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胸の奥が少しだけ重いまま、うまく息が吸えない気がした。
それでも、足を止めるわけにはいかなかった。
私は人混みの中へ戻っていく。

人の波でごった返すアーチ前までやって来た。

「あれ? お父さんは?」

集合場所で待っていたのは、お母さんとチハルだけ。
一緒に来るはずだったのにお父さんの姿が無い。

「時差ボケですって。すごく眠そうだったからお留守番頼んできたわ」
「パパさん、グーグー寝てた」

お母さんとチハルが本当の親子みたいで、なんだか和む。

「海外出張だったし仕方ないね。ところで春樹も一緒にお昼ご飯食べるのかな」

春樹とは昼食の約束まではしていない。
できれば一緒に食べたいのだけど。

「さっき連絡してみたら春樹も無理ですって」
「え? そうなの?」
「クラスが喫茶店らしくて……一番忙しい時に行ける訳ないだろって怒られちゃったわ」
「そっか。残念」
「あと混み合ってるから千春を連れては入れないだろうとも言ってたわね」

(行ってみたかったのにな)

ガッカリしてしまったけれど、四歳になったチハルを連れて無理は出来ない。

「校庭の出店も座ってゆっくり食べる感じじゃないんだよね」
「困ったわね……」
「あっ、そうだ!」
「どうしたの? 愛ちゃん」
「いい所があったよ。確か……」

気分を変えるために、パンフレットを開く。
目的地は校舎の一階に目的の場所がある。

「お母さん、チハル。私について来て」

お母さんとチハルを連れてやってきたのは三年の有志でやっているお店だ。
入れ口に『出前食堂』と書かれた看板が置いてあった。

「愛ちゃん、ここで食べるの?」
「うん。入ろうか」

最初に席代として一人50円、三人だから150円払った。

「ここ、一体どんなお店なの? 愛ちゃん」
「いいから、いいから」
「そんなに混み合っていないからゆっくり食事が出来そうね。よかったわ」
「ボクおなかすいた」
「チハル、もう少しで食べられるから待っててね」

私たちは適当に空いている席に座る。
机の上にはメニュー表が置いてあり、それぞれ食べたい物を決めた。

「すみません」

私は手を上げて三年生を呼ぶ。

「いらっしゃいませ」

抑揚のない言葉が返ってきたので振り向くと、冬馬先輩が立っていた。

「冬馬先輩。もう怪我は大丈夫ですか?」
「はい」

(結構ひどい怪我だったはずだけど……)

この前の戦いで、かなりの重症を負っていたはずだ。

「元気になってよかったよ」
「愛菜。こちらで食事ですか?」
「うん。冬馬先輩が文化祭に参加するって教えてくれたから、来てみたんだ」
「そうですか。ありがとうございます」

(ちっとも嬉しそうに聞こえないけど喜んでくれているの…かな)

「愛ちゃん。この方は?」

冬馬先輩と私が親しげに話しているのを聞いて、お母さんが問いかけてくる。

「この人は3年の御門冬馬先輩。色々お世話になってるんだ」
「愛菜の母です。うちの娘がお世話になっております」

お母さんは立ち上がって頭を下げた。

「こちらこそ愛菜さんと仲良くさせてもらっています」

冬馬先輩も律儀に頭を下げている。
なんだか二人ともかしこまっていて、私がこそばゆくなってしまう。

(……この人が、双子が嫌う存在だなんて……どうしても結びつかない)

「愛菜ちゃん。ボクおなかすいた。はやくたべたいよ」

大人の挨拶なんてどうでもいいチハルが昼食の催促を始める。

「それじゃあ先輩。注文いいかな」
「はい」
「チハルは何食べたい? やきそばもあるし、サンドイッチもあるって」
「ボクやきそばたべたい。ジュースもほしいな」
「じゃあ、焼きそばとオレンジジュース。お母さんは?」
「私はおでんと野菜サンドとコーヒーにしようかしら」
「えっと……私はミネラルウォーターとホットケーキで」

冬馬先輩を見るとメモも取らずに私達の注文を聞いている。
うなずきもしないから、本当にオーダーが通っているのか心配になる。

「ご注文は焼きそば、オレンジジュース、おでん、野菜サンド、コーヒー。
ミネラルウォーターとホットケーキですね」
「うん。間違いないよ」
「それでは少々お待ちください」

冬馬先輩は別の三年生にオーダーを伝えに行った。
注文のメモを書いた三年生数名が教室を出て行く。

「食堂って書いてあったけれど、ここは作ってるお店じゃないみたいね」

生徒の様子を見ながらお母さんが尋ねてくる。

「うん。校舎内や校庭でやってる模擬店の食べ物を代わりに買ってきてくれるんだ。
会計は最後にしなくちゃいけないけど、ゆっくりできるから小さい子やお年寄りにはいいよね」
「そうね。こういう場所があって本当にありがたいわ」

教室内を見回しても学生は少なく、一般の家族連れや年配の人達が多い。
その中にさっきから声を上げて泣いている子がいた。
親が必死でなだめているが、止む気配はなさそうだった。

