私は6月になると憂鬱になる。
それはあることを思い出すからで、決して雨のせいというわけではない。
雨が降ったら降ったで私はギー太をかき鳴らし、雨に唄えばいいのだから、
天候の変化は私にとっては何の障害にもならないのだ。
じゃあ、一体どうして憂鬱になるのか、と訊かれたら、
私は何も答えずに、もしくは「雨が続いているからねぇ」と言って
視線を窓の方に向けて簡単にすべての気持ちを雨のせいにしてしまう、フリをする。
6月というのはそういった意味ではとても気楽なもので、ギー太が湿気に弱いということを除けば、
やっぱり、雨は私にとっては何の障害もないのだ。
私は現在大学1年生で寮で仲間たちと暮らしている。
妹のういは私と1歳違いだから現在高校3年生。
ずっと私は妹にべったりと甘えた生活を過ごし、
幼馴染の和ちゃんには「ニート予備軍」と言われたことが2回ある。
なにをするにも、ういに頼りきってきた。
私はういに何でも任せ、ういはそんな私の何でもに全部笑顔で応えてくれた。
そうすることで、私たちはお互いを認め合い、本当の意味で姉妹になろうとしていた。
自堕落な姉、出来のいい妹。
2人の間で笑顔が絶えないのは、その笑顔を絶やすのが怖かったからだ。
私たち2人の血のつながりは2分の1程度である。
初対面の人に会ったときによく言われたのが
「2人は全然似ていないね」ということだった。
幼いころはその言葉がなんだか無意味に楽しく聞こえて、嬉しくて、
2人で顔を見合わせてクスクスと笑いを立てていたものだけど、
事情を理解していくに連れて、その言葉が全然笑えないものであるということに
2人とも気がついてしまった。
人の妊娠期間は十月十日と言われていて、それは大体290日程らしい。
私の誕生日は11月27日で、ういは2月2日だ。
ういの誕生日から290日前はいつなんだろう、と私は暇なときに数えたことがあった。
あまり細かいことは得意ではないけど、大体4月の上旬くらいになった。
私の誕生日とは4か月ちょっと間が空いているけど、
そもそもそれがおかしいことなのだ、と気がついたのは、
私が小学校6年生の時、1人で留守番をしていて
興味本位で入った父の部屋で、父の手帳を見つけた時だった。
父の手帳には私の誕生日の翌週から海外へ4か月ほど出張したという記録が残っていた。
その手帳には父が出張先で仕事の人と撮ったであろう日付入りの写真が挟まっていた。
3月24日…4月3日…4月8日…4月9日…。
写真の日付は4月9日で途切れていた。
私は、手帳を見ておかしなことに気づいていた。
父の手帳だと父の出張は半年ほどの予定になっている。
でも、父は4か月ほどで出張を切り上げ日本に帰国しているのだ。
そして、ういの誕生日だ。
写真の日付が気になった。4月9日。
この日に、なにかあったのではないだろうか。
父が仕事を放り投げてでも日本に帰国しなければならない事態が。
うすうす気がついてはいる、のど元まででかかっている、
でも言葉にしたくないことがあった。
呆然とする私に、写真の中で黒く日焼けした父は笑顔で述べた。
「憂は僕の娘ではないよ」
それから私はいろいろなことを注意深く探りながら家族との日々を過ごす。
不自然なくらい一緒に行動する両親。
全然似ていない姉妹。
私以上にあるかもしれないういの幼いころの写真。
私は初め、母の浮気を疑ったのだけど、
あまりにも幸せすぎる雰囲気や父の母に対する態度からそれはありえない、と思った。
父は誰の目から見ても、母のことを愛していた。
あーでもない、こーでもない、と足りない頭を何度も働かせて私が辿りついた結論は、
母は、父の留守宅で何者かに強姦された、ということだった。
はじめてその考えに辿りついた時、
私の頭の中にある映像が流れ始めた。
それは雨の日で、窓の外には湿気を含んだ激しい雨が降り注いでいた。
私はまだ生まれて間もないの赤ん坊で、ダイニングルームに置かれたベッドの上ですやすやと眠っている。
何か、悲鳴のような音と全身が強く締め付けられる衝撃で私は起き、その力の強さに泣いた。
その声に、「うるせぇ」という誰かが怒鳴り声をあげ、
その後すぐに母の鳴き声にも似た悲鳴のような声が頭の近くで響き、
だけどそれは、激しく降り注ぐ雨の音にかき消されてしまう。
すぐにはわからなかった。気づきたくはなかった。
うぐっ、と私はその場面の痛々しさに吐き気をこらえた。
