澪「ねえ、律」
律「ん?」
澪「あれ、見て」
律「……鳥、だな」
澪「うん」
律「……」
澪「……あの生き物を一番最初に"とり"って呼んだのは誰なんだろうな」
律「は、はあ」
澪「誰かいるはずなんだよ。最初にあれをそう呼んだ一人がさ。鳥だけじゃない、他の名前だってそうだ」
律「ほ、ほう。例えば?」
澪「例えなんて……いくらでもあるよ。この世で名前が付けられているものすべて、人間がそうするまえからついていた名前なんてひとつもない。どんな言葉も、最初にそれを使った人がいるんだ」
律「……澪しゃん澪しゃん」
澪「なに?」
律「話がみえましぇん」
澪「えーっと……じゃあそうだな」
律「うん」
澪「例えばだけど、"無意識"って言葉があるだろ」
律「うんうん」
澪「その言葉を最初に使ったのは、夏目漱石なんだ」
律「へえ。ちょっとした豆知識だな」
澪「夏目漱石が使うまで、この世に"無意識"っていう概念はあってもそれを指す言葉はなかった――鳥も同じなんだよ。時代がずっと古くて、誰が名づけたのかが分かりようがないっていうだけで」
律「縄文時代よりずっと前の大昔から鳥はいたけど、それが最初に"とり"って呼ばれた瞬間はハッキリ存在する、ってこと?」
澪「そういうこと」
律「あー……なんか、そう言われるとちょっとロマン?みたいなもの感じなくもないかも」
澪「まあな。途方もないくらい昔の事を、変わらず私たちが共有している、それはすごいことなのかも」
律「なんか、夜中に宇宙のこと考えてるときと似たような気分になってきた……」
澪「ああ、自分がいかにちっぽけかなんとなく分かった気がして一瞬だけ怖くなるよな……って、話がそれた。そうじゃなくてだな」
律「うん?ロマンチストの澪しゃんらしくありませんわね」
澪「私たちの言葉って、そうやって先人たちから受け継いできたものなんだよ」
律「ほう」
澪「自分じゃない誰かのものを借りて使ってるんだ、私たちは」
律「そういうことになるのかな」
澪「最初は、律と観たザ・フーのライブに憧れて……"あんな風になりたいな"って、そう思って音楽を始めたんだったよな」
律「そうだな。まあ、うちらはザ・フーとはぜんぜん違うバンドになったけど」
澪「でもやっていくうちに……どうしても欲しくなったんだ」
律「なにが?」
澪「オリジナリティだよ。憧れのバンドの真似ばっかりじゃなくって、自分たちにしかできない音楽をやりたくなったんだ」
律「ザ・フーだけじゃなくても……好きなバンドの真似なんて、澪はしてないだろ?」
澪「結果的に表面上は似てなくっても、どこかで私は自分の憧れ……誰かの後を追ってるんだよ。そこから抜け出したくなったんだ、私は」
律「……つっても私は、今の澪が書く歌詞はじゅうぶん個性的だと思うけどな。ふわふわ時間も五月雨20ラブも、澪にしか書けない歌詞だと思うよ」
澪「私もそう思ってたよ。私なりに、私らしい歌詞が書けたと今までは思ってた」
律「……それがなんで?」
澪「言ったろ。私たちは自分じゃない誰かが作った言葉を借りて使ってる、って」
律「……」
澪「歌詞だって言葉なんだよ。私は自分にしか書けないものを書いているつもりで……実は借り物をつぎはぎに並べていただけなんだ……」
律「そ、そんなこと言ったら、オリジナルの歌詞なんて書けっこないじゃないか……!」
澪「そう……なのかもしれない」
律「それが、"歌詞は明日までにぜんぶ書いてくる"って言ったくせに一行も書けてないことの言い訳か?」
澪「言い訳してるつもりはないよ……昨日の晩、歌詞を書こうとしたらいつの間にかこういうこと考えに行き着いて」
律「じゃあ新曲の歌詞どうするんだよ……なまじ澪の言ってることも分からんでもないから"いいから書け"とかは言いにくいけど。みんな待ってんだぞ?」
澪「うん。本当に自分だけのオリジナルで書くのは無理なのかもしれない……でも」
律「でも?」
澪「私、諦めたくない。妥協もしたくないけど、じゃあ書かないなんて……絶対に嫌だ」
律「……」
澪「ごめん。約束したのに書けてないのは、本当に悪いと思ってる」
律「……いいよ。最悪、ライブ当日でもいい。字ハモ歌う唯には悪いけどその場で覚えてもらってさ」
澪「え、でもそれじゃみんなから歌詞にアドバイスとか……」
律「だあ、急に弱気になるなよ。それはまあさ、今回はいいんじゃない?」
澪「そんな!や、やっぱり最悪でもライブの2日前には仕上げて……!」
律「いいんだって。そんだけ悩んでんのを乗り越えて書かれた歌詞なら、私たち誰も文句なんて言わないよ」
澪「律……」
律「こっちこそ、急かして澪のこと追い込んじゃったのかもな。ごめん」
澪「そんなこと……」
律「じゃあ頼むぜ、澪。今は……それだけしか言えないけどさ」
澪「うん。ありがとう、律。待っててくれ――書き上げてみせるよ。必ず」
律「――おう」
おしまい
知識っぽいのは最初だけでした
ただ言語哲学がこのおはなしのベースではあるのかもしれません
書き手の方々も文字や言葉には色々思うところあるのではと思います
読了感謝
最終更新:2013年10月10日 07:28