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梓「それは私が天使だった頃のお話」 42 - (2013/03/16 (土) 16:40:53) の編集履歴(バックアップ)


 * * *


 自分たちの住む町についた頃だった。
 唯たちに連絡しようと携帯を取り出すと、一通のメールが届いていた。
 差出人はムギだった。

 内容は、唯が倒れたということだった。

 私たちはそれを読んで、すぐに唯の家に駆けた。
 唯は無理をしていたのだ。
 この前、一緒に電車に乗っていた時から、
 それは一目瞭然のはずだった。



 ‐平沢宅‐

 ‐唯の部屋‐


 憂ちゃんに通された先で、唯は横になっていた。
 自室のベッドでおでこに冷却ジェルシートを貼られ、
 ムギに付き添われている。

 唯の苦しそうな顔を見て、私は思わず声を上げる。


澪「唯、倒れるなんて、一体どうしたんだ!」

紬「落ち着いて澪ちゃん」


 ムギが私を落ち着かせる。


紬「倒れたっていうのは、ちょっとふらついて、足を躓かせただけよ」

澪「そ、そうなのか」

紬「でもね高熱が出てるみたいなの……」

澪「それって、もしかしたらインフルエンザなのかもしれないってことか!?」


 インフルエンザの流行時期は一般的に一月から二月。
 しかし、三月に感染した例もあるため、油断は出来ない。


憂「あの、それは無いと思います。筋肉痛は訴えてなかったので……」


 憂ちゃんが替えの冷却シートを持って、部屋に入って来た。
 慣れた手つきで、唯のおでこのシートを入れ替える。
 新しいシートが乗せられた瞬間、冷えたのか、唯は身体を震えさせた。
 その拍子に、唯の目が少し開いた。


唯「んー……。あれ、澪ちゃんとりっちゃんもいるー……?」


 インフルエンザでなくとも、高熱は出ている。
 唯の声はとても衰弱していた。


律「ああ、いるぞ。大丈夫か、唯?」

唯「あんまり。えへへ、ちょっと無理しすぎちゃったよー……。
 そうだ二人とも、猫をさらった犯人は見つけられた?」

憂「猫を、さらった?」


 緊張が走る。しまった。
 憂ちゃんにはその話を伏せていた。

 しかし今となっては、それを伏せる意味も無いかもしれない。
 包み隠さず、事実を私から話すことにした。
 といっても、猫がさらわれていたという事実だけに限定して話していた。



 * * *


 全ての話を聞き終わった憂ちゃんはぽつりと、
 そうだったんですか、とだけ言った。
 隠していたことに対して糾弾するといったことは無かった。
 私たちが先輩だから遠慮していたのかもしれない。

 しかし、それは間違っていた。
 憂ちゃんはむしろ、更に核心をついていた。


憂「でも、今まで隠してきたことを私に話したってことは、
 その事件が既に解決されているってことですよね?
 純ちゃんの猫はどうなったんですか?」


 言葉に詰まった。こういう時、憂ちゃんの飲み込みの良さと、
 頭の回転の速さには驚かされる。
 唯にもそれはある程度だけ、同じことが言える。


澪「……見つかったよ」

憂「本当ですか!」


 憂ちゃんの表情がぱあっと明るくなった。


澪「でも」


 だけどもう、立ち止まることも、隠すことも出来ない。
 私は覚悟を決めた。


澪「梓がいなくなった」


 私の言葉に驚いたのは憂ちゃんだけではない。
 当然、ベッドに横になっていた唯も飛び上がった。


唯「あ、あずにゃんが!?」

紬「安静にしてて、唯ちゃん!」

唯「安静になんかしてらんないよ、だって……!」


 しかし唯は言葉を言い切る前に、咳き込んでしまった。
 ムギが優しく背中をさする。
 その状態に堪えかねた私は、唯に言い聞かせた。


澪「唯。梓の心配はいいから、今はゆっくりしてろ」

唯「ええっ、そんな……」


 もう私は泣ききった。
 今更ここで、弱気になっていられる場合ではない。
 私の無謀な調査に付き合ってくれた律もいるじゃないか。
 今度は私が、唯に付き合っていく番なんだ。

