対象年齢15歳以上記事
この文章は完全に私の自己満足的なものに過ぎない。この文章を考察するのは勝手だが、何の意味も得られない愚行であると言うことを先に断じておこう。
私(
杏珠)は「遊び鯖」と言う存在に出会いまもなく5年が経過する頃である。「遊び鯖民」としては37鯖から数えて4年目だ。
そんな私であるが、遊び鯖に篭っているものの遊び鯖がなんたるかということをいまだ完全に理解することができていない。つまるところこの記事及びこのシリーズはそれを探求する、いわば遊び鯖の理解を目指すシリーズである。はっきり言ってしまえば一般の遊び鯖民、古参ですら関知しない話だ。
では何故そんな誰にも需要がないようなものをこのwikiに投稿するのかと問われれば、後世の遊び鯖民に私のような「遊び鯖学者」が現れた際に記録として残すためである。
閑話休題。下記が本題である。
本題
pt.1では遊び鯖の二極構造の変化について考える。二極構造とはなんなのかと言うと、この記事の主題としては遊び鯖、原義では世界を二分する構造のことである。20世紀の米ソ冷戦などが良い例だろう。遊び鯖においてこの二極構造というものは絶え間なく変化してきた。
37鯖を例に見てみよう。37鯖ではどうやら遊び民と荒らしでの二極構造が発生していたようである。それをさらに分解すると、遊び民ではなつき団派とそれ以外、荒らしでは旧銀鰤族系と
荒らし団の構造が露呈する。しかしそれは本題ではない。この記事の目的は歴代の二極構造をまとめつつどうしてそれが起こったのかを考察することである。
37鯖の場合
では、なぜ37鯖では荒らしと遊び民の二極構造が発生したのか?-いくつか要因はあるように思える。だがやはり1番大きな原因は遊び民と荒らしの対立が現在よりも激しかった部分であろう。遊び民と荒らしの邂逅はいつの時代も必ず起こり得ることだが、この時代は特に酷かった。荒らしである
リソソームが遊び民の紗奈に殺害予告を送ったと言う事件を聞いたことがあるだろうか?現在では冗談で「死ね」などと口にすることはあれど殺害予告を本気で送るような尋常でない行動を行う人間はいない。また106鯖と違って荒らしがコミュニティとして固まっている点も大きかった。現在の106鯖は荒らしが単体として各々活動することが多く、荒らしクランなどが作られることは無いに等しかった。しかし当時は銀鰤族や荒らし団など荒らしのコミュニティの形成が今よりも顕著であった。荒らしの連帯感は遊び民の連帯感に張り合って過激化を招くのだが、それを延々と繰り返していたのが37鯖だったのである。
335577鯖の場合
では、357鯖を見てみよう。
彼らはどうやら鯖民同士のコミュニティが二極構造を発生させているようだ。よく旧357鯖民の方々に話を聞くと、「357は平和だった」という感想をよく耳にする。これは思い出補正だ。実際、357鯖は37鯖ほどでは無いが終始荒れていたように思える。この原因の一つが先述の二極構造なのである。
では、どのようなコミュニティがどのようなコミュニティと対立していたのか?-つまるところ過激派と穏健派である。なるほど。これは実に興味深いことかもしれない。と言うのも、この頃357鯖と同時期に発生していた掲示板のれたん問題も過激派と穏健派の対立によって混乱を招いていたのである。357鯖民の一部はよく掲示板へもコメントを残していたが、やはり357鯖と掲示板は惹かれ合うものなのであろうか。
閑話休題。では、なぜこのように対立が起こってしまったのか。私はチャットが及ぼす影響の肥大化にあると思う。37鯖はチャット鯖としての機能がありつつも、辛うじて遊び鯖としての需要を残していた。時系列で見る掲示板の歴史を見て貰えばある程度事が掴めると思うが、37鯖には357鯖が失っていた「政治的要素」が残っていた。
例えば、「鯖主が紗奈から華菜、
都市谷に交代した」とか、「
土管ップが荒らし団を率いて37鯖を荒らした」という文章は遊び鯖の「出来事」として記録対象となる。357鯖はこういった「出来事」と呼べる事が少なく、遊び民と対立を起こす原因となる荒らしも
散発的荒らし現象は度々あれど定住こそしなかった為にある程度治安が維持されてしまったのである。別にこれは悪いことでは無い。しかしながら、そう言った中途半端に平和な部分が過激派穏健派を分断してしまった。これは非常に勿体のないことだと思う。
055鯖,初期106鯖の場合
驚くかもしれないが、055鯖,初期106鯖は二極構造と呼べるものがほとんどなかった。強いて言うのであれば、こちらも遊び民と荒らしであろうか。
ただ、勘違いしてほしくないのが055鯖も初期106鯖もいずれも荒れていなかったわけではないのだ。ここから、二極構造が鯖の平和度に関係なく発生することがわかる。旧055鯖民や初期の106鯖民は口を揃えて「昔は良かった」と言うが、これは所詮過去の悪い事実が風化し、結果的に良かった記憶のみが残留する忘却が働いているだけである。
055鯖,初期106鯖は二極構造が生まれなかったと言ったが、では近代106鯖はどうであろうか?-この文章を読むような物好きには自明かもしれない。
近代106鯖の場合
これは言うまでもなく、世代間対立である。「近代」という言葉の定義として、ここでは2024年の4月ごろから現在までを指すこととする。
この頃になると「遊び鯖」は事実上形骸化した。一部の経験値稼ぎ勢(ネオ乞食)が度々荒らしと対立することはあれど、それ以外の遊び鯖民(特に旧Azure関連)は専らチャットに徹するばかりである。そうして生まれた二極構造は低年齢層と高年齢層の対立であった。私は精神年齢を除けば高年齢層側に立つ人間でかつ実質世代間対立が生んだ元凶でもあるのだが、はっきり言おう。これは失敗だ。
ここからは私の自白とも取れる内容となるのだが、私は106鯖内で低年齢層、高年齢層という概念を作り出し、意図的に対立を誘発させた。今この文章が公開されているであろう隠れん坊オンライン遊び鯖wiki,旧106鯖民wikiもその計画の一部を構成するものである。私の計画の全貌はこうだ。低年齢層、高年齢層という括りで対立を誘発させた後、対立を徐々に激化させていく。すると、かつて37鯖が辿ったように互いの激化によって大勢の犠牲が出る。すると106鯖は過疎に見舞われ滅亡する、という手筈であった。
しかし理想と現実は著しく乖離したものであった。106鯖民wikiの創設によって返って既存の106鯖民はwikiに載るために浮上率を増やしてしまった。そして低年齢層、高年齢層と括られた張本人たちは少し軋轢を起こした程度で、どうやらそれをなんとも思っていなかったらしい。こうして私の計画は頓挫したというわけだ。
つまるところこれは人為的に起こされた二極構造と言える。
総評
遊び鯖の二極構造は時代を追うごとに変化し続けてきた。そして興味深いことにそれらは全て違った構造となっており、また何かしらのオリジナリティが存在した。そしてこれら全てを通して、遊び鯖という概念は現代で死んだように思える。ある意味、二極構造が存在しなかった055鯖、初期106鯖は「遊び鯖」の死期が近かったことを暗示していたのかもしれない。
読者の皆様におかれては、いま一度二極構造の「どちらに立つ人間か」を再考してほしい。私からはこの文章では以上である。
最終更新:2025年06月16日 17:38