「やった……」
「やったね、りっちゃん……!」
「やったよ、マキちゃん!」
「新大陸だー!」
「ジパング! ジパング!」
「違うってば、りっちゃん。
ここはムー大陸って設定だってさっき言ったでしょ?」
「あれ、ムーって新大陸だっけ?
まっ、いっか。
じゃあムー大陸! ムー大陸!」
「ムー大陸! ムー大陸!」
海から上がって長い小芝居をした後、律とマキちゃんが抱き合ってはしゃいだ。
さっきまで二人で遠泳をしてたのに、
いつの間にこんな小芝居の打ち合わせをしてたんだろう。
ひょっとして泳ぎながら打ち合わせてたのかな?
二人で楽しそうに打ち合わせながら泳いでる姿を想像してしまって、
私は律達に気付かれないように小さく溜息を吐いてからシャッターを切った。
八月も後半になったとは言え、身を焼くような太陽光が私達を照らし付ける。
そんなに泳いでいるわけじゃないのに、身体中がもうヒリヒリと痛い。
日焼け止めは塗ってるけど、これは物凄く日焼けしちゃってそうだ。
ヒリヒリと痛む。
腕が、脚が、頬が、胸の奥が。
何故か胸の奥までヒリヒリと痛むのは日焼けのせいなんだろうか?
「写真撮影ありがとね、澪ちゃん」
マキちゃんが眩しい笑顔を向けて私の肩を叩いた。
いつの間にか律との小芝居は終わっていたらしい。
「ううん、気にしないで、マキちゃん。
私、写真撮るの好きだし」
言った後に我ながら可愛げのない反応だったと気付く。
自分でも分かった、きっと私は凄く無愛想な表情だったって。
マキちゃんの笑顔がこんなに眩しいんだから、私だって笑顔を返すべきだったのに。
でも今更気付いた所で、返してしまった反応は訂正出来ない。
私にどうにか出来るのは、またこぼれそうになった溜息を押し留める事だけだ。
何をやってるんだろう、私。
今日は大切な記念日なのに。
大切な記念日にしてあげなきゃいけないのに。
こんな何の準備も出来ないままで……。
律と私を含めたクラスメイトで来た海水浴。
お盆は過ぎてるけど、近場の海には運良くまだクラゲが発生してなかった。
まあ、クラゲが発生してたとしても、律達は気にせずに海水浴をする予定だったみたいだったけど。
怖いもの知らずだなあとは思うけど、その点に関しては私も律達に賛成だった。
今年の夏はちょっとだけ忙しくて、プールはともかく海では一度も泳げてなかったんだ。
一度くらいは海で泳いで律と夏の思い出を作りたい気持ちは私にもある。
クラゲに刺されるのは怖いけど、律との海水浴と天秤に掛けるまでもなかった。
それでも私は何度目か分からない溜息をまた吐きそうになる。
原因は分かってる。
分かってるからこそ、余計に溜息を吐きたい気分になってしまうんだよな。
自分が嫌な子だって強く自覚させられるから……。
「澪ちゃんも一緒に泳ごうよ。
今度は私が写真を撮ってあげるからさ」
マキちゃんがまた私に笑顔を向けてくれる。
クラスで一番の人気者のマキちゃん。
バンドを組んでてドラム担当のマキちゃん。
律と一緒に一度見せてもらった事があるけど、同い年とは思えないくらいカッコよかった。
激しいドラミング、見事なリズム感、ドラムを叩きながら見せる眩しい笑顔。
ドラムに詳しくない私でも、物凄く練習したんだろうなってことくらいは分かった。
ドラムを叩いてるからだけじゃなくて、マキちゃんはその外見や性格までカッコいい。
そのスタイルの良さは勿論、面倒見の良さや爽やかな性格からファンクラブまであるらしい。