「あの子、どうしたんだろう……」
「ボク、行ってみる」

そういうと、チハルはパタパタと走って行ってしまった。
そして何かを話すと、またこちらまで戻ってくる。

「チハル、どうだった?」
「あの女の子、風船がほしかったけど無かったんだって」
「風船? そういえば持っている子供を見かけたわ」

ここまで来る間にふわふわと浮く風船を持っている子供達と何度もすれ違った。

「あのね、生徒会が小学生以下の子供に午前中に風船を配ってたんだ。
だけど予定よりも早く捌けちゃって、もらえなかった子も大勢いたみたい」

放送で風船の配布の終了を伝えたのは私だった。

「そう……。かわいそうね」
「ボクも風船ほしかったな……」
「ごめんね、チハル。もう無くなっちゃたんだ」

チハルも手に入らないと聞いてしょんぼりしてしまう。

「お待たせしました。ご注文の品です」

そこへ冬馬先輩がオーダー通りの食べ物を持ってやって来た。

「冬馬先輩、ありがとう」
「いえ……それよりどうかしましたか?」

チハルが泣きそうになっているのを見て、冬馬先輩が尋ねてくる。

「ほら、午前中に風船配ってたでしょ。それが欲しかったってしょげちゃって」
「そうですか」
「あの泣いている子も同じみたい。仕方ないとはいえ、可哀想」

冬馬先輩はチハルや泣いている子を交互に見ている。
そして今度は私に視線を移す。

「愛菜。少しよろしいですか?」
「何?」
「その水、僕にいただけませんか?」

先輩は私が注文したミネラルウォーターを指差す。

「いいよ。冬馬先輩が飲みたくなったの?」
「いいえ」

先輩はペットボトルのふたを開け、手のひらに水を少しだけ垂らした。
そして、握りこむ仕草をしてゆっくり手を広げた。
すると手の平には水の変わりに、まん丸のビー玉が乗せられていた。

「千春くん。はい、どうぞ」

冬馬先輩はそれをチハルに渡す。
チハルはそれを受け取って、指でそっとつまんでいた。
透明の玉は弾力があるのか形を歪める。

「ママさん、愛菜ちゃん。このビー玉ぷにぷにしてる。おもしろいっ」
「すごいわ。御門くんって手品がお上手なのね」

お母さんはこの不思議な水の玉を手品だと思ったようだ。

「いえ、ちがいま――」
「そっ、そうなんだよね! 冬馬先輩はすごい手品が上手なんだ」

先輩の言葉にかぶせるように、私は全力で手品だとアピールする。

「この水の玉、さっきの子にみせてくるね」
「まっ、待ってチハル!」

良い物を手に入れたのが嬉しかったのか、泣いていた子に見せに行ってしまった。
チハルは持っていた水の玉を女の子に渡している。
今度は二人でこちらに戻ってきた。

「お兄ちゃん、わたしにもつくって!」

泣き顔はすっかり晴れ、明るい笑顔に変わっている。

「ねぇねぇ、ボク、つぎはクマさんつくってほしい。できる?」
「わかりました。二人とも待っていてください」

さっきと同じ要領で水の玉を作り、泣いていた女の子に渡す。
チハルには水の量を増やして、静かに両手で包み込む。
すると民芸品で売られている木彫り的な、リアル熊人形が出来上がった。

「とーま、ちがうよー。ボクがほしいのはぬいぐるみみたいにかわいいのだよー」
「すみません。もう一度――」
「先輩、ちょっといいですか?」

私は先輩の手を引き、廊下まで出る。

「冬馬先輩。神器の力、使いましたね」
「はい」
「使っちゃ駄目ですよ」
「そうなのですか?」
「当たり前です」
「しかし……泣いていた女の子は笑っていますし、千春くんも嬉しそうです」
「それはそうだけど……」
「以前、愛菜は文化祭は楽しむものだと教えてくれました。悲しい顔が笑顔に変わりました。
僕は泣いているより笑っている方を選びたいです」

(うーん)

「本当は駄目です。でも……今回は私の責任にします」
「いいのですか?」
「これは手品ってことにします。余計な事は、言わないでくださいね」
「はい」
「今日一日だけですよ」
「わかりました」

私は教室に戻って、ホットケーキを食べ始める。
でも心配で味なんてしない。

「あの御門君ってお友達、変わってるけど……人に向く子ね」
「無愛想に見えるけど、優しい人なんだ」

(それにしても、冬馬先輩が自分の意見を通すなんて珍しいよね)

「次はハートの形が欲しいなぁ」
「俺はウルトラライダーがいい!」
「僕も僕も」
「お兄ちゃん、キュアキュアつくってー」

子供達は次第に増えていき、みんな冬馬先輩を取り囲んでいる。
不思議な水に興味があるのか目をキラキラさせている。

「手品のお兄ちゃん! 他の手品も見せてよ」
「すみません。僕は水芸しかできません」
「あははっ。おもしろいーっ」

(今日はお祭りだし……いいかな)

「あの、愛菜。よろしいでしょうか」
「何かな、冬馬先輩」
「水が無くなりそうです。バケツに汲んで持ってきてください」
「……わかりました」

いくつか空席のあった『出前食堂』は冬馬先輩のおかげで一杯になった。
先輩たちも冬馬先輩の手品に感心して、ウエイターではなく、客寄せに専念してもいいと言ってくれた。
私は残りの自由時間、お母さんと一緒に手品の助手をして過ごした。

「やだ! もうこんな時間。クラスの方へ行かなくちゃ!」
「愛ちゃん。後は私がやっておくわ」
「ありがとう。お母さん」

お母さんとチハル、そして冬馬先輩と別れる。

子どもの笑い声が響く教室の中で、胸の奥の重さだけが、消えずに残っていた。


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最終更新:2026年03月21日 17:41