「ありがとうございます、さわ子先生」


西日に照らされて、眼鏡を逆光に輝かせながら直ちゃんが頭を下げる。
ハンドルを切って右折し終えると、丁度すぐ目前に横断歩道があった。
ブレーキを掛けて愛車を停止させると、私は直ちゃんの方を見て微笑み掛ける。


「いいのよ、気にしなくても。
そろそろ陽が暮れるのも早くなってきたわけだし、
先生としては愛しの生徒の安全には気を配らなくっちゃね」


「それでもありがとうございます。
いつもは菫と一緒に帰ってるんですけど、今日はお姉さんと用事があるみたいで」


「へえ、ムギちゃんと用事が?
それは初耳ね、里帰りしてるのかしら。
って、ムギちゃんも水臭いわよねー。
こっちに帰って来てるなら連絡してくれればいいのに」


軽く苦笑。
って別にムギちゃんの事を悪く思ってるわけじゃないけれどね。
あの子の事だもの。
きっと菫ちゃんにしか会う時間が取れそうになくて、
わざわざ私に連絡しなかったってだけなんでしょうし。
夏休みも終わって大学の講義が再開した時期でもあるもの。
自分で言った事だったけれど、こんな時期に里帰りしてるって考えるよりは、
菫ちゃんにちょっとした用事があるって考える方が自然かもしれないわね。


「あ、お姉さんには菫の方から連絡を取ったみたいですよ。
何でも学園祭について相談したい事があるそうなんです」


どうも私の苦笑がムギちゃんへの非難に見えたみたいで、直ちゃんが弁護するみたいに付け加えた。
友達のお姉さん(正確には違うけれど)って、少し遠い関係の子のフォローをする直ちゃん。
直ちゃん自身もお姉さんだけあって、自然と誰かをフォロー出来る彼女に私はまた好感を持った。
いい子なのよね、この子も。
私は目を細めて、直ちゃんの頭を軽く撫でる。


「分かってるわよ、直ちゃん。
別に連絡が無くて拗ねてるわけじゃないわ。
こんな時期に帰って来るなんて、ムギちゃんったらよっぽど菫ちゃんが大事なのねって思っただけよ。
自分だって講義とかバイトで忙しいでしょうに、ちょっと菫ちゃんが羨ましいわよね」


「そうですね。
いいなあ、菫……」


頭を撫でられる事にまだ照れがあるのか、直ちゃんが少し頬を染める。
その頬がいつも染める色より濃く見える気がしたのは、夕陽のせいなのかしら?
直ちゃん。
ムギちゃん達が卒業した後に軽音部に入部した眼鏡の女の子。
不器用で感情をあまり顔に出さない子だけれど、決して何も感じてないわけじゃない。
お茶目だけれど繊細で、意外と負けず嫌いな面も持っている私の大切な生徒。


「あ、さわ子先生、信号」


「おっとと」


直ちゃんに指摘されて気が付いた。
ちょっと話している内に信号がいつの間にか青に替わっている。
私は名残惜しく直ちゃんの頭から手を離してハンドルを握り、またアクセルを踏み込んだ。
何となく窓を開けて、秋の始まりの風を感じながら少し愛車を走らせる。

横目に直ちゃんの方に視線を向けると、直ちゃんも私に倣って窓を開けていた。
女の子にしては少し短めの髪が秋風に靡く。
私も髪を靡かせて秋風を横顔に感じる。
涼しくて爽やかな香りを漂わせる秋風。
嘘みたいな熱気だった夏が終わり、それなりに過ごしやすい季節になってきた。
また衣替えの時期じゃないけど、自主的に長袖を着る子も増えてきた。
私も一昨日から半袖から七分袖に替えてるしね。

秋の始まり。
ぽつぽつと紅葉が目立ち始める季節。
という事は、もうすぐ私が顧問を務める部の最大のイベントが始まるという事でもある。


「あの、さわ子先生」


整えられた髪を靡かせながら、直ちゃんが急に小さく呟いた。
運転に支障が無い程度に顔を向けると、意外に直ちゃんは俯いていた。
膝の上で拳を握り締め、何度か深呼吸を繰り返しているみたい。


「どうしたの、直ちゃん?」


私のその質問に返事は無かった。
私もそれ以上は催促しなかった。
言いたい事があるなら、どんなに時間が掛かってもまた続けてくれるはず。
自分の想いを言葉にして紡いでくれる。
直ちゃんならそうしてくれるって私は信じてたから。

