今になって思い返せば、昔から運は良かった。


ここ一番の賭け事では負けたことは無かったし
小さな不幸こそあれど、それだけで済んでいるかのように大きな不幸は私自身には一切降りかからないし
友人、先輩、後輩、先生に家族…と周囲の人間にも何かと恵まれているし
学校にも、住んでる地域にもイヤな人とかいなくて治安もいいし
何より、気の向くまま風の吹くまま自由に生きていても今のところ何一つ壁に突き当たってはいない。


……今になって思い返せば、悄然、消沈、挫折などとは無縁の人生を送ってきていた。


……少し自分で頑張って、少しだけ周囲の人と助け合うことで全ての障害はあっさりと越えてきた。
……仲間のありがたさと大切さは充分すぎるほど知っている。知っているからこそ、誰かと助け合えば越えられない壁なんてない、それを当然だと思っていた。
……当然だと思い、前と隣ばかりを見ていた。後ろを振り返ることなんて無かった。

……そんな仲間がいること自体を『幸運』だと捉えてしまうまでは。


今になって『幸運』という観点から見て私の半生を振り返ってみると、最初に言ったとおり、私はとても運がいい。
私は昔から仲間に恵まれ、環境に恵まれ、常に困難を容易く跳ね除けていく。思うままに生きるだけで。
思うままに歩くだけで『不可能』が勝手に私を避けていくのではないか、とさえ思えるほどの『幸運』。それが確かに私にはあった。

そしてある日、考えてしまった。

そんな存在を、何と言うか。
何よりも誰よりも幸運に愛され、周囲の全てに恵まれ、支えられ、全てを成し遂げる。そんな存在を何と言うか。


純「……主人公?」


主人公が先天的に幸運に愛されている存在なら、逆に考えてそれを自覚した私も、今や主人公の資格はあるはず。
仮に、自覚したこの瞬間に『幸運の能力』を手にしたんだとしても構わない。結局は同じこと。

そう考えれば、私は今この瞬間に、まさに『主人公として選ばれた』んだろう。


次の日。学校の廊下での出来事だ。
『能力』を自覚した私に、早速幸運が降りかかる。


純「お、サイフが落ちてる。ラッキー」

梓「ラッキーって。ネコババはダメだよ、純」

純「わかってるって、ちゃんと職員室に届けますよ。でもお礼の一割が貰えるじゃん?」

梓「なんてあさましい……」

憂「交番じゃないんだし、学校でそこまで期待できるかなぁ…?」

純「えぇー、残念」

……なーんて。別にお金も目当てじゃないんだよね、本当は。
こうして歩いてるだけで人助けが出来る。これも立派な幸運だし、主人公っぽい。
見返りなんていりませんとも、今の私は主人公なんですから。

憂「あ、じゃあ純ちゃん、これあげるよ、はい」ポン

純「およ? 飴玉?」

憂「うん。お菓子とは別に家から持ってきたやつだけど、よかったら」

純「美味しそうだけど、本当にいいの?」

憂「もちろん。財布のお礼の一割には足りないかもしれないけど」

梓「またそうやって甘やかす……っていうか憂がお礼って言うのはおかしいんじゃ」

憂「いいことをした子にはちょっとくらいいいことがあったって許されるはずだよ」

梓「それは、まぁ……うん」

憂「というわけで、いい子の純ちゃん、よしよーし」ナデナデ

純「ちょっ!? やめ、憂、恥ずかしい!」

憂「かーわいー」ナデナデ

純「ああああああ」

撫でられるのは私じゃなくて梓のキャラでしょうが!
……とか思いつつも、過剰に振り払ったりは出来なかった。
なんとなく、憂相手だから。なんとなく憂相手には昔から強く出られないし、強く出なくてもなんとなく察してくれるのが憂だから。
そんなこんなで、やっぱりほどほどな所で憂はナデナデをやめてくれた。
すると次は、

