* * *
何度も寝たり起きたりを繰り返して、
ついに下の階から物音が聞こえ始めました。
いつの間にか憂が帰ってきていました。
一体いまは何時なのかと、時計を確認すると、
唖然としてしまいました。十八時過ぎ。
想定していた時間よりも多く、私は寝ていたようでした。
私は下の階に駆け下りました。
憂を見つけ、咄嗟に声をかけました。
唯「憂!」
憂「あっ、お姉ちゃん!熱は、大丈夫なの?」
唯「それより皆は!あずにゃんを連れ戻しに行ったの!?」
憂「お、落ち着いて、お姉ちゃん」
私をなだめるような声で憂は、
憂「色々調べてみたら、最近東京タワーで、
夜に猫の目撃情報が多数報告されているっていう情報を
見つけたんだって。それで、今日の夜に行こうって」
唯「ってことは、もう行ったんだよね……。
電車で何分ぐらいかかるのかな!」
私が意気込んでいると、憂は残念そうにかぶりを振りました。
憂「電車は使えないよ。
もう止んだけど、あの豪雨の最中に落ちた雷で、
線路脇の木が倒れちゃったんだ。
それで、ここから一番近い電車は停止しちゃってる」
唯「えっ……」
憂「それに、東京近辺の電車も大混乱してるみたい。
だから澪さんたちはさわ子先生の車を使って、東京タワーに向かってる」
唯「そうなんだ……なら……!」
しかし、ここで思い出しました。
さわちゃんの車は助手席に一人、後部座席に三人乗れる程度。
軽音部の私以外の三人と、あずにゃんを迎えに行くとなれば、
純ちゃんもついて行ったことでしょう。合計四人。既に定員一杯でした。
唯「……そんな……」
私が悔しがっていると、堪らなくなったのか、
憂が一枚の紙を差し出しました。
憂「うん……でもお姉ちゃん。これが本当に最後のチャンスだよ。
この紙に書いてある先に電話すれば、
ちゃんとお姉ちゃんに力を貸してくれるって、澪さんが言ってた」
唯「本当!?」
私がその紙に飛びつこうとすると、
憂はすぐさま紙を持った手を引っ込めました。
憂「でもね、もう一つの約束も守らなくちゃ。
体調を整えてから行くっていうのが、澪さんとの約束でしょ。
それが澪さんと、私の出した条件。
だから、今から熱を計って、それで……」
私は近くにあった体温計に飛びつきました。
憂「お姉ちゃん……」
唯「憂……大丈夫だよ、心配しないで」
この結果によって、私はあずにゃんに会えるかが変わる。
私の出した答えを伝える機会が無くなるか。
それとも、無事に伝えることが出来るのか。
恐らく、私の見る世界が百八十度変化してしまうほど、
この結果は大きいのです。
憂も固唾を呑んで見守っていました。
ついに体温計から、計測が完了した合図の電子音が鳴りました。
私は祈るような気持ちで、ぎゅっと目を瞑りました。
恐る恐る目を開け、表示された体温を憂とともに見ました。
三十六度五分。
憂は口に手を当て、茫然としていました。
私は急いで携帯を手にしました。
もし電車が止まってしまって、まるでアテのない私でも、
あずにゃんのもとに行ける手段が残っているのなら。
私は藁にもすがる思いで、紙の裏側に書いてある番号に
電話をかけました。
憂は安堵から溜め息を吐いていました。
きっと憂も、心のどこかで私に行かせてあげたかった。
だけど、熱を出していたらどうしようかと、そう思っていたのでしょう。
一秒が十秒にも一分にも感じられる時間でした。
じっと、相手が電話に出ることを待ちつづけます。
ふとした瞬間、それは突然起こりました。
家のインターホンが鳴ったのです。
そしてそれと同時に、電話の相手が電話に出ました。
姫子「私、姫子。今、唯の家の前にいるの」
唯「……メリーさん?」
‐外‐
家の外に出ると、既に暗闇に包まれた家の外に、
姫子ちゃんが立っていました。
ただ首を傾げるだけの私に、
姫子ちゃんは一本の缶を投げてきました。
姫子「コーンポタージュ。夜は冷えるよ」
唯「う、うん、ありがとう……。でもどうして姫子ちゃんが?」
姫子ちゃんはもう一つ、なにかを投げてきました。
白いヘルメットでした。
そして、姫子ちゃんの背後に一台のバイクが
止まっていることに気付きました。
姫子「学校で凄い形相の澪たちに会ってね。
で、事情を色々聞いて、それなら私も力になろうって言ったの」
唯「えーと……」
姫子「困惑してるねえ。ま、仕方のないことか。
話は全部走りながらしてあげるから、今は乗って」
唯「あっ、やっぱり姫子ちゃんのなんだ……」
姫子ちゃんはけらけら笑って、
