指先に感じる。
少し癖のある髪質。
深く食い込ませると軽く指に絡み付く。
遠慮がちだけど私を捕まえようとしている――、
まるで持ち主本人らしい控え目な想いを表してるみたいな髪。
そしてとても綺麗な髪だった。
柔らかくて、細くて、繊細で、夜目にも輝いて見えて――。


「羨ましいよなー」


素直な想いが私の口からこぼれてしまう。
至近距離にある大きくて可愛らしい瞳が私に向けられる。
何故だろう。
その瞳に見つめられると、私は恥ずかしいはずの言葉も隠さず呟ける。
それはきっとその瞳がとても真っ直ぐだからなんだろう。

七月二日――、いや、正確には七月三日の深夜。
私はその柔らかい髪と素直な瞳の持ち主と向き合って布団に潜っていた。
電気を消して、薄着で、二人の腰辺りに申し訳程度に毛布を掛けて。
吐息が聴こえるくらいの距離で、お互いの温かさを感じ合っている。

いや、何もやましい事をしようとしてるわけじゃない。
私達の唇を重ねた事は何度もあるけれど、
それに喜びを感じた事も何度もあるけれど、
今日はそういう意味でお互いの温かさを感じてるわけじゃなかった。


「羨ましいって?」


変わらない真っ直ぐな瞳を向けたまま、金色の髪が軽く傾げられる。
夜なのに、電気を消してるのに、月明かりを浴びて輝く金髪。
まるで漫画や映画なんかで見掛ける天使みたいだ。
くっそー、本当に綺麗だよな――。
愛しさなのか悔しさなのかよく分からない感情が私の胸に湧き上がる。
その髪をくしゃくしゃにしてやりたい衝動をぐっと堪えて、私は微笑み掛けた。


「言葉通りの意味だってば、ムギ。
いいよなー、ムギの髪。
今更言うまでもないけど綺麗だし、触り心地もいいし、
こんな月明かりでもキラキラ輝くくらいだしさ、
同じ癖っ毛仲間のはずの私としては悔しくなるくらい羨ましいよ。
私の髪質、知っての通りそんなに綺麗な方じゃないもんな」


「ありがとう、りっちゃん」


困った感じにだけどムギが微笑み返してくれた。
私の自虐に似た言葉を少し寂しく思ったのかもしれない。
自分自身、こんな言葉を当て付けみたいにムギにぶつけるのはどうかと思う。
ううん、ムギとこんな関係になるまでずっと思ってた。
ムギには悩みを見せられない。聞かせられない。
ムギの前では元気なりっちゃんで居なくちゃならない。
いつの頃からか一人で勝手にそう決心してたんだよな。

だけど初めてムギと唇を重ねた日から、私はそうするのをやめようと思ったんだ。
唇を重ねて、離して、顔中真っ赤にしながらムギの瞳を見て、気付いたんだ。
ムギは私に素直な気持ちを少しずつ見せてくれるようになったんだって。
高校一年の頃から少しずつ心を開いてくれて、
遠慮がちな態度が少しずつオープンになってきて、
今ではちょっとした我儘も言ってくれるようになって――、
真っ赤な顔で「りっちゃんと恋人になりたい」って言ってくれたムギ。
そんなムギを見てて、そんなムギを見せてくれて私はやっと思えたんだ。
ムギの前では弱音を吐きがちな自分もそのまま見せようって。


「でもね」


ムギが私の癖のある髪を撫でながら笑顔を見せる。
さっきまでの困った感じの笑顔じゃなくて、私の大好きな優しい笑顔だった。


「私はりっちゃんの髪が大好きよ。
サラサラで触り心地がよくてずっと触ってたいくらい。
自分の髪質よりもりっちゃんの髪質の方が羨ましいもん。
ねえ、りっちゃん、そんな私の気持ち気付いてた?」


「うん、気付いてたぞ」


「あっ、りっちゃんたら意地悪なんだからー」


「ははっ、気付いてないわけないだろ?」


私が意地悪く笑ってやると、ムギもちょっと悪い顔で笑ってくれた。
そのお互いの変な笑顔が面白くて、
二人の笑顔がそのまま自然な笑顔に変わるまで、時間はそう掛からなかった。
気付いてないわけないじゃんか。
だってムギは本当に嬉しそうな顔で私の髪を触ってくれるんだから。
放っておいたら一時間でも二時間でも触り続けてるし、今日だって――。