梓「……私も……」ナデ…ナデ…

純「……よかったね、スミーレには届かなくても私にはギリギリセーフでなんとか背伸びで届いて」

梓「強調するなー!」

小さくて可愛い親友の頭を逆に撫で返してやりながら、大切な貰い物の飴玉をポッケに仕舞い込んだ。
少しあたたかい気がしたのは、今握っていた私の体温なのか、それまで近くにあった憂の体温なのか。
どうせなら憂のであってほしいな、と思う。深い意味は無いけど。


――そして、自覚してしまった幸運は、まだまだ続く。


梓「小テストで……純に負けた…!?」ガーンガーンガーン

純「ショック受けすぎでしょあんた失礼だよ」

憂「でもすごいよ純ちゃん。これならもっと上の大学も狙えるって先生も言ってたし」

純「いやいや、今回はヤマが当たっただけだよ。入試でも上手くいくとは限らないし」

ヤマを張って勉強したのは言うまでもなく事実だ。
幸運に愛されている私なら、ヤマを張って勉強すれば『運よく』そこがテストに出る。そして梓を越えて憂に迫るほどの高得点を取る。
わかりきったこと。だから当然、悔しがる梓に過剰に自慢したりなんて出来やしない。
……今回に限っては、あまり嬉しくない『幸運』のような気も……

憂「そういえばお姉ちゃんも一回、定期テストでヤマ当てて高得点取ったことがあるんだよね」

……へぇ、それは初耳だ。
唯先輩も主人公っぽい人だったからなぁ、それくらいはやりかねない、か。
小テストでの私と定期試験での唯先輩じゃ、主人公度が違う気もするけど。

梓「それで、唯先輩はどうなったの?」

憂「澪さんに八つ当たりされたって言ってた」

梓「……澪先輩でそれなら私も八つ当たりする権利あるよね」ギュー

純「いたいいたいいたい」


純「ゴールデンチョコパンだ!」

梓「おお、こんなに遅れたのに売れ残ってるなんて……」

お昼ご飯の時間。
三年になってからそこそこ見かけることが多くなってはいたものの、授業が長引けばやはり確実に売り切れていた幻のメニュー。
いつもは幻が幻であることを楽しんでいるけど、それを「どうしても食べたい」と私が願えば、そこに幸運が作用する。

そして、一個だけ売れ残る。

そしてついでに、私の財布の中にはピッタリの値段の小銭が入っている。

純「すごくない?」

梓「すごいけどたまたまじゃん」

憂「でもすごいよ?」

純「すごいよ?」

梓「……すごいけどさ」

でも、幸運であるということは不運に直面しない、というわけではないんだ。小さな不運に。
今までの体験上、それはわかっていた。
そして教室に戻ってきてゴールデンチョコパンを一口かじった今、それを思い出した。

純「……ジュース買うの忘れた」

梓「………」

純「……小銭、無い」

梓「………」

憂「あ、私今日水筒持ってきてるから……飲む?」

梓「あんまり甘やかしちゃダメだよ、憂。純も、財布に大きいのならあるんでしょ?」

純「いちまんえん」

梓「よりによって……」

桜高の自販機は一万円札が使えないものが多くなっている。理由はわからないけど。
購買のおばちゃんのところにもジュースを売ってはいるけど、そんなところで万札を出すのが迷惑になりそうなのくらい私でもわかる。
でも梓の言う通り、憂におんぶにだっこみたいに何でもかんでも頼るのもよろしくない。
そんなこんなで、結局――

