* * *
律は驚きを隠せないでいた。
映画研究会がグループで、
一匹の猫をさらう計画を立てたことになるのだから。
澪「こう考えるには、ちゃんとした経緯がある。
それはこの話の続きにあるんだ。
律も言ったように、犯人側にとって、
紙の見張り役は一人以上必要だ。
では、その見張りはどこから紙を監視していたと思う?」
律「教室なら、結構な数があるし、そこじゃないのか」
澪「私もそう考えた。
けれど、三年生の教室にはあの日、誰もいなかった。
さらに映画研究会のリストを見る限り、メンバーは全員一年生なんだ。
二年生の教室に潜伏しているのも、難しいだろう」
律「なら家庭科室……いや、普段は鍵がかかってるな。
そうだ、色んな部の部室があるじゃないか」
澪「その部室からじゃ、理科室の前は見えにくい。
仮に見ようとしても、身体を窓や扉から乗り出すことになるぞ」
律「そうか、私たちが謎を解くまで、
その見張り役は見てなくちゃいけないんだもんな……」
律の言う通りだった。
これもまた、図書室で待機する犯人が、
無駄に時間を過ごさないためのものだ。
律「あの時、色んな方向を見てたのは私だけど、
そういうやつは一人もいなかった。断言するぜ」
澪「良かった。それなら、もう残った可能性は一つだ」
律「……あとは資料室、か?」
澪「そう。それは即ち、“映画研究会の部室”だ」
資料室は、梓たちが文化祭中、一度見張った経験がある。
そのときの犯人は見張っている側にいたというのは、
なんとも皮肉な話ではあるけども。
澪「資料室は廊下の突き当たりにある。
つまり、扉の向きが廊下全体を見渡せる向きにあるんだ」
扉の小窓から廊下を見渡せば、
私たちの行動を監視することは簡単だっただろう。
律は少しの時間考え込んでいたが、納得したようだった。
律「……つまり、だ。犯人は映画研究会だから、
そこからMIXYを使って絞り込みをして、犯人を突き止めたのか」
澪「ああ。出身小学校から概ねの住所を探り出して、
猫が攫ったのが誰なのかも、既に当たりをつけてるよ」
私の説明はほぼ終了した。
しかし律はまだ、ある疑問で頭を悩ませているようだった。
律「映画研究会が犯人だということはわかった。
でも、動機だ。“憂さ晴らし”の動機が見当たらないぞ」
そう、それが最大の悩みのポイントだった。
そしてそれは案の定、私の危惧していたことと直結していた。
私の嫌な予感を現出させてしまったのだ。
澪「……律は、映画研究会と聞いて、なにが思い出される?」
律「さあな。なにも」
澪「なんだ知らないのか。
映画研究会は、文化祭に出展出来なかったんだよ」
律「あっ、そうか!カメラを紛失したとか聞いたぜ」
澪「そう。そして撮影しなおしのためには、撮影費が必要だった。
機材や交通費、
その他諸々のな」
律「でも生徒会に突き返されたんだろ?
お金は園芸部に与えたから無いんだって」
澪「それは上辺だ。本当は、時期にある。
あの夏休みが終了した時期に撮影させるということは、
学業に支障をきたすとも同然だ。
生徒会としてもお金は出せなかっただろう」
律「なるほど、考えてるんだなー」
生徒会は考えていた。考えた末の言動だったのだ。
しかし映画研究会は、それを“本意だと勘違いしている!”
澪「……そうだ。だからこそ、こんなことが起きた」
律「はっ?」
澪「ここ以外に考えられないんだ。軽音部と映画研究会の繋がりが!」
律「どこだよ、全然わからねえよ」
澪「……和に頼んで、もう一つデータを貰ってきた。この紙を見てくれ」
私は鞄から、一枚の紙を取り出してみせた。
それを受け取った律は、目を剥いた。
呆然と、一言だけ呟いた。
律「なんだこれ」
それは桜が丘高校各部活の、部費のリストだった。
そして律が驚いたものは他でもない、軽音部の部費だ。
そこにはこう書かれている。
“軽音部 … ¥450000”
そこには“四十五万円もの部費が記載されていた。”
律「おい、こんな大金、覚えがねえぞ。
私たちから払ったわけでもないし、学校からこんな支給されるわけもないし……」
ここにきて、律ははっとした。
律「……嘘、だろ?」
澪「私も、そうだと信じたい。けれど、これしか思いつかない」
熱心に活動している映画研究会より、
適当な活動しかしていない軽音部が部費を貰っている。
これは憂さ晴らしをしたくなる理由として、尤もなことではある。
では、この多額の部費をもたらしたのは、誰だっただろう?
律「この部費の大本はさわちゃんのギターの買取額……。
そしてギターを売った理由は……“梓じゃねえかよ!”」
律は声を荒げた。その声は、まるで世の無情を嘆くようだった。
梓は入部したとき、ギターを持っていなかった。
お金も持っていない。
そんな時、見つけたのはさわ子先生の古いギターだった。
そのギターは想像以上の高額で売れた。
梓のギターを買っても、お釣りが出るぐらいだった。
紆余曲折あったが、結局、そのお釣は全て部費に還元されることになった。
そう。その大量の部費が“この事件を起こしていた。”
律「こんなことあって溜まるかよ!