今日――、正確には昨日の夜、私はムギにプレゼントを渡しながら訊ねた。
「誕生日プレゼントに欲しい物は他に何かないか?」って。
選びに選び抜いたプレゼントは渡したんだけど、それだけじゃ足りない気がしたんだ。
だって私達が恋人同士になって、初めてのムギの誕生日なんだもんな。
私に出来る事なら何でもムギの望む事を叶えてやりたかったんだ。
ムギは「この誕生日プレゼントで十分だよ」って言ってくれたけど、
それだけじゃ私のムギへの感謝や愛しさの気持ちが全然返し切れてない気がした。
ムギもそんな私の気持ちを汲み取ってくれたんだと思う。
「じゃあ――」とムギが私におねだりしてくれたのが、
『今日はずっとりっちゃんの髪を触ってたい』ってプレゼントだったんだよな。

それから四時間以上、
ムギはその手のひらで私の髪の感触を楽しんでいる。
いつの間にか自分の髪だけ触られてるのが悔しくて、私もムギの髪を触っていたけどさ。


「そうだよね、気付いてないはずないよね」


悪戯っぽくムギが苦笑する。
流石に私の髪を触り過ぎてる自覚はあったらしい。
ムギは私の髪を大好きでいてくれてる。
それくらいは私にだって分かってる。
分かっているけど、ムギの綺麗な髪が羨ましいのも私の素直な気持ちだ。
その羨ましいって気持ちを隠さない。
ムギが好きでいてくれるなら誰の事も羨まない、なんてそんな強がりは言わない。
自分の弱い心に嘘を吐いたりしない。
素直な心をそのまま見せる。
それを私のムギへの気持ちの表し方にしたいんだ。


「ねえ、りっちゃん?」


「どうした、ムギ?」


「私もね、りっちゃんの事が羨ましいんだよね。
サラサラの髪、可愛く整ったおでこ、
小さくて可愛い手のひら、スレンダーに伸びてる手足、
元気いっぱいで皆を引っ張ってくれる所、
思いやりのある優しさ、全部全部羨ましくて大好きなんだ」


「そうまで言われると照れちゃうんだけどな」


「だけど私の正直な気持ちよ、りっちゃん」


「うん、分かってるよ、ムギ」


言いながらムギの髪に私の指を絡める。
ムギも私の髪に指を絡める。
好きだって気持ちを少しでも強く伝えられるように。
溢れ出しそうな想いを伝えられるように。
私達はお互いを大好きだと思っている。
お互いを羨ましく思っている。
手を、指を、顔を、瞳を、唇を、頬を、髪を。
それぞれ自分とは違う所を愛しく感じている。
中身はともかくとして、外見はまるで正反対の私達。
自分が持ってない物を持っている相手を羨ましく思ってる。

だけどそれは嫉妬じゃないし諦めでもない。
嫉妬にも諦めにもしたくない。
羨ましく思うけど、それで終わらせたりしたくない。
だから形も色も大きさも全然違う瞳を合わせて伝えるんだ。


「私はさ、ムギの手が好きだよ」


「そうなの?
結構大きめの手だから小さなりっちゃんの手が羨ましいんだけど」


「うん、ちょっと大きな手かもな。
でもさ、ムギなら知ってると思うけど、それっていいピアニストの条件らしいな。
手が大きいと届きにくい鍵盤にも指を伸ばしやすいとか何とか。
言ってみれば、私達はムギの手の大きさのおかげでいいライブが出来たってわけだよな」


「そう……かな。
そうだと嬉しいんだけど」


「勿論それだけじゃないぞ。
ムギの手はあったかいから触ってて気持ちいいし、それに」


「それに?」


「頭を撫でられたりすると気持ちいいんだよな」


その言葉を伝えた後、私はムギから目を逸らす。
素直な気持ちだったけど、流石にこれは言ってて自分で恥ずかしかった。
すぐ後、私は頭に温かい感触を感じた。


「嬉しい」


優しい声色のムギの声が聞こえる。
どうもムギが私の頭を撫でてくれているらしい。
私は自分の顔が真っ赤に染まるのに気付いたけど、何も言わなかった。
何も言えるわけない。
だって仕方ないじゃん。
ムギに頭を撫でられてると、すっごく幸せなんだからさ――。

私はムギの後頭部に手を回してゆっくり動かし始める。
撫でるってのとはちょっと違うかもな。
ムギが好きだと言ってくれた小さな手のひらでムギの頭を擦って、
この溢れ出しそうな幸せを少しでも返してあげられたらいいなって思ったんだ。


「私もりっちゃんに頭を触られると気持ちいいな」


ムギは私の頭を撫でながら、撫でているのとは逆の手で私の手を握った。
ムギの輝く髪に絡まるムギと私の指先。
数秒そうしていて、私はふと気付いた。
気付いたけれど、その台詞は恥ずかしくて言い出せなかった。
その台詞を口に出せば、私の心臓の鼓動の激しさが更に増しそうだったからだ。
幸せ過ぎて気絶しちゃうよ、きっと――。

