244.唐にはふたつの上元の年号がある
唐の高宗のときに「上元」の年号があり、粛宗のときに「上元」の紀年がある。せいぜい六、七十年の差しかなく、朝臣が記憶してなかったはずがない。子孫が祖宗の号を再び用いるとは、何のいわれがあったものだろうか?元の順帝が元の世祖の創業の治世を慕って、その「至元」の紀年を用いたときは、そのために当時に「重紀至元」の称があったのである。「衰乱の朝は典故を知らない」というのは、もとより論ずることもないことだろうか。
244.唐有兩上元年號
年號重襲已見叢考前編,皆異代之君不知詳考,致有誤襲前代年號者。至唐則高宗有上元年號,而肅宗亦以上元紀年。高之與肅相去不過六、七十年,耳目相接,朝臣豈無記憶?乃以子孫複其祖宗之號,此何謂耶?元順帝慕元世祖創業致治,而用其至元紀年,故當時有「重紀至元」之稱,衰亂之朝,不知典故,固無論矣。
最終更新:2007年02月11日 00:54