「・・・ま、感慨深いものがあるよな」
扉を開けてすぐ目に入ってきた光景に、淳司は誰にでもなくそう呟く。
「ん? どしたのあっちゃん、私の美しさに惚れちゃった?」
「さっきも言ったけど馬子にも衣装」
「だから妹の一世一代の晴れ舞台にそれはひどくない?」
「切り株じゃないあたりに兄の優しさを汲み取ってくれると助かるんだけどな」
「素直に「ウェディングドレス綺麗だぞ」って言われたい妹心は汲んでくれないの?」
「そんなの俺が言わなくても相手がいくらでも言ってくれるだろ、もうすぐ」
ここは結婚式場のブライズルーム――花嫁が身支度を整える部屋。
そこで鏡と向き合う純は、言うまでもなく既にウェディングドレス姿。
その姿をまず一度目にした後、淳司は両親とともに相手方のブライズルームへ挨拶に向かい、そして今戻ってきたところというわけだ。
「ね、ね、そういえば向こうはどうだった?」
「どうって・・・綺麗だったよ、そりゃ」
「愛すべき妹の時とずいぶん態度が違うね?」
「気にするな、見ればお前も絶対目を奪われるから」
「・・・心ならずっと前から奪われてるけどね」
「・・・・・・」
「・・・何か言ってよ!///」
「あの人が居なければ私の学生生活は真っ暗だったよ」と純が言うのを淳司も何度も聞いている。
もちろん真っ暗というのは今と比べてであり、彼女ならどこにいてもそれなりに上手く青春を謳歌してはいたのだろう、というのは淳司もわかっている。
だが実際会って、話してみて、彼自身も結局は妹と同じ感想を抱いた。
この人が居たから今の純はあるのだ、と。この人の輝きが純には必要なのだ、と。
そんな彼には、妹の惚気を茶化すことなど出来はしなかった。
「・・・ところで、俺だけが帰ってきた意味、わかるか?」
「・・・あー、もしかしてこっちに来るの?」
「そ、お前の準備が整い次第、な」
「あっちゃんは連絡係、と」
「そういうこと」
「さすが、わかってくれてるねー。この季節は私の髪の毛に優しくないって事をさ・・・」
今は6月、季節は初夏。そして、梅雨。
雨の生み出す湿気は、純のような癖毛には全くもって優しくない。
そんな癖毛を持つ彼女だから髪を整える時間が欲しいだろう、と両親が向こうに残り、実質『時間稼ぎ』をしているのだ。
事情を理解した純は鏡に向き合って自分の髪と格闘を始める。もっとも、淳司が戻ってくるまでの間もやっていたのだが・・・
「ヨーロッパの文化であるジューンブライドを日本が無謀にも真似するからこうなるんだよぉ・・・天候が違うに決まってんじゃん・・・」
「日本人は験担ぎ大好きだからな、仕方ない。雨にも負けず風にも負けずの精神だ、がんばれ純」
「テキトーな慰めやめてよー」
「そうは言うけど、他の月にするつもりもなかっただろ? こういう験担ぎはお前もあの人も好きそうだし」
「まあ、ね。幸せを夢見る乙女として女神様にあやかりたい気持ちはあるよね」
入梅の前に式を挙げることが出来れば純としては最善だったのだが、不運にも相手方と何かと都合が合わず今の時期になってしまっている。
淳司を初め、二人を心から応援する人達においては都合などあってないようなものだったのだが、こればかりは仕方ない。
仕方ないなら泣き言を言っても仕方ない。泣き言のひとつも言いたくなる気持ちもわかるとはいえ、事実としてやることはひとつしかないのだ。
「じゃあ頑張るしかないな」
「うーん・・・」
しかしそんなこと、純自身も百も承知している。
朝に目を覚まし、降り注ぐ雨の音を聞きながらもちゃんと髪のセットをしようとしてきた。
父親の運転する車の中でも鏡と睨み合いを続けて酔いかけた。更に先述の通りブライズルームに一人で居る間も手を抜いてはいない。
そもそも結婚式場というこの場が湿気対策をしていないはずもないのだ。ジューンブライドの認知度は高いのだから。
それなのに彼女の髪は落ち着かない。それは生憎の雨が長く続いたことも理由としてあるし、一世一代の晴れ舞台だからと彼女自身がハードルを高めにしているせいもある。
そして何より、今の彼女は髪を下ろしているのでごまかしが効きづらい。「家族の前でしか見せない」と豪語するほどに、彼女自身はこの髪型の時の癖毛っぷりを気にしている面がある。
「学生時代みたいに縛れば?」
「やだ」
「やっぱりか」
淳司自身にもわかるほど、その理由は簡単だ。
これから家族になる人の前に出るんだ、こっちの髪型を選ぶ以外の選択肢は彼女の中にあるはずがない。
周囲の人の目? そんなものは彼女は気にしない。『誰の前に立つか』をいつも最重要視する。それが純のコミュニケーション・スタイルなのだと淳司は充分知っていた。
