【第七話】


 ‐???‐


 “春はあけぼの。ようよう白くなりゆく山ぎは、
  少し明りて紫だちたる雲の細くたなびきたる。”

 何度も読まされ、ついに覚えさせられた、枕草子の冒頭部分です。

 “夏は夜。月の頃はさらなり。闇も……。”

 ……続きは忘れてしまいました。現代語訳も勿論覚えていません。
 多分、夏で一番いいのは夜だとか言っていたような気がします。

 しかし、これだけは言っておきましょう。
 現代の夏で一番いいのは、夜でも、あけぼのでもなく……海です!



 ‐昼・海‐


唯「海だー!」

律「海だー!」

澪「練習も後でちゃんとするからな!?」


 合宿が始まりました。宿泊場所は琴吹家の別荘。
 当然目の前には、私たち軽音部だけのプライベートビーチが広がっています。
 正確には琴吹家のプライベートビーチですけど。

 おや、プライベートビーチなのに近づく船が。
 さして気にすることでもないでしょうが、一体何の船でしょう。


唯(まあ、何でもいっか~)


 それよりも、振り返ってムギちゃんに感謝の言葉を。


唯「ムギちゃん!」

紬「……ちょっと待ってね唯ちゃん」


 と思ったら、電話中です。


紬「……今すぐ片付けて!何もいらないって言ったでしょ!?」


 おお、滅多に聞かないムギちゃんの大声です。
 電話の相手は一体誰なのでしょう。


梓「あっ、あの船、綺麗にUターンしていきました」


 ……なるほど。
 片付けられた、ということでしょうかね。


唯(まさに規格外というか桁違いというか……)


 感心というか、しみじみとしてしまうというか。

 しかし、こんなことに感心していられるのもここまで。
 私には他の任務があるのです。


唯「あずにゃん」

梓「はい?」

唯「これで勝負だよ!」


 私が差し出したのは、ビーチボール。
 そしてこちらにいるのは、私とりっちゃんの二人。

 そこから導き出される答えは……、


梓「野球ですか?」


 全然違う!


唯「ビーチバレーだよ!ほら、あそこに丁度よくバレーコートがあるし」


 私は砂浜に設置されたネットを指差しました。
 ここからではハッキリと見えませんが、恐らくラインも引かれているでしょう。


梓「ふむ。流石ムギ先輩ですね、砂浜にこんなものを整備してしまうとは」

紬「昔は両親と一緒にあそこで楽しんだのよ~」


 電話を終えたムギちゃんは笑顔でそう言いました。
 毎年ここで両親とビーチバレーで楽しんだのでしょうか?
 とても羨ましいです。


唯「それで、やる?やらない?」

梓「やりたいのは山々ですが……。
 三対ニでは不利ではないですか?」

澪「じゃあ、私が審判やるよ。それで丁度、二対ニだ」


 私は三対ニを想定していたのですが、
 ここは澪ちゃんの気遣いを有難く受け取っておくことにしましょう。

 三対ニといっても、きっと平等だったと思いますけどね。
 あずにゃんの戦力をゼロと計算すれば、二対ニですから。


律「おっと、澪は砂浜でケガをするのが怖いのかな~?」

澪「違う、私はただ」

律「ほんとうに~?」


 始まりました、りっちゃんお得意の澪ちゃんいじりです。
 勿論、りっちゃんは本気で言っているわけではありません。
 ただ、それがわかっていても、澪ちゃんをやる気にさせるには十分でした。