母は逃げようと思えば逃げられるはずだった。
でも、私がいたから。
生まれたばかりの私がいたから、母は思うように身動きが取れなかったのだ。
母は私を守り、そして犯された。
その結果、母はういを身ごもったのである。
それからの父と母がどのように悩み苦しんだのかは私にはわからない。
だけど、少なくともういは生きていて、私の妹として成長を続けてきた。
妹の成長の代わりに父は母を海外の出張にも連れていくようになったのだろう。
不自然なほどに多いういの写真は、両親の決意の象徴なのかもしれない。
でも、「憂」という名前には父のささやかな抵抗が隠されているような気もする。
ういは、私と違って賢い子だから、
自分の出生に関する秘め事に気づいたのは私よりも早かったように思う。
でも、私は小さい頃から妹をまるで姉のように頼り、
ういは私にまるで妹のように接し続けてきた。
私なりに本能が働いたのだろうか。
自分がそうやってういに甘えることで、ういは自分の居場所を見つけた。
本能的にそうするべきなのだと悟ったように私の面倒を見続けた。
私は、だらしない姉としっかり者の妹という関係性が崩れた時に
ういが居場所を見失ってしまわないか、ということがただ怖かった。
そのような恐怖は高校に入って、
私がお菓子に釣られてまんまと入部したけいおん部の仲間との触れ合いによって
ずいぶん軽減したように思う。
ういにも新しい友達ができた。
2人でずっと一緒にいなくても、2人の間で笑顔は絶えなかった。
それは演技ではなくて、私たち2人の内側から溢れてくるものだった。
高校3年生の夏休み、私たちけいおん部の5人とさわこ先生は夏フェスに行った。
初めての光景に胸は高鳴り続け、その興奮は陽が落ちてからも続いていた。
あずにゃんと2人で聴いた音。5人で見上げた夜空。
私は、ずっとこのままでいたい、と心から思った。
それが永遠ではない瞬間だということをどこかで確かに私は知っていて、
でもだからこそ、きっと私はその想いに気づけたんだと思う。
帰りのバスの中、6人全員が疲れで眠りながら、それでも誰かがうつらうつらと起きて
時間や場所を確認してまた夢の世界に旅立つということを繰り返しているうちに
私とムギちゃんの起きるタイミングが重なった。
2人でもにゅもにゅとぼんやりした頭で数時間前までに見ていたバンドの話をしていて
私はふと思い立ち、ムギちゃんにある相談をする。
なんてことはない。ただの相談だ。
「夏休みの終わりくらいに空いている別荘の1つを貸してほしいんだけど」
ムギちゃんが手配してくれた別荘は、
私たちが2年生の時に使った別荘だった。
ムギちゃんには「2人でのんびりしたいんだ」と言ってみたけど、
本当は誰にも万が一にも話を聞かれるということをさせたくなかったからだ、と
別荘に着き、少し秋めいた陽差しを浴びながら私は思った。
「受験勉強も順調に進んでるし、ちょっと私の息抜きを手伝ってよ」
と私は洗濯物を取り込んでいるういにアイスを食べながら言った。
初めは浮かない顔をしていたういだけど、何度となく話をしていたら
ようやく「いいよ、一緒に行こう」と言ってくれた。
ただし、別荘で勉強することが条件となった。
「順調だからって気を抜いちゃダメだよ、お姉ちゃん」
楽観主義な姉。現実主義の妹。
「たはは」と笑う、私たちはきっとなんだかんだでお似合いなんだ。
「妹と行く旅行なんて最後かもしれないし」
ボソっと私がつぶやいた言葉は、はたしてういには届いただろうか。
ういは私の方を振り返らずに洗濯物を畳んでいた。
初日は、海で遊ぼうと思っていたけど
意外とくらげの出没は早くて、もう海に入ることはやめておいた方がいい海の様子だった。
2人で代わりに砂のお城を作って遊んだ。
その時2人は子どものころに戻っていたように無邪気だったように思う。
何にも縛られず、周りの目も気にする必要もなく。
私のお城は途中でトンネルが崩れて崩壊したけど、
ういのお城はムギちゃんが作ったもののように立派にそびえたっていた。
崩れたお城と形を成したお城はその後、波に飲まれて跡形も無くなった。
砂と陽差しで身体はクタクタで、夜は2人でサンドイッチを作って食べた。
私の作った荒いタマゴサンドをういは「とてもおいしい」と言ってくれた。
夜は2人で勉強をした。
私が「ぐぬぬ」とつまづく問題もういは2年生の範囲内なら教えてくれたし、
