ムギ先輩がいなくなって一番ショックを受けたのは澪先輩のようでした。
もちろん律先輩と唯先輩も悲しんでいました。
そして私は・・・平気なふりをしました。
先輩たちはそろそろ受験。
澪先輩はともかく律先輩と唯先輩はギリギリのはずです。
私が落ち込んで二人の足をひっぱるわけにはいかないと思ったのです。
なんとか私は踏ん張り、純や憂に協力してもらって先輩たちの追い出し演奏もやり切ることができました。
そして月日は流れ、先輩たちは卒業しました。
私が最後まで笑っていられたのは、ひとえに唯先輩達からもらったもののおかげだと思います。
→→→
4月。
私はたった1人で軽音部にいました。
実は憂と純が入ってくれると言ってくれたんですが、断わりました。
なんで断ってしまったのか。
落ち込んでいた私を2人に見せたくなかったのか。
それとも私と一緒に部活をやっても2人が楽しくないだろうと考えたからなのか。
自己分析は苦手です。
私は部室で1人きり。
先輩たちのいなくなった部屋はとても広く感じました。
やることがなくなった私はある日、屋上に行ってみることにしました。
さわ子先生に鍵をかりて屋上に行くと、そこにはやっぱり誰もいませんでした。
それから少し泣きました。
「ムギ先輩の馬鹿」と小さく呟きました。
ひとしきり泣いた後、部室に戻ってくると、お客さんがいました。
「あれ、あなたは?」
「軽音部の方ですか?」
「なにか用かな?」
「軽音部に入りたいのですが・・・」
眼鏡をかけた、ちょっと無愛想な女の子。
彼女は奥田直と名乗りました。
こうして、軽音部は2人になってスタートを切ったんです。
彼女はちょっと変わった子でした。
楽器はてんで駄目。
練習すればどうにかなるとかいうレベルではなく、そもそも向いてないようです。
そのかわりプロデュースに興味があるそうです。
「秋元康みたいになりたいってことかな?」と聞くと「どちらかと言うとつんく♂になりたい」と言われました。
彼女はいつもパソコンでカタカタしています。
何をやっているかよくわかりませんし、何を考えているのかもよくわかりません。
いついてくれるのだから、居心地が悪いということはないと思います。
でも、私が先輩たちと過ごした日々みたいに。
あの特別な感じを、直が感じているとはどうしても思えませんでした。
私は直と楽しく過ごすために色々頑張りました。
ちょっとした学内イベントで直と計画を立てて、猫耳をつけて演奏したりもしました。
それから紅茶もいれるようになりました。
安い茶葉を買って来て、ムギ先輩の残したティーセットを使って。
色々試行錯誤してみましたが、なかなかうまくいきませんでした。
その他にも勧誘活動をやってみたり、純の協力でジャズ研と合同ライブをやってみたり・・・。
昔の私なら信じられないぐらい本当に頑張ったんです。
私はきっと唯先輩のようになりたかったのだと思います
ムギ先輩は私に「あなたは与える側かもしれない」と一度だけ言ってくれました。
その言葉を信じて、私は空回りを続けました。
直といろいろやる日々は楽しかったですが、直が楽しいと思っているかどうか。
私には全然わかりませんでした。
でも、ある日。
私がさわ子先生に呼び出されたため、軽音部に遅れてしまった日。
直が私を見て、あからさまに嬉しそうな顔をしたことに気づいてしまいました。
あの頃の私と同じぐらいとはいえないかもしれないけれど。
直はきっと軽音部を好きになってくれた。
そう思うとうれしくて、私は直に抱きつきました。
直は不思議そうな顔をしながら、「部長、遅かったですね」と無愛想に返しました。
この日から、私は毎日が楽しくなりました。
自信をつけたからでしょうか。なんでもできるような気がしたんです。
まずは憂を軽音部に誘いました。
憂は「やっと入れてくれるんだ」と恨めしそうに言ってくれました。
純を軽音部に誘うのはやめておきました。
ジャズ研で頑張っているみたいでしたから。
でも最近の純はよく軽音部に遊びにきます。
おかげで半分部員のような感じです。
そうして私と憂と直。おまけで純。
3~4人の新生軽音部がスタートしたんです。
憂がお菓子を作ってきて、私がお茶をいれる。
直がカタカタして、純が話題をもってきてお菓子をもっていく。
あの頃と同じように楽しい軽音部が戻ってきました。
でも、本当に大事件が起きるのはこれからだったんです。
ある日、私のクラスに新しい生徒がきました。
転校生は金髪で、特徴的な眉毛をしています。
よく見知った顔。
そう、ムギ先輩が私のクラスに来たんです。
先生の説明では家庭の事情で去年途中から休学していたけど、それが解決。
卒業するために復学した・・・という話でした。
私を見つけるとサッと目を逸らすムギ先輩。
いっぱい話したいことがあるのに。
いっぱい聞きたいことがあるのに。
どうして、私の方を見てくれないんですか、ムギ先輩?