数分、無言で愛車を走らせる。
目的地――直ちゃんの自宅――まで後五分くらいの位置に来た時、
直ちゃんが意を決した様子で顔を上げて私に視線、いいえ、全身を向けた。
これは運転しながら聞くような話じゃないわよね。
そう感じた私はハザードランプを点けて、路肩に愛車を止める。
車を完全に停車させても、穏やかな秋風は窓から吹き込んで来ていた。

数秒の沈黙の後。
普段より半オクターヴ上の声色で直ちゃんが言葉を続けてくれた。


「一つ話をさせてもらってもいいですか、さわ子先生」


「勿論よ、直ちゃん」


言った後、私はシートベルトを外した。
運転席に座っているわけだから完全には無理だけれど、可能な限り直ちゃんの方に全身を向ける。
それが今から始まる直ちゃんの話に対する正しい姿勢に思えたから。


「もうすぐ……、もうすぐ学園祭ですよね、後少しで……」


「そうね、私もそう思ってたところよ、直ちゃん。
もうすぐ学園祭。
学生の頃から何度も経験してるけど、未だにこの時期はちょっと緊張しちゃうわ。
先生になってからの学園祭は特に、ね。
私じゃなくて生徒の皆が参加するんだもの。
皆の頑張りを見てるだけに、皆が満足出来るライブをつい祈っちゃうくらい」


「やっぱりさわ子先生も緊張してるんですか?」


「当然よ、私だってこれでも皆の顧問なんだから。
直ちゃんも学園祭に緊張……してるのよね?」


「はい……」


直ちゃんが顔を俯かせる。
それでまた言葉が止まるかと思ったけれど、そうはならなかった。
ううん、逆に直ちゃんの口からは嘘みたいに言葉が飛び出して来た。


「緊張してます、緊張してるんです。
もうすぐ学園祭だって考えただけで、キーボードを打つ指先が震えちゃうんです。
今日だって部室には菫も誰も居ないのに、何かしたくてずっと打ち込みを確認してました。
前みたいに腕が三つないと叩けない曲になってないように、私、ずっと睨めっこしちゃってました。
私、指先が震えながら、それでも手直しせずにはいられなくて、私……」


その直ちゃんの言葉の最後の方も震えていた。
基本的には無口な方の直ちゃんがこんなに喋るなんて、
よっぽど不安な想いを胸の中に抱えてたんでしょうね……。
私は腕を伸ばして直ちゃんの肩に手を置いた。
手のひらから直ちゃんの全身の震えが伝わるみたいだった。


「私も誰も居ないはずの部室に直ちゃんを見つけてびっくりしたわ。
でも逆によかったのかしらね、まだ暗くなる前に直ちゃんを見つけられて。
たまたま部室に忘れ物した事を思い出して本当によかったわ。
私が行ってなかったら深夜になってもパソコンに向かってそうだったもの。
気を付けてよね、直ちゃん。
そうなったら監督不行届きで叱られるのは私なんだから」


「ご、ごめんなさい……」


「なんてね。
いいのよ、私が監督不行届きで叱られるくらいなら。
それより深夜まで家に帰らずに、家族の人達に心配される事を問題に思わないと。
直ちゃんのお母さん、この前もお菓子を持って挨拶に来てくれたわよ?
いいお母さんじゃない。
あんないい家族、心配させちゃ可哀想よ」


「はい……」


言わなくても分かってる事だとは私も分かってたわ。
直ちゃんは家族想いで、弟想いのお姉さんだって事は私もよく知ってる。
直ちゃん自身もそうしたいって考えてる事も分かってる。
それでも……。


「それでも、さわ子先生……」


「ええ」


「怖いんです……、すっごく不安なんです……!」


「そうよね……」


直ちゃんの感情の吐露。
もう少し突かれれば泣き出してしまいそうなほど不安な表情。
直ちゃんは学園祭を目前にして不安だったのよね。
家族が心配する事が分かってても、それでも部室に閉じこもってしまいたくなるくらいに。

それから私はじっと直ちゃんの震えが治まるのを待った。
これだけの不安か生じる震えが簡単に治まるはずがない。
だけど私は何も言わずに直ちゃんの瞳を見つめ続けた。
顧問として、いいえ、直ちゃんの部の仲間として、それくらいの事はしてあげたかった。

