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〈中野side〉


あのお出かけの後、特別何かが変わったわけではありません。
強いていうなら、元通りに戻ったというところでしょうか。
私とムギ先輩の距離はこの前までのぎこちないものではなく、ただの仲の良い先輩後輩に戻りました。

それから月日は流れ、12月。
私は軽音部での日々を楽しんでいました。

以前より唯先輩と律先輩も積極的に練習してくれるようになり、
部活は楽しいだけではなく、やり甲斐のあるものに変わっていきました。

唯先輩が変わったことはもうひとつあります。
練習を始める少し前に、唯先輩はかじかんだ手をムギ先輩に差し出します。
するとムギ先輩は両手でその手を温めてあげます。

ぬくぬくと気持ちよさそうにする唯先輩。
最初は気にならなかったこの習慣ですが、
いつも気持ちよさそうにしちえる唯先輩を見ているうちに、気になって仕方なくなりました。

あの右手と左手に包まれたら、どれくらい暖かいんでしょうか?

そんな疑問を持っても、実際にムギ先輩に頼む勇気はないですし、
2人の邪魔をするのも悪い気がします。
だから私は、ムギ先輩がいれてくれた紅茶のカップを両手で包み込み、かじかんだ手を温めました。

12月も過ぎ、1月。
ムギ先輩から貰った手帳を本格的に使いはじめました。
赤い表紙の立派な手帳。

純が手帳を見て「高そうな手帳だね」って言ってました。
実際高価なものだと思います。
私には少し不釣り合いなくらい。

使ってみると髪質からして普通の手帳とは全然違っていました。
ボールペンが滑るように走ってくれるんです。

手帳に書いていったのは、純や憂と遊びに行く約束、テストの予定、親との約束。

ある日、部活で手帳を出す機会がありました。
冬休みにみんなで何度か集まらないかという話。
私が赤い手帳を出すと、ムギ先輩はそれに気づいて、こっちを見て笑いました。
それから、私があげた黒柴の手帳を取り出しました。

ムギ先輩とはずっと部活で一緒です。
笑顔だっていつも見ています。

でも、ストレートに私にだけ向けられた笑顔は、あのお出かけ以来で。
私の顔はみるみる真っ赤になってしまったんです。

赤くなったとことを律先輩にからかわれましたが、その場はやり過ごしました。

その日、家に帰ってからムギ先輩について考えました。

確証は持てませんが、私がムギ先輩に感じているこの気持は恋ではないと思います。
私自身、恋なんてしたことありませんが、
恋ってもっと恋焦がれて相手のこと意外考えられなくなるものだと思います。

私の中でムギ先輩は特別になりつつありますが、
ご飯の時もお風呂の時もムギ先輩を考えてる、なんてことはありません。

だからこれはきっと恋じゃない。
頭のなかでそう整理しました。

そして2月が終わり、3月。
3年生の卒業式も終わり、私も数週間後には2年生になります。

ある部活のない日。
私は部室に行きました。

ちょっと感傷に浸りたい気分だったんです。
あと1年でこの日々も終わってしまうんだって。

楽しい時間も、後1年しかないんだって。

部室には先客がいました。
ムギ先輩です。

先輩は私があげた黒柴の手帳とにらめっこしていました。
なぜ部室にいたのか聞いてみると、先輩も後1年でこの日々が終わってしまうと思うと、
部室に行きたくなってしまったそうです。

ムギ先輩も同じことを考えてるんだってわかって、私はなんだか安心しました。

先輩はそれから「やることがなかったから、バイトのシフトを考えてたんだ」と教えてくれました。
ムギ先輩の手帳を覗いてみると、びっしりと予定で埋まっています。
結婚式に出席とか、パーティーに出席とか、きっと家の用事なんでしょう。
家の用事がない日は、バイトが沢山。

私は自分の手帳を見せて「先輩は大変ですね」っていいました。
「遊びに行く暇もないですね」って。
「そうだね。また遊びにいきたいのにね」とムギ先輩は少し淋しげに笑いました。

