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実家には菫がいる。
菫とは今でもたまに会っているし、連絡もとっている。

きっと、実家に帰っても、
梓ちゃんと離れても、
菫がいればそんなに寂しくはない、……と思う。

思っていても、決心はつかない。
忙しく仕事場を走り回る梓ちゃんを見る。

……彼女を失うのは辛すぎる。
でも、私は、私の理由で、彼女をこれ以上縛り続けてはいけないと知っている。
だから……。


梓「ゴミ出し終わりました」

紬「おかえりなさい。そしてご苦労様。
  はい。ミルクティーよ」

梓「ありがとうございます」

紬「どういたしまして」

梓「……うん」

紬「どうかした?」

梓「この生活も板についてきたな、と思って」

紬「そうねぇ」

梓「はい。
  あの……ムギ先輩?」

紬「なぁに?」

梓「私は、ムギ先輩が誘ってくれてよかったと思ってます。
  こうやって人の温かみのある生活はやっぱりいいものです。
  ネカフェ難民をやっていた頃は、生きることで精一杯でした」

紬「えっと……どうしてそんな話を突然するのかな?」

梓「それは……」

紬「もしかして察しちゃったかな?」

梓「え?」

紬「違った?」

梓「……なんだか最近元気が無さそうだったので、私のことを気にしてるのかなって」

紬「そっかぁ」

梓「……はい」

紬「ね、梓ちゃん。
  私ね、本社から誘われたんだ」

梓「え」

紬「うん。役員の席が空いたから来ないかって。
  別に絶対ではないんだけど……」

梓「出世……ですか?」

紬「世間的にはそうなるわね」

梓「おめでとうございます」

紬「うん。ありがとう……。
  でね、本社って実家の近くにあるんだ。知ってた?」

梓「……はい」

紬「だからここを引き払おうと思うの」

梓「えっ……」

紬「ルームシェアを終わりにしたいの。
  社宅なら3万円から借りられるし、もうネカフェ難民にならなくても大丈夫だよね?」

梓「経済的には大丈夫です……けど」

紬「なら」

梓「ふざけないでください!!」バン

紬「……ぅ」

梓「そんな勝手に一方的に!」

紬「ごめんなさい、でも――」

梓「でもも何もないです!
  あの言葉は嘘だったんですか!
  ずっとずっと一緒にいたいって!!」

紬「嘘じゃないの。嘘じゃないけど……」

梓「嘘じゃないならここに居てください!
  それとも本社に行きたいんですか?」

紬「どうして私にここにいて欲しいって思うの?」

梓「それは……ムギ先輩は弱虫ですし……それに……」

紬「それに?」

梓「この生活が気に入ってるから……」

紬「そっかぁ。
  でも私のことは気にしなくていいんだよ」

梓「えっ」

紬「実家には菫がいるから」

梓「菫ですか……」

紬「うん」

梓「ねぇ、ムギ先輩。
  菫がいたら、私は要らないんですか……?」

紬「そうじゃないけど、だってずっとここにいるのは、梓ちゃんにも良くないでしょ。
  恋人だって作りにくいし。自分の時間だってほとんど持てないし……」

梓「……」

紬「だから、ね」

梓「……」

梓ちゃんはキッとこちらを睨みつけた。

梓「ムギ先輩にとって、私はその程度の存在だったんですか!?
  菫がいたら、要らなくなっちゃう程度の存在だったんですか!?
  恋人が作りにくいだなんて……そんな半端な理由でどうでもよくなっちゃう程度の存在だったんですか!!」

紬「そんなことない!
  梓ちゃんは!! そんなことない!」

黒猫「みゃぁ」

梓「だったら。だったらそんな悲しいこと言わないでくださいよ!!」

紬「……」

梓「私はムギ先輩と一緒に居たいです!!」

紬「……!」

その言葉を最後に、梓ちゃんは泣いてしまった。
涙がぽろぽろ流れる。
私はハンカチを取り出して、梓ちゃんの涙を拭ってあげた。

あの頃とは逆なんだと私は知った。
梓ちゃん。
梓ちゃん。
梓ちゃん。
私はずっと梓ちゃんを必要としていた。

そして、今、理由はわからないけど、梓ちゃんは私を必要としてくれている。
一緒に居たいと言ってくれている。

私は取り返しの付かない過ちを犯してしまうところだった。
でも、まだ間に合うはずだ。

紬「ね、梓ちゃん」

梓ちゃんはこっちを向いてくれない。
私はかまわず続ける。

紬「梓ちゃんは、私を必要としてくれるんだね?」

梓ちゃんは頷いた。

紬「だったらね、ずっとずっと一緒にいましょう」

梓「い、いいんですか?」

紬「うん。
  とりあえずお父様には今回の件を断っておくわ」

梓「……どうして急に?」

紬「梓ちゃんが私のことを必要としてくれたから」

梓「必要?」

紬「うん。
  私もずっと梓ちゃんを必要としてきたから」

梓「……」

黒猫「みゃぁ~」

紬「……この子もね」

梓「……でもいいんですか?
  私なんかのために」

紬「ね、梓ちゃんはどうして私に優しくしてくれるの?
  その……大学時代のときとか」

猫「みゃぁ?」

梓「……それは」

紬「……うん」

梓「大学に入ってから楽しかったんです。
  1年ぶりに先輩たちと演奏して、おしゃべりする毎日が。
  あの頃とあまりにも変わらなくて」

紬「そうね、本当に楽しかったわ」

梓「でも変わってしまったこともあったんです」

紬「変わってしまったもの?」

梓「はい。唯先輩は晶さんにも抱きつくようになって、澪先輩も他の人たちと仲良くなってて。
  ……すごく簡単に言ってしまうと嫉妬だったと思います」

紬「嫉妬……」

梓「はい。嫉妬です……。
  嫉妬した私は思ってしまったんです、私って誰にとっても特別じゃないんだなって」

紬「そんなことは……」

梓「わかってます。唯先輩にとっても澪先輩にとっても律先輩にとっても、
  もちろんムギ先輩にとっても、私は自惚れとかじゃなく特別な存在だったって。
  でも、そう思っちゃったんだから仕方ないです」