夕焼けがまた濃くなり始めた頃、直ちゃんの震えがほんの少しだけ治まった。
それと同時に、私は直ちゃんへの素直な想いを言葉にし始める。


「やっぱり去年とは全然違う?」


「はい……。
去年と一緒かと思ってたんですけど……、全然違いました……。
学園祭が近付いて来て、どんどん怖くなってきて……。
私が皆の足を引っ張ってるんじゃないかって、
私が部長でいいのかって……」


「私は立派にやってると思うわよ、直ちゃん」


「でも私まだ一つも楽器が弾けるようになってないし、
こんな部長で後輩達も不安なんじゃないかって心配になってきて……。
自分が情けなくて……、梓先輩みたいに全然出来てない自分が悔しくて……」


消え入りそうな声で直ちゃんが述懐する。
やっぱりそういう事だったのね、と感じた。
今年の三月、梓ちゃん達が卒業してすぐに私達は部で会議を行った。
去年の学園祭ライブが終わった後も、
梓ちゃん達は唯ちゃん達と同じように部室に顔を出していたのよね。
それで次の部長を決めてなかった事にやっと気付いた私達は緊急会議を開いた。

残った部員は二人しかいないわけだし、部長はすぐに決まった。
勿論、直ちゃんだ。
菫ちゃんは人の上に立つタイプじゃないのもあったけれど、
お姉さんで意外と人を引っ張れる直ちゃんなら部長を務められるって私達が推薦した。
直ちゃんも満更ではなさそうだったし、それで部長の問題は解決したはずだった。
実際にも一学期は上手くいっていたわけだしね。

楽器を弾けないながら直ちゃんの指導力はかなりのものだった。
菫ちゃんを引っ張り何度もライブを開催したし、
そのおかげか可愛くて有望な部員が三人も入部してくれた。
学園祭の準備を始める頃まで、軽音部は本当に安泰だったのよね。

けれどその頃からだった。
直ちゃんが無表情ながら小さなミスを連発するようになったのは。
例えばりっちゃんみたいに講堂の使用届の出し忘れまでし始めた。
結構うっかりしている直ちゃんではあるけど、こんな事は初めてだった。
それで気付いてあげるべきだった。
一学期が安泰だったから、私もすっかり忘れてしまっていた。
直ちゃんはまだ高校二年生で、楽器が弾けない軽音部の部長だって事を。
直ちゃんだって失敗を不安に思う年頃なのよね。

気付けなかった自分の迂闊を責めたくなる。
けれどそんな事より私にはするべき事があった。
顧問としてじゃなくて、直ちゃんの人生の先輩としてするべき事が。

私は運転席から身を乗り出して、震える直ちゃんの身体を抱き締めた。
私の突然の行動に直ちゃんは驚いたように少し硬直した。


「さ、さわ子先生……?」


「ごめんね、直ちゃん。
私、直ちゃんがこんなに不安になるまで気付いてあげられなくて……」


「い、いえ、さわ子先生の責任じゃありませんよ……。
私が情けない部長だから……」


「そんな事無いわ、直ちゃん」


「そんな……」


「気休めじゃないわよ、直ちゃん。
直ちゃんは立派な部長だって私は本気で考えてるもの。
直ちゃんが頑張ってくれたおかげで、今の軽音部は上手く活動出来てるのよ?」


「でも私、楽器も弾けなくて……、
梓先輩みたいにあの子達にも優しく出来てないし……」


その言葉に私は頭を大きく横に振った。
胸の中の直ちゃんの頭を撫でながら、その言葉だけは完全に否定した。


「駄目よ、直ちゃん。
そんな事を言ったら、直ちゃんを大好きな後輩のあの子達が可哀想でしょ?
傍から見てて分かるわ、菫ちゃんも含めて部の皆は直ちゃんの事が大好きだって。
勿論、私もね。

確かに直ちゃんは楽器が弾けないわ。
不器用で表情の変化も少ない方だし、うっかり失敗しちゃう事も結構ある。
でもね、欠点や失敗があるのは皆同じだし、直ちゃんの場合、それを補う魅力があるわ。
そもそも欠点ですらないかもしれないくらいよ」


「欠点……じゃない?」


「直ちゃんが入部してくる前にりっちゃんって部長が居たわ。
何度か会ってるんだし知ってるわよね、りっちゃん」


「はい……、何度か菫のドラムも見てもらいましたし……」


「そのりっちゃんね、そりゃ生意気で困った部長だったのよ?
書類の出し忘れはしょっちゅうだし、練習はすぐに休憩したがるし、
何かあると私に文句と生意気ばかり言ってくるし、とんでもない部長だったわ。