姫子「えー、私ってそういうイメージあるの?」
唯「ち、違うよ!ヘルメット渡されたし、
この状況なら姫子ちゃんのものなのかなあって……」
姫子「ふーん……まあいっか。乗って!」
私は姫子ちゃんの為すがまま、バイクに乗りました。
家の扉の前では、憂が心配そうにこちらを見つめていました。
私は自身満々に親指を立て、憂に示しました。
姫子ちゃんは、私たちのやり取りが終わったと見ると、
じゃあ行くよと言って、エンジンを鳴らしました。
* * *
走行中、私は背中から姫子ちゃんにしがみ付き、
のけぞりそうな身体を支えるような形になっていました。
信号が赤になり、バイクが停止すると、
姫子ちゃんは話を始めました。
姫子「唯は今から、東京タワーに向かう。それでいいね?」
唯「そうだけど……」
姫子「澪から聞いたよ。後輩が失踪してるんだってね。
それで、連日東京タワーでその子が目撃されているという
情報を見つけたんでしょ?」
澪ちゃんがそう言ったのでしょうか。私は軽く頷きました。
姫子「澪たちはさわ子先生に頼み込んで、
車を出してもらったみたい。無茶なお願いするもんだよね。
でも、先生も、澪が真剣に冗談を言うわけないって、
車を出してくれたとか言ってたよ」
唯「へえー……」
姫子「で、私は学校で、その澪たちと遭遇。
事情を聞いた私は唯がいないことに気付いて、
それを聞いてみると、あれだってね。熱出したんだって?」
唯「そうなんだよ」
姫子「それを聞いてしまったら、私も黙っていられない。
平沢唯ファンクラブの一員としてね」
唯「……えっ、姫子ちゃん?」
今、とんでもない数の疑問が浮かびあがりましたが、
それを問いただす前に信号が青に切り替わりました。
急発進した衝撃に耐えるように、
再び私は姫子ちゃんにしがみ付く形になりました。
しばらく走って、また赤信号。
姫子「ファンクラブは冗談。
当然、澪や和とともに個人的にはファンだよ」
唯「あはは……」
姫子「それはさておき、すぐに自分に出来ることはないかと思って、
今現在のこの役割を私から提案したんだよ。
勿論、熱が収まっていたらという条件付でね。
そうしたら澪、唯の妹さんに連絡して。色々話し合ったみたい。
おかげで妹さんの許可も得て、今に至るわけ。澪や妹さんに感謝しなよ?」
姫子ちゃんは私が頷いたのを見て、言葉を続けました。
姫子「知ってるかもしれないけど、近くの電車は使えないよ。
だから私たちが取れる方法は二つ。
一つ目は少し遠くの駅から、利用可能な電車を使い東京タワー近くへ。
二つ目はこのバイクだけで直接東京タワーに。どうする?」
少し考えて、あることに気付きました。
唯「私、財布持ってきてないや」
姫子「ん、それなら喜んで!」
姫子ちゃんは嫌そうな雰囲気一つなく、そう言いました。
信号が青に切り替わりました。
バイクは低い唸り声をあげ、力強く前へ進み出しました。
* * *
気付くと、私たちはムギちゃんの家がある町を走っていました。
純ちゃんの猫が捕われていた町でもあります。
そこで私は、知った顔とすれ違いました。
アクセルを踏む姫子ちゃんに制止を求め、その子の方へ振り返りました。
唯「文恵ちゃーん!」
文恵「……あれ、唯の声……?」
文恵ちゃんはきょろきょろと辺りを見回していました。
この暗闇の中、気付けないのも無理はありません。
私が大きく手を振ることで、
やっと文恵ちゃんはこちらに気付きました。
そしてその目をぱちくりさせながら、
私や私の跨るバイクをまじまじと見つめていました。
文恵「唯って、そういうキャラだっけ」
唯「どういうキャラでも無いよ!」
姫子ちゃんもヘルメットを脱ぎ、文恵ちゃんの方へ見返りました。
姫子「えー、木村さん、だよね?」
文恵「こんばんは。それで唯、これはなにが起きてるの?」
唯「ごめんね、説明する時間も惜しいぐらいのことなんだよ」
文恵「うわっ、唯にしては意地悪な言い方だねー」
文恵ちゃんは呆れたような声で言うので、
思わず私はむっとしてしまいました。
唯「本当のことだもん!」
文恵「うん……そうなんだろうね。
真剣な唯とそうでない唯の違いなら、私わかるもん」
それは褒められているのでしょうか。
文恵ちゃんは深く考え込んだ後、ゆっくりと口を開きました。
文恵「じゃあ一つだけ。唯に伝言頼んで良い?」
唯「良いよ」
私が快諾すると、文恵ちゃんは嬉しそうに語りました。
文恵「……あのね、私の猫が見つかったの!