家のごたごたを片付けるのに半年もかかってしまいました。
お父様が病にかかり、後継者問題になって。
とてもじゃないけど学校に行く時間はとれなそうだったので、休学したんです。
唯ちゃん、りっちゃん、澪ちゃん、そして梓ちゃん。
みんなにちゃんと説明出来なかったのは申し訳なかったと思うけど。
いつ戻ってこれるかなんてわからなかったし。そもそも戻ってこれるかもわからなかったから。
私は、みんなに打ち明けるのが怖かった。
みんなと向き合うのが怖かった。
そして今も怖がっている。
梓ちゃんと向き合うことに。
「それで、相談したくて私を呼んだんだ?」
「うん。呼び出してごめんね、澪ちゃん」
「いや、それはいいんだ。
でもな・・・」
大学生になってもっと綺麗になった澪ちゃん。
綺麗な澪ちゃんは突然私の頭を小突きました。
ちょっとだけ怖い顔をしています。
「あいたっ。
・・・澪ちゃん?」
「私はな・・・私は、寂しかったんだぞ」
「ごめんなさい」
抱きついてくる澪ちゃん。
私はそっと澪ちゃんを抱きしめた。
「本当にごめんなさい」
「わかってる・・・ムギにだって事情があっただろうに」
「ううん。それでもちゃんと説明しておくべきだった」
「でも、私達の受験を気遣って言わなかったんだろ」
「ううん。それは違う。
だって言わなくてもショックを受けたでしょ?」
「・・・うん」
「本当に、あの時の私には勇気がなかったの」
「そっか」
「うん。
だから澪ちゃん、ごめんね」
「いいよ、もういい。
こうして帰ってきてくれたんだから。
けど・・・来年はうちの大学に来てくれるんだよな?」
「ええ。
後継者として従姉妹が名乗りでてくれたから。
でも・・・」
「・・・?」
「ううん。こっちの話なんだけど、お父様が手術に成功してピンピンしててね。
従姉妹の出番は当分なさそうなの」
「あー、でも良かったじゃないか」
「うん。お父様・・・本当によかった」
「そっか」
「でね、澪ちゃん、相談なんだけど」
「梓のことか?」
「うん」
「勇気がでないのか?」
「うん・・・きっと傷つけちゃったから」
「ムギなら大丈夫。
きっと上手くいくって。
そうだ。軽音部にもう一度入ればいいじゃないか」
「え、そんなの・・・」
「うん。それがいいって。きっと梓も喜ぶしさ」
「それは・・・キーボードは憂ちゃんがいるし」
「キーボード二枚のバンドだってあるんだぞ」
「それはそうだけど・・・」
「けど・・・?」
「・・・結局私は自信がないのかも」
「与える側じゃないから?」
「うん・・・」
「なぁ、ムギ。
私はムギのこと大好きだけど、そういう割り切った考え方は好きじゃない」
「えっ」
「与える側と与えられる側ってそんなに綺麗に分けられるものかな」
「どういうこと?」
「確かに私に最初に色々与えてくれたのは律だったと思ってる。
律がいなかったら、今の私はいないって自信を持って言える」
「うん」
「でもさ、高校に入ってから、私に一番多く与えてくれたのはムギだと思ってる。
ムギがいなかったら今の私は絶対にいない」
「そんなこと――」
「あるよ。
ムギはさ、私が落ち込んでるといつでも優しく抱きしめてくれただろ。
だから私は安心して軽音部で過ごせたんだ。
軽音部のことが、みんなのことがこんなに好きになれたんだ」
「・・・でも、やっぱり私は貰う側よ、澪ちゃん」
「だからさ。そういうのは違うと思うんだ。
貰う側と与える側っていうのはそんなにはっきり区別できるものじゃなくて。
そうだな。唯や律がシリウスとかベガぐらい明るいとしても、
私達だって太陽ぐらいにはみんあに何かを与えることができる。
最近そう思うんだ・・・」
「・・・澪ちゃん、変わったね」
「うん。ちょっと変わったかもしれない。
でも、それはムギのおかげが大きいんだぞ」
「そっかぁ。
ね、澪ちゃん、澪ちゃんは私のこと好き?」
「それは愛してるかってこと?」
「うん」
「ムギのことは大好きだけど、私が好きなのは・・・」
「好きなのは・・・?」
「唯だ」
「え」
「意外かな?」
「うん。りっちゃんなら意外じゃないけど」
「ムギは唯と律がお似合いだって言ってたから応援してくれないかもしれないけど。
実は四六時中唯のことばっかり考えてる」