澪「……よーし、わかった。梓かムギ、一試合終わったら交代してくれ」

紬「わかったわ!」

梓「はいです!」


 なるほど、一試合ごとに選手を交代させていく方式。
 体力の回復が出来る分、私たちの方が幾分か不利になるかもしれません。

 それでも。


唯「勝つよ、りっちゃん!」

律「おう、私たちに不可能は無いぜ!」


 私たちは全力を尽くすことを、ここに誓いました。


 * * *


 【唯律:20 ‐ 17:紬梓】


律「食らえーーー!」

梓「うわっ!」

紬「梓ちゃん!」


 りっちゃんの強烈スパイクが決まり、勝負あり。
 第一試合は私たちが勝利しました。


唯「やったね!」

律「よーし、次の試合は楽だ!澪を狙えば勝てるぞー!」

唯「わかった、澪ちゃんを狙えばいいんだね?」

澪「……梓、交代してくれ。大丈夫だ」

澪「すぐに終わらせる」

梓「は、はい」


 あれ、澪ちゃんから圧倒的な覇気が……。


 * * *


 【唯律:5 ‐ 21:澪紬】


律「あれー?」


 あれれー?


律「……そういえば一年の頃の話だけど」

律「あいつら二人は、授業のバレーでも黄金ペアだったよ」


 もう少し早く思い出してほしかったです。

 ともかく第二試合は酷い試合でした。
 惜敗とかではありません。惨敗です。ボロ負けです。


律「ま、まあ、次の試合は、こうはならないだろうな!」

唯「そっか!一人は交代するもんね!」


 さっきのあずにゃんのプレイを見ている限りでは、
 技術は標準レベル。それだけでも意外といえば意外ですが、
 さっきの二人よりは同等に戦えるはずです。


律「そうだ」

律「あの巨乳ペアの一人が交代して、キョニュウの梓が入るからな」

唯「えっ、あずにゃんが巨乳?」


 そんなハズは無いです。何かの間違いでしょう。


律「違う、違う。“虚無”の“虚”だよ」


 ふむ、納得。


梓「ふむ」

梓「あくまでも唯先輩は納得してしまうんですね?
 そうなんですね?」


 えっ。


梓「では、私も本気を出すことにしましょう」


 まさかあずにゃんさん、怒っていらっしゃる?


 * * *


 【唯律:1 ‐ 21:梓澪】



律「……」

唯「……」


 悪化した。


梓「言わんこっちゃありません」


 全くでございます。実に申し訳ありませんでした。


紬「梓ちゃん、バレー上手いのね~」

梓「はい、特にジャンプ力には自信があるので」


 あっ、あの子天使の力を使ったな。
 そういえば、やけに滞空時間が長かったような気がします。

 恐らく空中浮遊を有効活用したのでしょう。
 反則だと思うのですが、人間のルールでは
 それを縛れないのが痛いところです。



 ‐夜・別荘‐

 ‐テラス‐


 楽しい時間は、光陰矢のごとし。
 過ぎ去るのも早いもので、もう晩御飯の時間が来ていました。

 私はあずにゃんとムギちゃんと買出しから帰り、
 バーベキューの材料を揃えてきました。
 今日の晩御飯はバーベキューです。


梓「ふむ」

唯「あずにゃんはバーベキュー初めて?」

梓「はい。これが噂のQEDなんですね」


 それは証明終了だよ。


梓「えっ、ではバーベキューは何の略なんですか?」


 今度は質問が少しおかしい。


梓「じゃあBBQってなんですか?」


 それがバーベキューだよ……。


 * * *


 お肉も野菜も満遍なく焼けてきた頃。
 りっちゃんが声を上げました。


律「見よ、これが田井中スペシャルだ!」


 そう言って高々と上げられた串には、
 数多のお肉が。というか、


澪「ただの肉だけ串じゃないか」


 お肉しかない。贅沢な。


律「わかってないなー、澪は。
 この焼き加減はな、私にしか出来ない絶妙なラインなのだ!」


 ほう。


唯「じゃあ、その焼き加減が絶妙かどうかを皆で確かめよう!」

律「えっ」


 三人から賛成の声が上がりました。
 多数派の意見を尊重するのが日本では一般的なので、
 私たちはすぐさまそれを実行しました。


梓「では、私は一番先のを」

律「お、おい……」


 先陣を切ったのはあずにゃん。
 見事なスピードでお肉を一つ自分の皿に移しました。


紬「私は二番目~」

律「待とうぜ、な?」


 二番目にムギちゃん。
 豪快かつエレガントにお肉が移動します。


唯「三番目、貰い~」

律「タンマ、マジでタンマ!」


 その次は私です。
 自分で言うのもなんですが、中々の手捌きです。


澪「律、諦めろ」

律「あ、ああ……私の肉が……。澪にだけはやらん!」


 さあ最後に澪ちゃん、と思った瞬間、
 りっちゃんは串に残ったお肉を全て食べてしまいました。
 なんてことを。

 ひどいよ!