ちょっと疲れた感じの寂しそうな笑顔。
先輩のこんな笑顔を見たのははじめてです。
ムギ先輩といえば、大人っぽく微笑んでたり、子供っぽく笑ってるイメージがありました。

なんとなく、なんとなくですが、
こんなムギ先輩を見れるのは自分だけのような気がしました。

だから私は、赤い手帳を差し出しました。

「……なぁに?」

「あの……私の予定のない日で空いてる日はないですか?」

「どうしてそんなこと聞くの?」

「空いてる日があったら、遊びにいきませんか?」

「いいの?」

「はい」

「と……それじゃあ……」

ムギ先輩は少し考えるそぶりをしました。
それから、

「直接書いちゃっていいかな?」

「はい」

「じゃあ、ここに……と」

先輩は素早く書いて、手帳を閉じて、私に返しました。

「ムギ先輩?」

「私、もう帰るから」

なんだったんでしょうか?
先輩は逃げるように帰ってしまいました。
手帳を開くと……ありました。

4月1日のところにデート。
え? デート?

私はその日からムギ先輩のことしか考えられなくなりました。
ご飯を食べていても、お風呂に入っていても、
先輩のことしか考えられなくなってしまったんです。


〈琴吹side〉


お出かけしたあの日から、梓ちゃんのことが気になって仕方ない。

以前と変わらないように私に接してくれる梓ちゃん。
多分、無理とかはしていなくて、あれが梓ちゃんの自然体なんだと思う。
梓ちゃんの中で、もう貸し借りはないということなんだろう。
普通のちょっと仲の良い先輩後輩。
それが梓ちゃんの決めたちょうどいい距離なんだ。

でも、私には未練があった。
梓ちゃんともっと仲良くなりたい。
自然にお出かけできる関係になりたい。
もっと一緒に遊びたい。

けど、私と梓ちゃんは先輩と後輩だ。
私が何かを頼めば、梓ちゃんは頷いてくれるかもしれないけど、
そこには年上と年下という力関係が働いてしまう。

梓ちゃんだって同じ学年の憂ちゃんや純ちゃんと遊ぶほうが気が楽だろう。
だから、私は良い先輩になろうと決めたんです。

11月になってから、唯ちゃんと2人でお出かけする機会があった。

私と唯ちゃんは波長が合っていると思う。
一緒にいると安心できる。
自分の思ったとおりのことをしても受け入れてくれる。
それは唯ちゃんも同じみたいで、やっぱり波長が合っている。