マキちゃんを嫌いなクラスメイトなんてきっと居ないし、私だってマキちゃんの事は嫌いじゃない。
憧れそうな気持ちもある。
だけど。
「そうそう、写真撮ってるだけじゃつまんないだろー?」
律が駆け寄って来てその顎を肩に乗せる。
私の肩にじゃなくて。
マキちゃんの肩に。
瞬間、私は胸の奥がまたヒリヒリする事に気付いた。
中学も二年生を迎えた頃、律と私が一緒に居る時間はとても少なくなった。
喧嘩したわけじゃないけれど、いつの間にか少しだけ疎遠になっちゃったんだ。
それには色んな理由があるはずだけど、一番の理由は律とマキちゃんが友達になったからだと思う。
二年生に上がって私と律とマキちゃんが同じクラスになって、
初対面の頃から律とマキちゃんが見る見るうちに仲良くなっていくのが私にも分かった。
当たり前だよな。
律とマキちゃんの性格は近い物があるし、マキちゃんに憧れない子なんて居ない。
二人が急接近して親友になるのは必然だったと思う。
最初は律がマキちゃんの事を話すのが嬉しかった。
顔が広い律だけど、私に遠慮してか私の前で他の友達の話をする事は少なかった。
律は律なりに寂しがりな私の性格を見抜いてたんだと思う。
それは勿論嬉しい事だったけど、負い目を感じなかったと言えば嘘になる。
だから嬉しかったんだ、律がマキちゃんの話をするようになったのが。
律が他の友達の話を私の前で出来るようになったのが。
私に遠慮しなくなったのが、本当に。
だけどそれは最初の内だけだった。
いつも一緒に居たわけじゃないけど、いつの間にか律と私の時間は少なくなっていった。
律とマキちゃんが休みの日に二人で遊びに行ったって話を何度も聞くようになった。
私達も中学生なんだし幼馴染みってそういうものなのかな、って私は自分を誤魔化そうとした。
誤魔化せなくなったのは学校の休み時間、何気なく抱き合ってる二人を見てからだ。
深い理由があっての事じゃないのは分かってる。
単なるじゃれ合いだって事は二人の悪戯っぽい表情からも見て取れた。
単なるコミュニケーションなのは私にも分かり切ってた。
でも私は隠れて泣きそうになっていた。
だって私は律とそんなにくっ付いた事なんてなかったから。
笑顔で抱き合ったり、肩の上に顎を乗せられたりなんかした事なかったから。
律の一番の友達は私じゃなくてマキちゃんなんだって痛感させられた。
だから私は何度も溜息を吐いちゃってるんだ。
律の一番の友達が私じゃないのは構わない。
いや、構わなくはないけど、それは仕方がない事だとは自覚してるんだ。
だって私は可愛くない性格をしてるから。
律のお世話になった事は一度や二度じゃないし、
気が付けば手が出るようになってた私なんかよりも、
楽しくてカッコいいマキちゃんと律が仲良くなりたいのは当然の事だから。
それは、仕方がない事なんだ。
でも……、でも……。
「うーん、確かにそうなんだけどさ。
だけど誰かが荷物番をしなきゃいけないだろ?
誰かが疲れて戻って来たらそれで交代するよ。
それまでは皆の写真を撮ってるつもり」
私はなけなしの勇気を出して、マキちゃんの肩に顎を乗せる律と視線を合わせようとする。
律は私に視線を向ける。
でもそれは一瞬で。
すぐに私から視線を逸らすと、「そっか」とそれを苦笑で誤魔化した。
「んじゃ私達はもうちょっとだけ泳いでくるよ、澪。
でもさ、泳ぎたくなったらいつでも呼んでくれよ?