でもムギは言ってくれるんだよな。
ムギは幸せな自分の想いを隠さずに言葉に出来る子だから。
私の好きなムギはそういう子だから。


「りっちゃんと私の小指、私の髪の毛に絡まっちゃったね」


「そ、そうだな」


「何だか赤い糸みたいだよね」


その瞬間、私はどんな顔をしてたんだろう。
少なくとも顔色は唐辛子くらい真っ赤だったのは間違いない。
頭がクラクラするくらい照れ臭かった。
だけど何とか気絶はせずにいられたみたいだ。
気が遠くなるのを感じながら、私はちょっと頬を膨らませてみせる。
軽口でも叩かないと本当に気絶してしまいそうだった。


「恥ずかしい事を言うなよな、ムギ……」


「恥ずかしくないよ、りっちゃん。
私、りっちゃんと赤い糸で結ばれて嬉しいし、それってとっても素敵な事だと思うな」


「いや、まあ、それは私もそう思うけど……。
でもそういう恥ずかしい事言われるとちょっと……」


「えへへ、私もちょっと照れ臭いかも。
でもね、知ってた?
私がこういう事を言えるようになったのもりっちゃんのおかげなんだって」


「そう……だったのか?」


「うんっ!」


首を捻って思い返してみる。
ムギがこんな台詞を言えるようになったのは私のおかげ?
私はそんなに照れ臭い事をムギに言ってただろうか?
思い当たる事はない。
でも考えてみれば確かにムギは出会った当初は遠慮がちだった。
一歩退いて私達を遠巻きに見守ってくれてる事が多かったよな。
少しずつ、ほんの少しずつ、ムギは私達に心を見せてくれるようになった。
それが本当に私のおかげなら、こんなに嬉しい事はない。


「前にね、りっちゃんが私を叩いてくれた事があったよね?」


「ムギを叩いた?」


いきなり話が変わって、また私は首を捻ってみる。
ムギを叩いたっていうと確か高三の夏休み、
ムギが急に「叩いてほしいの」って言い出した時だったな。
あの時はすぐに叩けなかったんだけど、
ちょっと後に「男の子だったらモテモテね」ってムギが私に言って、
どう反応すりゃいいか分かんなくなって、つい叩いちゃったんだよな。
ムギが嬉しそうだったのがせめてもの救いだけどさ。
しかしあの時はどうしたらいいのか分かんなかったな。
まさか今みたいにムギと恋人になるなんて想像もしてなかった頃だし。
私は頬を掻きながらちょっと頭を下げる。


「うん、そういやそういう事もあったよな。
あの時は悪かったな、ムギ。
結構痛かったんじゃないか?」


「ううん、それはいいの。
私、りっちゃんに叩いてもらえてすっごく嬉しかったし!」


「そ、そりゃ何よりだけど」


「でも、それよりね、
私、自分があんな事を言えるなんて思ってなかったんだ」


「確かにムギがいきなりあんな事を言い出すなんて、私も思ってなかったな」


「うん、私も言った後にびっくりしちゃった。
こんなに自分の気持ちに正直になれるなんて、軽音部に入った頃は想像も出来なかったんだもん。
だけどあの日は素直な気持ちで言えてたんだ。
それがきっとりっちゃんのおかげなんだと思うの」


「そうなのか?」


「私ね、りっちゃんの事が大好き。
恋人になれて毎日幸せでどうにかなっちゃいそう。
りっちゃんに告白する勇気を出して、本当によかった……!

その勇気を出せたのもりっちゃんのおかげなんだよ。
りっちゃんは私を軽音部に誘ってくれて、私の傍で私の出来ない事をしててくれたでしょ?
色んな事を思い付いて私の事を引っ張ってくれて……。
そんなりっちゃんを見てて思ったんだ。
私もりっちゃんみたいに頑張らなきゃ。
もっと勇気を出さなくちゃって」


またムギが照れ臭い言葉を平然と言って、私は自分の頬を掻いてしまう。
私みたいに頑張らなきゃ、か。
それは私も同じだ。
ムギの姿を見てて勇気を貰えた事は一度や二度じゃない。

例えば二年の頃の学祭ライブ。
終わりかけの演奏を続けたムギの姿に勇気を貰えた。
このライブをもっと続けたいってムギの想いに胸が震えた。
思えばあの時にはもうムギに惹かれてたのかもしれない。

それと又聞きで聞いたムギの言葉。
澪と喧嘩してしまった時、部室に顔を出してない私なのにムギは言ってくれたらしい。
「りっちゃんの代わりはいません!」って。
さわちゃんからこっそり伝えられた時、私は嬉しくて泣き出しそうだった。
正直な話、私くらいのレベルのドラマーならいくらでも居ると思う。
そのくらいの自覚はある。
だけどムギは言ってくれたんだ。
私じゃないと駄目なんだって。