憂「あ、そういえばこれ、中身はちょっと変わった淹れ方してみたお茶なんだよ。私は美味しいと思うんだけど、純ちゃんにも飲んでみてほしいな」

純「お、そうなの? では一口……」

憂「はい、どうぞ」

そんなこんなで結局、憂の嘘か本当かわからない口車に乗せられる形で憂に甘えることになった。
ありがとね、憂。

純「うまい!」

梓「……はぁ。憂は上手なんだから」

憂「梓ちゃんも飲む?」

梓「……次、いただきます」

結局は梓も乗せられてるから人の事言えないんだけどね。
でも憂の言葉って相変わらずなんとなく断れないし、気持ちはわかるから口にはしない。

純「………」

口にはしないかわりに、ちょっとイジワルしてみよう。

今、私の持っている水筒の蓋に、憂がお茶を注いでいる。
私はこれを次に飲むであろう梓に渡す、それだけなんだけど……渡す時に、私の飲んだ場所が正面に来るようにして渡してみようと思う。

純「ほい、梓」

梓「ありがと。憂、いただきます」

つまり、間接キスを意図的に発生させてやり、それをネタに梓をいじろう、というわけだ。
普段はそんなの全然気にしないから、結構な効果があるはず――

梓「んくっ……あ、美味しい」

純「………」

……と思ったけど、あまりにも気にせず梓が口を付けたので、なんかいじるのも恥ずかしくなってしまった。
っていうか、自分で「普段はそんなの気にしない」って言ってるのに今回に限ってネタにするとか、なんか逆に私だけ変に意識してるみたいじゃ――

憂「そお? よかった」

――あれ?
いや、うん、そうだ、確かに私はさっきまで意識なんてしてなかった。

……でも、だからこそ確証もない。
私が、私の前に飲んだ憂と間接キスしていない、という確証も。

いや、いやいや。いやいやいや。仮にしてたとしても、それが何だというんだ。
私達は普段からそんなの気にしない関係だし、気にするのも私のキャラじゃないし!
そうだよ、大体なんで『今回に限って』こんなこと考えて――

憂「純ちゃん?」

純「はいっ!?」ビクン

梓「うわっ、何よ急に」

純「い、いや……えっと、何? 憂」

憂「えっと、純ちゃんはどうだった? って聞こうとしたんだけど……」

純「ん、うん、お茶の話……だよね? 美味しかったよ、うん」

間違っても間接キスの話じゃないよね、うん。
落ち着こう。落ち着いて、いつものキャラに戻ろう。

憂「スミーレちゃんの淹れるお茶には及ばないと思うけど」

純「及んだら本職の人の立場が無いでしょ」

梓「憂なら本気出せばそのうち及びそうでもあるけどね」

純「でも、うん、そうだねぇ、料理も上手いしお茶も美味しいし、憂は今すぐにでもお嫁に行けそうだよね」

憂「……そうかな、ありがと///」

……あれ、私何か変なこと言ったかな?
憂の反応が割と真に受けた人のそれっぽいんだけど……

純「………」

っていうか、あれ、私も、何か変だ。
憂のその珍しい反応、すごく……可愛く見える。

私はいつもの私…のはずだよね? それともやっぱり『今回に限って』何か変なことを――?

――いや、待って。違う。そうじゃなくて、もしかしたら。
もしかしたら『今回に限って』じゃなくて、『今回から』変になってしまっている、という可能性もあるんじゃないか?

だって私は、主人公だから。
主人公だと自覚してしまったから、そこから変わり始めてしまった、という可能性もある。

『幸運』の作用で、憂が私の言葉をいつも以上に真に受けてしまったのかもしれない。
同じように、私には憂が可愛く見えるのかも。

それがどう『幸運』なのかは……考えないようにした。
だって、こんな気持ち、あまりにも急すぎるし――

憂「はい純ちゃん、あーん」

純「は、はいっ!?」

考えないようにした、その直後なのに。
憂が自分のお弁当のおかずの卵焼きを私に食べさせようとしてるその仕草に、また変に心を動かされている私がいる。

純「な、何、急に」

憂「パンだけじゃ足りないでしょ? 育ち盛りなんだから」

純「い、いや、大丈夫だって」

憂「そう? 昨日純ちゃんが「明日はパンにする」って言ってたの聞いて多めに作ってきたから、遠慮ならしなくていいのに」

純「そ、そうなんだ」

憂は本当にいいお嫁さんになれそうだね、という本心は言葉にはしなかった。
憂がお嫁さんなら、こうして「あーん」を強要されている私は旦那さん――って違うって!