「ううん。応援するわ。
唯ちゃんとりっちゃんが好き合ってるなら別だけど、そんなことないだろうし」
「そっか、ありがとう」
それから澪ちゃんの話を聞いた。
澪ちゃんがどうして唯ちゃんのことを好きになったか。
唯ちゃんがどれだけ魅力的か。
そして自分がどうやってアプローチをかけているのか。
恋っていいなぁと久しぶりに思えた。
たくさんおしゃべりした後、最後に澪ちゃんが言った。
「ムギ、1ついいことを教えておくよ」
「いいこと?」
「うん。ムギからもらった指輪を梓がどの指にはめていたか」
「・・・」
「梓は――
ムギ先輩は私と必要最低限のコミュニケーションしかとろうとしませんでした。
ううん。私だけじゃない。
クラスメイトのみんなとも。
お昼ごはんの時間になると中庭でお弁当を食べているそうです。
金髪の1年生と食べているという話も聞きました。
ムギ先輩に何があったのか。
なぜ突然いなくなったのか。
それはわかりません。
でも、ひとつだけはっきりしていることがあります。
きっと今のムギ先輩は、楽しくない。
だからお昼休み、屋上に来た私は、ムギ先輩にメールしました。
数分後。血相を変えたムギ先輩がきました。
「あ、あずさちゃん、大丈夫?」
「・・・大丈夫です」
「なにがあったの?」
「なにもなかったです」
「だって『屋上にいます、助けてください』って」
「はい。助けて欲しいんです」
「えっと・・・何か厄介事?」
「そうですね。厄介な事です」
「話してくれる?」
「はい。半年前突然いなくなった先輩が最近戻ってきたんです」
「・・・」
「でもその先輩は私を見ると目を逸らすし」
「・・・」
「話しかけても何も答えてくれないし」
「・・・」
「メールしても返事も返してくれないんです」
「・・・」
「どうすればいいと思いますか」
「・・・よかった」
「え」
「問題に巻き込まれてたわけじゃないのね」
「・・・ごめんなさい」
「いいの。私が悪かったから」
「・・・ごめんなさい」
「梓ちゃん、今までごめんね」
「話してくれますか?」
「うん」
ムギ先輩は今まであったことを話してくれました。
お父さんが病に倒れたこと。
それで学校に行くどころではなくなったこと。
だから突然消えたこと。
そして・・・。
すべての問題は既に解決したこと。
話し終わった後ムギ先輩は私にひとつお願いをしてくれました。
「ねぇ、梓ちゃん」
「なんでしょうか?」
「梓ちゃんがよかったら、もしよかったらでいいんだけど」
「はい」
「もう一度軽音部に入れてくれないかしら」
「入ってくれるんですか・・・!」
「・・・っ」
ムギ先輩は泣き出しました。
何かが堰を切ったように。わんわん喚きながら泣きました。
私はそんなムギ先輩を抱きしめました。
私と一つしか変わらないムギ先輩。
ムギ先輩の体は思ったより小さく感じました。
抱き合ったまま、私達は座り込み、長い時間を屋上で過ごしました。
そのうち泣きつかれた先輩は、眠ってしまいました。
→→→
「あ、膝枕だ」
「目が覚めましたか?」
「うん。
ごめんね、たくさん迷惑かけちゃって」
「いいんです。嬉しかったですから」
「嬉しかった?」
「はい。ムギ先輩が私に泣きついてくれて」
「ぅぅ。これじゃあ先輩失格ね・・・」
「あ、そうか。ダブリだからもう先輩じゃないんですね」
「え」
「ムギちゃんですね」
「・・・なんだか恥ずかしい」
「じゃあムギ先輩で」
「あ、でもムギちゃんも惜しいような・・・」
「・・・やっぱりムギ先輩にしておきます」
「あら、どうして?」
「唯先輩と被るのもあれなので。
そのかわり純や憂にはムギちゃんと呼ぶように言っておきますから」
「ふふ。梓ちゃんも言うようになったわね」
「部長ですから」
「そんな部長さんに二つお願いがあります」
「二つですか?」
「うん。一つは新入部員について」
「ムギ先輩が入ってくれるという話しならもう・・・」
「ううん。そっちじゃないの。
私の妹分に菫という子がいるんだけど」
「あぁ、一年の金髪の」
「知ってたんだ?」
「話に聞いただけですが」
「その子も軽音部に入れて欲しいの。
ちょっと引っ込み思案なところがあるんだけど・・・」
「そういうことなら任せてください。