でもね、最高の部長だったの。
どうしてだか分かる?」


「分かりません……」


「皆を支えていたからよ。
りっちゃんは型破りな部長だったけど、部員の皆の事を大切にしてたわ。
後輩の梓ちゃんの事を一番心配してたのも多分りっちゃんだったはずよ。
りっちゃんは一生懸命皆を支えてたの。
失敗もうっかりも多い子だったけれど、それ以上に皆の事を想ってた。
だから、りっちゃんは最高の部長だったの。

部長ってね、そういう存在なのよ、直ちゃん。
私も学生の頃は一番実力のある子が部長をやるものだと思ってたわ。
だけど大人になってそれは違うんだって気付いたの。
部長は皆の心の支えになれる子がやるものなの。
それが一番大切な事なのよ。
りっちゃんにはそれが出来ていたし、直ちゃんにも出来てるって私は思うわよ」


「出来てる……でしょうか……?」


「出来てるに決まってるじゃない。
知ってるわよ、直ちゃんが後輩の皆に合った練習の計画を考えてる事。
皆にぴったりな曲を作ってる事。
菫ちゃんが落ち込んだ時にも励ましてあげてる事。
そんな事が出来てる直ちゃんが部長に相応しくないわけないじゃない。
直ちゃんこそ部長にぴったりなのよ」


「…………」


「それにね、私何となく思うのよね。
今日菫ちゃんがムギちゃんに話したい学園祭の事って、直ちゃんの事じゃないかしら?
菫ちゃんも心配してるのよ、不安そうな直ちゃんの事。
それでムギちゃんに相談しようと思った……、そんな気がするわ」


「私の事を……」


「ムギちゃんも部長のりっちゃんの事が大好きな子だったわ。
りっちゃんの事が大好きで、部長のりっちゃんを近くで支えてあげてた。
そのムギちゃんを相談相手に選んだ菫ちゃんの選択は正しいと思わない?
それくらい……、皆が直ちゃんの事を大切に思っているの」


直ちゃんが私の胸の中で震えている。
だけど少しずつその震えは治まってきた。
後は直ちゃんに信じてもらうだけ。
信じさせてあげるだけ。
それできっと直ちゃんは大丈夫だと思う。


「菫ちゃん達を信じてあげて、直ちゃん。
自分の事はまだ信じられないかもしれないわ。
でも直ちゃんの事を信じてる菫ちゃん達の事は信じてあげなきゃ可哀想だと思わない?
そんなの可哀想だし悲しい事よ。
だから、信じてあげて、菫ちゃん達が信じてる奥田直部長の事を」


「うっ…ううっ……」


直ちゃんがまた震え始める。
けれどそれはさっきまでの凍えるような震えじゃなくて、温かい震え。
皆の温かさに触れられた震えだった。


「ごめん……、ごめんね、菫……。
ごめんね、皆……、ううっ……」


私の胸に温かい感触があった。
直ちゃんの温かい涙。
眼鏡ですら受け止められないほど溢れ出した涙だった。
不安で凍り付いていた心がまた動き始めた証拠だった。

私は胸の中に直ちゃんを強く抱き締めて、頭を柔らかく撫でた。
撫でながら、耳元で囁いた。


「不安なのは分かるわ、直ちゃん。
だけど忘れないでね、今軽音部が存続してるのは直ちゃん達が頑張ったからだって。
直ちゃんを信じてる後輩達も居るんだって」


「はい……」


「分かったら明日ちゃんと謝らないとね。
皆が信じてくれてる直ちゃんを自分自身が信じてなかったなんて、悲しい事だもの。
それから皆に相談しましょう?
そうすれば皆も笑って一緒に悩んでくれるわ。
部活ってそうして皆で乗り越えて行けるものなのよ」


「はいっ……!」




「ここでいいの?」


「はい、もうすぐ家ですし、ちょっと歩きたい気分なんです」


「そう、気を付けてね、直ちゃん。
ここまで送ったのに、後少しの距離で起こった悲劇の事故! とか嫌よ?」


「分かってます、ちゃんと気を付けます。
それとさわ子先生……」


「何?」


「今日は……ごめんなさ……、
じゃなくて、ありがとうございました」


「そうそう、分かってきたじゃない、直ちゃん。
不安なら相談、ごめんなさいって言うよりはありがとうって言う。
当たり前だけどそういうのが大切な事よ。
明日は私も早くから顔出すから、皆で相談し合いましょう。
上手く言えそうになったら、私も一緒に悩んであげるしね」