せっかく海に来たんだもんな。
運良くクラゲも見かけないし、泳がなきゃ損ってやつだぞ?」
「うん、その時は頼むよ、律」
私は顔を俯かせて、胸のヒリヒリに耐えながらどうにかそう言った。
それから二人を見送って、私達のビーチパラソルまで戻ってから大きな溜息を吐いた。
律の一番の友達はマキちゃん。
寂しいけれどそれは仕方がない事だとも思う。
だけど律が目も合わせてくれないのは、泣きたいくらいに辛い。
今日だけの話じゃなかった。
二ヶ月くらい前から、律は不意に目を逸らすようになった。
会話は普通にしてくれるけど、何だかとても複雑な表情で私から。
目を逸らされる理由は分からない。
だけど心当たりはある。
それは律がマキちゃんと仲がいい事と同じ理由だ。
つまり律は私と居るよりマキちゃんと一緒に居る楽しさを知ったんだ。
可愛くなくて面倒な性格の私のつまらなさに気付いたんだ。
だから私から目を逸らすようになったんだ。
嫌だ……、嫌だな……。
律の事をそんな風に考えちゃう自分が何より嫌だよ……。
こぼれそうになる涙を堪えながら、座り込んで太陽を見上げる。
律の笑顔みたいに眩しい太陽。
しばらく私に向けられてない気がする律の笑顔を思い出して、私はまた辛くなった。
こうして私は律と一緒に居られなくなるのかな?
りっちゃ……律は遠くに行っちゃうのかな?
私は何をしてるんだろう。
今日は特別な日にしなくちゃいけなかったのに。
特別な日にしようと思ってたのに。
結局プレゼント一つ決められずに今日を迎えちゃうなんて。
今日は律にとっても私にとっても特別な日。
八月二十一日。
律の十四歳の誕生日なのに。
♯
「あ、そうそう、りっちゃん」
海水浴を終えた夕焼けの帰り道。
マキちゃんが変わらない笑顔で何かを鞄の中から取り出した。
「何、マキちゃん?」
「ほら、これ誕生日プレゼントだよ」
「えっ、いいのっ?」
律が笑顔になるのと対照的に、私は自分から血の気が引くのが分かった。
どうにか自分から切り出そうとしてた律の誕生日。
私は一歩どころか十歩くらい遅くて、マキちゃんの気配りに敵わなくて。
もう取り返しが付かない気までしていて。
マキちゃん以外のクラスメイトからも「りっちゃん、おめでとう」って声が上がる。
「皆で用意してたんだ」って言葉も聞こえてくる事から考えると、皆で用意してた物らしい。
仲間外れにされた?
一瞬そんな嫌な事を考えそうになって振り払う。
マキちゃんも皆もそんな子達じゃない。
そっか、と気付く。
皆、私と律が幼馴染みだって知ってる。
だから私が個別で誕生日プレゼントを用意してるって思ったんだ。
それできっと私以外の皆で律の誕生日プレゼントを買ったんだ。
その考えに至った瞬間、これまでで一番胸がヒリヒリ痛んだ。
二ヶ月以上悩んで、結局誕生日プレゼントを用意出来なかった自分が情けなかった。
皆の想いを無駄にしちゃったんだ……。
「開けてもいい?」
満面の笑顔で律が手渡された包みを興味津々に見下ろす。
大きさから考えるとCDかDVDが入ってるように見える。
「当たり前でしょ?
ほらほら、遠慮せずに開けてみて」
「それじゃ遠慮なく」
遠慮なくと言いながらも、律は慎重に梱包に使われた紙を開けていく。
普段は大雑把なのに、こういう時の律は繊細だ。
私は知っている。
律は誕生日プレゼントに使われた包み紙も大切に取っておいている事を。
そうして丁寧に開かれた包み紙の中に入っていたのは、私の予想通りDVDだった。
何かのライブのDVDだと思う。
なるほど、中学生のお小遣いだと、DVDは皆で買わないとちょっと予算が辛いかもしれない。
「あっ、これもしかして……!」
「うん、りっちゃんが観たがってたこの前の『ROCK JAPAN FESTA』のDVDだよ。
私のイチオシのバンドの演奏も入ってるから乞うご期待!
これでりっちゃんがもっと洋楽に興味持ってくれると嬉しいな」
「うん、持つ持つ!
ありがとマキちゃん! 皆!
