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*佐藤洋久(メジャー) 佐藤 洋久(さとう よしひさ)は、栃木県宇都宮市出身のスノーボーダー。 |ニックネーム|メジャー| |血液型|A型| |活動場所|札幌、キロロリゾート、オーンズスキー場| |お気に入りのinhabitant|スノーウエアー、ウエットスーツ| |趣味|サーフィン| |尊敬する人|我以外皆我師(自分以外の全ての人)| |癒される瞬間|家族、友達、南国| 名前 // 佐藤 洋久 サトウ ヒロヒサ ニックネーム // メジャー 血液型 // A型 出身地 // 栃木県宇都宮市 生年月日 // 1972.04.17 Q. 活動場所 A. 札幌、キロロリゾート、オーンズスキー場 Q. お気に入りのinhabitant A. スノーウエアー、ウエットスーツ Q. 趣味 A. サーフィン Q. 尊敬する人 A. 我以外皆我師(自分以外の全ての人) Q. 癒される瞬間 A. 家族、友達、南国 ---- 011Artisticの2010-2011年最新ボード情報です。 佐藤洋久自ら解説しています(マスクをつけているのがメジャーさんです) #video(http://www.youtube.com/watch?v=hHCnsMuY4_8&feature=player_embedded#) + + +『スノーボード運命の出会い』 + +今年2008年スノーボードと出会って20年になる。 +10年一昔と良く言うけれど、20年のDOUBLE DECADEもあっという間だった。 +出会いは、高校1年生の時だった。当時中学校からスケートボードにはまって、出入りしていたスケートショップでスノーボードのビデオを見たのが最初だった。 +すぐに、おもしろそう!やってみたい!と思ったのが切っ掛けで、シーズン落ちのスノーボードを買って初滑りを体験した。 +最初は上手く滑れなくて、転んで痛い思いをした。 +でも、スケートボードとも違う、何とも言えない爽快感を味わえる、スノーボードの魅力に一瞬で取り付かれた。当時は友達と一緒に始めて、毎週日曜日にショップの人たちに連れて行ってもらうのが楽しみで仕方なかった。冬になると週末が待ち遠しくてたまらなくて、学校の授業中もスノーボードの事ばかり考えていた。 + +地元が栃木の宇都宮で、車で良く行っていた南郷スキー場まで3時間。 +待ち合わせのショップまでチャリでボードを担いで30分。今では札幌で恵まれた環境でほぼ毎日1時間以内の移動でスノーボードができているけれど、当時は週1回首を長くして待ったイベントだった。 +冬に1~2回、宇都宮にも雪が積もることがある。友達と雪の中、自転車で近くの公園に行って、築山からアプローチしてフラットにポコジャンを作って技の練習をした覚えがある。今考えると微笑ましいけど、20年たった今でも、やっている気持ちは当時とほとんど変わっていない。スノーボードにはいろんなスタイルがあるけど、ただ純粋に楽しみや気持ち良さの為にスノーボードをやっている。楽しくなければスノー ボードではない。最近撮影でかなりハードな状況に自分を追いつめたりしてやることが多くなって来たけど、それも技をメイクできた喜びは言葉に表現できないくらいうれしいし、楽しい。だから少しハードな状況でもやっていけるのかな? + +話がそれたけど、スノーボードがやりたくて1年間浪人したけれど、その甲斐あってか、北海道の大学に進学できた。北海道で存分にスノーボードをすることの他にもう一つ、教員になりたいという夢もあった。 +結局スノーボードをやり過ぎて、勉強が疎かになったりで大学も留年を経験し、卒業後も塾の講師のアルバイトをやりながら、スノーボードも教員採用試験の勉強もやった。自分の中ではスノーボードは遊びで、25歳くらいをメドにしっかりした就職をしなくてはいけないと思っていた。そして、タイミング良く教員採用試験にも合格して、一度は中学校の教師になった。スノーボードは趣味でやろうと心に決めた。 + +が、しかし! +1年間教員をやりながら、プロ戦(ハーフパイプ)に参戦することができた。というのは、前年のリザルトでプロ戦を回れる資格がもらえ、更に配属された学校が、組合の力が強く有給休暇をとりやすい、というか出来るだけ有給を使え!という学校だったのでそれに甘えてほぼサーキット戦全戦に参戦できた。 +それが運命だった。 +まだまだ、『スノーボードが出来るし、体が動く』と大きな勘違いをしてしまったのだ!! +しかも、一度スノーボードから離れてみて、自分が本当にやりたいことが分かったのだ。 +というか、もっとスノーボードが上手くなりたかった。 +そしてプロになりたかった。 +ぶっちゃけ、スノーボードで悔いを残したくなかった。 +今ではたくさんの人と出会い、支えられたり、いろいろな人との繋がりでスノーボードで飯が食えているけど・・・。 + +教師を辞めた当時は、30歳くらいまで本気でスノーボードをしてみて、もし駄目ならまた教員の道を目指してもいいとも考えた。教員をやめるとき、親や友達のほとんどに反対された。 +今では親も友達も何も言わなくなった(あきらめたのか?愛想尽かしたのか?)。 +その選択が正しいか間違っているかは分からないが、今月で36歳になる今でも現役でいられることに感謝しています。 +今までお世話になった全てのみなさんありがとうございます。 +これからもよろしくです。 + +こんなで感じでスノーボードライフを送っています。 +高校2年の時のハンドプラント。 + +http://www.interstyle.jp/branavi/column/snow/2008/sato_h/SNOW080402.html ----