‐三年二組教室‐


和「それは結局ゼロサムなのよ」

唯「ゼロサム?」

和「そう、ゼロサム。サムは合計の意味よ」

唯「つまり足したらゼロになるってこと?」

和「そうね。例えば、私と唯で百円を賭けたゲームをするわ」

唯「賭博はダメだよ!」

和「唯、これは例えであって」

唯「和ちゃん!」

和「ジュースを一本賭けたとしましょう」

唯「よしっ!」

和「……で、私がそのゲームに勝つと、私はジュース一本分の得をするわ」

唯「ふむふむ」

和「でも唯はジュース一本分の損をする」

和「この時、両者の損得の総和はゼロになるでしょう。これがゼロサムよ」

唯「なるほどね~」

和「ゼロ和とも言うわ」

唯「えっ?」

和「……別に、私が“和”だからって、ゼロ“和”と言ったわけじゃないのよ」

唯「……」

和「わかった、忘れなさい。今すぐに」

唯「うん」

和「よし」

唯「……それで、和ちゃん」

唯「私たちはなんの話をしてたんだっけ?」

和「あんたねえ……」

和「あんたが全然当たりのアイスに巡り会わないとか、
 その程度の小さな不幸を嘆いてるから」

和「それはゼロサム、その裏で誰かが当たっているんだから、
 少しはポジティブに考えてみなさいって言ってるの」

唯「あー、そうだったねえ。
 でも、それじゃあ私は何一つ幸福じゃないよ?」

和「安心しなさい」

和「実は唯が外れてくれたおかげで、私が当たっていたのよ」

唯「ええっ!?」

和「そして交換してきたわ」

唯「おおっ!」

和「それがこのアイス」

唯「美味しそうだね~!」

和「の、空容器」

唯「テンションがた落ちだよ」

和「これで良ければあげるわよ」

唯「いらないよ!」

和「そう」

和「まあこんな具合に」

和「あんたの当たらない小さな不幸と、私が当たった幸せ。
 当たると当たらない、合わせるとゼロ。これこそゼロサムゲームってことね」

唯「ふーん」

唯「……でも、まだ私の小さな不幸はなにも解決されてないよ?」

和「そうね」

和「さて、そろそろ帰りましょ」

唯「えっ」

和「えっ?」

唯「いやまだ私の問題が解決されてないよね」

和「唯、帰りに喫茶店寄っていかない?」

唯「行く!」


 ‐喫茶店‐


唯「ってちがーう!」

唯「ああ危なかった! 危うく騙されるところだったよ!」

和「なにが?」

唯「喫茶店に行ったところで、私の不幸は解決されてないんだよ!」

和「甘いわね唯」

唯「えっ?」

和「あんたがハズレアイスの話をしなかったら、
 私は喫茶店に寄る提案をしなかったわ」

和「唯にとって、アイスで外れることは、
 私と喫茶店で談笑を嗜むことに等しくないのかしら?」

唯「そ、そんなことないよ!
 むしろ和ちゃんとこうしていられることの方が、幸せなぐらいだよ!」

和「それなら良かったわ」

唯「なるほど、これがゼロサムなんだね」

和「……あんた自分の言ったこと覚えてる?」


 ‐三年二組教室‐


唯(ゼロサム……)

唯(私が当たらない分、誰かが当たっている)

唯(幸せと不幸は差し引きゼロということ)

唯(もしかしたら私は、悟りの境地に達してるのかもしれないね……)