冬になってから、唯ちゃんは練習の前、
かじかんだ手を私に温めて欲しいと頼んでくれるようになった。

私はそのお願いが嬉しかった。
ひんやりとした手を暖めると、唯ちゃんの心も元気になっていくのがわかる。
私は、それがうれしい。

ただ、気になることがある。
梓ちゃんの視線をたまに感じるのだ。

いつも梓ちゃんに抱きついている唯ちゃんが、私にくっついているから面白くないのか。
それとも単純に混ざりたいのか。
私にはわからない。

わからないけど、私は梓ちゃんの手を温めてあげたいと思った。
先輩想いの後輩の手を、私の手で温めたいと思ってしまった。

いつの間にか、梓ちゃんは私にとって特別な存在になっていたみたいです。

この気持ちが恋かはわかりません。

唯ちゃんの手には触れられるのに、梓ちゃんの手には触れられない。
唯ちゃんとはお出かけできるのに、梓ちゃんとはお出かけできない。

近寄れないか欲しくなる。
そういう「ないものねだり」に近い気持ちかもしれません。

ただ、それでも、あの視線を感じるたび、私の頭は梓ちゃんのことで埋め尽くされてしまうんです。
もう一度、あの日みたいに一緒にいられたらいいのにな……。

幸いなことにチャンスは巡ってきました。

先輩たちの卒業式も終わった頃。
部室で予定を立てていると、梓ちゃんがきてくれました。
そして、お出かけの約束をしました。

私は大胆にも梓ちゃんの手帳に「デート」なんて書いてしまったんです。
4月1日のところに書いたから、冗談で済ませてもらえるとは思います。

でも、梓ちゃんはきっと戸惑ったことでしょう。
実のところ、自分自身、どうしてデートなんて書いたのか、はっきりした理由はわかりません。

でも、たぶん……梓ちゃんに私を見て欲しかったんだと思います。
好きな子に意地悪せずにはいられない子供みたいに、
私は梓ちゃんにかまって欲しかったんです。


〈中野side〉


ムギ先輩は女の子同士が仲良くしているところを見るのが好きです。
そんなムギ先輩ですが、ただ遊びに行くことをデートとはいいません。

デートと言えば、キスのイメージがあります。
ドラマや映画の見過ぎでしょうか?

けど、私とムギ先輩のキスというと、モヤがかかってしまい、うまく想像できません。

そもそもムギ先輩が私を好きになったとは、とても思えません。
感傷的になっていたとき、空気を変えたくて、デートなんて書いたんだと思います。
4月1日のところに書いたから、あとから冗談にできるからって。

それでも私は、そうでない可能性を考えずにはいられません。

たとえばもし、本当にムギ先輩が私のことを好きだったら、
私はどうすればいいのでしょう?

告白されたら?

いきなり唇をうばわれたら?

考えても考えても、考えはまとまりません。

はっきりわかってることもあります。
先輩の泣いてる顔は見たくないと思います。
それに付き合ったとして、一緒にいるのは楽しいと思います。

けど、そんな消極的な理由で付き合うことはできません。
先輩に失礼ですし、きっと長続きはしません。

考えても仕方ないのに、私は考えることをやめられません。
本当に先輩のことで頭がいっぱいになってしまったんです。

デートの前の夜になってもそれは同じで、私は全然眠れませんでした。

ふと、自分の右手を見つめました。
掌を見つめているうちに、あの時の気持ちを思い出しました。
あの2つの手で、この手を温めてもらったら、どんな感じなんだろうって。

私はその状況を鮮明に想像することができました。
少し赤くなって、俯き加減で手を握るムギ先輩。
ムギ先輩の手はほんのり湿っていて、私の手はすぐに温かくなる。
「もういいかな」と言うムギ先輩に、私は左手を差し出す。
今度は左手を大事そうに包み込むムギ先輩。
左手が暖かくなっていく中、私の意識は微睡みの中に消えました。


〈琴吹side〉


朝9時の待ち合わせでしたが、梓ちゃんが来たのは10時でした。
何度も頭を下げる梓ちゃんに、私は言いました。
「待ってないって言うのも夢だったから」って。
すると梓ちゃんはクスっと笑って「待った? なんて聞いてないです」と言いました。

今日は私がエスコートする番です。
本当はテーマパークに遊びにいくつもりでしたが、予定変更して大きな公園に行くことにしました。

梓ちゃんの顔を見て、私はすぐにわかりました。
今日は寝不足なんだって。
たぶん私が「デート」だなんて書いたから、色々考えてしまったのでしょう。
嘘が許される日だからいいなんて私は考えてしまいましたが、
梓ちゃんは真剣に受け止めてしまったのでしょう。

だから、せめて梓ちゃんにゆっくりしてもらいたいと思い、公園に目的地を変えたんです。

私はちょうどいいベンチを見つけると、梓ちゃんにベンチで待ってもらって、クレープを買って来ました。
梓ちゃんはやっぱり眠たそうです。
クレープを食べてゆっくりしていると、そのまま眠ってしまいました。

すーすーと寝息をたてる梓ちゃん。
私が嘘の日に書いたイタズラが、梓ちゃんを苦しめてしまったのかもしれない。
そう思うと少し心苦しい。
でも、それ以上に嬉しく思ってしまう。
梓ちゃんが私のことで、本気で悩んでくれたんだって。