あの可愛い唯の後輩ちゃんが諦めないでって、言ってくれたおかげだよ!
だからあの後輩ちゃん、梓ちゃんにありがとうって伝えてくれる?」
不意に現れた吉報でした。
私は満面の笑みを浮かべながら、大きく頷きました。
文恵「良かった。お願いね、唯」
唯「うん!」
文恵「あとは、なんだかよくわからないけど……」
文恵ちゃんは数歩後退し、手をメガホン代わりにして、
文恵「唯、頑張って!」
最後にそう言い残し、文恵ちゃんはこの場から去りました。
* * *
東京都ともなると、走る車の量は他を凌駕します。
しかし姫子ちゃんの操るバイクは車と車の間を縫うように走り、
まるで止まるようなことがありませんでした。
これって、危ない運転の典型例のような気がしますが。
姫子「それなら、通常運転に切り替える?私はどっちでも構わないよ」
姫子ちゃんの声が落ち着いていることに、
私は驚きを隠すことが出来ませんでした。
運転している本人が一番、危険なことはわかっているはず。
それなのに、姫子ちゃんは……。
唯「……ごめん」
姫子「謝らないでよ。
唯がどんな我が侭を言おうと、私はその通りに走るよ」
唯「……本当にごめん!姫子ちゃん、私は一刻も早くあずにゃんに会いたい!」
姫子「よし!」
姫子ちゃんは力強く、アクセルを踏み込みました。
私は感謝の言葉を伝えられず、
ただその背中にしがみつくことしか出来ませんでした。
唯(……今だけは、許してくれるよね、姫子ちゃん……)
* * *
低いブレーキ音とともに、バイクが停止しました。
ついに私たちは東京タワーの目前まで辿り着きました。
姫子ちゃんはヘルメットを外し、赤く輝く東京タワーを見上げました。
姫子「んー、綺麗だね」
確かにタワーはとても綺麗にライトアップされており、
思わず息が漏れてしまいそうでした。
とはいえ、今は観光をしにきたわけではありません。
きょろきょろと辺りを見回していると、
さわちゃんの車を発見しました。
バイクから降りて、その車の近くまで駆け寄りました。
車の中から私に気付いたさわちゃんは、
驚いた表情でドアの窓を開きました。
さわ子「唯ちゃん、どうやってここに!?」
唯「えへ、色々ありましてー」
さわ子「まあ、深くは聞かないけど。
それより他の皆なら、もうタワーの中に入っているはずよ。
入場時間もギリギリだし、早く行っちゃいなさい」
唯「うん、わかった」
私は身体を翻し、早速入場口に向かって歩き出しました。
さわ子「ちょっと待って」
唯「なにー?」
さわ子「……唯ちゃん、お金持ってきてる?」
私はもう一度翻り、九十度に身体を折り曲げました。
‐東京タワー‐
さわちゃんに入場料等々のお金を借り、
私は東京タワーに入場しました。
皆がどこにいるのかわからなかったので、
まずは澪ちゃんに電話してみることにしました。
電話にはすぐに出ました。
澪『唯……唯なんだな?』
唯「そうだよ、澪ちゃん。私、ちゃんと風邪を治してきたよ。
今東京タワーの中にいるんだけど、澪ちゃんたちはどこにいるの?」
澪『梓の前にいる』
言葉を失ってしまいました。
あまりに長く沈黙を続けてしまったので、
澪ちゃんが心配そうに尋ねてきました。
澪『唯、本当に風邪は治ったのか?』
唯「う、うん……本当だよ」
澪『それならいいんだけど……。今から来れるんだな?』
唯「勿論だよ。それで、どこにいるの?」
澪『大展望台。そこに皆と一緒にいる』
電話を切り、早速、大展望台へ上るための
エレベーターへ乗り込みました。
その前に追加料金を払いましたが、
さわちゃんが多めに渡してくれていたおかげで、
何事もなく私は大展望台へと上ることが出来ました。
最終更新:2013年09月07日 03:03