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目次
日本の思想
日本仏教
和の精神
十七条の憲法(憲法十七条、十七条憲法とも)に見られる。
「和を以て貴(たっと)しと為し、忤(さから)うことなきを宗(むね)とせよ」とある。
日蓮宗
日本仏教の一派。開祖は日蓮。法華教、仏立(ぶつりゅう)宗とも。法華経を根本としらその題目をとなえ、本尊、題目、戒壇と即身成仏を主とする。門下に妙法寺、本門寺、久遠寺、大石寺など。系統の在家教団に霊友会、創価学会、立正佼正会がある。
日本儒教
朱子学
儒教の一派。朱子の系統。主に君臣父子の上下関係の秩序を重んじたため、封建社会の骨髄となった。日本では藤原惺窩から林羅山に伝わり、江戸の官学になった。
陽明学
陽明が唱えた思想。聖人、凡人の良知の実現として知行合一を重んじ、その実践を大切にした。後、卓吾が朱子学を批判。
古学
江戸時代において、漢唐宋明の理学を退け、直接経書を研究しようとする立場。
国学
本居宣長
22歳に上京。医学の傍ら儒家堀景山に契沖を学ぶ。1763年には紫文要領でもののあはれの説を主題化。1762年に賀茂真淵に入門し、1763-1798年までに古事記伝全44巻を完成。儒家の「理」に真実の世界、「事」を対置した。また、係り結びの法則を発見。多くの研究書を遺し、後世の世やナショナリズムに大きな影響を与えた。
近代化
佐久間象山
幕末の思想家。「東洋道徳、西洋芸術」の観念提唱人。下級武士の家に生まれ、朱子学を奉じる。佐藤一斉の門下に入った後1839年に江戸に開塾。オランダ語や砲術を教え、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬を輩出。
中江兆民
明治期の政治家、思想家。1871年にフランスに留学。1874年に東京に塾を開く。1881年、東洋自由新聞主筆。1882年、ルソーの社会契約論を訳し、人権論を唱えた。1890年、第一回衆議院選挙当選。1898年、国民党結成。「東洋のルソー」などと呼ばれる。
植木枝盛
自由民権運動指導者。板垣退助に影響されて政治家をめざす。国会期成同盟の活動に精力をだす。東洋大日本国国憲按で人民の抵抗権、革命権を主張。1890年の第一回衆議院選挙で当選。立憲自由党に加わるも、脱党。復党直後、死去。
夏目漱石
明治期の作家。1905年から吾輩は猫である、坊ちゃんをホトトギスに寄稿。草枕などで自然主義文学と対立。1908年の朝日新聞入社後から三四郎などを発表。1910年の修善寺大患の後からエゴイズムを追求。晩年は則天去私の精神領域に到達。
日本の社会主義
幸徳秋水
明治期の社会主義者。中江兆民に師事したあと、社会主義に接近。1898年、社会主義研究会入り、1901年、安部磯雄と社会民主党結成に参加。日露開戦反対。勤め先の万朝報を内村鑑三、堺利彦らと退社し、平民社結成。平民新聞発行。日露戦争終了後にアメリカ旅行。急速にアナルコ・サンディカリスムに傾倒。直接行動を唱える。1910年の大逆事件の関係者として1911年に処刑。
片山潜(キリスト教人道主義から)
日本労働運動の先駆け。社会主義者。1884年から1886年までアメリカのイェール大で学ぶ。1901年、社会民主党結成に参加。1904年、第二インターナショナルアムステルダム大会出席、ロシア代表と反戦を共鳴。1907年の日本社会党大会で議会政策を唱え、幸徳秋水と対立。大逆事件後も東京市電争議を勝利に導く。1914年、再度渡米。1921年、モスクワのコミンテルン常任委員となり、同地で死去。
安部磯雄(キリスト教人道主義から)
社会運動家。同志社大卒業後、渡米。キリスト教社会主義者に。1898年、社会主義研究会結成。1901年、社会民主党結成に参加。大逆事件後一時期社会主義から距離をとるも、1926年に社会民衆党委員長。1934年社会大衆党党首。1940年、勤労国民党組織、禁止。戦後は社会党顧問。1899年以来な早大教授。野球部の創設者。
木下尚江(キリスト教人道主義から)