 ……いや、別に自分が焼いたお肉を自分で
 食べただけなんですけどね?


澪「り、律!なんてことをするんだ!」

律「これに関しては私は悪くない!」


 確かに。でも一人だけ貰えないというのも、
 少し可哀想な気がします。

 ならば。


唯「はい、澪ちゃん。半分こしよ?」

澪「い、いいのか?」


 いいに決まってます。何故なら、


唯「だって、元々私のお肉じゃないもん!」

律「自覚してるなら返してくれ」


 それはお断りです。


澪「じゃあお言葉に甘えて……」

唯「どうぞどうぞ」


 そう言って私は半分に切ったお肉の片方を
 澪ちゃんのお皿に乗せました。

 自分で言うのもなんですが、中々の優しさです。


澪「絶妙な焼き加減だな、唯」

唯「でしょ?」

律「それ私が焼いた肉ってこと忘れてないか」

唯「えっ?」

律「完全に忘れてんじゃねえか!」


 ……いやいや大丈夫だよ、
 澪ちゃんだって本当は感謝してるって。きっと。

 それに、ちゃんと言葉にしてくれる人だっていますしね。


梓「私は忘れてませんよ、律先輩」

律「さすが梓だ、私の味方してくれるんだな」

梓「特にこのピーマンの味が最高です」

律「それは焼いてねえ」


 あずにゃん、絶好調。悪い意味で。
 多分本人に悪気は無くて、真面目に間違えたんだと思いますけど。


紬「そうよ梓ちゃん。りっちゃんが焼いたのは、このお肉」

律「ムギ、最後まで信じられるのはお前だけだ!」

紬「……あれ、どのお肉だったかしら」


 ムギちゃんのお皿には複数のお肉が。
 わかるわけもありません。
 りっちゃんの肩が落ちたのは、よくわかりましたけど。



 【Az-side】


 ‐外‐


澪「うう……」

梓「……」


 私は今、澪先輩と二人で近くの森の中を歩いています。
 こうなった経緯はなにかというと、


澪「り、律もくだらない提案してくるよな……!」


 律先輩の肝試しをしよう、という提案が発端でした。

 あのお肉の恨みだとか言ってましたが、
 また焼けばいい話なのではないでしょうか。
 人間は意外な部分に拘りを持つものです。

 それはともかく、その提案には唯先輩やムギ先輩が次々に乗っかり、
 私も“肝試し”が一体どんなものなのか興味があったので賛成。
 多数派が一般云々の理屈で澪先輩の反対虚しく、現状に至るわけです。


梓「あの、澪先輩」


 肝試しのルールということなので、
 私たちは手を繋ぎながら歩いていました。
 手を繋ぐこと自体には抵抗はありません。


梓「手が痛いです」


 ですが、それとは別に手が痛いのです。
 私の手は強く握られてしまっているのです。
 ……骨の軋む音が聞こえそうなレベルで。

 澪先輩の手は確かに大きいですが、それ以上に握る力が強すぎます。


澪「そ、そうか?」


 明らかに怯えている様子です。
 何に怯えているのでしょう。さっぱりわかりません。
 周りには暗い森が広がっているぐらいだというのに。


澪「梓は怖くないのか……?」

梓「えっと、何がですか?」

澪「……大丈夫なんだな、それだけはわかったよ」


 羨ましい。澪先輩がそう呟いた気がしました。


 * * *


澪「……なあ、梓」

梓「はい?」


 すうっと、私の手を握る力が弱まりました。
 助かりました。


澪「梓は唯と、どういう関係なんだ?」


 どういう関係、と聞きますか。
 実はこの問いには用意された答えがあります。いわば嘘です。

 天使にとって嘘はとてもいけないことだと教わりましたが、
 人間にとっては必要な嘘もあるんだよと、唯先輩に教わりました。
 なので嘘は嘘でも、悪い嘘ではないんだと思います。


梓「遠い親戚です。細かく言うのも面倒なほど」

澪「本当のことを言ってるのか?」


 澪先輩の目が鋭くなりました。……まさか、バレた?