 私は深く呼吸して、言うべき言葉を選んでいった。


澪「いいか、唯。私は今からあったことを全て話す。
 その上で梓を探しに行くわけだけど、とても梓の行き先は現状ではわからない。
 無闇やたらに日本中飛び回ったって、仕方ないだろう」


 そうだ。それでいいんだ。
 選んだ言葉は瞬時に音となり、唯の鼓膜を揺らす。


澪「私たちには時間が必要なんだ。
 それは唯、お前にも同じことがいえる。
 お前には風邪を治す時間が必要なんだよ」


 だから。


澪「だから私たちと一緒に梓を探す、その本番の日までに風邪を治すこと。
 そして、みんなで本番を迎えること。
 それまで絶対に諦めるな。良いな?」

唯「澪ちゃん……」

澪「私たちだって、今すぐ探しに行きたい気持ちを堪える必要があるんだ。
 それは勿論、今後のために。
 だから今は、私たちに出来る精一杯のことをやろう!」


 最後は周りに言い聞かせるように、私は締め括った。
 みんな、引き締まった顔をしている。
 ここにいる全員が一つになったようだった。

 私は全員が頷いたのを見て、今日あった話、
 つまり映画研究会、部費、そして梓のことを全て話した。

 唯は時折深く考える仕草を見せたが、
 その度に本当に頭を抱えていた。
 やはり熱が下がってから話した方が良かったか。
 でもそれはそれで、私の隠し事が気になってしまうかもしれない。

 話が一通り済んだ頃には、外はすっかり暗くなっていた。
 唯が心配だったが、本人は絶対すぐに治すと意気込んでいる。
 憂ちゃんも付いてくれているだろう、あまり心配はないのかもしれない。
 私たちは唯を憂ちゃんに任せて、各自の帰途につくことにした。



 【Yi-side】


憂「じゃあ、おやすみ」

唯「おやすみー」


 憂が部屋の電気を消して、部屋を出て行きました。

 あずにゃんがいなくなったのは、これで二度目。
 非常に悔しい気はしますが、今の私には心配することも難しく、
 頭を少し働かせようとしただけで、酷い頭痛が襲います。

 だからこそ、一杯寝る。
 今は出来るだけ一杯寝て、絶対、間に合わせる。

 そう心に決めて、私はゆっくり目を閉じました。



 * * *


 翌日。昨日から続く高熱は、あまり下がっていませんでした。
 それでも昨日より、身体は動かしやすいように思えます。

 そういえば日本人の体温は世界平均に比べて低いとか。
 そうだとすれば、この熱も実は世界標準なのかもしれません。
 そんなくだらないことを思いながら、私はカーテンを開けました。

 窓の外には、不愉快な光景が広がっていました。
 空に居座る重々しい雲が、地上を覆っていたのです。

 夕焼けの次の日が晴れで、それ以外は雲のある日。
 そういえば昨日の夕暮れは、特に暗かったような気がします。
 それでも、ここまでのものは想定出来ていませんでした。



 * * *


 今日のこの体調では当然、学校は休み。
 憂がベッドの側に置いてくれた薬を口にして、
 私は再びベッドの中に潜り込みました。

 少し楽になってきた頃合いに、一度熱を計ります。
 結果、三十七度九分。まだ少し高めです。

 大人しくベッドに潜りながら、ふと考えていました。
 あずにゃんは一体どこへいったのか。
 不思議と無意識に考えを進めているうちは、
 頭がまるで痛くなりませんでした。魔法です。

 さて、あずにゃんは去り際に次のように言ったと、
 澪ちゃんから伝えられました。

 “ううん、でも努力は続けるよ。
  今度は多くの人を、遠くから見ていようと思う。
  誰かを幸せに出来る人、多くの人を見渡せば一人ぐらいいるよ。
  それにもう、残された時間は、少ないからね。”