姫子「唯、おはよ。どうしたの難しい顔して」

唯「おはよう、姫子ちゃん。
 私はちょっと、ゼロサムについて考え中なんだよ」

姫子「ゼロサム?」


  *  *  *


姫子「へえ、そんなこと話したんだ」

姫子「でも確かに、世の中そういうことが多いかもしれないよ。
 ソフトボールの試合も勝ちと負け、総和はゼロだしね」

唯「有り触れてるのかなあ」

姫子「でも、そのゼロサムは意外と一面的なのかもしれないよ?」

唯「ゼロサムじゃない一面があるの?」

姫子「そう。さっきのソフトボールの試合が、白熱して、
 とても面白い試合だったとするよ」

姫子「そうすると負けたチームにも勝ったチームにも、
 嬉しいや悔しいという気持ち以外に、戦いきった満足感があると思うんだ」

姫子「この時の満足感に価値を見出すなら、
 その総和、私にはプラスにしか見えないな」

唯「なるほど……勝敗が全てじゃないもんね」

姫子「そういうこと」

姫子「あっ、佐藤さん!」

アカネ「どうしたの、立花さん?」

姫子「佐藤さんはバレー部だよね?」

アカネ「そうだけど」

姫子「それならさ、試合に勝敗以上の
 価値を見出すこともあると思うんだけど、どう?」

アカネ「なにその熱血感あふれる質問……」

アカネ「……まあ確かに事実として、それは存在すると思うよ」

唯「うーん、ゼロサムもゼロサムじゃないも溢れてるのかあ」

アカネ「あれ、平沢さん、似合わない言葉を使うね」

唯「……似合わないってどういう意味で言ってるのかな?」

アカネ「ごめんごめん」

アカネ「ところで、どうしてそんな単語が出てきてるの?」


  *  *  *


アカネ「なるほどね、幸せと不幸の総和はゼロか……」

アカネ「あっ、それならうちの部活でこんなことがあったんだけど」

唯「なになに?」

アカネ「どういう流れでそこに至ったのかは覚えてないけど、
 バレー部の中で厳密に背比べすることになってね」

姫子「ああ確かに、バレーって身長が重要そうなイメージあるね」

アカネ「ま、別にバレーとかは考えてなかったんだけど」

姫子「考えてないの!?」

アカネ「それで、その結果私が一番背が高いことがわかったんだよ」

唯「アカネちゃんって澪ちゃんぐらい身長高いもんね~。良いなあ~」

アカネ「そして最下位がまきに決まって……」


 ※まき … 和嶋まき。三年二組。お団子頭で、低身長の子。バレー部。


アカネ「その時、私に向けてまきが言ったんだ」

アカネ「“世知辛い世の中だよー……。
 勝ち負けの数は等しくあるのに、私ばかりが不幸だよー……”ってね」

唯「おおっ、まさしくゼロサム!」

姫子「低身長を不幸と捉えて、高身長を幸せと捉えたってことだね」

唯「確かにまきちゃんはちっちゃいけど、
 それ以上にちっちゃい人だっていくらでもいるのにね~」

アカネ「例えば?」

唯「しずかちゃんとか!」

しずか「その流れで私の名前が呼ばれるのは、心外なんだけど」


  *  *  *


しずか「唯、そういうのはいけないよ。
 人のウィークポイントをそんな軽々抉ったりしたら、駄目」

姫子「えー、そんなに自分の身長って気になるものなの?」←高身長

アカネ「そういえば身長低い人って、自分の身長を気にする傾向あるよね」←高身長

しずか「……うん、こういう大きな人に囲まれれば余計にね」

唯「じゃあしずかちゃんは、ひたすら不幸を抱え続けるだけなんだね……」

しずか「つまり私がクラスで一番小さいって言ってるんだね!?」

姫子「それなら聞くけど、
 低身長の人には、具体的にどんな不幸があるのさ?」

しずか「……例えば電車に乗るときに」

しずか「友達が私なら子供料金で行けるんじゃないって、からかってきて」

しずか「そんなわけないでしょ! って抗議したあとに」

しずか「小学生の平均身長を調べたら、私の身長と大差なかったとか」

唯「ぷくくッ……」

アカネ「ふ、ふふ……そ、それで他の話は……?」

しずか「近所のおばさんに」

しずか「あら、しずかちゃん。いつの間にか大きくなったねえ」

しずか「来年は高校受験かい? って言われたりとか」

唯「あ、アハハハハ!」

姫子「だ、駄目だ、堪えようと思ったけど……あははははっ!」

アカネ「そ、それで……まだあるんでしょ? ぷふっ!」

しずか「……あるけど私のメンタルを気遣ってよ!!」


  *  *  *


しずか「むー……」

姫子「調子乗りすぎちゃった、ごめんね、しずか」

しずか「ふん」

アカネ「私からも、ごめんね。気にするものは気にするもんね」

しずか「……私もそんなに怒ってないし、別に良いよ」

姫子「えっ、結構拗ねてなかった?」

しずか「拗ねてないもん」

アカネ「拗ねてたよね」

姫子「ねっ」

しずか「拗ねてないもん!」

姫子・アカネ「可愛い……」

唯「……」

唯(勝ちの裏で負けがある。ゼロサム)