澪「正直そんなに遠くの親戚なんて、顔も知らないんじゃないか?
 ……私はそうだ。細かく言うのが面倒な親戚の顔は知らない」

澪「私だったら、そんな遠くの親戚の家に
 自分の子供を預けようとはしない。もっと近い親戚を選ぶよ」

澪「……教えてくれ、梓。お前、本当は唯とどういう関係なんだ」


 説明するのが面倒。
 天使であることを隠すために、私はこの決まり文句を作っていました。
 しかしそれが仇となり、逆にバレてしまった。

 それの善悪に関わらず、嘘に欠陥は必ず存在するものなんですね。
 私、また一つ賢くなりました。


梓「……」

澪「梓?」


 もう隠し通すことも難しいでしょう。
 ただ、一度唯先輩には相談しておくべきだと、
 私は判断しました。


梓「唯先輩の許可が降りたら説明します」

梓「……それまでは待っていてください」

澪「わかった」


 手を握る力が、また強まりました。
 澪先輩も覚悟を決めて臨んだことだったのでしょう。

 ……そういえば、気になることが。


梓「ところで、澪先輩と律先輩はどういう関係なんですか?」


 幼馴染であることは知っています。
 ただそれ以上に、澪先輩と律先輩を繋ぐ何かがあると、
 私は感じていました。


澪「えっ?」

梓「あれ、なにか変なこと聞きましたか?」


 そんな変なことだとは思わないんですけど。


澪「いや、変ではない……。やっぱり変かもな」

梓「そんなにですか?」

澪「まあ答えられないほど変な質問ではないよ」


 むう……。未だにその基準がわかりません。


澪「律とは、幼馴染の親友なんだ。
 小学校の頃に引っ込み思案な私を引っ張ってくれた、
 人生最大の恩人さ」


 ふむ。なるほど、人生最大の恩人ですか。
 普段からとても仲の良い理由が、とてもわかります。


梓「ムギ先輩とは?」

澪「ムギとも親友だ。ムギとは高校で知り合ったんだけど、
 色々な間違いが無かったらこうはいかなかった。
 奇跡的な出会い、っていえばいいのかな」


 次は即答。それも長い返答。
 変な質問に慣れたということでしょうか。
 それにしても軽音部の皆さんの絆は本物のようです。


梓「では、唯先輩とは?」

澪「……えーと……」


 おや?
 何故か澪先輩は言葉に詰まってしまいました。


澪「もちろん親友……だけど?」


 だけど?……ふむ、なるほど。

 一体澪先輩はこれ以上何になりたいのでしょうかね。
 まあ流石の私でも、すぐにわかりました。
 単純なことです。そういうことです。


澪「……」

梓「ふむ」

澪「……いま口篭もったこととか、他の皆には絶対に言うなよ!?
 絶対だからな?絶対なんだからな!?」


 念入りに澪先輩は私に言ってきました。
 そこまでして阻止したい感情といえば、やはりあれでしょう。
 しかし本当に念入りです。

 まあ、澪先輩は弱みを作りやすいタイプでしょうから、
 警戒心が自然に強まってきたのかもしれません。


梓「ええ、大丈夫ですよ、澪先輩」


 しかし、その点は安心していただきたい。
 私は天使です。人の気持ちを世に晒すという酷なことはしません。


澪「本当だろうなあ……?」

梓「信じてください」


 何故ならば、私は、


梓「他人の気分を害することは、今までしたことがありませんから!」

澪「えっ?」


 どこに疑問を持ったというのでしょう。


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最終更新:2013年03月16日 21:25