家族として街中で何度か待ち合わせをした経験が、それの裏づけにもなる。
周囲の人に見られる場所であろうと、目の前にいるのが家族であるならば家族の顔をする。家族にしか見せない髪型にする。
一見矛盾しているようで愚直なまでに相手を尊重する、歪みなく真っ直ぐなその妹の性格を淳司は兄として誇りに思っていた。
「うぐ・・・内側のほうが・・・むむ・・・ああー、もうっ! 今回ばかりは妥協も手抜きもナシだってのに!」
「落ち着け落ち着け。俺から見ればいつもと変わらないぞ」
「あっちゃんの言うことなんか信用できないよーだ」
「そんなカリカリするなよ・・・せっかくあの人からお前宛ての言葉を預かってきてやったってのに」
「えっ、なにそれ初耳なんだけど。っていうかこのタイミングで伝えるようなことなの?」
「当然。「家族の前で無理しないで」ってさ」
「・・・・・」
「・・・・・」
「・・・あっちゃん」
「おう。呼んでくるよ」
「うん」
当然といえば当然なのだが、自分の言葉より相手の言葉を尊重した妹に対して淳司は少しだけ寂しい気持ちを抱いた。
しかしそれをおくびにも出さず、むしろ笑顔で彼は妹に背を向け、扉に手をかける。
寂しい気持ちを抱いたのも事実だが、妹のその姿が微笑ましかったのも、また事実だった。
「あっちゃん」
「ん?」
「ありがとね」
「・・・・・・」
「今まで、ずっと」
「・・・兄として当然のことをしたまでだよ」
「それでも」
「・・・どういたしまして」
礼を言われて嬉しくない人などいない。
淳司にとってはこのタイミングで言われると喜びを通り越して涙が出てきかねないほどのものだったが、そこもまた彼は上手に隠し通した。
「幸せになれよ、可愛い妹」
それも、彼にとっては「兄として当然のこと」だったのだろう。
背を向け、軽く手を振り、扉を開いて部屋を出る。
そして、既に眼前にいた妹を託す相手に対し、頭を下げた。
―――
―――
「しっかし、よく降る雨だな」
これだけ降れば癖毛をこの雨のせいにできるから妹は逆に6月の神に愛されているんじゃないか。
などと淳司がくだらないことを考えながら廊下で挙式までの時間を潰していると。
「淳司」
「あ、父さん」
「なぁ、感慨深いものがあるよな・・・あの純が、あんなにキレイになって・・・なあ・・・」グスン
「まだ泣くには早いんじゃ・・・」
「泣いてない」
「見間違いだったかな」
「これは雨だ」
「雨漏りしてるのかー、この式場」
「おい淳司、あまり失礼なことを言うものじゃない」
「俺かよ。いや確かに雨漏りとか言ったのは俺だけどさ」
「そんなことより淳司、お前あれだ、あれ」
「あれって何」
「お前、あれ、ブーケ取れよ。妹に先越されて悔しいと思わんのか」
「いや、妹の結婚式で兄貴がブーケ受け取っちゃうのってなんかそれ空気読めてない感じにならない? っていうか別に悔しくねーし」
「大丈夫だ、投げるの自体は相手方らしい。それにチャンスは皆に等しく与えられるべきものだから気にするな」
「そうは言ってもなぁ・・・やっぱりいいよ、俺はブーケトスの時は席を外すよ」
「それだけはダメだ」
それまでとは違う、有無を言わせぬ父親の口調に淳司は首を傾げる。
対する父は淳司のその反応に呆れ半分のようだ。
「ブーケトスの時、純は後ろでベース弾いてたいと言ったそうだ。師であるお前が聴いてやらなくてどうする」
「・・・マジか。ということは・・・もしかして純がベース持ってきてたのって俺のためだったりする?」
ここに来るまでの道中、淳司自身も気づいてはいた。純がベースを持ってきていることくらいは。
しかしそれは高校時代からのバンド仲間と合わせるためだとばかり思っていたため、自分のため、という思考は綺麗さっぱり彼の頭から抜け落ちていたのだ。
彼女らの仲の良さを毎日のように聞かされ、充分すぎるほど知っていたからこそ。
そして、妹の結婚相手があの人であるからこそ。
「真相は聴けばわかるんじゃないか。純のことだから皆と一緒に演奏したいというのも当然のようにあったとは思うが」
「でもそれだけじゃなく、俺への分もあるかもしれない、ってことかね」
「そういうことだ。・・・ほら淳司、そろそろ始まるぞ、行こう」
「・・・はいよ」
・・・ブーケを受け取る気にこそなれなくとも、場合によっては妹の音を受け取る覚悟は出来た。
淳司は、式で泣くであろう両親の代わりにずっと笑顔でいてやろうと思いつつ、投げられたブーケを受け取る人は誰になるだろうかと考えつつ、最後にもう一度曇天の空を見上げて、ふと思った。
明日には、もう梅雨は明けるんじゃないか。
なんとなく、そんな気がした。
おわり
最終更新:2013年07月13日 15:04