社会運動家。1897年、大規模普選運動で逮捕。1899年毎日新聞入社、廃娼運動、足尾鉱毒事件で活躍。1900年、社会主義研究会入。社会民主党結成に参加。日露戦争反戦を訴えながら作家活動もした。
堺利彦(自由民権論から)
社会運動家、政治家。1903年、平民社結成。共産党宣言を初めて訳す。1906年、日本社会党結成。1920年、日本社会主義者同盟結成。1922年、日本共産党委員長となる。その後、社会民主主義に転向した。
河上肇(人道主義からマルクス主義にかたむく)
経済学者、社会運動家。東大・学習院で講師を務めたが、資本主義の、矛盾解決を求め辞す。1908-1928年まで京大で経済学を講じる傍ら、マルクス経済学を探究。その後、労農党結成。1932年共産党に参加後逮捕。1937年出獄。戦後、志半ばで死した。
戸坂潤(マルクス主義)
哲学者、評論家。1931-1935年、法政大教授。三木清からマルクス主義の洗礼を受け、唯物論指導者となったが、1938年治安維持法違反で逮捕。1945年に獄死。
小林多喜二(プロレタリア文学)
ドストエフスキーに心酔し、小説家を志す。社会主義に接近し、プロレタリア文学運動に参加。名作、蟹工船などを発表する中、1931年に共産党に入党し、コップなどで活躍するも、1933年に特別高等警察に逮捕、拷問され虐殺された。
冬の時代
日本の社会運動、社会主義運動は大正デモクラシー後、治安維持法の制定にもかかわらず興隆した。日本共産党については1922年の結党から1945年までは壊滅的な組織破壊をこうむった。戦争の激化とともに、社会主義者は次々と転向声明などをだす。日本共産党中央執行委員会委員長の佐野学、同中央委員の鍋山貞親の転向声明が大きな影響を及ぼし、社会主義、特にマルクス主義に大きな影をおとした。同時に自由主義者や民主主義者にも攻撃が開始された。
治安維持法
国体変革、私有財産否定を主義とする組織の加入、指導を禁止する法律。1928年に緊急勅令で最高刑が死刑になる。1941年以降、最も厳しいものとなった。
転向
日本共産党の幹部らが大量にマルクス主義を捨てた一連の流れ。日本共産党に壊滅的打撃を与える結果となった。
片山哲内閣(初の社会主義政権)
1947-1948年の短期内閣。二・一ストライキ後の総選挙で第一党となった社会党と日本民主党と国民協同党の連立内閣。賃金物価新体系と傾斜生産方式で資本の再建を助け、石炭国家管理も資本と保守勢力の反発で骨抜きになる。1948年予算審議で総辞職。
日本社会党
1945年に安部磯雄の呼びかけで無産政党が統一した政党。サンフランシスコ講和問題で右派左派に分裂。1955年、統一。1960年、安保問題で再分裂。飛鳥田委員長の時にマルクスレーニン主義を極力薄めた政策をとる。1994年の党大会で日米安保容認、自衛隊容認、日の丸容認、君が代容認した。1996年に社会民主党に党名変更後、党勢減退。現在の党員は1.1万人、2021年11月現在、衆議院議席1、参議院議席1。
日本共産党
1922年、山川均、堺利彦、徳田球一が中心となって結成。当初は天皇制廃止、民主主義革命を掲げる非合法活動。三・一五事件、四・一六事件と中央幹部の転向で壊滅的打撃。戦後徳田、志賀義雄、野坂参三らが再建。1950年のコミンフォルムの批判に党は動揺。1955年に、冒険主義を自己批判。後反帝国主義、独占、人民民主主義革命を目指す。1979年には最高の41議席獲得。その後は減退。2000年の党大会で前衛政党、社会主義革命の表現を党規約から削除。現在の党員は27万人、2021年11月現在、衆議院議席10、参議院議席13。
レッド・パージ
アメリカ占領下の日本やアメリカ本国での共産主義者取締の風潮。冷戦の激化やマッカーシー議員の発言から広がる。ちなみに、チャップリンもこの流れでアメリカを追われた。
革新自治体
東京都で1967年に日本共産党、日本社会党などの推薦で当選した全国初の革新首長、美濃部亮吉が誕生した。美濃部は国に先駆け、福祉政策や公害対策を行った。
60年安保闘争