十四歳になった私をこれからも夜露死苦!」
「うん、これからもよろしくね、りっちゃん
喜んでもらえて私も嬉しいな」
「あっ、でも……」
「どうしたの、りっちゃん?」
「今日は多分聡がテレビを占領してると思うんだよなー。
昨日は私がゲームしちゃったから、今日は自由に使わせてやるって言っちゃったし。
くっそー、早く観たいんだけどなあ……」
「あはは、そんなに急がなくてもDVDは逃げないって」
「それはそうなんだけどさ……、あっ、そうだ、澪!」
「えっ?」
急に名前を呼ばれて私は変な声を出してしまった。
それをからかうでもなく、律が笑顔で続ける。
「澪の部屋、DVD観れるテレビあったよな?
今から澪の部屋で観させてくれないか?
皆のプレゼントだから一刻も早く観たいんだよー」
そう言いながら律が頭の上で両手を合わせる。
プレゼントが嬉しかったからってだけじゃなくて、
皆からのプレゼントを大切にしたいって気持ちが強く伝わってきた。
だから私は律の突然のお願いに戸惑いながらも、いつの間にか頷いちゃってたんだ。
♯
「お邪魔しまーす!」
皆と別れて私の家で先にシャワーを浴びて待っていると、
自分の家でシャワーを浴びて着替えたらしい律が私の部屋にやってきた。
その手には『鑑賞会用に』という事で皆が買ってくれたお菓子を持っている。
もう器の中に用意してるなんて、気が早いと言うか準備がいいと言うか。
「いらっしゃい、律」
上手く返せたかは分からない。
意図せずに律と二人きりになる事になって、自分が緊張してるのが分かる。
思い返してみれば、二年に上がって律が私の部屋に来るのは初めてかもしれない。
変な物を置いているわけでもないのに、心臓が高鳴っていく。
「そんじゃ早速、VTRスタート!」
パッケージを開けて律がライブのDVDをセットする。
来たばかりなのに本当に気が早い。
よっぽど皆からのプレゼントが嬉しかったんだろう。
私も律にそんなプレゼントが出来ればよかったのにな……。
また溜息を吐きそうになったけど、私はそれをぐっと堪えた。
今は落ち込んでいる場合じゃない。
誕生日プレゼントを用意出来なかった分、今は律のしたい事をさせてあげないと。
それと、確かめられたら、確かめないといけないよな。
これから私達がどうなるべきなのか、律と私の本当の気持ちを。
ライブDVDが終わるまでにその気持ちを固めよう。
そう思っていた。
だけどそんな気持ちはすぐに吹き飛んでしまった。
律が傍にいたからじゃない。
自分の弱気に負けたからでもない。
ただ単純にマキちゃん達からのプレゼントのDVDの迫力が凄かったから。
横目に観るだけのつもりだったライブに魅せられたから。
別に洋楽に興味がなかったわけじゃない。
マキちゃんに何度か聴かせてもらった洋楽のコピーはカッコよかったし、
マキちゃんの演奏に夢中になる律の表情も好きだった。
何枚かCDをレンタルしてみた事もあるくらいには、洋楽が好きな方だと思う。
だけど映像とは言え初めて観るライブは凄かった。
迫力が違う。
技巧が違う。
情熱が違う。
何もかも違う。
圧倒的な一体感。
どうやっているのかすら分からないテクニックで奏でられる音楽。
熱狂する観客の気持ちがよく分かる。
音楽って物を初めて知った気までしてくる。
大人しくて可愛らしい曲が好きなはずの私でさえ、胸が熱くなるのを禁じ得ない。
そっか……、律がマキちゃんに惹かれるのももっともだよな……。
こんな凄い物を目指してるマキちゃんなんだもん。
律が私よりマキちゃんと一緒に居たくなるのも当然だよ。
辛くないと言ったら嘘になるけれど、今なら素直に律達を応援出来る気がした。
律はきっとマキちゃんと一緒に音楽の道を進むと思う。
それはきっと律にとって凄くいい事なんだ。
私はそれを陰ながらでも応援しよう。
そう思っていたのに、DVDの演奏が一段落した所で律が言ったのは意外な言葉だった。
「やっぱこれだよこれ!
バンドやろうよバンドー!
私ドラムな!」
私の肩を揺らしながらはしゃぐ律。
バンド?
私と?
どうして?
