わった。そう思う時がある。
 昔の若葉はひなたの手を握り、時には引き、時には引かれてお互いを支えあっていた。
 だが、今の若葉が握っているのは生太刀だ。
 左手は生太刀の鞘に結んだ紐を握り、右手はいつでも生太刀の柄を握れるように緊張している。
 自分より戦いを優先されているようでさびしかった。あの手をまた握りたい、握られたい。
 あるいは、次に若葉が握る手は自分のものではないのかもしれない。
 そんな考えを頭を振って追い出した。
 今でも若葉を精神的に支えているのは自分だ。その自負がある。
 そんなことがあるわけがない。そう思いたかった。
 それとも、自分は生大刀に、勇者の力に嫉妬しているのだろうか。
 そんな考えが頭に浮び、心のどこかでそれを認める。
 若葉に宿ったのは勇者の力。ひなたに宿ったのは巫女の力。
 どちらも超常の力だが、役割が大きく違う。
 樹海化が起こった際、停止した世界の中で勇者のみが動けるといわれている。
 未だその現象は起こっていないが、ひなたが取り残されるであろうことは伝えられていた。
 若葉が戦っている間、ひなたはその助けになることができない。
 それならせめて、普段の若葉を支えたい。
 そう強く思いながら、ひなたは眠りについた。

 <続く>

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最終更新:2015年10月03日 16:37