唯(でも負け続けた人にとって、それは差し引きゼロとかじゃなくて、
 ただマイナスになり続けるだけなんだね……)

唯(難しいテーマだよ、これは……!)


  *  *  *


和「まだそのこと考えてたの?」

唯「うん!」

唯「もし幸せと不幸の総和がゼロなら、
 それってどこかで不幸になり続けてる人がいるんじゃないかなって。
 そう思うと考えが止まらなくて」

和「そうね、幸せと不幸の総和がゼロなのかどうか、
 それはイマイチわからないけど」

和「唯。例えば、あんたがライブで演奏をお客さんに聴かせるとき、
 自分自身は幸せな気持ちになってる?」

唯「勿論! とっても楽しいよ!」

和「そうでしょうね。そして、私たちもそれは同じ」

和「聴いてる皆も、とっても幸せになるの」

唯「えへへ~、もっと褒めてくだせえ~」

和「はいはい。唯はとっても凄いわ」

和「ところで唯。気付いてるかもしれないけど、
 このときの私たちの幸せの量はゼロサムじゃなくて、
 断然プラスに傾いているわよね?」

唯「うん、どっちも幸せなんだもんね!」

和「唯の悩みもそれで解決出来ないかしら?」

唯「というと?」

和「つまり、双方が幸せになり続けるような活動を繰り返して、
 幸せの総量を増やしていくのよ。
 ゼロサムじゃない、ただプラスにだけ働くようにしていくの」

和「そうすればいつか、皆が笑っていられるんじゃないかしら」

唯「……おおっ! それだよ和ちゃん! さっすが~!」

和「褒めても何も出ないわよ」

唯「でも、そんな活動は今までにも至る所で実行されてるよね。
 そういうボランティアなんて、有り触れてるはずだし。
 どうしてまだ、不幸になり続ける人がまだいるんだろう?」

和「そうね、小さな不幸はさて置き、
 大きな不幸に立て続けに襲われる人も、確かにいるわね」

和「それはただ単に、その双方を幸せにする活動が
 届いていないだけってことも有り得るわ」

和「でも、もしかしたら双方マイナスの活動、
 いわば唯たちの演奏のような双方プラスの活動とは間逆のものが、
 どこかで起きているのかもしれない」

和「それで、もしこの二つの活動が同じ数だけ、世界で起きているのだとすれば……」

唯「うぅ……またゼロサムに戻っちゃったよー……」

和「そうね。だから、これからの私たちに出来ることは、もう明確よ」

和「一つ目に、双方プラスの活動を続けていくこと。
 二つ目に、双方マイナスの活動を減らしていくこと」

和「これで不幸であり続ける人は減っていくだろうし、
 幸せであり続ける人は増えていくと思うわ」

唯「なるほどねー……」

唯「……よーし、わかったよ和ちゃん! 私、なんだか燃えてきた!」

和「そう、良かったわ」

唯「これからバシバシ皆を幸せにしちゃうからね!」

和(……これがきっかけで、唯が勉強を熱心に取り組んで)

和(色んな社会貢献に従事出来る人間になれば……、
 それは親友として、とても鼻が高いわね)

和(ふふっ、私も唯に抜かされないよう、頑張らなくちゃね)

唯「そういえば、憂が言ってたんだ」

唯「お姉ちゃんのお世話をしている時が、一番幸せだよって」

和「……えっ?」



唯「よーし、私、憂に一生お世話されるよ!」

和「勉強しなさい」



 ‐ お し ま い ‐



最終更新:2013年04月11日 21:46