原案=ズワイガニ
編著=Дальний Восток(杏珠)
作=Ageha

電脳鯖民所記


事は約1時間前に遡る。
4時を迎えた頃、例によって建物には音質の悪いスピーカーによって放送が流れる。これはある部屋の会話である。
「ジョイマンなんか言ってるよ」
「俺ちょっとトイレ行くから先行っといてや」
「はいはい」
こうして彼は013号室を出た。21にとって、それは確かに他愛もない会話だったし、ジョイマンにとってもそうであったはずだ。ホールにはすでに人集りが出来ている。その中を進んでいく。
「誰かが…死んだ…?」
彼の脳裏にふと悪い予感が走る。
彼は上にいる者の演説が終わるまで、どこかジョイマンの身を案じていた。その一方で彼は、あんな怪しい奴の話が本当な訳がない、とたかを括っていた。
「まさか、そんなはずはないか」
扉を開け、全てが杞憂に終わると思っていたその時である。
「…!」
そこで彼が見たのは先ほどまで会話を交わしていた男の倒れ込んでいる姿である。
「死んでる…?」
ベッドの端にある2枚の白いカードは、ただ光るばかりであった。
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それから幾分未来の010号室での話である。1人はかつて自分たちが書いたこの建物のマップを指差し、2人はそれを見ながら話を聞いている。そしてもう1人、部屋の端で延々とドライバーをベッドにぶつけ続ける者が居た。これは非常に示唆に富んだ行動なのだが、それは追々語ることとしよう。
「つまり009号室にX JAPANとメスガキが、その横の008号室に森井と仔猫がいて…」
「その横がでぇと昆布か」
何よりこの空間では暇つぶしが存在しない。部屋にテレビはあるが、つけても砂嵐が映るだけ。ラジオは先ほどのようなスピーカーよりもさらに音質が悪く、何を言っているのか碌に聞き取ることが出来ない。
「外になんかないの」
「うちらが建物の中は結構見てみたけど、特に…」
「収穫は少なそうやけど一回外見てみるか」
彼らは先ほどマップを見ながら話していた者たちである。
「杏珠ちょっと外見にいくんやけど行けへん?」
「ちょっと自分はやりたいことあるから、ごめん」
「わかった」
そうして010号室には杏珠のみが残された。どうやら彼女はいつか使った紙とペンで何かを書いているらしい。
「ドライバー…」
「…」
彼女はふと廊下の方を見る。しかし、彼女が見ているのは廊下のその先のようにも見えた。
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その頃、彼らは再び回の字を回り始めていた。やはり気になるは左上の円形部。一行が初めに向かうは当然そこだ。未だ013号室は鍵こそ閉められ中が見えないものの、扉の前に人が寄り付いている。
着いた。ここが例のホールである。改めて見てみると上方に橋のような通路はないし、何かあの時よりも天井が低く感じる。おまけに前まで暗雲が立ち込めていた窓は不思議と晴れているようである。
「こんな所に階段あったか」
そう発言するはズワイガニ。場所で示すならば001号室の隣に位置する部分である。
「正直見えてなかったからなんとも言えないわ」
「うちもわからん…」
明らか下に光はない。本能的な恐怖が後列の2人を支配する。一方で、ズワイガニは好奇心が勝ったようである。
「一回行ってみるか」
束の間ホールに緊張感が漂う。はっきりこの時点で蕣とぬーんは限界であった。それもそのはずである。訳もわからず意味のわからない場所に唐突に呼び出され、目の前で人が死に、元の世界に帰れる保証なんてないのだから。
「流石にそこ降りるのはまずくない?」
「え絶対やばいってそこ」
その須臾、聞き覚えのある声がした。
「誰かいますかー」
「ってあれ、ぬーんと蕣さんとズワイガニじゃないすか」
日産ことでぇである。少し緊張が解ける。
「これ蕣とズワイガニとぬーんなんだ」
横にいる中学生ぐらいの子供もそう呟く。
「でぇやん、さっきジョイマンの部屋の前おったよな?」
「一応居た」
「横の子は?」
「昆布。伝わるかわからないすけど」
その場しのぎの安心感。それは表向きでは安心できても奥底で恐怖が残るばかり。まるで意味のないものであった。
「そういえば杏珠さんは?」
「なんかやりたいことあるとか言って部屋残ってる」
「へぇ」
例によって消化器は窓からさしこむ光によって摩天楼を映し出している。その明るさは暗い、明るい、では形容できない。
「和紙はやく下降りたいんやけど」
「ズワイガニ絶対やばいってそこ」
少しの間騒がしくなる集団。そこに1人の人間が名乗りを挙げた。
「…俺が行ってみる」
日産である。
「なら和紙も着いていく、おもろそうやし」
1人は周りへの献身、また1人は自身の好奇心の為。前者は近頃自分が106鯖の人間やその身辺に迷惑をかけてしまっていることへの贖罪も兼ねてだろう。2人は漆黒の階段を降りてゆく。行く先も分からぬまま。
残された蕣、ぬーん、昆布の3名はただその背中を見送ることしか出来なかった。
しかし、彼らは30分待とうと決して帰ってくることはなかった。
  • 時刻は6時を回る…。-
最終更新:2025年07月27日 15:27