こんな、努力する人間を嘲笑うようなことが……!」
澪「……」
律「おい、澪もなにか言えよ!なにかの間違いだって……!」
澪「私だって!」
律の言葉に重ねるように、私は叫んだ。
瞬間、辺りが静まり返る。
静寂は長く長く、世界を支配し続けた。
澪「……ともかく、これで私の話は以上だ」
律「……」
私の話を全て聞き終わった律は、しばらく無表情だった。
だが、ふとした瞬間に、自分の目を手で覆った。
唇は若干震えていた。
澪「……」
かける言葉が、私には見つからなかった。
結局私たちはそのまま、その場で解散することになった。
‐秋山宅‐
‐澪の家‐
何度考え直しても、修正する点は見つからない。
間違えであってくれ。そう願っても、それは現れない。
ただ何度も何度も、律のあの表情が脳裏に浮かぶだけだった。
結局、私は考えることを止めた。
明日、映画研究会の一人を尾行しよう。
律も連れて行ったほうがいいだろうか。
唯だけは連れて行ってはいけないだろう。
そうなるとムギは唯と一緒に行動させた方が良いだろうか。
澪「はあ……」
とにもかくにも、私はこの事件に早く終止符を打たなくてはいけない。
‐外‐
翌日の放課後。駅の前で、私たちは待機していた。
猫が攫われたとすれば、あの町。
あの町から登校しているとすれば、
電車を利用しているとみて間違いないだろう。
律は常と違い、しかめ面を崩さずにいた。
昨日の話を引きずっている様子だ。
当然それは、私とて他人事ではなかった。
今からしようとしていること、それは私の話の証明に繋がる。
それは最悪のエンディングといっても相違ない。
律「……あっ、あいつじゃないか?」
律に声を掛けられ、正面へ向き直る。
駅の中へ入っていったその子は、
私が追っていた映画研究会の一人で間違いなかった。
* * *
慎重に、かつ迅速にその子の後を追っていると、
ついに電車は終着駅に到着した。
やはりこの町に住んでいるということがわかった。
その子が電車を降りる。
私たちも少々の時間を置いて、同じように降りた。
駅の外へ出ると、その子はすぐに角を曲がった。
歩くペースが思ったより早い。
これでは見通しの悪い住宅街に入られては、見逃してしまうかもしれない。
だからといって見つかってしまっては元も子もない。
律「仕方ねえ。私に任せろ」
そういうと律は、自分の自慢のカチューシャをとった。
携帯を開いて鏡代わりに使い、前髪を整える。
律「最悪なのは軽音部につけられてるってことがバレることだろ?
この格好なら、向こうに発見されても軽音部だって気付かれないはずだ」
確かに、学校でカチューシャを外した律を見たという人物は、
限りなく少ないだろう。これは良い策かもしれない。
とはいえ、念には念を。シャツをスカートの中に入れさせ、ブレザーの前を締めさせる。
澪「これなら完璧だな」
律「うおっ、窮屈……」
澪「これが普通だろ」
律「あー、なんか動き辛い……」
律は不満を垂れつつも、映画研究会の子を見ていたようで、
特に迷う様子もなくその子の後を追って行った。
私も一応、律よりもだいぶ後方で、その子を追う。
* * *
律から連絡が入る。あの子が家に入っていったようだ。
私は律から伝えられた通りに道を進んでいくと、
例の様変わりした律を発見した。
律は携帯を弄りつつも、目の前の家から目を離さないでいた。
私の来訪に気付くと携帯をしまい、片手を上げた。
律「こっちだ、こっち。この家にあいつは入っていったぜ」
澪「そうか……」
律「どうする。なにか、策でも考えてみるか?それとも、そのまま直撃するか?」
澪「もう直撃で良いんじゃないか?