紬「……」

梓「だから、大学3年生になったムギ先輩が少しずつ元気がなくなってしまって、
  そのこと自体は辛かったですが、私に頼ってくれるようになったのは、嬉しかったんです。
  私はこの人にとって特別な存在になれたんだって」

紬「……」

梓「あの頃のムギ先輩は私のことが好きだったんだと思います。
  唯先輩達に見せる顔とは全然違う顔を見せてくれましたから」

紬「……」

梓「ムギ先輩が普通に卒業して、そのうち連絡もなくなって、
  私は本当に寂しかったんです」

紬「ごめんね」

梓「……なんで私から離れていったんですか?」

紬「束縛するのは嫌だったから」

梓「私は束縛されたかったです」

紬「そんなの、言ってくれなかった」

梓「じゃあ今言います。
  私を束縛してください。
  絶対に離さないでください」

紬「……ぅ」

梓「どうしましたか?」

紬「そんなの、愛の告白みたい」

梓「いいんです。好きですから」

紬「ぇ」

梓「寮に引き籠ってたムギ先輩のところに行ってるうちに、好きになっちゃったんです。
  好きだったから、ムギ先輩のいる会社に来たんです」

紬「あの頃の私に、いいところなんてひとつも……」

梓「そんなことないです!」バン

紬「ええっと……」

梓「どんなに元気がなくても、ちゃんと私が行くとお茶を入れてくれました!
  夜になると晩ご飯もごちそうしてくれて、試験前はテスト勉強も教えてくれました!」

紬「それは、せっかく来てくれたんだから」

梓「そんな気遣いのできるムギ先輩だったから好きになったんです。
  私と必要としてくれる優しい人だったから、私は……好きになっちゃったんです」

紬「……」

梓「あの、ムギ先輩も私のこと好きですよね?」

紬「え」

梓「好きじゃなきゃ、猫にこんな名前をつけないですよね」

黒猫「みゃお?」

梓ちゃんはその子を抱きかかえた。

梓「ね、梓」

黒猫梓「みゃ~」

紬「気づいてたんだ?」

梓「はい。ムギ先輩が『梓ちゃん』って言う度に毎回反応してましたから」

黒猫梓「みゃー?」

梓「よしよし」ナデナデ

黒猫梓「みゃぅ~」

紬「最近名前を呼ばなくてごめんね、梓」ナデナデ

黒猫梓「みゃぅ~」

梓「……それで、ムギ先輩」

紬「うん。私、梓ちゃんのことが好きだった。
  私の全部を優しく受け止めてくれた、梓ちゃんのことが大好きだった。
  だからこの子に梓ちゃんの名前をつけてしまったの」

黒猫の梓ちゃんは不思議そうにこちらを見ている。
自分の名前を連呼されたと思っているみたいだ。

人間のほうの梓ちゃんもじっとこっちを見ている。
思いが通じあった今、遠慮は要らない。
私は目を閉じて梓ちゃんの唇を奪った。

触れるだけのキスにするつもりだったけど、梓ちゃんの舌が私の唇をこじ開けた。
梓ちゃんの舌の動きは拙かったけど、私の気持ちに応えてくれたのが嬉しかった。
だから私も舌を絡めようとしたとき……。

黒猫梓「フッシャ―!!!」パン

梓「きゃっ」

紬「あ、梓ちゃん!!」

梓「いきなり猫パンチされた?」

黒猫梓「みゃお」

紬「メッ!ダメでしょ、梓ちゃん!!」

梓「え」

紬「違うの、こっちの梓ちゃんのこと」

黒猫の梓ちゃんに雰囲気をぶち壊された後、私達は笑った。
ひとしきり笑った後、ちょっとだけ泣いた。

それから大人のキスをやり直した。
もうひとりの梓ちゃんの喉元を撫でながら。

紬「ね、梓ちゃん」ナデナデ

黒猫梓「みゃ~みゃ~」

梓「なんですか、ムギ先輩」

紬「これからの話をしましょう。
  これからずっとずっと二人でいるために」

梓「……!
  はいっ!!」


その後のことを簡単に話しておく。

私はお父様に会って、本社役員就任の件を断った。
お父様は「琴吹ペットライフの社長を目指して研鑽するように」と優しく言ってくれた。
優しくされて調子に乗った私は、お父様に一つワガママを言った。

実を言うと、私はこの会社が嫌いではない。
ペット用品のものを見たり考えたりすると梓ちゃんのことを思い出すからだ。

とは言え、ワガママを通すためには実力も必要だ。
私はこの後、今まで以上仕事に全力を尽くすことになる。
そのことで梓ちゃんと喧嘩したり仲直りしたりするのだが、それはまた別の話。



梓「ワガママですか?」

紬「うん。ワガママ。もうお父様にも言ってあるの」

梓「えっと……どんなワガママか教えてもらえますか」

紬「家族にすることを前提に猫を2匹飼いたいな、って」

梓・黒猫梓「みゃ?」


おしまいっ!



最終更新:2013年08月19日 01:59