純「だ、大丈夫。わりとボリュームあるから……また今度ちょうだい」

憂「そう…?」

梓「憂、多いなら私が貰ってもいい? 憂のご飯美味しいから」

憂「あ、うん。はい、あーん」

梓「あーん」

……らしくない私とは正反対に、梓は躊躇いなく卵焼きにかぶりついた。
むしろ積極的というか。人に近づくことに抵抗持たなくなったよね、この子は。
そのぶん私が身を引けば、それはそれでいいバランスなのかもしれないけどさ。

純「………」

でも、私に断られた時の憂の少し悲しそうな顔と。
憂から貰ったお弁当を美味しく食べる梓の笑顔が。

何故かどうしようもなく、私の胸を締め付けるんだ。


……何故か、なんて目を逸らすのはやめようか。
私らしく、手っ取り早くわかりやすくいこう。

私は憂のことが好きなんだ。
それだけの話なんだ、言うまでもなく。

中学からずっと一緒にいた憂に、今更になって私が惹かれるイベントが最近あった、というわけじゃない。
でも理由はわかってる。私が主人公だからだ。主人公になったからだ。
主人公が私ということで、ヒロインは憂なのだろう。
『主人公』には『相方』が必要、と、そういうことなのだろう。

私が主人公だと自覚してなければ、自分が憂と釣り合うに足るかとかいろいろ悩むんだろうけど。でも幸運の主人公である私はその事実を受け止め、素直に喜ぶことにした。
主人公の相方として憂が選ばれた、なんて傲慢なモノの見方はしなかった。むしろ憂の周囲の人の中で、相方となれる主人公が私であったことを素直に喜んだ。

だって、自分でもさっき言ったけど、憂は理想的なお嫁さん像をそのまま投影したかのような存在だから。
少なくとも主人公だと自覚する前から、私は常々そう思っていたから。
そんな憂と恋人になれるとすれば、それは私の中で何よりの喜びであって、幸せだ。
『幸せ』なんだから、やはりこれは私の主人公ゆえの能力によるものであって、同時に恋愛というものが『主人公にとっての幸せ』なんだろう。

なら、私はどうすればいいのか。
具体的には、告白するかしないか、だ。

いくら主人公とはいえ――いや、主人公だからこそかもしれないけど、ともかく――私だって告白とか考えるだけで人並みに緊張する。
人並みに緊張するし、怖い。憂に嫌われているとは思わないけど、告白が絶対に成功するという保障も無――

純「……あ」

そんなことはなかった。
だって私は主人公なんだから。幸運に愛されているんだから。だから私の告白は絶対に成功する。
思うまま、望むままに行動して構わない。最終的にはちゃんとすべてが成就する。主人公というのはそういう存在のはずだから。

告白すれば、私はもっと幸せになれる。
恋愛が、憂が、私に更なる幸運をもたらしてくれる。


……このときの私は、そう信じて疑わなかった。


……まぁ、だからといって緊張しないかと言われればそんなことはないんだけどね。
そもそも告白なんてした事もされた事もないし、どうすればいいのやら……

純「………」ジー

憂「……よし、準備できた、っと。今日はスコーン作ってみたよー」

菫「すごく美味しそうです!」

結局、悩んだり緊張したりしてたらあっという間にいつもどおりの放課後になっていた。
受験勉強したりスミーレ達に楽器教えながらのんびり過ごす、いつもどおりの放課後に。
でも、時間を置いたおかげでそれなりに覚悟は決まっていた。
思い立ったが吉日と言うし、今日中に告白しよう! とか思える程度には。

梓「じゃ、みんなで食べようか」

直「はい!」

憂「スミーレちゃんのお茶と合わせてどうぞ」

純「………」ジー

菫「…純先輩?」

純「うん? 食べよっか、スミーレ」

菫「あ、はい」

大丈夫、お昼みたいに心の中でアレコレあったわけじゃないから、周囲のことは見えてるし聞こえてる。
というか、憂に告白するタイミングを見計らっているんだから見えてないといけない。
厳密には告白のために二人っきりになるタイミングを、だけど。
……やっぱり、帰る前に「少し残って」とお願いするのが正攻法かな?