そうだよ、私の方こそムギが必要だったんだ。
だからムギに告白されて凄く嬉しかったんだ。
ムギと恋人同士になれて幸せなんだよ、とても。

それを伝えるとムギは私を胸の中に抱き留めてくれた。
高鳴る自分の心臓の音と、ムギの大きな胸から感じる鼓動が心地良かった。
優しい声でムギが囁き始める。


「私達ってお互いの事が羨ましかったんだよね」


「ああ、私はムギの事が羨ましかったよ、ムギ。
綺麗だし、スタイルもいいし、勉強も出来るし、優しいし、正直憧れてた」


「私もよ、りっちゃん。
りっちゃんは元気だし、前向きだし、可愛いし、優しいし、ずっと大好きだったの。
だからすっごく幸せよ。
こんな風にりっちゃんを抱き締められて、キスまで出来るなんて」


ムギが私の唇に優しく自分の唇を重ねる。
色んな想いや気持ちを乗せたキスだ。
私もそれに負けないように、ムギの首に手を回して深く唇と舌を重ねた。
髪質も考え方も外見も才能も全然違う私達だけど、違うからこそ私達は幸せになれた。
強くそんな気がする。

数分後、名残惜しく唇を離した時、私は思わぬ事を言葉にしていた。
照れ臭いけれど今なら伝えられる気がする言葉を。


「こう言うのも変かもしれないけどムギはさ、私に光をくれたと思うんだよな。
ムギが居ないと軽音部が始められなかったってもあるけど、
初めて会った時から私はムギの事を綺麗なお嬢様だな、って思ってたんだ。
私に持ってない物を色々持ったお嬢様。
澪もお嬢様な方だったんだけど、ムギくらいのお嬢様には会った事がなかったから圧倒されたよ。
私もいつかはこんな風になれるのかなって憧れた。
ムギは私の狭かった心に風穴を開けて、憧れって新しい光をくれたんだ。
私はそんなどんどん輝いてくムギに追い着きたかった。
だから今まで頑張れたと思ってたんだけど、ムギもそうだったんだな」


「うん、私もりっちゃんに憧れてた。
最初は楽しくて面白い人達の仲間になりたかっただけなんだけど、
すぐにりっちゃんはそれだけじゃない素敵な子だって気付いたの。
皆の事を考えてて、優しくて、温かくて、大きい心を持ってて……。
りっちゃんが私の事がどんどん輝いてくように見えたなら、きっとそれはりっちゃんのおかげ。
自分でも分かってるんだけど、私は一人じゃきっと輝けないと思うの。
自分がそういう性格だったって事は自覚してる。
でもね、私には照らしてくれる人……、
りっちゃんっていう太陽があったから、頑張れたし勇気を持てたと思うんだ」


二人で見つめ合って、微笑む。
自分に無い物を持ってるお互いに憧れ合ってた私達。
何だか滑稽だけどきっとそれは無駄だったわけじゃない。
私がムギに憧れなければ、私はムギに好かれるような人間にはならなかった。
ムギが私に憧れなければ、ムギは私に告白出来る勇気を持てなかった。
二人が二人に憧れ合ったからこそ、こんな幸せな今を手に入れる事が出来たんだ。
だからこれからも私はムギに憧れよう。
ムギの恋人として恥ずかしくない人間で居られるように。
だからこれからもムギに憧れてもらえるように頑張ろう。
その輝いた笑顔をこれからもずっと見続けられるように。


「ありがとう、ムギ」


私の傍に居てくれて。
産まれて来てくれて。
流石に後半の言葉は声に出せなかった。
いくら何でも後半の言葉は大袈裟過ぎるし、今の雰囲気にはちょっとそぐわない。
そういう言葉をムギに伝えられるのは、
もっと、そう、いつか本当の意味で二人で寄り添って生きられるようになった時だ。
だから今の私がムギに伝える言葉は――。


「昨日も言ったけど、誕生日おめでとう、ムギ!
これからもよろしくな!」


「うんっ!」


ムギの誕生日。
私の一番大切な恋人が産まれて来てくれた事を感謝する日。
これからもずっとこの日を迎えられるように。
二人でもっと輝いていけるように。
私が持っている物を持っていなくて、私の持ってない物を持っているムギを愛していこう。

そう強く決心しながら、
私はもう一度大好きなムギと長いキスを交わした。


かなり遅れましたがムギちゃん誕生日SSです。
ムギちゃんおめでとう。



最終更新:2013年07月06日 21:27