仮に親がいても、娘が猫を拾ったということは知っているだろうし。
“その猫は私たちの友達の猫なんです”とでも伝えれば、
すぐに引き取らせてくれるはずだ」
律「よーし、それなら決まりだ」
律は荒っぽく、その家のインターホンを押した。
この家に恨みはないんだから、もっと丁寧にとも言いたかったが、
今の私にもそんな余裕は無かった。
インターホンにカメラがついていることを発見した私は、
急いでカメラの死角に隠れた。
こいつと一緒に私がいる場面を見られれば、警戒されてしまう。
咄嗟の判断が間に合ったのか、警戒されることなく、
インターホンに反応があった。声を聞く限り、あの子だ。
親ではなかった。
律は言葉巧みに、扉を開けさせるように促す。
どこからあれほどの嘘が思い付くのか。
私には一生身に付きそうにない技術だ。
やがて扉が開く音が聞こえた。
その瞬間を逃さず、律は素早く扉に駆け寄った。
あの子の驚きと戸惑いの混じる声が聞こえてきた。
そして、律の後に続いた私の姿を見ると、
途端にその子は茫然とした表情になっていた。
もはや明々白々だった。
* * *
家の外に彼女を出させて、
昨日律に話したことと、ほぼ同じ内容の話をする。
勿論梓のことは一切話していない。
初めこそ反抗的な彼女だったが、
話を聞くにつれて反論の余地がないと思ったのか、
ついに観念してしまった。
彼女いわく、猫が家に来たのは全く偶然だったとのこと。
そのことを他の映画研究会の子に言ったところ、
その子が梓のクラスの人だったらしく、梓が猫を探していることを知っていたらしい。
軽音部への憂さ晴らしに利用しようと言ったのも、その子だという。
憂さ晴らしの原因はやはり部費にあった。
どうやら映画研究会の、憂さ晴らしをしようとした子は、
軽音部と生徒会には強い繋がりがあり、部費において贔屓されていた、と。
そのように言っていたらしい。
生徒会長が私のファンクラブ会長であったり、
生徒会の一人、和が軽音部と強い繋がりがあるのは事実だ。
しかし部費において、贔屓にされたという事実はない。
その子は大きな勘違いをしていたのだ。
いや、それ以前に、軽音部と猫を繋げたことも短絡的だ。
あの猫は鈴木さんの猫で、軽音部の猫では無い。
この事件を計画した子は恐らく、断片的な話しか聞かず、
ただ文化祭に作品を出展出来なかった恨み、
すなわち生徒会への恨みを軽音部に衝動的にぶつけたのだろう。
非常に迷惑な事件だったと言わざるを得ない。
部費に関する誤解を解くと、彼女はすぐに猫を差し出してくれた。
猫は割と可愛がられていたようで、外傷も一切無い。
これならば鈴木さんにそのまま返しても、問題ないだろう。
そう思っていた。
私が猫を抱き抱え、振り返るときまでは。
世の中とはなんと無情なものなんだろう。
そこには立ち尽くした梓がいた。
* * *
梓「今の話、本当ですか」
梓は無表情のまま、弱々しく言葉を紡いでいった。
梓の後方から、鈴木さんが姿を現した。
純「あっ、私の猫!見つけてくれたんですか!」
澪「あ、ああ……そうなんだけど……」
純「……どうしたんですか?」
鈴木さんは戸惑いつつも、辺りを窺った。
純「……梓?」
そして、重苦しい空気を悟った。
純「どうしたの梓。猫は見つかったんだよ。ねえ」
梓「……」
純「どうしちゃったのさ、梓……」
梓「純。私、やっぱり駄目だったよ」
純「えっ」
梓「やっぱり、ね。そうだったんだよ」
純「ちょっと待ってよ、梓」
梓「ううん、でも努力は続けるよ。
今度は多くの人を、遠くから見ていようと思う。
誰かを幸せに出来る人、多くの人を見渡せば一人ぐらいいるよ。
それにもう、残された時間は、少ないからね」
梓が言葉を言い終わると同時に、突風が吹いた。
それは梓を覆い隠すように巻き上がる。
私たちはその風の強さに目を瞑ったが、風はすぐに止んだ。
しかし、風の吹き荒れる中、まるで風と共に去っていったかのように、
梓は姿を消していた。
鈴木さんはその場で、茫然と膝をついた。
目には涙が浮かべられていた。
純「梓……」
そしてぽつりと一言、呟いた。
どうして、と。
* * *
私と律は二人で電車に乗り込んでいた。
鈴木さんは、ムギの家の計らいで、車で猫と一緒に家に送られたらしい。
猫を電車に持ち込めない場合に対する配慮だろう。
最後、車に乗り込んだ鈴木さんの目は虚ろだった。
無力感をひしひしと感じたのは、私自身も同じだった。
隠し通した結果がこれだ。
結局、全て梓に聞かれてしまっていたのだ。
梓とて馬鹿では無い。
部費の話を聞けば、殆どを察してしまったことだろう。
澪「なあ、律。私たちのしてきたことって、なんだったんだろうな」
律「聞くなよ、そんなこと」
ああ全く、その通りだった。
自嘲的な笑いが込み上げてくる。
まずどうすればよいのだろう。
唯とムギはまだ、謎々を解いているだろうか。
だとしたら、早く伝えなくてはいけない。
律「……私らは努力を続けてきた。それだけは確かだ」
律は私を励ますように、そう口にした。
しかし、どうだろう。努力をしたことが、果たして偉いのか。
こうなってしまうともう、なにもわからない。
駄目だ。努力を否定することは、梓の努力も否定することに繋がる。
それだけはあってはならない。
だって梓は一生懸命に努力して、そして。
そして?
一体、なにを得たのだろう?
律「今はなにも考えるな、澪」
律は優しく、私を抱きしめてくれた。
時に頼りになるその胸の中で、私は場所も憚らず、声を上げて泣き崩れた。
悔しい。努力を蔑ろにされ、なにも残らなかったことが、悔しい。
梓を守れなかったことが、とても悔しい。
最終更新:2013年09月07日 03:02