・・・でもそうでしたか」
「うん?」
「いえ、その金髪の一年生のことが気になってまして」
「それはどうして」
「だってムギ先輩と一緒にお昼ごはんを食べてるって・・・」
「・・・」
「ムギ先輩?」
「ねぇ、梓ちゃん。笑わないで聞いてくれる?」
「はい・・・?」
「自意識過剰だったら恥ずかしいんだけど・・・」
ムギ先輩は私の唇に指をあてた。
それからゆっくりと撫でた。
私達はお互いに顔を寄せて、それから――。
――軽いキスをした。
「・・・青春だね」
「青春です。
・・・でも、いつからですか?」
「あの指輪、覚えてる?」
私は自分の指を差し出した。
「これ、プラチナなんだよ。
お年玉12年分」
それからもう一度キスをした。
→→→
私、直、憂、ムギ先輩、菫、そしておまけの純。
5人~6人になった軽音部は本格始動をはじめました。
ただ、お茶をいれるのは私の仕事だったし、お菓子は憂が焼いてきました。
作曲も直にまかせて、ムギ先輩が直接やることはありませんでした。。
ただ、みんなにアドバイスはしてくれました。
「後進育成のためよ~」と言い、直を徹底サポートするムギ先輩は頼もしかったです。
菫についても少し語っておこうと思います。
ムギ先輩が連れてきた金髪少女の菫は、最初距離感をはかりかねていたようでした。
私とムギ先輩の関係を知っているようなので、ムギ先輩にべったりというわけにもいかず。
だからといって人と積極的に仲良くやっていけるタイプでもないようで・・・。
でも、そんな菫をムギ先輩は見守るだけでした。
私は部長としてどうにかしようかな、とおもったけど、その必要はありませんでした。
直です。
直の無愛想ながらも率直なコミュニケーションが、菫にいい影響を与えているのは明らかでした。
最近は2人で遊びにいくことも多いようです。
一ヶ月もすると菫は私達にも甘えるようになってきました。
もちろんムギ先輩にも。
何度か私達のことをからかわれたこともあります。
私は菫の変化が嬉しかった。
直が唯先輩みたいに、菫を懐柔していくのが嬉しかったんです。
学園祭ライブを最後に私達は軽音部ではなくなりました。
でも心配はなかったです。
直と菫がいたから。
むしろ気がかりがあるとしたら、違うこと。
ムギ先輩のことです。
あの日、キスして以来――。
何も進展がないんです。
一緒にお出かけをしてもキスもしないし・・・。
もしかしたら私に飽きちゃったんじゃ、という想いがよぎります。
ムギ先輩だって人間です。
弱いところもあれば、飽きることだってあるはず。
だから11月10日。
誕生日の前日。
あの日から、ちょうど一年後。
私は屋上にムギ先輩を呼び出したんです。
「ご飯を食べながらでいいかしら?」
「はい」
「ふふ、ここでこうやって食べるのも久しぶりねぇ」
「そうですね」
「それで相談って?」
「はい。誕生日プレゼントの相談です?」
「え・・・あ、唯ちゃんの?」
「ううん。違います、ムギ先輩が私にくれるプレゼントについての相談です」
「梓ちゃん、それはおねだりって言わない?」
「そうとも言います」
「ふふ、じゃあ言ってみて。
なんでも、とは言わないけど、ほぼ、なんでもいいわよ」
「本当にですか?」
「ええ、『小国が欲しい』ぐらいなら叶えてあげるわ。
・・・時間はかかるけど」
「ごめんなさいムギ先輩、私が欲しいものは小国よりもっといいものなんです」
「えっ」
「ムギ先輩・・・これ」
「これは・・・指輪?」
「はい。プラチナじゃないですけど」
「・・・」
「私はムギ先輩が欲しいです。
もう私の前からいなくなったりしないよう。
確かな約束が欲しいです」
ムギ先輩は私の頭を軽く撫でた後、私と同じ指にそれをはめてくれました。
私が喜ぶと、ムギ先輩も喜んでくれました。
それから誓のキスをしました。
幸せは私からムギ先輩に伝わって、ムギ先輩を幸せにする。
ムギ先輩から幸せが私に伝わってきて、私を幸せにする。
それがずっと続くから、きっと軽音部は特別なんだ。
ムギ先輩にそう言うと、先輩は笑って言った。
「あのとき、軽音部を選んでよかったわ」
私は深く頷いて、ムギ先輩を強く抱きしめたんです。
おしまいっ!
最終更新:2013年11月12日 08:03