それを訊ねようと思っていたはずなのに、私の口から出たのは違う言葉。
「何でドラムなんだよ?」
「ビシバシしてるのがカッコいいだろー?」
「ああ……」
呟いてはみたけれど納得したわけじゃなかった。
いや、律がドラムをやりたがるのは分かる。
マキちゃんのドラムが好きなのは一目瞭然だし、
激しい動きと身体全体でぶつかるドラムは律に本当に似合ってる。
だけど律がドラムをやりたがるとは思ってなかったんだ。
だって。
「でもドラムだとマキちゃんと被っちゃうだろ?」
「だからいいんだろー?
マキちゃんと同じ楽器やれるなんて最高じゃん?」
「それはそうなんだけどさ、同じバンドでドラム二人ってどうなんだよ?
いや、ツインドラム……だっけ?
ドラマーが二人いるバンドも少なくないらしいけど」
「何言ってるんだよ、澪?」
「えっ、だって律、マキちゃんのバンドに入りたいんだろ?」
「違うってば!
さっきもちゃんと言っただろ、『バンドやろうよ』って!
私は澪とバンドやりたいんだってば!」
「私……と……?」
「そう、澪と!
いやー、前から考えてたんだけど中々言い出せなくてさー。
でもマキちゃん達のプレゼントのおかげで決心出来たよ。
やっぱ私、澪とバンドがやりたいんだよな。
これは凄いぞー!
ほら、小学生からの幼馴染みバンドなんてドラマチックじゃん!」
律が眩しい笑顔を私に向ける。
知り合った頃から変わってないまっすぐな笑顔。
私をずっと引っ張ってくれていた笑顔。
その笑顔に引き込まれそうになったけど、私には訊かなきゃいけない事があった。
「マキちゃんのバンドじゃなくて……、いいの?」
「だから何でさっきからマキちゃんのバンドの話になってるんだよ?
私は確かにマキちゃんのドラムが好きだけど、バンドのメンバーになりたいわけじゃないぞ?」
「どうして?」
「どうしてって言われると困るんだけど、
まあ、勧誘してる立場としては言っとかないと駄目か。
誰にも……、特にマキちゃんには言うなよ?
マキちゃんが私の憧れだからだよ、澪。
カッコいいよなー、マキちゃん。
私と同い年なのに凄いテクニックだし、性格もカッコいいしさ。
でもさ、それは一緒にバンドをしたいって事じゃないんだよ。
憧れてるからこそ追い着きたいんだ。
同じバンドで付いていくんじゃなくて、違うバンドで追い掛けたいんだよ。
……分かるか?」
完全に分かると言ってしまえば嘘になるかもしれない。
私は律の明るさと元気さに憧れてる。
憧れてるからこそ一緒に居たいんだから。
だけど律の気持ちも分からないでもなかった。
特に律は負けず嫌いな子だから、凄い人を見ると追い掛けたくなるって気持ちになると思う。
憧れには色んな形があるって事なんだろう。
私は律の目を見ながら頷いた。
だけど完全に納得しての頷きじゃない。
私には律に怖くても最後に訊いておかないといけない事がある。
泣き出しそうになる怖さを感じながら、それでも私は律に訊ねた。
「バンドのメンバー……、私でいいの?」
「いいに決まってんだろ?
大体私の方から誘ってるわけなんだし、どうしてそういう事言うんだよ?
ひょっとして私とバンドやるの嫌か?」
「嫌とかそういう話じゃなくてさ……。
えっとさ、律が最近……」
「最近?」
「話をしてたら私から目を逸らす事が多かっただろ?
何かあったのかなって思ってたんだ?
私が律に何かしちゃったのかなって……」
「目を逸らしてた……?」
瞬間、律ははっとした表情になって私から目を逸らした。
だけどそれは今までの複雑な表情じゃなくて、
頬を赤く染めて恥ずかしそうな表情での行動だった。
「言わなきゃ……駄目か?」
「うん……、出来れば教えてほしい。
そうでないとバンドの話も考えられないよ、律……」
「うー……」
変な唸り声を上げて律が自分の頭を掻き始める。
よっぽど言いにくい理由があるのかもしれない。
でもその様子を見る限りだと、私の事が嫌いで目を逸らしてたわけでもない気がしてきた。
それなら無理に言わせる事もないと止めようとした瞬間、律が顔中真っ赤にしてやけくそ気味に言った。
「目を逸らしてたのは悔しかったからだよ、澪」
「悔しかったって?」
「あー、胸だよ、胸、澪のおっぱい!