日米安保条約改定に反対する運動だったが、性格が変わり、岸信介の強硬な採決や東大女学生の死亡などに激怒する国民的運動に変わった。岸はこの運動後、退陣した。この一連の流れはベトナム反戦運動や学生運動につながった。
55年体制の崩壊(保守革新の曖昧化)
1955年の日本社会党右派左派統一、自民党の成立から1993年の自民党野党転落まで続いた55年体制が崩壊したこと。1993年、新生党、新党さきがけ、社会党、民社党、公明党、日本新党が反自民を掲げて細川護熙政権を発足させた。
村山富市内閣
1994年から1996年までの社会党、自民党、新党さきがけの連立内閣、社会党委員長でもあった村山は自衛隊容認、日米安保堅持を公表。その間、阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件が発生。また、戦後50年に際し、村山談話を発表した。突如、村山が退陣を表明し、総辞職。
現在の革新政党
日本共産党や社会民主党
源流思想
西洋の近現代思想
ルネサンス、宗教改革前後
イタリア発の文化革新運動。再生を意味するフランス語。宗教改革、地理の発見、近代科学から人文主義、世俗主義、合理主義、個人主義を包摂。中世の暗黒時代からの脱却をめざした。
イギリス経験論系統
ベーコン、ポップスの後継者のロックが確立し、バークリー、ヒュームが発展させる。イギリスの近代哲学系譜。神学イデオロギーに変わる市民社会の倫理形成に寄与。
社会主義
サン・シモン(原始社会主義、初期社会主義)
各人の自由な能力に基づく未来社会を構想したフランスの空想的社会主義者。
フーリエ(原始社会主義、初期社会主義)
空想的社会主義者。商業界での仕事の経験より、資本主義の批判を細かく展開。ファランジュ構想をうちたてて、ユートピアを構想した。
オーウェン(原始社会主義、初期社会主義)
人道主義的工場主。マルクスから空想的社会主義と批判される。労働者中心の経営に腐心し、イギリスでの工場法成立に貢献。1825年にアメリカに渡り、ニューハーモニーと称する共産社会の実現を目指したが、失敗した。1834年に帰国。生活協同組合の結成の呼びかけの他、全国労働組合大連合の結成に心血を注いだ。
カールマルクス(科学的社会主義)
かの世界的に有名な「資本論」の著者。
独自の経済分析によって、搾取を伴う「資本主義社会」の限界を訴え、その克服の為に「共産主義」を提唱した。
芸術・文化面なども含めた全ての社会活動の源流は経済活動に根差すという「唯物史観的」視点で世界を捉え続けた。
社会主義思想の潮流としては「マルクス主義・科学的社会主義」に分類される。
第一インターナショナル(国際労働者協会)設立にも大きく貢献した。
すべての社会主義思想=マルクス主義ではないが、今日まで「社会主義・共産主義」思想が受け継がれてきたのは何より
マルクスの存在があったからであることは疑いの余地がないであろう。
フリードリヒエンゲルス
紡績工場主の息子として生まれる。
その経済力によって生涯に渡ってマルクスを支え続けた。
マルクスとはその「唯物史観」な視点が完全に一致しており、1848年に共同で起草した「共産党宣言」を発表した。
マルクス亡き後、「資本論」をまとめ上げて完成させる。
レーニン
ナーロドニキ思想から皇帝派暗殺を企てたかどで処刑された兄の死をきっかけに社会主義に開眼、ロシアの一連の革命運動を指導する。
当初は社会民主主義者として機関紙「イスクラ」の編集の中核を担いながら社会主義理論家としての地位を築き上げていった。ツァーリ政権に何度も流刑に処されるも、逃走や亡命を繰り返しながらロシア国内外の社会主義者を束ねながら先導する指導的な役割を演じた。1917年、第一次世界大戦時の厭戦気分を巧みに先導し「パンと平和と土地」をスローガンに都市部労働者を束ねてロシア革命を成功させる。海外からの干渉も受けた過酷な内戦期を乗り切った1922年、世界初の社会主義国家、ソビエト社会主義共和国連邦をつくることに成功する。
資本主義は戦争を伴う帝国主義に至るという「帝国主義論」