3年生の範囲のものでも解説を読めば大体は理解できているようだった。
私はひそかに父の遺伝子を呪った。
5泊6日は思っていた以上に短くて、
5日目の昼には「明日もう帰るんだねぇ」という話をしていた。
私はこの旅行の核の部分に触れる機会を見つけられないまま5日間をういと楽しんでしまったので、
内心とてもあせっていた。
そこで、思ったままに「外、さんぽしよっか」とういに提案してしまった。
肝試しをしたあの森は、昼間にその中を歩くと
うまいこと陽を遮ってくれて、体温が下がるような気がした。
涼しいような、少し気味が悪いような。
でも、木漏れ日が優しげな雰囲気をかもしだしてくれていて、
晩夏の午後に2人で歩くにはとてもいい条件の場所だった。
少しの間お互い無言で歩いた。
右手側を歩くういは汗もかかずに涼しい顔だ。
さすがだ、と思う。
私はと言えば、汗はかいていないものの、
これから自分がする話が2人にどんな影響をもたらすのかという考えに
脳がふっとうしそうなくらい熱くて、心臓がバクバクしていた。
のどが渇いた。冷たい麦茶が飲みたい。
みんなに会いたい。
ホッとした空間に身を置いて、ちょっとだけ何もかもを忘れていたい。
「お姉ちゃん?」
ハッと前を向くと、数歩先でういは振り向いてこちらを見ていた。
どうやら緊張しすぎて歩くスピードが遅くなっていたみたい。
誰もいなくて、知らない鳥とか虫の鳴き声がする森で、
私たちは向かい合っていた。
「大丈夫?」と私を心配してくれるういの顔には
やっぱり汗は見つけられない。
謎の感心に包まれていた。
ういはすごいな。
いや、本当にういはすごいんだ。
自分の出世にうすうす気づいているであっただろう小学生時代から今の今まで
泣き言の1つも言わないで、自分の生を呪いもせずに、
自分のやるべきことをしっかりと見据え、ひたすら努力している。
自分のことですぐにいっぱいいっぱいになる私のこともカバーして、
なおかつ家のことまでしてくれて。
「うい」
唾液をのみこみ、のどを潤す。
なんの足しにもなってはくれない。
「なに、お姉ちゃん」
憂の顔の上で木漏れ日は揺れている。
不自然なほど目が合い続けて、でも逸らしたくなかった。
「そのさ」
「うん?」
「結婚してほしいんだけど」
「う、ん?」
ういが驚くのも当たり前であるような非常識を私は口にした。
何故だろう。夏フェスで夜空を見上げたあの日、憂とずっと一緒にいるためには
結婚するしかない、と思ったんだ。
私たちに血のつながりは2分の1だけ。
でも2分の1たす2分の1は1なんだ。
きっと憂と結婚したら、私とういは本当の家族になれる。
きっとそうだ。絶対そうだ。
私は間違いなく父の娘だ。
「もう大丈夫だから」という母を必ず海外出張に連れていかなければ
もう安心が手に入らない父のように、
私は、ういといなければ気がすまない。
甘えるのだってういでないと嫌だ。
ごはんだってういが作ってくれないと嫌だ。
ういがいないなんて本当に嫌だ。
恐怖は高校に入って軽減された。
でも、恐怖が去って行った分、
私はまた別の恐怖に囚われ始めた。
「ういが私を必要としなくなったらどうしよう」
その想いは、ういに新しい友達ができてから
私の悩みの大部分を占めはじめた。
私は、生まれたばかりの自分がいたばかりに
ういが生まれてきてしまうことになったことで自分を責め続けてきた。
でも、私は、ういなしでは私ではなかった。
私として生きてこられなかった。
私の命には、父や母の人生を狂わせ2人を苦しませてでも
ういの命が必要だった。
帰りの電車は行きと違って妙に気まずかった。
まるで、今までがにせものだったように
妹に対して私は変に緊張していた。
それはういも同じだったんじゃないのかな。
見知った街並みが窓から流れ始めた頃、
ういは「まずは1人暮らしでもしてある程度はできるようになってもらわないと」と言った。
それは今までになかった言葉だった。
手厳しい言葉のはずなのに、私の耳にその言葉はとても心地よく響いた。
姉妹としてではなく、1人の人として
平沢憂という人物と生き始めようとしている自分を実感した。
アナウンスが到着を知らせ、プシュウ、と押し出された空気が抜けるような音でドアが開く。
「この1歩からはじまるのかな」
突然の予感にいてもたってもいられなくて、
私は憂の左手をギュっとつかみ、電車を降りた。
終わり
最終更新:2013年07月13日 14:53