さわ子「あ、純ちゃん。ちょっと進路のことで話があるから終わったらちょっと残っててくれる?」

純「え゛」

梓「先生、いたんですか」

さわ子「お菓子あるところに私あり、よ」

梓「そんな胸張らなくても……」

純「……というか先生、今日ですか。今日じゃないとダメですか」

さわ子「ん、何か用事あった?」

純「いえ……」

これから用事ができる予定だった、なんて言えるはずもなく。
せっかくの覚悟が空中で空回りする感覚を、とびっきり美味しいスコーンとともに噛み締めた。


純「――それで、先生。進路のお話ですよね?」

さわ子「あ、ゴメンあれ嘘っ☆」キャピ

純「……は?」

えっ。
「嘘っ☆」って。キャピって。

純「……どういうことですか?」

さわ子「純ちゃん、憂ちゃんに告白しようとしてたでしょ? とりあえず一回止めとこうと思って」

純「えっ!?」

今度は本気で驚いた。
単純に、行動を見透かされていたことに驚いた。

純「な、なんでバレれれ…?」

さわ子「落ち着きなさいな。まー私も学生時代に好きな人を呼び出して告白、なんてやった身だし? 同じ行動をしようとしてる子が身近にいるとわかっちゃうのよ」

純「……先生にもそんな乙女な時期があったんですね」

さわ子「失礼な言い方してくれるじゃない」

純「すいません、ちょっとびっくりしてしまって」

見透かされてたことに驚き、先生が同じようなことしてたことにも驚き。
それでもいつもと変わらない調子の先生を見ていると、驚きも徐々に静まってくる。
そしていい具合に静まってくると、もう一つの疑問が頭をよぎった。

純「……先生、今「止める」って言いました?」

さわ子「言ったわよ。顧問として教師として、忠告の一つくらいはしておかないと」

純「………」

おかしい。そう思った。
やる事成す事上手くいくはずの『主人公』の行動を阻む人が出てくること自体に、少し疑問を抱いてしまった。

さわ子「でも、忠告を聞いた上で止めないというならそれはそれで構わないわ。それもまたロックだし」

純「……とりあえず、聞かせてください」

さわ子「……忠告ってほどでもないんだけどね。随分急に、随分思い切ったことをするものだなぁ、って思って。いつから好きに?」

純「……今日、です」

さわ子「思い立ったその日に告白!? 最近の若い子は進んでるのねぇ……」

純「い、いえ、あの、言われてみれば自分でもそう思いますけど、ちゃんと理由はあるんです!」

思い立ったが吉日、は確かに割と私のポリシーに近いところはあるけど、それでも今回はちゃんと別の理由がある。
これだけ超展開をやらかしても私自身が必然と受け止めてしまうほどの理由が。説明しづらい理由が。
言葉にしてしまえばひどく傲慢な、到底わかってもらえないであろう理由が。

でも、私はそれを説明しようと思った。
原因としては、先刻疑問を抱いてしまったからに他ならない。元々私一人で出した結論なんだ、揺らぐのも簡単だった、ということ。
だから、誰か他の人にも聞いて欲しかったんだ。