議会制民主主義はブルジョワの欺瞞だとし、プロレタリア(労働者階級)階級の先導によって直接民主制への移行は可能であるとした
「国家と革命」はともに世界的に有名な書籍である。
マルクス思想を絶対としており、マルクス主義の理論家というよりは実践家としての役割を果たしとも言える。
スターリン
グルジア(ジョージア)出身の革命家。レーニン亡き後のソ連の指導者として世界的にも有名である。
農業の集団化・重工業の発展を最優先した五ヶ年計画などによって急速な近代化を成功させるものの、あまりに性急すぎる政策の過程では
膨大な餓死者を出すなど多くの犠牲を生み出した。
トロツキーと対立し、「一国社会主義」を唱え、反対派を「トロツキスト」とレッテル張りして弾圧した。
悪名高い「大粛清」によって反対派を壊滅させ、自身を頂点とする極度な中央集権化を行った。
死後、後継者のフルシチョフによってされた「スターリン非難」は社会主義諸国に衝撃を与えたことでも有名である。
一方で、第二次大戦を勝ち抜いたことから、ロシア国内でもいまだに一定の支持者がおり、世界的にも「スターリニズム」は存在し続けている。
トロツキー
レーニン・スターリンと並ぶロシア革命の中心人物。
革命直後に瓦解した旧軍隊を新たに労働者・農民で再編成した「赤軍」を創設し、内戦の勝利に大貢献した。
話術に長け、カリスマ性があったことから時にレーニン以上の革命の立役者であった。
社会主義は一国では維持できず、最終的には全世界が共産化する必要があるとする「永続革命論」を唱えた。
レーニン亡き後、「一国社会主義」を掲げて中央集権を強行するスターリンと対立し、国外追放となる。
海外の亡命生活中も一貫してスターリン体制批判を続けるも、1940年、メキシコにて暗殺される。
文才があり、文学や芸術にも造詣が深かった。
毛沢東(毛沢東主義・マオイズム)
中国共産党の指導者。陳独秀らが結成した中国共産党に参加したあとに会議で指導者に。国共合作などを通して抗日運動を指揮する。戦後の国共内戦に勝利。中華人民共和国建国。大躍進や文化大革命で中国に混乱を招く。
社会民主主義
共産主義・暴力革命を否定し、平和な手段で漸進的に社会主義を実現する、民主主義を通して実現する思想。民主社会主義とは異なる。
民主社会主義
民主主義の基に社会主義を実現する思想。社会主義と民主主義は相互に依存しあうものであるとして、マルクス・レーニン主義の共産主義に強く反対する。
共産主義
社会主義の進んだ社会。共有物、公共物などの生産手段を労働者のものに、社会のものにし、不平等をなくそうとする思想。古くからあったものであったが、マルクスが共産党宣言の中で確実なものとし、資本論の中で科学的社会主義、所謂マルクス主義になった。
無政府主義(アナーキズム)
国家などの権力を全て廃して、完全に平等な社会を建設することを目指す思想。
アナルコ・サンディカリズム(労働者を中心とした自主的な共同体運営)思想でもある。
有名なのは、スペイン内戦によるCNT・FAIなどの労働組合に先導された革命運動である。
中心人物の一人として、ドゥルーティなどがいる。
(いずれもサンディカリストによる革命は圧殺され失敗に終わった)
金日成・金正日主義(主体思想)
国防や経済などあらゆる分野で自立していなければならないという思想。しかし、それには金日成など最高指導者の指導が絶対必要。
ポル・ポト主義(原始共産主義・反知性主義)
都市や知識・医療・教育など全ての現代要素を排除して、農村を主体とした原始的な社会を造ろうとする思想。ポル・ポトはそれを実現するため、都市解体、知識人の大虐殺を行い混乱を招いた。
ローザルクセンブルク
ドイツの女性社会主義者
ロシア革命には肯定的であったものの、レーニン率いるボリシェヴィキの強権路線に反対する立場を取り続けた。
"ルクセンブルク主義"という社会主義思想の一つの潮流にもなっている。
ドイツ革命最中、リープクネヒト(ルクセンブルクと同立ち位置の指導者)らとスパルタクス団を結成。