二年生になって澪のおっぱい、洒落にならないくらい大きくなってるじゃんか!
私の方は全然大きくなってないってのにさ……。
それが悔しくて澪のおっぱいを見ないようにしてたんだよ!
悪いかコンチクショー!」
私のおっぱい……。
確かに最近はよくブラのサイズも変えてるけどさ。
律の胸は私より小さいけどいい形だなって憧れてるのに……。
「ふふっ」
「何だよ、澪ー……」
「あははっ、あはははっ!
まったく……」
「笑うなー!」
律はいたく不機嫌みたいだったけど、私は溢れ出る笑いを止められなかった。
それは何も律の事を笑ったわけじゃない。
『まったく……』も律に向けて呟いた言葉じゃない。
全部私に向けての言葉と笑いだった。
私は何を悩んでいたんだろう。
何を怖がっていたんだろう。
そんな事する必要なんてなかったのに。
勇気を出して訊ねればいいだけの事だったのに。
でも悩んだ時間もきっと無駄じゃなかった。
寂しくて切ない時も、ヒリヒリと胸の奥が痛い時も私は律の事を考えていた。
考えていられた。
間の抜けたすれ違いをしてしまっていたけれど、その分律を大切に思えるようになった。
それはきっと無駄じゃないどころか大切な時間だ。
「あーもー!
もう胸の話はいいよ、胸の話は!
それでどうするんだよ澪、バンドはやってくれるのか?」
まだ顔を真っ赤にしながら律が私に訊ねる。
その律の顔は可愛らしくていつまでも見てたかったけど、そういうわけにもいかない。
私は笑うのをどうにか堪えて律の目を見ながら頷いた。
今度こそ、二人とも目を逸らさなかった。
「いいよ、律。
今日は律の誕生日なんだもんな。
誕生日プレゼントって事で律のバンドには参加させてもらうよ。
私も今日のライブDVDにはすっごい感動しちゃったしさ」
「誕生日プレゼントかよー……。
でもありがとな、澪!
マキちゃんに負けないくらい凄いバンド……、
ってのはすぐには無理かもしれないけど、いいバンドにしてやろうな!」
「あっ、でもギターとか目立つ楽器は無理だからな!
ギターは別で探してよ、律!」
「わーってるって、ギターとかはおいおい捜すって。
明日楽器屋に行ってさ、一緒に澪に合う楽器を探そうぜ?
私もドラムスティックが欲しくなっちゃったから、早く欲しいんだよなー」
言いながら律が私の肩に腕を回す。
真相の照れ、ライブの興奮、未来への期待。
色んな感情が混じった体温をお互いに感じ合う。
この先にどんな未来が待っているのかは分からないけれど、
とりあえず明日律にドラムスティックをプレゼントしようと思った。
私が律のバンドに参加するのは、本当は誕生日プレゼントだからじゃない。
むしろ私へのプレゼントに近いから。
だから本当の誕生日プレゼントを渡そう。
律はまず自分で買いたがるだろうから、予備にでも使えるスティックにしようと思う。
これが私達のバンドのはじまり。
小さな擦れ違いからはじまった大きな夢のはじまりなんだ。
それを記念するみたいに。
律が私の机に置いてあったカメラを取って、私達に向けて笑顔を写した。
♯
翌日、予備という名目で律にプレゼントしたドラムスティックはとても喜んでもらえた。
それはよかったんだけど喜び過ぎた律が、
マジックでスティックに『澪』『命』と書いたのを見て、
私はつい律を叩いてしまったけれど、それはまた、別の話だ。
完結です
最終更新:2013年08月21日 22:16