純「……先生は、自分の行動が全て正しいと保障されている、って思ったことありますか?」

さわ子「面白いこと言うのね。ひどい思い上がりだわ」

純「……そうですよね」

さわ子「でも、そんなことを言うだけの理由があるのよね?」

純「……聞こえた気がしたんですよ。「お前が主人公だ」という声が」

聞こえた気がした。感じた気がした。発端についての表現は何でもいい。
とにかく『それ』を感じ取り、私は自らを省みた。過去の出来事を省みた。
その結果、私は自らの幸運を否定できなかった。誰よりも恵まれているとさえ思った。

……そんな立ち位置は『主人公』しかないと思った。

そこまで包み隠さず打ち明けたら、先生は真剣な顔をして頷いてくれた。
笑い飛ばされてもおかしくないと思っていたけれど、そのあたりは流石だと思う。

さわ子「……それを思い上がりと否定するのは簡単よ。でも私が止めようと思った理由にそれは関係ないから否定はしない」

「そういう考え方自体は嫌いじゃないし」と済ました顔で言い放ちながらも。

さわ子「むしろ、純ちゃんが主人公なら尚更私の忠告にちゃんと耳を傾けざるを得なくなる」

純「………」ゴクリ

笑い飛ばさなかった先生になら、思い上がりと否定されても受け入れたと思う。
けど、否定せずに忠告するというのなら、私はやっぱり真剣に受け止めなくてはいけない。
『主人公』に忠告する人の言う事は、えてして絶対に間違っていないものなのだから。

……? あれ、今、何か違和感が……


さわ子「……純ちゃんが告白すれば、あなたと憂ちゃんと梓ちゃんの友情が壊れることになるわ」


純「……え、っ?」

頭が真っ白になった。
どういうことなのか、一瞬では理解できなかった。
私が告白することで、私の大事なものが壊れるだなんて、そんなこと――

さわ子「わからない? わからないなら尚のこと、ちゃんと考えて。でないと――」

そんなことっ――!

**

結局、私は先生の言う事を聞かなかった。言う事を聞かず、逃げるように部屋を後にした。

目を背けたかったんだと思う。信じたくなかったんだと思う。そんな幼稚な感情。
私のやることが、『主人公』のやることが、私自身も親友も不幸にするだなんて、そんなことあっていいはずがない。

心配してくれる人の言葉にはもっと耳を傾けるべきだ。
そうわかっていても認めたくなかった。ただ単に、止まれなかった。

自分の幸運を信じて、主人公だと信じて一日を過ごしたのに、その結果がそれだなんて、そんな怖いこと――

純「……あぁ、そっか、怖いのか、私は……」

梓「何が?」

純「うわっ、あ、梓!? なんでここに!?」

梓「別に……なんか、純の様子、変だったからさ」

いつの間にか私の後ろにいた梓が、なんか珍しい優しさを見せてくれる。
……そうだよね。いつもは馬鹿やってふざけてる間柄だけど、ちゃんと私のこと見てくれてるんだよね、梓も。
……こんないい奴との友情が、本当に壊れてしまうものなんだろうか。私が憂に告白することで。

そういえば、結局何がどうなって友情が壊れてしまうのか、までは聞いてなかったなぁ。
でも、こういう場合にありがちなのは痴情のもつれとかそういうのだよね。きっと私が先走って憂に告白したせいで私達の関係の何かが歪むんだ。
だったら……

純「……ねぇ梓、相談があるんだけどさ」

梓「…何?」

だったら、まず梓の意見を聞いてみよう。
先生の言う通りダメだとしても、いきなり憂に告白までしてしまうより被害は少なくなるはずだし。

純「……憂に、告白しようと思うんだ」

いきなり言ったにも関わらず、この子も先生と同じように笑いはしなかった。

梓「……好きなの?」

純「……うん」

梓「本当に? 一時の感情じゃなくて、この先ずっと、何があっても好きだって言える覚悟がある?」

純「………うん」

『主人公』だから、誰かを裏切ったりなんてしない。好きな人を嫌いになるようなことはない。
……なんて、主人公がどうとかはこの際は関係ないよね。
もうとっくにそういうの抜きにして憂が好きだっていう自覚がある。先生に否定されてもなお貫きたい想い。
皮肉にも、先生に止められたことで余計に気持ちが強くなった感さえある。