右派国軍勢力と手を組み急進左派勢力の撲滅を目論む社会民主党政権(現ドイツSPD党)と対決し敗北する。
1919年、リープクネヒトと共に殺害される。
ホーチミン
ベトナム社会主義共和国の間接の建国の父。ベトナム独立運動の頃から政治に携わり、その最中に社会主義に開眼。抗日運動の後はベトナム独立としてフランスに勝利。その後はベトナム戦争においてアメリカへの勝利に貢献する。
ベトナム社会主義共和国が正式に成立するのを待たずに死去した。
ホーチミンに関しては、彼自身の記録が少ないことからいまだに素性の知れない謎の多い人物ともされている。
北ベトナムでの早急な土地改革では多数の犠牲を伴うなどしたが、自己顕示欲や贅沢などとは無縁の質素な生活を貫いたとされ、汚職などとも
無縁であったとされている点から高く評価する声もいまだに多い。
フィデルカストロ
近現代の社会主義国指導者の中では世間的に評価の高い革命家。
かの有名なチェゲバラと友に、1959年に親米傀儡のバティスタ政権を武装蜂起で打倒し、キューバ革命を成功させた。
歴史上、社会主義革命家の中では珍しくカストロ自身も前線で一兵士として闘い続けた。
また、内戦期においても赤十字に捕虜を引き渡すなど人道的な精神を持ち続けた。
「ピッグス湾事件」など尋常ならざるアメリカからの執拗な暗殺、干渉行為を跳ね除け続けた。
学生時代から演説の練習をしていたと言われるほどの「演説好き」であり、数時間におよぶ演説を度々行っていたことで知られる。
2016年の死去の際には、世界中から追悼の言葉が贈られるなど、「独裁者」と非難される一方、国際的に一定数の評価を得ていたことも伺い知れる。
チェゲバラ
思想関係なくおそらく世界で一番有名な革命家。
元々はアルゼンチンの中産階級で医者になる予定だったが、20代で南米旅行をした際に「当たり前の治療」も受けられない貧困層の存在に衝撃を受け、以後社会主義革命に没頭していく。
キューバでカストロと出会い、意気投合した後は医師の技術を生かして軍医として自らも前線に立ってキューバ革命を成し遂げた。
戦闘中も潜伏先のジャングルで現地住民の診察にあたるなどの尽力から、革命勢力に対して住民は非常に協力的であった。
政権奪取後も、公務時間外はボランティアで労働に勤しむなど類まれなる利他精神を貫き続けた。
1967年、ボリビアで革命を起こすために戦闘中、CIAによって殺害される。
モーリス・トレーズ
フランス共産党の指導者。ソ連の政策に忠実であった。そのため、彼の存命中のフランス共産党は特にスターリニズムの傾向が強く、トレーズが死去してからも1991年のソ連の崩壊までは特にフランス共産党は“モスクワの長女”と揶揄される。トレーズ自身はモスクワに向かう船上で急病死
アメリカ政治哲学
リベラリズム(自由主義)
個人の自由を重んずる思想。その個人の自由には国家は干渉してはならないとする。近代自然法思想を源とする。市民革命の原理となる。経済上では、古典派経済、重農主義から自由放任主義になった。その道は市民社会の発展と対応したが、産業革命による資本主義の本格的胎動とそれに相対的に続く社会主義の台頭により、主義としての自由のみならず、個々の人間の平等、実質的自由を重んずる個人主義の観点を持ち合わせるようになった。
ネオリベラリズム(新自由主義)
1980年代から急速に発達した経済思想。先進国の資本主義がオイルショックやドルショック、労働運動で揺さぶられる中、ケインズ主義に代わる新思考として現れた。主に規制緩和、福祉削減、緊縮財政、自己責任を掲げ、新保守勢力と結び、マイノリティの権利削減、排他的ナショナリズムになる傾向がある。一定の経済成長に貢献したものの、貧富格差の増大、弱肉強食イデオロギーの常態化といった負の影響を遺した。
リヴァ(バ)タリアニズム
福祉国家の集産主義に警鐘を鳴らし、国家の干渉に不可侵の権利を擁護する自由論者。
コミュニタリアニズム(共同体主義)
個人の属する共同体の価値観を大切にすべきだとする立場。自由と功利のみを追求する人を負荷なき個人と批判する。
最終更新:2022年06月11日 17:58