「ありがとうございます。
でも大丈夫です、明日こそきっと大丈夫だと思います。
これでも私部長ですしね」


「あっ、調子に乗ってきたわね、直ちゃん。
でも、そうね、それくらいでいいのよ、部長なんて。
皆……って言っても私と菫ちゃんの二人だけど、
皆に選ばれた部長なんだから自信を持ってどんと構えてなさい。
部員の事を考える気持ちを忘れなければ、それでいいわ」


「はいっ!」


威勢のいい言葉と一緒に直ちゃんが私の車から降りる。
かなり夕闇は濃くなり始めていたけれど、徒歩数分の距離なら平気だろう。
開かれたドアから穏やかな秋風が吹き込んだ。
涼しくて爽やかな風。
私との会話も少しでも直ちゃんの胸に爽やかな何かを運んでいたら嬉しいわね。


「それじゃあさわ子先生、今日はありがとうございました」


「どういたしまして、気を付けてね」


「あの、最後に一つ、いいですか?」


「いいけど、どうしたの?」


「さわ子先生はどうしてこんなに私に優しくしてくれるんですか?」


それは直ちゃんの純粋な疑問。
同時に私の疑問でもあった。
りっちゃんも梓ちゃんも部長として悩んでた事はあったけれど、私は積極的に口出ししなかった。
二人なら大丈夫だって信じてたからでもあるけれど、
どうして私は直ちゃんの悩みにだけこんなに口出ししてしまったのかしら?

不意に私は思い出した。
高校の頃、軽音部で浮いている気がしてた自分の姿を。
これでも私は高校の頃は大人しい子だった。
好きだった人に『派手な子が好き』って言われるまで、控え目で大人しい子だったのよね。
本当よ?
いえ、誰に言い訳してるわけでもないけど。
とにかく、だから私は軽音部に居ながら感じていたのよね、自分がここに居ていいのかって。
全然軽音部に馴染んでないんじゃないかって。
その自分の姿が楽器を弾けない直ちゃんと重なってしまったのかもしれない。
それで放っておけなくなったのかもしれない。

けれどそれは今言わなくてもいい事よね。
私も直ちゃんも自分の馴染んでないなんて勘違いだったわけだしね。
だから私は笑った。
わざと悪戯っぽく笑って、言ってあげた。


「眼鏡仲間だからかしらね!」


「ええっ、そんな理由なんですか?」


呆れたような直ちゃんの表情。
だけどそれは一瞬で。
その表情はすぐに変わっていった。
基本表情が少ない直ちゃんには珍しい笑顔に。

その笑顔はりっちゃんや純ちゃんみたいな眩しい笑顔とは違った。
唯ちゃんや憂ちゃんみたいなほんわかとした笑顔とも、
菫ちゃんやムギちゃんみたいな柔らかい笑顔、
梓ちゃんや澪ちゃんみたいな苦笑交じりの優しい笑顔とも全然違った表情だった。

直ちゃんらしい控え目で、だけど少しだけ得意気な笑顔。
他の誰とも違うけれど、十分過ぎるくらい魅力的な笑顔。
素敵な、笑顔だった。
私、ちょっとときめいてる?
つい息を呑んじゃったじゃない……。


「今日はありがとうございました、さわ子先生。
また明日学校で」


「ええ、また明日ね」


私が言うと、軽やかな足取りで直ちゃんが家路に着いていく。
もう大丈夫です。
直ちゃんの後ろ姿は私にそう言ってるように見えた。
さっき一瞬、直ちゃんの笑顔にときめいちゃった気がしたのは、
直ちゃんが背負った夕焼けが直ちゃんをもっと魅力的に見せたから……、そういう事にしておきましょう。
そう、直ちゃんはそんな風にして輝ける子なのよね。
皆の信頼って眩しい太陽をバックに、直ちゃん自身もいっそうに輝くの。
もっともっと輝いていいのよ、直ちゃん。
軽音部はもう十分に貴方の居場所なんだもの。

うん、俄然今年の学園祭のライブが楽しみになってきたわ。
この直ちゃん率いる軽音部なら、素敵な学園祭ライブを開催出来るはずよね。







――さてさて、今年の軽音部はどうやって私を楽しませてくれるのかしら?




おしまい



最終更新:2013年09月07日 16:55