 何度聞いても、涙が出てきそうになります。
 しかし今はそれどころではありません。
 一体、この言葉を最後に、どこへ行ったのか。

 あまりに考え続けると流石に頭も気付いたのか、
 痛みを訴え出しました。
 私は急いで、あずにゃんの言葉を近くにあった紙に書き記しました。

 そういえば、一度紙を使って、物事を整理したことがあったな。
 そんなことを思っていると、また酷い頭痛が襲ってきました。



 * * *


 ぱっと目を覚ますと、窓の外も少し暗くなっていました。
 雲は相変わらず、晴れそうにありません。

 玄関の方から、ただいまという声が聞こえてきました。
 憂が帰って来たようです。
 急いで部屋を出て、おかえりと言ってあげたいところですが、
 生憎この状態で憂の前に行くのは憚られます。


憂「大丈夫だった、お姉ちゃん!?」


 と思ったら、向こうから来てしまいました。
 風邪がうつったら大変だよ、憂。

 とりあえず一日中安静にしていたことを伝えると、
 憂は大きな溜め息を吐きました。
 よほど心配していたのでしょう。

 憂はすぐに笑顔になり、お風呂の用意してくるねと言って、
 部屋をあとにしました。



 * * *


 お風呂は短めに済まして、
 栄養不足にならないよう食事を出来るだけ取りました。
 憂の努力のかいあって、思った以上に箸が進んでしまいました。
 さすが私の自慢の妹です。

 今日一日、一体どれだけの時間をここで過ごしたでしょう。
 ゴロゴロするということは幸せなことですが、
 それが必要なことと言われてしまうと、とても退屈なものに変わってしまいます。
 しかし、退屈だからといって止めてはいけないのが辛いところです。

 なんとしても、澪ちゃんとの約束を違えるわけにはいきません。

 昨日や朝に比べ、だいぶ体調は良くなっていました。
 これは良い機会だと思い、私はベッドの中から、一枚の紙を取り出しました。
 それは、私があずにゃんの言葉を書き記した紙でした。
 私はそこに、様々な書き込みを加えていきました。

 “ううん、でも努力は続けるよ。 → 諦めないあずにゃんの意思
  今度は多くの人を、遠くから見ていようと思う。 → 目的。それに合った行き先?
  誰かを幸せに出来る人、多くの人を見渡せば一人ぐらいいるよ。 → 期待
  それにもう、残された時間は、少ないからね。 → もうすぐ天使の世界に帰るということ”

 特に目を引く四行目。
 もうそんなに時間が無いことを、はっきりと思い知らされます。
 あずにゃんが来たのは入学式の前日。
 あの日言った“一年間”という言葉が正確な一年間なら、
 残りはあと一ヶ月もありません。
 実際は、思っているよりも少ないのかもしれません。

 一行目は今更見る必要もありません。
 あずにゃんとは、そういう素敵なことが出来る子なのです。

 問題は二行目と三行目でしょうか。
 三行目には期待という言葉を使いましたが、
 概ね目的、つまり二行目と同じ捉え方でも問題ないでしょう。


唯「遠くから見ていようと思う……」


 二行目を、注意深く声に出して読んでみました。
 特定の一人の人物についていかないことは、間違いないでしょう。


唯「多くの人を見渡す……」


 多くの人を一度に見れる場所。さらに“多くの人を”ということは、
 この桜が丘より賑わった町が行き先である可能性が高いです。
 言ってしまえば、都会でしょうか。

 しかし都会で多くの人を見渡すのは、簡単なことではありません。
 以前、テレビで見たことがありますが、
 あの群集に巻き込まれてしまっては、人間観察どころではないでしょう。


唯「……そっか」


 ということは、群集から離れた場所。
 つまり高層ビルなどの高い場所から人を見渡すということを、
 あずにゃんは暗示していたのではないでしょうか。

 しかし、それだけでは数が多すぎます。
 高層ビルならいくつでもありますし、あずにゃんは天使です。
 どんなセキュリティが強固なビルでも、侵入は容易いでしょう。

 ところが一つ、私には思い当たる節がありました。
 たった一回だけ、あずにゃんが人を見渡せそうと評価した
 建造物があったのです。

 あれは文化祭一日目が終了し、家でテレビを見ていたとき。
 隣で見ていたあずにゃんがテレビを指差し、問いました。
 あのテレビに映っているのは、なんですか、と。

 そして私はこう答えたのを覚えています。


唯「東京タワーだよ」



 * * *


 紙に今までの思考の過程を書き込みました。
 その紙を何度も見直してみますが、問題点は見つかりません。
 あとは例の記憶が正しくて、
 その通りにあずにゃんが行動してくれていれば良いだけです。