しばらくすると梓ちゃんが倒れてきました。
私は梓ちゃんのほうに身体を寄せて、支えてあげた。
肩がぴったりくっついて、腰のあたりも少し触れています。

触れている部分から、梓ちゃんの体温が伝わってきて、
とても愛おしい気持ちになる。

ふと、梓ちゃんの右手が目に入りました。
無造作にベンチに置かれた、梓ちゃんの右手。
その右手に触れてみたい、そう思った。

なんで触れたいと思ったのか考えているうちに、分かってしまった。

私は梓ちゃんに恋してるんだって。
もっとこの後輩に触れていたいんだって。

気づいてしまうと、もう止まらなかった。

顔が急に熱くなって、心臓の鼓動がどんどん高まっていく。
鼓動が肩越しに梓ちゃんに伝わらないか心配になる。

熱くなった頭で私は必死に考える。
これからどうすればいいんだろう。

このまま帰ってしまうことだって考えました。
照れくさくて、まともに遊びに行けないと思ったから。
もちろん考えなおしました。
いくらなんでも梓ちゃんに失礼だから。

この気持をストレートに伝えることも考えました。
でも、それは梓ちゃんにとってどうなんでしょうか。
梓ちゃんは先輩後輩の距離を選んだんです。
もし私が告白したら、この距離は永遠に失われてしまうかもしれません。

それでも、左肩から伝わる熱が愛しすぎて、気持ちを隠し通せそうになかった。

時計を見ると11時30分。
エイプリルフールは4月1日の午前中だけだと聞いたことがあります。

私は覚悟を決めて、梓ちゃんの肩を優しくさすりました。

私の嘘を聞いてもらうために。

「……ムギ先輩?」

「起きてくれた?」

「ごめんなさい……私寝ちゃって……」

「いいのよ。いい天気だもの」

「はい。暖かくて、いい気持ちです」

「ね、梓ちゃん、私ね」

「……?」

「梓ちゃんのこと、なんとも思ってないんだ」

「え……」

「あ、うそうそ。可愛い後輩だとは思ってるから」

「……」

「梓ちゃん?」

「今、何時ですか?」

「11時43分」

梓ちゃんの嘘からはじまった恋。
私は私の嘘で終わらせることにしました。

頭を切り替えて、お昼御飯のことを考え始めたそのとき、
梓ちゃんの右手が、私の左手に重なったんです。


〈中野side〉


人は恋をする生き物です。
最初の恋はお母さんのおっぱいでした。
夢中でしゃぶりついていたのを今でも覚えています。
積み木やジグソーパズルに恋をした時期もあります。
ギターへの恋はまだまだ続いています。

食べ物、玩具、音楽、人間。
あらゆるものに恋をして、やがて忘れていくのが人間というものです。

私の目の前にはムギ先輩がいます。
先ほど先輩は私に告白しました。
4月1日に「梓ちゃんのこと、なんとも思ってないんだ」って。

なぜムギ先輩がこんな遠回りな告白をしたかはわかりません。

嘘をついてみたかったのか。
それとも直接言うのは怖かったのか。
理由はわかりませんが、間違いなく告白です。
自惚れではないと断言できます。

ふと、ムギ先輩の白い手が目に入りました。
その手は小さく震えています。

私はその左手に、自分の右手を重ねました。
先輩の鼓動が私に伝わってきます。
とても早くて熱い鼓動。
きっと私の熱と鼓動もムギ先輩に伝わっていることでしょう。

この熱が恋なのかわかりません。

最近の私はムギ先輩のことばかり考えています。
先輩のことをもっと知りたいと思います。
一緒にいたいとも思います。
でも、これが恋かはわかりません。

私は恋なんてしたことないですから。

きっと先輩も同じなんでしょう。
だからあんなへんてこな告白をしてしまったんだと思います。

時計を見ると、12時5分。
エイプリルフールはもう終わりました。

私は恋の味をまだ知らないけど、
どうせなら、この人で知りたいと思います。

だから、私は覚悟を決めて伝えます。
私のほんとの気持ち。




「ムギ先輩、私と恋、はじめませんか」




終劇ッッ!!



最終更新:2013年07月11日 22:07