……でもだからといって周囲の人の助言を完全に無視していいわけでもない。そう思えるくらいには頭も冷えてきた。
先生からは逃げてきてしまったけど、せめて梓の忠告くらいはちゃんと聞こう。言わないほうがいいと言うなら、この気持ちは心の奥底に押し留めよう。
ちゃんと、今度こそちゃんとそう思った。
けど。

梓「……純がそこまで本気なら、私は止めないよ。ううん、私の言葉なんかじゃ止められないよ」

純「…そんなことないよ。梓の言うことならちゃんと聞くよ」

梓「違うよ。ダメなんだ。同じような気持ちで悩んだことのある私には、純に何かを言える権利さえないんだよ」

純「……そう、なの?」

梓「うん。私は諦めちゃったから、純に対して何も言えない。ただ黙って……背中を押してあげるくらいしか」

純「………」

梓「……ほら、いってらっしゃい純!」

何も言えず、ただ梓を見つめることしかできない私の身体を、梓は無理矢理反転させる。
でも私は、それでも一歩を踏み出せなかった。梓に対して何か言わないといけない気がしていた。
梓の思わせぶりな言葉は私の追及を拒絶しているようにも聞こえるけど、聞いた身として触れないというわけにもいかない気がした。

だから、その少し後に、

トンっ、と。

背中に衝撃を感じた時は

文字通り、梓が私の背中を押したのかな、と

一瞬だけ思ったりもしたけど


……それだけならこんなに、背中に違和感は感じないはずだ。


梓「……いってらっしゃい、純」

振り返ろうとしたその瞬間、言葉と同時に、突き上げるような衝撃を背中に感じる。
二度の衝撃をもたらした物の正体は、私の中を引き裂いて突き破る感触とともに、文字通りに先端だけが顔を出した。私のお腹から。

純「………痛い」

実際に痛みを感じたかなんてわからないけど、そう喋る以外にすることがなかった。
銀色の光は再度顔を引っ込めたかと思うと、私の中を右に左にと落ち着きなく動こうとしてる、たぶん。
そんなのを感覚として理解しても、どうすればいいかわからないし、何がどうなっているのかも考えたくなかったし、でもたぶんもうだめなんじゃないかな、とも思った。

さっき刃が顔を出した場所に、そっと指で触れてみる。
当然のように、そこには赤黒い血がついていた。
だから何だ。だから何だっていうんだ。
血の気が引いていく、って言うのかな。
当然か、そこに穴が開いているんだから。
あ、なんか寒い。

……そっか、死ぬのか、私。

いつの間に倒れたのか、隣に地面があった。
痛みも衝撃もなかった。すこしほっとした。


……参ったね。主人公だ主人公だ騒いでたけど、まさかデッドエンドのシナリオの主人公だったなんて。幸運もクソもありゃしない――


………

……



**


さわ子「――ってことになるのよ!」

純「ええええええええええ」

……というふうに、とりあえず驚いてはみたけれど。

純「……い、いや、でもそれは、さわ子先生の推測が合っているという前提でしょう?」

さわ子「……そうね。純ちゃんが正直に言ってくれたんだから私も正直に言うけど、梓ちゃんが憂ちゃんに恋している、というところは確実ではないわ」

純「やっぱり――」

さわ子「でも、軽音部内の誰かに恋していることは確実よ。あの子、この二年間で随分わかりやすくなったもの」

純「それは……」

否定できなかった。
軽音部でなかった私でさえ薄々実感していたことを、憂をもってして「お姉ちゃんに似てきた」と言わしめた梓の変化を、軽音部で見てきた人相手に否定できるわけがない。
そもそも、私の言う荒唐無稽なことを真正面から信じてくれた先生を疑う理由もないし。

