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武松 - (2014/03/30 (日) 23:06:11) の編集履歴(バックアップ)


天傷星 武松 (行者/鉄牛)


【年表】
出  来  事
S2 0 1075 清河にて、織物職人の息子として出生。
S2 6 1081 清河から寿陽に引っ越す。潘金蓮と初めて出会う。
S2 10 1085 母が病死。その直前、武大と潘金蓮の婚約を決める。
S2 13 1088 潘金蓮が武大に嫁ぎ、同じ家で暮らすようになる。
父がアルコール中毒のようになり始め、武松も酒を覚え始める。
S2 17 1092 父が吐血し、死亡。
この頃までに、武大は反物屋の番頭になっている。
S2 19 1094 寿陽を飛び出し、放浪の旅を始める。
S2 21
22
1096
1097
鄆城に辿り着き、宋江に出会い、魯智深に引き会わされる。
ふた月ほど一緒に旅し、一年後に再開する約束をして別れる。
S2
S1
23 1098 約束通り再開し、志のために働きたいと申し出る。
宋江魯智深の命を受け、全国行脚を始める。
S1 27 1102 魯智深と京兆府で落ち合う。晁蓋呉用裴宣も交え宴会。
S2 初冬 魯智深に郷里へ帰るよう言われ、寿陽へ。
武大・潘金蓮と一度はまともに話をしたが、酒に酔うと金蓮を犯してしまう。
潘金蓮は自害、後を追うため山中に入るが、
虎に襲われても死ねず、逆に殴り殺してしまう。
坊主になりたいと言い仁和寺に籠る。
28 1103 年始 魯智深に探し当てられ、すべてを打ち開け、子午山に預けられる。
S3 29 1104 早春 魯智深に子午山から連れ出される。滄州~青州近辺を歩いたのち、宋江の従者となるよう命令される。
安丘に現れ、周通と青蓮寺の関係について探る。
桃花山を訪れる。李忠らと語らい、桃花山の引き込みを決心。孔明に調練役を押し付ける。
二竜山を経て北京大名府へ。曹正盧俊義公孫勝らと語らう。
鄆城に辿り着き宋江の従者となる。
閻婆惜鄧礼華の死によって鄆城を脱出することとなる。道中、宋清を拳で立ち直らせる。
宋江に従い、全国の同志の元を巡る旅に出る。
鍾静の屋敷に泊まった縁から穆春穆弘と出会い、穆家村に滞留。
43 1118

【関連人物】
● 潘金蓮
1070年生まれ。兄嫁であり、長年思い続けた相手。
1081年(11歳)、武松と初めて出会う。同じ路地の小さな家に母と弟と住んでいた。
1085年(14歳)、武大の許嫁となる。この頃までに、着物の縫子になっている。
1088年(17歳)、武大に嫁ぐ。
1102年(31歳)、再開した武松に犯されるが、その想いを受け入れる。
賊に襲われたと書置きを残し、自害。

● 武大
1067年生まれ。兄。武松より8歳年長。
1085年(18歳)で潘金蓮と婚約し、1088年(21歳)結婚。子供はできなかった。
1092年(25歳)までに反物屋の番頭として働きだす。独立する意志はあるが、叶わなかった。
1102年(35歳)初冬、自害した潘金蓮の後を追う。