 それが一番の問題点ですが。

 私はぼんやりと、今まで何度も考えてきたことを思い出していました。
 あずにゃんが“不幸を呼ぶ天使”で、
 今回の猫さらいもそれによって引き起こされた。
 今まで私の身の回りで起きた不幸も、あずにゃんが原因。
 それはあずにゃんが“不幸を呼ぶ”性質を持っているから。

 本当に?誰しもが、不幸の遠因を持っているものなのに?
 これを思い出す度、同じ疑問が私に浮かびます。


唯「……」


 そして今、それに結論を出しました。

 こんなの、こじつけです。

 私たちは既にあずにゃんに“不幸を呼ぶ”というレッテルを貼り、
 それを前提として考えているから、今のあずにゃんがある。
 本当にあずにゃんを不幸にしているのは、
 “それを自覚していない私たちなのではないでしょうか。”

 いや、その性質は確かなものかもしれません。
 でも、何でも自分で抱え込むのはいけないこと。

 あずにゃんは自分の性質に自覚がある。
 それ故、全てを抱え込んでしまう。
 変えようと意気込んでいる最中でも、それを気にしてしまう。

 既に私たちの変えるべき点は明らかになっています。
 では、あずにゃんの変えるべき点とは?

 ここまで考えたところで、憂が階段を上る音が聞こえてきました。
 私は急いで紙を布団の中に隠し、
 じっと安静に寝ているフリをしました。

 扉を開けて、じっと寝ている私を見ると、
 憂はほっと溜め息を吐きました。


憂「お姉ちゃん、熱はどう?」

唯「んー……ぼちぼちかなあ」

憂「そっか……」

唯「明日になれば完全復活出来るよ」


 しかし、憂は諭すように、


憂「でも一応、明後日まで様子見ておこうね」

唯「えー」

憂「それじゃお姉ちゃん、おやすみ」

唯「……おやすみー」


 憂は部屋を出て行きました。相変わらず憂は心配性です。
 私なら明日には完全回復していること間違いなしです。
 そうでなければ、困ってしまいます。



 * * *


 翌日。朝一番の重い身体を起こし、
 ぼんやりした視界で部屋を見渡しました。
 そういえば、今日は憂が起こしにきてくれませんでした。
 今日も安静にしていろということでしょうか。

 カーテンを開けて窓の外を見ると、外は大雨でした。
 空に広がる黒雲が、気持ちまでも暗くしてしまいます。
 それは大きな雨粒を降らせ、窓にばちばちと当たっていました。
 時折それは、稲光とともに轟音を鳴り響かせていました。


唯「……あれっ?」


 私は自分の机の上に、一枚の紙が置かれているのに気付きました。
 そしてさらに、昨日自分の推理過程を書き込んだ紙が、
 布団の中にないことにも気付きました。
 途端に、嫌な予感がしてきました。

 私は飛び起きて、机の上の紙を掴みとりました。

 “お姉ちゃんへ

  起こしてあげられなくて、ごめんなさい。
  でも驚いちゃって。

  今日、お姉ちゃんを起こそうと思ったら、床に紙が落ちてたよ。
  あれはお姉ちゃんが色々書き込んだ紙なんだろうね。
  ダメだよ、安静にしていなくちゃ。

  あの紙は学校に持っていって、澪さんたちのところへ持っていくね。
  この雨だから、今日中に梓ちゃんのところへ行けるかはわからないけど、
  どっちにしろお姉ちゃんはじっくり休んでいてね。 憂より”

 やられました。寝ている最中に、
 布団の中へ隠した紙は床へ落ちてしまったのです。

 もしかしたら今日中に、
 澪ちゃんたちは東京タワーに行ってしまうかもしれません。
 あずにゃんを連れ帰ることに成功すれば良いですが、
 私だって伝えたいことがあります。

 起き上がって、熱を計測してみると三十七度ちょうど。
 あと僅かな時間だけ休んでいれば、平熱に戻る程度でした。

 私は朝ご飯を早急に済ませ、すぐに布団の中へ潜り込みました。
 早くて今日の午後、あずにゃんのもとへ皆で行くのだと信じて。


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