岡頌子

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岡頌子 - (2011/06/22 (水) 00:32:42) のソース

金正日や北朝鮮という名前をみなさん一度は聞いたことがありますよね
しかし、なぜ北朝鮮が独裁政権になったのか金正日とはどうゆう人なのかはご存じですか?

金正日とは
北朝鮮の最高指導者。人民軍最高司令官、元帥、国防委員長、党総秘書、党中央軍事委員、党中央委員、代議員を兼任です。
ではなぜ独裁政権ができたのか 
朝鮮半島から大韓民国(韓国)が独立した数年後、北側も朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)という国を造って、朝鮮半島が北緯38℃線を境に2つの国に分かれたことが、ことの始まりである。当時北朝鮮を仕切っていたのは金日成総書記である。 
 その後、北朝鮮が韓国側に出陣し、北緯38℃線をはさんで、韓国と北朝鮮の戦争が始まった。そして、日本が朝鮮に乗り出し日清戦争・日露戦争と経て、北朝鮮は日本の領土となってしまったのである。 
 日本の領土となった北朝鮮は、日本に米を持っていかれたり、日本語を強制的に学ばされたり、朝鮮の名前を日本名に換えさせられたりして、日本のいわれるままになってきた。勿論北朝鮮の人が貧しかったことはいうまでもない。朝鮮人にとっては我慢ならない状態が続いていた。朝鮮では3・1独立運動(1919年3月1日)も起きたが、日本に鎮められてしまった。朝鮮人はいつか自分達で自分たちの国を造っていこうと決意していたに違いない。これがそもそも独裁政権の始まりだったのではないだろうか? 
 金日成総書記は、日本が戦争に負けた後(1945年)もひたすら独裁政権を執っていた。よほど自分らの国が自由になれてうれしかったのだろう。当時北朝鮮以外に独裁政権を執っていたのが、ルーマニアであった。しかし独裁政権だったため、ルーマニアの大統領は反感をかつて射殺された。この時に北朝鮮が独裁政権を止める第1のチャンスだった。 
 しかし北朝鮮は独裁政権を止めることなくそのまま独裁政権を執りつづけていた。やがて第2のチャンスがまた訪れた。金日成が死んだ時にある銅像が壊されているのである。 
 しかしここでも北朝鮮は独裁政権を執りつづけ、その指導者に金日成の息子、金正日が総書記になったのである。そして現在に至っているのである。

このように北朝鮮の独裁政権の背景には日本も大きくかかわっています。しかし、なぜまわりの国とは違う独裁政権を今なお続けているのでしょうか。





2011/06/21


私はやっぱり北朝鮮について調べたいと思います。
なぜなら北朝鮮はなぞだらけなので、
私も気になるし、みんなも気になると思うからです。
拉致問題やミサイルの問題など色んな問題を調べてみたいです。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/n_korea/index.html

2011/06/07


私のスピーチは 

北朝鮮の周りの国はみんな民主主義なのに
なぜ北朝鮮だけは民主主義ではないのかという事が気になったので
そうなった歴史的背景や今の状況などを調べて
これからどうなるのかを考えたいと思います。






2011/06/01


興味を持ったこと......
「ドイツを分けた壁はなぜベルリンの壁というのか」

東ドイツの中に首都のベルリンがあり
東ドイツは西と東に分けられました。
そこで西ベルリンを囲んでいた壁なのでベルリンの壁。

#image(deuber.gif)


http://www.mauer.jp/mauer0/mauer0.html

2011/04/26


*こんにちは(・u・*)
#image(shouko.jpg)


教養学部国際学科の岡頌子です♪♪
お家は海老名の隣の座間です。

今はずーっと憧れていた国際学部に入れて
とっても嬉しいし、毎日楽しいですっ

好きなこと.......
♥shopping
♥スポーツ観戦
♥映画鑑賞
♥海外ドラマ
♥甘い物を食べる