さわ子「もしかしたら純ちゃんに、かもね?」

純「あの梓が? それはない……と思います、けど……でも……」

でも、否定はできない。気づきすらしなかった私には、否定できるだけの材料がない。
それに正直、あの気まぐれ猫みたいな梓に好かれていると言われて嬉しくないはずがない。
あくまで可能性なのはわかっているけど。

さわ子「もしそうだったら、デッドエンドを迎えるのは憂ちゃんになっちゃうけど」

純「……それは、もっと困りますね」

さわ子「極端な例だったけど、言いたいことは伝わったようね」

純「……はい」

さわ子「いつもの純ちゃんなら私が言わなくても気づくはずなんだけどね、友達の顔色の変化くらいは。これも主人公になってしまったから、ってとこかしら?」

純「私は『幸運』にあぐらをかいて、友達の表情すら見ようとしなかった、ってことですか……」

さわ子「え? あー、それもあるけどそうじゃなくて、主人公って脳味噌が腐ってるんじゃないかってくらい周囲の色恋沙汰には鈍感なものって相場が決まってるじゃない?」

純「あー……」

さわ子「自分に向けられる好意になんて特に、ね。腹立たしいわぁああいうの。クソックソッ」

純「………」

先生の私怨はともかくとして、恋人のいない人の妬みはともかくとして、言ってる事には全面的に納得した。
納得すると同時に、先生の意図も察してしまった。
主人公だと言い張る私を否定せずに言葉を続けた、その意図。
私のミスも、愚かさも、全ての失態を『主人公というポジション』のせいとして、その上で、

さわ子「それで、どうするの? わかっていると思うけど、主人公をやめてしまうのが一番楽よ。どうやればいいかはわからないけど」

その上で、私に選択させる。
『主人公』という立場を享受するだけだった私に、それを続けるかを選択させる。
主人公という『幸運』に甘えるだけだった私に、それだけではいけないと教えてくれる。

純「……え、っと……」

そうだよね、主人公は物語の中心だからこそ、いろんな面倒ごとに巻き込まれ、いろいろ背負ってしまうものだよね。
そうだからこそ主人公に忠告や助言をする役割の人が出てくるわけだし。さっき感じた違和感はこれか。

例えば舞台や劇でだって、主人公が一番セリフが多いし。
そもそも今回だって、慣れない恋愛事でのゴタゴタがこう、いろいろと私を悩ませたわけだし。
よくよく考えたらそんなのに選ばれるなんて全然幸運なんかじゃないよね。めんどくさいだけだし。

……でも、今更めんどくさいからという理由だけで憂や梓を放って私だけ楽になんてなれるわけがない。

純「……今は、先生の言う事を聞いておきます。梓を傷つけたくない――いえ、誰も傷つけたくないですから」

さわ子「よく言ったわ。それこそが主人公に一番大切な心意気よ」

純「そうでしょうか」

さわ子「そうよ。その気持ちさえ忘れなければ、きっといつかは解決法を見出せる。主人公はそういう星の下にいるのよ」

純「……それはまた、幸運なことですね」

さわ子「そのぶんいろんな不幸や苦悩、苦労が降りかかってくるけどね! あっはっは」


……なるほど。不幸に打ち勝てるほどの幸運、を得てしまった不運、ということか。
転じて、主人公という立場自体はラッキーだけど、主人公自体は常にアンラッキー。


純「……はぁ」


どうしてこんなことになったんだろう。なんで主人公になんてなっちゃったんだろう。
いや別に私の意思でなったわけじゃないけど。じゃあ誰の意思だ。わかりません。
わからないけど、随分と面倒な役目を押し付けてくれたもんだよね。
ほんの一日主人公をやっただけだけど、身に染みて思ったよ。


同時に、痛いほど理解したよ。
主人公らしい不幸が露骨に降りかからない、日常系作品の素晴らしさを、ね……

おわりです



最終更新:2013年04月11日 22:02